パリ近郊ベルサイユ宮殿。
17世紀後半太陽王と呼ばれ絶大な富と権力を誇ったルイ14世によって建設されました。
王朝の栄華を今に伝える壮麗な宮殿。
およそ20年の歳月と莫大な資金を費やして造られた宮殿と庭園は世界遺産に登録され多くの人々が訪れます。
今年5月宮殿前の広場で何やらとてつもない工事が始まっていました。
巨大なクレーンに持ち上げられた石。
現場を仕切る一人の人物は李禹煥78歳。
パリニューヨークなど世界を舞台に活躍を続けるアーティストです。
作ってない部分あるいは隠れた部分を引き出すって事が芸術家の役割だと。
未知なる世界に道案内ができるんじゃないだろうか。
李は韓国で生まれ二十歳で来日。
半世紀以上にわたって日本の現代美術を牽引してきました。
一体ベルサイユで何をしようとしているのか。
創作の日々を追い李の芸術の神髄に迫ります。
ベルサイユの庭。
左右対称の幾何学的構図。
計算され尽くした池や噴水樹木の配置。
ルイ14世が天才的造園家ル・ノートルに命じて造らせたフランス式庭園の傑作です。
去年の夏ベルサイユでの彫刻展を依頼されたのが李禹煥です。
年に一度一人のアーティストを招聘し作品を展示する大規模なアートプロジェクト。
7回目を迎える今年李禹煥が選ばれました。
ベルサイユの庭にどのような作品を置けばよいのか。
常に現場との対話から発想する李は何度も広大な庭園を歩き回り構想を練り上げてきました。
名所の一つ「アポロンの水浴の樹木庭園」。
この空間に穴をうがち巨大な石を配置した作品は「墓,ル・ノートルへのオマージュ」と名付けられました。
去年2013年はル・ノートル生誕400年。
ル・ノートルへの感謝の気持ちを表現したといいます。
(パックマン)ベルサイユの庭はル・ノートルの偉大な作品です。
そこに李禹煥が登場しました。
ル・ノートルが考え抜いた世界に李禹煥が参加したわけです。
それはとても難しい事です。
今回の展示はル・ノートルに対するオマージュです。
李の「墓」という作品はそのオマージュの象徴です。
今回の彫刻展に10点の新作を制作する事にしました。
最大の作品がこの「ベルサイユのアーチ」です。
心配そうに工事を見守る李。
アーチの足元に置かれる石の位置は作品にとって重要なポイントです。
巨大なビルの建設工事のような雰囲気の中で作品の設置作業が進みます。
緩やかに弧を描く全長30m高さ12mのステンレススチールのアーチ。
巨大なクレーンに吊るされたアーチが次第に完成に近づいていきます。
こちらはベルサイユ宮殿の中。
大理石の床の上に不思議な形のオブジェが置かれています。
一体これは何なのでしょうか。
床に座り込んだ李が手にしているのはなんと綿。
作品の素材として李はかなり早い時期から自然の石や綿を使ってきました。
綿は人工的なものの象徴です。
新作の中で唯一屋内に設置された作品「綿の壁」です。
ここは「星の樹木庭園」と呼ばれる円形広場。
大量の砂利が運び込まれ七つの白い石が並べられていきます。
石の位置を細かく指定します。
突然石の上に登り始めた李。
「お山の大将俺一人」の趣です。
それにしてもこの巨石を動かすのはちょっと無理のようです。
今回ある広場になにか砂漠の一角のような廃虚の一角のようなそういう場を作りまして僕がよく使う…そういう広場を演出してみたいなという事でやってみたんです。
続いて李は絵の具を混ぜ始めました。
驚いた事に白い砂利の上に描き始めたのは石の影。
入念に形を整えながら絵の具を塗り重ねていきます。
本物の太陽の影と描かれた影。
鉄板で囲まれた白い小宇宙。
ベルサイユの庭に出現した「星座」です。
僕に言わせるとどれほど完璧に作ってもどれほど偉大なものであっても必ず隙間はあるもんですしその作ったものを越えて作ってない部分あるいは隠れた部分を引き出すっていう事が芸術家の役割だと思ってます。
完璧であればあるほどそこに隙間を作りその隙間を通して自然の未知なるものだとか無限性であるとか宇宙の大きな力であるとかもっともっと大きなしかも秘密めいた人間の分からないいろんな要素を引き立てる事ができる。
そこが芸術のできる事ですし面白い部分である。
宮殿前の広々とした空間。
ここに大きな石と鉄の棒を組み合わせた作品を置きました。
ギリシャ神話の神タイタンや伝説上の巨人の休息をイメージしたといいます。
鉄は石に身を委ね安らいでいます。
自然の象徴である石。
人工的なものの象徴である鉄。
李は数十年にもわたって石と鉄を素材に作品を作り続けてきました。
花々が咲き乱れる花壇の傍らにも鉄板と石が配置されています。
横たわる石と鉄。
向かい合う石と鉄。
産業社会が作り出した鉄板はベルサイユの広場に屹立しつつも周囲に溶け込んでいます。
石と鉄がそして世界がここで対話しています。
(李)このイメージは廃虚からきたイメージなので。
1953年だか54年に朝鮮戦争の最後の頃ソウルに高校がソウルだったんでソウルに行った時にソウルは廃虚でした。
それで大きい建物がみんな壊れて壁だけ残ったり下の方に何だか分からないものの上にものが載っかったりしてて大変それが印象深いものだったんで廃虚のイメージが脳裏にあってそれがだんだんと凝縮というか整理されて産業社会の象徴的な鉄板というのと自然を代表していいと言える石なわけで。
ここに置く事によって未来や過去やいろんなものを両方思い起こす事のできる何かヒントを提示できるんじゃないだろうか。
芸術の根底にあるというソウルの廃虚の記憶。
李はどのようにして現代美術と出会いアーティストの道を歩む事になったのでしょうか。
創造の軌跡をたどる事のできる場所が日本にあります。
瀬戸内海に浮かぶ小さな島直島。
直島は瀬戸内芸術祭などのアートイベントで注目を集めてきました。
今や世界中から人々がやって来ます。
この島の一角緑の谷間に世界的建築家・安藤忠雄設計による「李禹煥美術館」があります。
中に入るとそこはまさに李禹煥ワールド。
鉄板と石が静かに訪問者を迎え入れます。
1970年代から現在までの絵画や彫刻が置かれています。
僕は今78歳になるんですが若い時は美術をやるとは夢にも思わなかったです。
もちろん子供の頃は絵を習ったり書を習ったりしましたけどこれはまあ伝統的な教育の一環として人間の身だしなみっていうか古い教育の一つの在り方を自分で体験したというのにすぎなかったんでまさかそれが自分の生涯を決定するとは夢にも思わなかったんで運命とはほんとに分からないもんだなという事が僕の心境です。
1936年韓国の慶尚南道に生まれた李は二十歳の時叔父を訪ねて日本にやって来ました。
日本大学でニーチェやハイデッガーなどの西洋哲学を学び卒業後は絵を描いたり南北統一運動に関わったりしながら自らの行くべき道を模索していました。
60年代後半というのは日本では安保闘争とか全共闘運動とかいろいろありまして学生や知識人たちの自己反乱というか戦後社会あるいは近代社会に対する異議申し立てみたいなものがあってまあ分かりやすく言えばぶち壊し。
従来あったような事を一旦それを解体してもう一遍考え直してみようという空気が世界的に広がった。
美術の中ではガラスを割るとか割るという事はそこに在る事を一旦ひび割れさせる。
そしてそれをまあバラバラにするというそういう一種の否定的な行為なわけです。
それが日本にも起こったんです。
そこで美術の中ではいわゆる「もの派」という言葉の運動が起こったり。
近年国際的にも再評価の高まる芸術運動「もの派」。
李はその中心人物の一人として日本の前衛美術を牽引してきました。
若いアーティストたちと共に石や紙綿や鉄などの素材をただ並べてみせる事で物質の持つ意味「美術とは何か」を問いかけたのです。
当時話題になった関根伸夫の作品。
地面を掘って土を円筒形に積み上げた「位相−大地」。
李はこの不可解な作品を評価し既成の見方を捨てれば「そのままの世界の鮮やかさ」が見えると論じました。
2005年に大阪で開かれたもの派を再考する展覧会で李はガラスを割るパフォーマンスを再現しました。
40年以上の歳月を経た今も「美術とは何か」という李の問いかけは強いインパクトを持ち続けています。
1970年代の初めから李は絵画に新たな可能性を見いだします。
李禹煥美術館「出会いの間」に展示された作品「点より」。
絵画の最小限の要素である「点」が果てしなく続きます。
上から下へと垂直に伸びる線がリズミカルに繰り返され無限を呼吸しています。
「点より」「線より」というシリーズはつまり非常に単純なコンセプトなわけですね。
それで何のイメージもないし点をつけるって事は子供でも年寄りでも誰でもできる。
唯一頼りになるのは呼吸です。
自分の体を整え考えをまとめて呼吸に従ってそれを行うという非常に単純な事なんだけどもなんの意味ありげな事だとか意味だとかそういう事を省いてもできる。
そういう事からとりあえず出発しよう。
絵画の成り立ちがどうなるのかという事を試みる仕事。
それから彫刻ではものを作り上げるというよりもどういう…ものとものを関係させたり空間との関係させるような中で何が見えてくるのかどのような現象が起こるのか。
李禹煥と建築家・安藤忠雄の絶妙なコラボレーションによって誕生した美術館。
安藤忠雄の目に李はどのように映っているのでしょうか。
李禹煥美術館なんですけれども出来上がる前に彼が言ってきます。
「安藤さんコンクリートの壁の前にポールを」。
コンクリートのポールですよ。
40cmぐらいのコンクリートの。
20mくらいの。
そんな事はできないだろうと。
もうほとんどねあの場所で作るという事は難しいと思ったんですけども彼は頑としてダメだやるんだという中で作り上げていくプロセスの中でこの人が持つ世界は深いと思いましたね。
深くて大きい。
あれがなかったらあの美術館どうだったんだろうと思うんです。
あれを一つ置く事によって私の心に深く突き刺さってきます。
それは何かというと李禹煥さんの苦悩が私の中に伝わってきます。
苦悩の奥行きの深さ苦悩の深度が李禹煥を語ってるんだと思ったんですね。
何が一番重要なんだろうと思ったら緊張感ですね。
その人間が生きてきたプロセスが全てに緊張感に関わってると。
そして同時に仕事にも緊張感があると。
長い間いろいろ仕事をやってきて自分でやってる最も根源的といいますか大事な部分って何だろうという。
考えてみると僕はやはり対象物というか存在というかそういうものを超えたいというかですね。
世界が輝くというかなにかそのほんとに…なにかこう…生き生きとあるいはときめくようにそういうなにかこうキラッと光るようなそういう感じにするって事が大事かなと。
李が到達した一つの境地。
壁に描かれたグレーのストロークは深く静かに呼吸しています。
「海と山」「私は見た山が海になり海が山になるのを」「その時私は静かに眼を閉じていた」「眼を開くと山は山になり海は海になり」「樹」「樹は立ち止まっているように見えて絶えず風をうけながら揺れる幅のなかで世界を旅している」ベルサイユの庭にある緑の並木道。
李がここに配置した作品は「対話Z」。
石と鉄板と木々がひそやかな会話を交わしています。
(葉擦れの音)木漏れ日が鉄板の上で揺らめき風の歌が聞こえます。
李が絵の具で石の影を描いていた星の広場です。
七つの星々は北斗七星。
太陽の影と描かれた影が交差するシュールな世界。
「影と影がキスをする」イメージだといいます。
影の中の影。
星たちの愛の物語がベルサイユの庭で繰り広げられているかのようです。
今回ベルサイユで実際に作品と対面した…これほど大規模なスケールの大きな仕事は李さんにとっては初めてだと思うんですね。
もちろん野外での作品はいくつもあったけども壮大なスケールの作品。
しかもそれがフランス庭園という人工的に計算され尽くした庭園の中でやるという。
ちょっと意外なロケーション李さんにとってはね。
それをうまく利用してるというのはちょっと今までと違った考えだと思うんですけど。
李さんは韓国生まれで日本で美術家として出発して今パリと鎌倉を往復しながら制作してるんですね。
ある意味「ノマド」。
ノマドって「遊牧民」って事なんですけど。
ああいう人っていうのは表現を自由にするためにはある一つだけの文化や一つだけのポジションに拘束されないでいつも自由ないろんな文化と接触しながら自由な発想をしてるという事が非常に大事だと思うんですけど李さんはまさしくアーティストとしてのノマドを地で行ってるというか。
鉄板って茶褐色ですごい威圧的で重々しいものじゃないですか。
それが並木道の中に置かれて自然石と組み合わされるとほんとに優しげな木漏れ日の中でさざめくのが鉄板の表面に反射してとっても美しいしね。
なんか自然と我々との対話人工的なものと我々との対話が伸びやかに…響いてるというかねそれが一番僕は感動的でした。
ベルサイユ宮殿の前にまっすぐに伸びる緑の芝生。
「王の散歩道」「緑の絨毯」と呼ばれる場所に並べたのは緩やかにカーブするステンレススチールの板です。
(李)この芝生のカーペットっていうかこれは三百数十メートルあるんですよ。
ここに何かをしなきゃならないという事で考えました。
そしたらですねある瞬間風が吹いて草が波のようになびいてるようなものを見たんですね。
とてもそれがいい感じに映ってああそうかと。
この風による波つまり風の羽根みたいなイメージが浮かんだんです。
向こうの池に通ずるような長いカーペットの中で空間や気持ちが揺れてずうっと向こうの方に流れていく。
そういう心の漣みたいなものができると見る人たちにどういう印象を与えるだろうかという事を考えながら僕自身大変楽しみでやってみた仕事です。
(李)そのものを見せるんじゃなくてそれによって周りの空気が動いたり人間の気持ちが動いたりするそういう広がりそういう振動を引き起こすような事がより大事だ。
そういう事を全部ひっくるめて僕は自分の言葉で「余白」と言うんです。
例えば鐘を打つと鐘を打つ人間鐘それから空間があってそれがゴーンと打つと同時にその鐘の音が波打って辺りへ広がる。
そういう広がる全部を「余白」と言います。
できるだけ人の気持ちまで揺り動かすような事ができればどんなにいいだろうかという事が僕の姿勢です。
パリから帰国した李は7月22日東京・元麻布のギャラリーで新しい作品の制作を始めていました。
日本で久しぶりの個展です。
ここは地下ですしコンクリートむき出しだとか地下だとかっていう事こういう…空間の特徴を生かして発掘現場みたいな感じを作りたい。
いろいろ下を発掘したら絵が出てきたみたいな。
周りに砂利を敷き詰めたコンクリートの床に直接筆を置いていきます。
緊張感が漂います。
制作の途中で何度もメジャーを使って空間の配置を確かめます。
一点一画を揺るがせにしない姿勢。
ストロークがどの位置に描かれているのかが重要なポイントです。
グレーの微妙なグラデーションへの徹底したこだわり。
えもいわれぬ神秘的な画面が立ち現れてきます。
自らほうきと熊手を手に最後の仕上げを行う李。
一つの作品が完成するまでのアーティストの執念です。
7月25日個展のオープニング。
先生でもあれ盛り上がったでしょ。
床に描く瞬間は。
李禹煥と村上隆。
世界を舞台に活躍する二人のアーティストはこれまでもずっと親交を結んできました。
今回の個展も村上の強い希望で実現したといいます。
でもすごいフレッシュな感じで良かったですよね。
日本でこういうのさせて頂いてありがとうございますほんとに。
ほんとに最初話聞いた時はどうなるかと…ハハハハッ!作家さんにお任せしますと言いつつもどうなっちゃうのかなと思って。
僕にとって李禹煥先生はですね今でこそ現代美術の文脈でお話ししてますが当時僕学生だった頃は日本画科だったんですよね。
そんな中で李禹煥さんは日本画の顔料を使っておりまして現代美術をやっていて言ってみると僕の心の逃げ場というか未来の逃げ場というかヒーローといいますかそういう方だったので。
ただ作品見て分かるように非常に小難しい方なのでなかなかアクセスできませんでしたけど長い時間かけて信頼をして頂き展覧会やってもらってすごくうれしく思ってます。
ヒーローと仕事ができてすごく幸福に思っております。
今年のベルサイユ宮殿の展覧会で李先生のスケール感が一気に変わったと思います。
多分今の…ベルサイユのスケール感の5倍ぐらいのスケールまでエキスパンドできると思うのでぜひ長生きして頂いて5倍と言わず10倍ぐらいのスケールのものをやってもらいたいなと思うので期待しておりま〜す。
李がベルサイユでの彫刻展を依頼されておよそ1年。
ついに完璧な姿を現した「ベルサイユのアーチ」です。
青空と白い雲を映して真珠色に輝くアーチ。
李禹煥はル・ノートルの古典的世界に対し対極である現代美術をぶつけて物議を醸し出そうとしたわけではありません。
ステンレススチールで作られた「ベルサイユのアーチ」の下に同じステンレスの板を敷き詰めました。
それがまるで宮殿に向かう門の扉にぴったり。
多くの来訪者は作品を意識する事なくごく自然にアーチをくぐり抜けていきます。
それはまさに李禹煥の作品の成功にほかなりません。
(李)もともと「アーチ」は…ベルサイユの空に架かる虹。
それは人々への李禹煥の贈り物。
「アートの虹」です。
7月蝉時雨に包まれる鎌倉のアトリエ。
何事もなかったかのようにいつものスタイルで李は一人キャンバスに向かっていました。
アーティストがやれる事は限られてるんですね。
パンを作るわけでも武器を作るわけにもいかない。
何かしら僕の作品に接して少し立ち止まってちょっと隙間をあけてなにか一服できるようなそういう事であればいいのかなと思うわけです。
夏の終わりつかの間の休息も去って李禹煥は次なる創作の地に向かって旅立ちました。
2014/09/14(日) 20:00〜20:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「ベルサイユにアートの虹を架ける〜李 禹煥(リ ウファン)の挑戦」[字][再]
ベルサイユ宮殿を舞台に、日本の現代美術を牽引してきたアーティストの大規模な個展が開催された。李 禹煥(リ ウファン)。パリの人々を驚かせた巨大な作品の数々を紹介
詳細情報
番組内容
ベルサイユ宮殿の庭園に、高さ30mの鉄のアーチが“アートの虹”となってそびえ立つ。年に一度、世界的に活躍するアーティストが選ばれ、ベルサイユ宮殿で個展が開催される一大プロジェクト。その栄誉に輝いたのは、長年、日本の現代美術をけん引してきた李 禹煥(リ ウファン)。石や鉄を使い、見る者をめい想の世界に引き込むような作品の数々。李を敬愛する建築家・安藤忠雄や現代美術家・村上隆の声も交え、李の世界に迫る
出演者
【出演】多摩美術大学教授…李 禹煥,建築家・文化勲章・東京大学教授…安藤忠雄,現代美術作家…村上隆,【語り】伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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