いっぷく!【御嶽山噴火4日…帰り待つ家族の思い▽東海道新幹線50周年】 2014.10.01

国分≫おはようございます。
10月1日水曜日の「いっぷく!」です。
枡田≫今日のコメンテーターはTBSの杉尾秀哉解説室長と第一生命経済研究所、主席研究員の小谷みどりさん。
そしてゲストは防災システム研究所所長の山村武彦さんです、よろしくお願いします。
国分≫今朝もこのニュースからお伝えします。
御岳山の噴火、昨日は火山活動が活発になってきたため捜索活動ができませんでした。
今朝はどうでしょうか?御嶽山上空の小川さんお願いします。
≫噴火から5日目を迎えた御嶽山上空です。
今日も依然、白と灰色が入り交じった噴煙を勢いよく吐き出し続けています。
昨日と同じ、もしくはそれ以上の量を噴き上げているように感じます。
先ほど7時半には自衛隊の大型ヘリに乗った自衛隊、警察、消防の救助隊が到着しました。
3回に飛行にわたって合計90名以上の救助隊員が降りてきました。
山頂の北西の比較的平らな地形に降り立ち、そこから現在、山頂へ向けて歩き始めました。
地面は火山灰で覆われていまして足場はかなり悪いように思われます。
足を取られ転倒する隊員の姿も見られました。
7時半に到着した部隊はかなり山頂付近に迫っているようですが画面上では、まだ確認できません。
現在、3部隊が到着しまして、画面中央、今、救助隊の姿が確認できまして、救助隊が1人立っています。
この後、ほかの2部隊もこの山頂付近に到着すると思われます。
7時半から救助活動が始まりました。
ただこの救助活動は火山性微動が比較的落ち着いたすき間を縫ってとなりますのでこの後、迅速な行動が求められることとなりそうです。
国分≫小川さん、ありがとうございました。
続いてはこちらでございます。
自衛隊のヘリポートになっている松原スポーツ公園からです。
≫勢いよく噴煙が噴き出ている御嶽山の頂上から今自衛隊の大型輸送ヘリがこちらに向かってきました。
ここは運動公園のグラウンドになっていまして、救助隊員が待機する場所、また、山頂で亡くなった方や心肺停止の方をこちらに運んでくる場所ということになります。
50分ほど前からこちらの大型輸送ヘリ、次々と飛び立ってはこちらに戻ってきております。
2機ありまして、1機につきおよそ30人乗ることができます。
それぞれ3回往復しますので、合計およそ200人の救助隊員が御嶽山の山頂へ運ばれるということになります。
地上からは長野県側、そして岐阜県側、既に救助隊員が登山口に入っています。
昨日は行われなかった捜索活動、救助活動、今日は進むことを祈るばかりです。
国分≫奥平さん、不明者はさらに増えそうという話もあるんですけどいかがでしょうか?≫そうなんですね、もともと警察や消防、そしてそれぞれの役場が別の名簿を持っていました。
そのすり合わせがうまくいかなかった面もあります。
1字違いの人もいるなどしたようです。
また、その一方で入山届を出さずに登山していた人がいる可能性もあるということでどれだけの被災者、行方不明者がいるかというのは現時点ではわからない状況ですね。
国分≫今日で噴火後5日目になるわけですけれども待ち続けていますご家族はかなり疲労しているんじゃないかなと思うんですが、そこら辺はいかがでしょうか?≫安否がわからない人を待つ家族、そして親族、友人らは本当につらい毎日を過ごしています。
中には集団で近くの公民館で寝泊まりしていますので、体調を崩す人も現れました。
看護師などが体と心のケアに当たっているということです。
国分≫今、後ろでは隊員の皆さんがヘリコプターに近づいていますけれども、これは今どういった状況なんでしょうか?≫まさに救助隊員ですね、警察や消防、自衛隊員らで構成されています。
ガスマスクなどを持っています。
酸素ボンベなども持っています。
1本30分くらいしか続かないそうなんですがそれらの装備をしたがえまして、この大型の輸送ヘリに乗り込むところです。
これが一気に3回往復します。
これがこの1台目なんですが3回目の往復が今、始まるということになります。
ここから乗り込みまして、大体北東の方向に今御嶽山頂が見えているんですが、そちらに向かうということになります。
今、私が立っているところまでヘリコプターのプロペラの風、そして爆音が伝わってきます。
防じんマスクから隊員の皆さんは防毒マスクに変わったんですかね?≫はい、2種類のマスクを昨日は見せてもらいました。
まずは、呼吸ができないときに、呼吸ができるような酸素ボンベとマスク、もう一つは、フィルターを通して有毒の火山ガスを吸わないようにするマスク、この2つを消防隊員らは装備していましたね。
国分≫地元の方では情報が入らないという話もありますけれども、ご家族の皆さんの耳にはまだまだ入ってこない状況なんでしょうか?≫はい、特に昨日は救助活動、そして捜索活動が完全にストップしてしまいました。
丸一日、何もわからない状況が続いていて、特に関係者の中にはいら立ち、そしてもどかしさが募っていますね。
国分≫今、捜索活動が再開されたということですけれどもご家族の皆さんのことを考えると、杉尾さん、やっぱり苦しいですよね?≫救助の目安とされる72時間、もう3日が過ぎていますよね5日ということで、しかも平地と違って山の上ですよね。
空気が薄くて有毒ガスもあったりして、昨日は捜索活動が中断していましたし、この困難な状況を見ると、余計につらいんじゃないですかね。
枡田≫ご家族の帰りを待つ方にも次第に疲れの色が見え始めています。
昨日も現場は重い空気に包まれました。
≫遅々として進まない捜索作業にもどかしさを隠せない隊員たち。
御嶽山の噴火から4日目の昨日、警察、消防、そして陸上自衛隊が早朝から1000人態勢で活動を再開する予定だった。
しかし…≫時刻は午後2時半を過ぎたところです。
御嶽山の火口からは、今も勢いよく噴煙が噴き出しています。
そして、救助活動にこちらの大型のヘリを使うことを予定していたんですが、先ほどこの救助活動、このヘリを飛ばすことを含めて断念することが発表されました。
こちらのヘリを使うなどする救助活動は、明日水曜日以降へと持ち越しとなります。
≫いまだ活発に火山活動を続ける御嶽山。
難航する捜索活動に待ち続ける家族は…≫次男の所祐樹さんと交際相手の丹羽由紀さんは一緒に御嶽山に登ったまま安否がわからない状況。
これまでに死亡が確認されたのは12人。
家族のもとに無言の帰宅をしました。
長野県松本市内の滞在施設で暮らしながら登山を楽しんでいた横田和正さん。
昨日、家族が住む岡山県倉敷市で通夜が営まれました。
昨日、静岡県御前崎市の自宅に遺体となって戻ってきた増田直樹さん。
しかし、一緒に登った妻の睦美さんはいまだに不明のままです。
昨日、睦美さんの両親は…≫午後3時10分です、伊藤琴美さんのご遺体が今、自宅に戻りました。
愛知県知立市の高校3年生、伊藤琴美さんは、17人グループで御嶽山に登り、噴火に巻き込まれ死亡が確認されました。
高校では弓道部に所属し、明るい人柄で後輩にも慕われていました。
琴美さんとともに御嶽山に登り、噴火に巻き込まれた父親は…≫今回の噴火で死者17人、心肺停止24人が確認される一方で九死に一生を得た登山者たちがいます。
登山歴40年という鎌田隆雄さん。
鎌田さんは山頂付近で噴火に遭遇しました。
鎌田さんは噴火直後、噴煙を眺めずすぐに岩陰を探し、身を隠しました≫周囲が明るくなるまで、岩陰に身を隠した後、山小屋に避難し難を逃れました。
御嶽山山頂の御嶽神社の権禰宜を務める下平伸一さんは噴火当時7合目と8合目の間の社務所にいました。
村の防災無線で噴火を知った下平さんは、急いで周囲の人たちと避難しました。
≫その頃、噴石が雨のように降り注いでいた山頂ではある偶然が重なって無事生還することができた人たちがいました。
そう語るのは千葉県松戸市に住む69歳と73歳の女性。
2人は栃木県に住む友人とともに御嶽山の山頂付近にいました。
噴火が起きたのは3人が御嶽神社社務所近くで昼食をとろうとザックを下ろした瞬間でした。
2人は、とっさの判断で近くにあった社務所のひさしの下に逃げ込みます。
しかし、もう一人の友人は…2人とは少し離れたところにいた女性。
噴石が雨のように降り注いできたと言います。
そのリュックに入っていたものを見せてもらうと…命を守ったのはリュックに入っていた水筒と登山用の食器でした。
さらに女性の頭部や腕には噴石によってできたと思われる傷が生々しく残っていました。
≫まさに九死に一生。
噴煙に包まれ、噴石が打ちつける光景はこの世のものとは思えなかったと言います。
永遠に感じるほど長く思えた恐怖の時間。
明るくなって我に返ったといいます。
一方、1人離れていた女性は…奇跡的に命拾いした3人の女性。
下山せずに社務所にとどまっていたことが幸いしました。
社務所に身を隠すこと1時間、そこに現れたのは山荘の従業員でした。
山荘の従業員は判断よく3人を連れて、噴煙とは逆の方向に下山。
無事、生還することができたのです国分≫こちらがその女性の命を守りました登山用の食器、コッヘルというものなんですけど、これがリュックに入っていて瞬時に頭にリュックを載せて逃げていたということなんですけれどもここ、ご覧ください。
ここ、角の部分なんですけれども、拳状ぐらいの噴石が多分、降ってきたんじゃないかなと思うんですけれども。
小谷さん、これは本当に冷静な判断だったと思うんですけどね。
≫ホントに生死の分かれ目って運ですよね。
足に当たって骨が折れて歩けなくなるかもしれないですし本当に運ですよね。
国分≫このコッヘルがどこに入ってるかによっても杉尾さん、全然違ったと思うんですけど?≫違いますね、あと水筒に当たって魔法瓶がつぶれちゃったという人もいますしだからやっぱり、頭を守るというのが一番大切なんですね、こういうのが起きたとき。
枡田≫太一さん、これ実際に触ってみてかたいものですか?国分≫相当かたいものなんですよ、なのでそんじょそこらじゃ、へっこまないものだと思うんですよね。
だからやっぱり勢い、噴石の勢いというのは感じますね?≫非常に速いスピードでぶつかったんだろうな。
特にカーブしているところって、ものすごく丈夫なところですね。
そこがそれほどへっこむというのは大変な力だと思いますね。
これが当たれば、もしこれがなかったら生死に関わってきたと思いますね。
赤荻≫そして、こちらをご覧いただきたいんですけれども、2枚の写真があります。
これは昨日公表されました東京消防庁の緊急消防救助隊の噴火翌日の写真です。
捜索活動に当たっている写真です。
まず1枚目の写真がこちらなんですけれども、屋外ですね、山頂付近なんですが一面、ほぼ真っ白の状態。
この写真に写っているだけでもおよそ20人ほどの救助隊の活動されている様子がわかります。
そして至るところにロープだったり、ここも3〜4人の方がロープを引っ張っている様子もありますけれども、この辺り、どうでしょうか?国分≫傾斜ということもそうなんですけれども灰が50cm以上積もっている、この中での捜索活動というのは難しいことなんでしょうか?≫大変リスクがある、つまり、今現在噴火が続いている中で、なおかつ足場のところはゴロゴロした大きな岩がゴロゴロしてますね。
そこに灰が積もってますから、非常に滑りやすい、足場の悪い中での、特に急斜面ですから、これは大変危険な作業だろうと思いますね。
国分≫足元もそうなのかもしれませんけれども、火山ガスということも心配されていますよね。
≫これを見ると、やっぱり初期の段階では簡単なマスク程度のもので、防毒マスクとかじゃないですよね。
昨日は中断しましたけれども、いろんな有毒物質がありますので、それに対応するだけの装備ということになると相当大変な中で救助活動をされていたなというのがわかりますね。
赤荻≫そのマスクという意味でいうとこちらの方がよりわかるかもしれません。
こちらは山小屋の様子なんですね。
こちらではこのようにマスクをされている方の様子があります。
確かに防毒マスクのようなマスクではないことがわかると思います。
≫防じんマスクですね、これは。
赤荻≫さらに、この中を見ていただきたいんですが、このように床が真っ白になっています。
国分≫天井を見る限り穴は開いていないんですけれどもやはりガラスが割れてそこから入ってくることも考えられますかね。
≫灰はものすごく圧力みたいな形で、すき間があると、うわっと入ってきちゃうんですね。
国分≫閉まっていてもすき間があれば入ってくる?≫ですからほんのわずかなすき間から大量の灰が入ってきますので、中、一面真っ白ですよね。
大変な作業だと思いますね。
救助隊、捜索隊の方々には本当に頭が下がりますね。
枡田≫その救助隊の活動といえば噴火の翌日、山頂付近に取り残された負傷者23人を救助したのは陸上自衛隊のヘリコプターでした。
標高およそ3000mでの限界ギリギリの決死の救出作業でした。
≫御嶽山噴火から一夜明けた日曜日、被害の全容がわからない中、陸上自衛隊の救難ヘリコプターUH−60が救出活動に向かいました。
午前11時半頃、山頂付近でホバリング。
舞い散る火山灰、悪条件の中、遭難者をつり上げ無事救助。
さらに午後5時半頃、剣ヶ峰山荘付近でも2人の自衛隊員により遭難者が救助されました。
次々と救出さる遭難者たち。
淡々と行われる救助活動。
ところが、実はかなり危険と隣り合わせの作業だったんです。
そう話すのは、かつて海上自衛隊で同じタイプのヘリコプターを操縦していた小原凡司さん。
14年前、三宅島が噴火したとき自衛隊のヘリコプターを操縦していました。
火口からは噴石が飛んでくる可能性があり、それが機体に当たると墜落の危険もあるといいます。
さらに問題となるのは火山灰の存在。
これは、日曜日の救出活動。
地表に積もった火山灰がヘリコプターによってわき上がっています。
これをエンジンに吸い込むことも墜落につながると言います。
この映像を見た小原さんは…一見、普通の飛行。
しかし、相当な操縦技術が要求されるんです。
さらに…山肌近くの飛行は気流の影響を受けやすく、これも一歩間違えれば墜落しかねないといいます。
それでも飛行するにはワケが。
過酷な条件が重なる中、遭難者を見つけるために決死の飛行。
空中にとどまるホバリングも実は高度な操縦技術が必要だったのです。
ヘリコプターはプロペラを回転させることで揚力を発生させ、飛んでいます。
しかし、標高が高くなると空気が薄くなるため揚力が弱くなり、安定した飛行が難しくなります。
今回の救難ヘリコプターのホバリングの限界高度はおよそ3000m。
標高が3067mの御嶽山山頂付近での活動はまさにギリギリの救出活動だったのです。
神業ともいうべき自衛隊救難ヘリの救出活動。
この日、10時間以上飛び続け23人もの負傷者を救出したのです。
国分≫当たり前のように僕たちは救出活動を見ていましたけれども、やはり危険な状況で救出をされていたってことがこのVTRを見てもわかりましたね。
≫命がけですよね、助ける方は。
空からも地上からもですよね。
本当にすばらしいと思います。
国分≫この3000mというところでの活動というのはやっぱり難しいものなんですね?≫もともとヘリって、安全な乗り物のように見えますけど、これまでも結構、事故とか起きていますし、特にこれだけの高度になりますと、ギリギリの作業ですよね。
しかも細かい粒子がエンジンなんか吸い込んだりすると、エンジンが一発でダメになったりますので。
その中で本当にギリギリの、ただ今回、早く自衛隊を派遣したのがかなりの方が救出された1つの大きな要因になったと思います。
枡田≫今、杉尾さんの話にもありましたようにこのヘリでの救出活動というのは非常に危険覚悟となっています。
実は過去にもヘリコプターでの救出中に、このような事故がありました。
国分≫やはりヘリの活動というのは難しいんですね。
≫そうですね、特に高い山の場合ですね、高山での活動というのは非常に気流が変化しやすいんですね。
それから先ほどもおっしゃっていましたけれども、非常に空気が薄い分、気流が変化することにバランスを保ちにくいんですね。
それが相乗作用で非常に安定感がなく、ですから私も救助隊の方に話を聞いて一度乗ったことあるんですけれども、そのときに聞いたのは実はこれ、つり上げるときも風の影響を受けて、そのヘリ自身がバランスを失っちゃう場合もあると。
2人つり上げているんだけども、その風が非常に。
それを振れないようにしながらつり上げるのは大変だそうですね。
高度の技術、杉尾さんおっしゃったように、自衛隊機でないとなかなか難しかっただろうと思いますね。
≫そうですね。
国分≫また、噴煙がエンジンの中に入ってしまうとエンジンが止まってしまうという問題もあるんですね。
≫火山灰の特徴でかなり細かいものですから、フィルターを通じてエンジンに入ると焼けて、それが焦げついてしまう危険があります。
大変、危険と隣り合わせだということですね。
国分≫とにかく二次災害だけは何とか避けてもらいたいですよね。
枡田≫そして、今回の噴火で気象庁などは水蒸気爆発による噴火の予知は困難としています。
果たして本当に予知できなかったのでしょうか?今日は様々な角度から検証してみました。
≫水蒸気爆発による噴火の予知は難しいとした火山噴火予知連絡会。
しかし、過去には予知に成功した例があります。
2000年に起きた北海道有珠山の噴火は今回の御嶽山と同じ水蒸気爆発でした。
気象庁は、噴火の前に緊急火山情報を出し住民は避難、その2日後、噴火。
1人の犠牲者を出すことはありませんでした。
当時、噴火の予知に関わった北海道大学有珠火山観測所の大島准教授は…噴火の予知は、そもそもどのように行うのでしょうか?日本にある110の活火山のうち47の山に観測所などが設けられていて、御嶽山の場合、火口からおよそ半径10kmの範囲に様々な観測機器が設置されています。
これは普通の地震計と違い、マグマのわずかな動きを感知することができる地震計。
御嶽山では、12カ所に設置されています。
これは、山の膨張や傾きを計測する傾斜計。
御嶽山にも1カ所設置されていて、地中100〜200mに埋められています。
この傾斜計は設置した地点から1km先で1mm動いた場合でもその変化を測定できるといいます。
さらに噴火の予知にはGPS機能によって山の動きを計測する機器も使います。
火山性微動では、マグマの動きで山が膨張したり、収縮したりします。
この機器はそのわずかな動きも感知することができるもので御嶽山には5カ所に設置されています。
これだけの機器が設置されていた御嶽山でも、噴火の予知は難しかったのでしょうか?≫青木氏は今回は噴火直前、火山性微動や山の膨張といった噴火の予兆があったとし、その時点で登山者に何らかの情報を送ることは可能だったとしました。
国分≫噴火は予知はできないと言っていましたけれども、データを見ると、予知できたかもしれないということなんでしょうかう?赤荻≫そうなんですね、今回御嶽山では噴火の直前に予兆と見られるものがあったと今VTRにもありましたけれども、噴火の10分前以内に火山性微動だったり山の膨張を観測していたということなんです。
ですからこういったことを登山者の方に伝えるべきだったんじゃないかと青木助教は話しています。
国分≫この辺は山村さん、どう思われますか?≫私も青木先生と同じ考えですね。
その前の10日前ぐらいから地震計に一定の地震の異常な回数が記録されていて、多少減衰をしたとはいうものの、その時点で、こういう形で起こるという。
よくあるのが、火山性地震が発生して減衰して、それから増えたときに一気に噴火するっていうケースが多いんですよね。
ですから、そうすると、この膨張を含めて、地殻変動があったら、その時点、たとえ7分前でも、何らかの形で知らせることができたんじゃないかな、知らせられれば、例えば噴火口から離れるとかせめてレベル2に上げるとか、そういった形ができたんじゃないのかなという気がしますね。
国分≫7分前にわかっていたら、できることはたくさんあると?≫そうですね。
ただ、その仕組みとかですね。
もう1つは、気象庁そのものがレベルについての警戒レベルの判定基準というのをつくっていますね。
多分、複数の観測機器の異常を感じたときにとなっていると思う。
ですから、そのときにすぐに出せなかったかな、予報じゃなくて、せめてレベル2に上げられなかったか。
その上げたものを伝える仕組みができてなかったかなと思います。
≫自治体には伝えているんですけど、自治体が実際にその情報を登山者にどうやって伝えるのか。
サイレンという話もありましたし、防災無線みたいなものがあってもいいかもしれないし、そんなにコストがかかるようなものじゃないと思うんで、これから、そういうことは考えていかなきゃいけないんじゃないですかね。
国分≫山頂にそういったベルだとかサイレンで知らせるということが。
順番に自治体経由してやってたら間に合わないんですね、ですから緊急地震速報と同じように一斉配信でやらないとダメだと思いますね。
それをエリアメールとか、あるいは国民保護法制のそういう警戒警報と同じようにサイレンを鳴らすとかそういったことをやらないとダメですよね。
国分≫そもそもこういった噴火の警戒レベルを上げているのは誰になるんですか?≫気象庁ですね。
国分≫気象庁が自治体に伝えるということなんですか?≫そういうことですね、自治体を通じてやるということが多いですね。
ただ、気象庁そのものはレベルを決めてますから自治体がレベル決めるわけじゃなくて、そのレベル2といったら、火口周辺規制というのが決まってしまうんですね。
入山規制、エリアを自治体が変更することはないんですがただ、災害対策基本法では警戒区域を定めて立入禁止区域を定めることはできるんですね。
ですから、自治体がやれることというのはまた規制そのものの枠を変えることはできませんけれども例えば長野県がやっているように、落石とか喝落で頭部を損傷する被害が報告されるようになってからは、昨年の夏から長野県は、登山者にはへメルッと着用を呼びかけていますね。
こういったことは自治体としてやれることなんですね。
例えば阿蘇でも、火口周辺の規制をしたんですけれども、立ち入り規制、ところが火口に見学者がたくさん押しかけて、噴石で死亡事故が発生しているケースもあるんですね。
せっかく規制はしたんだけれども、そこに近寄ってしまってというところもあったりするんで規制が全部ではないけれども、しかし、身構えるということがあるんですね。
規制とか情報を出すことによってですね。
ただ一方では、観光への影響というのもありますから一概にはすぐ出しにくいというのも、もちろんあると思いますけど。
国分≫そこの判断はやっぱり難しいのかもしれないですね。
赤荻≫今回「いっぷく!」では火山を抱えている全国19の自治体にその入山規制などについて話を伺いました。
その中で多かった意見がこのような意見です。
国分≫その気持ちもわからなくもないですけれどもやっぱりそこは人の命がかかってる分、小谷さん、やっぱり?≫でも火山の近くって必ず温泉がありますから、格好の観光地じゃないですか、これから秋ですと自治体や観光に関する業者の方にはやっぱり規制されるというのはすごく、もし外れた場合にはね、すごい打撃ですよね。
国分≫小谷さんもここに登られたことがあるという話していましたけど、活火山だということは知りながら登っていたんでしょうか?≫でもそんな、噴火するなんて想像もしないですよね。
皆さんそうだと思いますけどね。
国分≫観光のある場所というのは登山者だけじゃなくて、観光の中で登山を、山登りを楽しんでいる方もいると思うんですよね。
知識がない分、ある程度自治体でもいろんなことを考えてもらいたいというのは、こちらの意見かなとは思いますよね。
≫空振りを恐れないということが大切だと思いますし、警戒レベルを上げるにしてもいったん上げると、なかなかまた元に戻しにくい、だから躊躇するんで、今回のことというのは、本当にいろんなことを教訓にすべきだと思うんですけど基本的には空振りを恐れないことが大事なんじゃないかと思います。
国分≫活火山の山というのは日本全国、いろんなところにありますからね。
≫予兆現象がわかりにくい水蒸気噴火を起こす火山についてはそれを前提とした警戒レベルの判定基準をもう一度精査し直すべきだと思います。
赤荻≫ここで1つ訂正がございます。
先ほど、VTRの中で亡くなった横田和正さんの葬儀が行われた場所を岡山県倉敷市とお伝えしましたが、正しくは岡山市でした。
大変失礼いたしました。
枡田≫続いての話題です。
こちら、日本勢メダルラッシュのアジア大会。
昨日もやってくれました。
≫錦織圭2世として注目される西岡良仁19歳。
松岡修造さんにその才能を見出されアメリカIMGアカデミーへ留学。
錦織選手と同じ道を歩んできましたそして、昨日行われたアジア大会決勝。
身長171cm、決して恵まれているとは言えない体格ですが、西岡の強さはこの粘り。
第1セットを6−2で先取します。
第2セットもその勢いは止まりません。
そして迎えたマッチポイント。
ストレート勝ちし、テニス男子では40年ぶりの金メダルを獲得しました。
卓球女子団体では日本は48年ぶりの優勝を目指し世界王者、中国に挑みました。
1番手で登場したのは福原選手。
1度も勝てなかった世界ランク2位を撃破。
日本、幸先のいいスタート。
しかし、エースの石川佳純に続いて…スーパー中学生の平野美宇も敗れ中国に逆転されます。
後がなくなった日本は、再び石川が登場。
望みを託しますが…王者の壁は厚く、逆転負け。
しかし、無敵の中国を追い詰め価値ある銀メダル獲得です。
国分≫小谷さん、やはりテニス男子というのはここ最近、明るいニュースがたくさん入ってきますよね。
≫そうですよね、卓球もうれしいですよね、人気のある選手があそこまで中国に勝てたということはすごくうれしいです。
国分≫松岡修造さんというのは情熱だけを伝えているんだと思ったらちゃんと技術も伝えていたという、これは本当に松岡チルドレンが育ってきてますからね。
今後にも注目したいなと思います。
そしてアジア大会は10月4日までですよね?メダルラッシュに期待したいと思います。
根本≫関東地方から九州にかけて太平洋側で弱い雨の降っているところがあります。
日中もあまり気温が上がらなそうです。
おはようございます、ここからは気象情報を伝えていきたいと思います。
まずは今、雨の降っているところなんですが関東地方、そして九州や四国などを中心に今、雨雲がかかっています。
先ほどからお伝えしています、ここは御嶽山がある長野付近ですが、ここは今のところ噴火から今までは雨が降っていません。
ただ、この後、雨が予想されているんです。
今日は日中は晴れの天気ということになります。
西寄りの風が最大で10mなんですが今夜から明日朝にかけて、午前3時頃になるかと思うんですがこの辺りで一雨あるかもしれません。
日中、また晴れに戻るんですが最大で風が19mほど吹く午後6時頃から御嶽山付近、しっかりとした雨に変わってきそうなんです。
あさってにかけて雨が続くということ、また、南西の風が非常に強くなってくるということで救助活動に影響がないといいなと思うわけです。
さて、雲の様子をご覧いただきますこちらで見ますと太平洋側に帯状に雲がかかっています。
この付近はよく晴れていますが、ここには大きな高気圧、そして太平洋側にもう一つ高気圧があります。
この間のライン、ちょうど気圧が低くなっている辺りに雲が出ています。
一方、南の海上に目を向けますと台風18号の雲がまとまってきました。
今後の進路、ご覧いただきます。
これで見ていきますと、西寄りに進んだ後、5日以降北寄りに進路をとって強く発達した状態で日本付近に近づいてくるおそれが出てきました。
かなり、このコースを通っていきますとこの付近の海水温が高いですので台風が強い状態になるというのが今後、気をつけなければならない点ということになりそうです。
では今日の予報です。
路面が濡れている皇居前の様子をご覧いただいています。
午前中いっぱいは傘があった方がいいかもしれません。
夕方頃までなかなか雲がとれず夕方から少し日差しが出てきそうです。
九州も一日雨が降ったりやんだり、そのほかのエリアはよく晴れるんですがそれでも気温はあまり上がりません。
25度前後、大体平年並みの気温にはなりそうですが長袖でお出かけした方がいいような気温と言っていいと思います。
国分≫さてここからは隣のセットに移ってお伝えいたしま〜す。
おはようございます。
枡田≫続いては「とことんリサーチ!いっ特」です。
≫今日、開業から50周年を迎えた東海道新幹線。
東京駅での記念セレモニーには大勢の鉄道ファンが駆けつけました。
1964年10月1日、世界最速の時速210kmを誇る夢の超特急は、日本人のすべての夢を乗せて走り出しました。
あれから50年、杉山≫皆さん、今日はですね、東海道新幹線開業50周年という記念すべき日なんですよね。
まさに10月1日なんです。
今朝6時には記念セレモニーも行われました。
その新幹線なんですけれども、ご覧いただきましょう。
時速270kmでございます。
この数は、やっぱりすごいですよね岩下≫便利だもん。
杉山≫そうですよね、何といってもこの夢の超特急なのですが、当時の日本人のすべての夢を乗せて走り出したわけなんです。
その新幹線を舞台に起きました様々なニュースで主役となった皆さん。
国分≫あら?私も入ってますね。
杉山≫こちらに国分太一さんいらっしゃいますが、知られざる5つの物語をとことんリサーチ!≫1959年、新幹線の建設工事が始まりました。
当時の国家予算の10分の1に当たるため専門家からは、全くの無駄遣いだと批判の声が上がりました。
しかし、否定的な意見は開業と同時に吹き飛びます。
年間の経済効果はなんと2500億円。
開業から2年を待たずに建設費をはるかに上回る好影響を日本にもたらしたのです。
≫新幹線といえば、このCMを思い出す方も多いんじゃないでしょうか。
当時、高校2年生だった牧瀬里穂さんはこのCMがきっかけでブレークしました。
新幹線を舞台に描かれた遠距離恋愛に女性たちは乙女心をわしづかみにされたんです。
こうした印象的な宣伝でファンを増やし、より多くの人たちに愛されるようになったのです。
1990年、役目を終えた初代0系新幹線がたくさんの見送りを受け、ある場所へと向かいました。
そこで第2の人生を送るというのですが、一体どこへ運ばれていったのでしょう。
1969年にデビューした0系新幹線運ばれた先で今も活躍していると聞き、「いっぷく!」は福岡県へと向かいました。
駅も線路もない場所に新幹線?一体何に使われているんでしょうか。
車内に入ってみると…なんとここは幼稚園。
でもなぜ幼稚園に新幹線が?園長先生に伺いました。
園長先生自身が好きで好きでたまらなかったからということですが、そのお値段は?2500万円かけても欲しかったという新幹線。
園長先生にとってはどんな存在なのでしょうか。
頑張れば、必ず報われる。
それを教えてくれたのが世界最速をかなえた夢の超特急。
高度経済成長期を生きた人々にとっては輝かしい記念碑なんだそうです。
そしてこのかわいい団子っ鼻の0系は平成の子どもたちにも大人気です。
≫新幹線で遊ぶ時間はテンションマックス。
乗車前から大興奮。
車内は図書館兼遊び場に改装していますが、網棚やプレートなど随所に当時の面影が残っています。
運転席も現役時代のまま。
ハンドルはいつも取り合いだそうです。
憧れ続けた新幹線を手に入れてしまった人もいれば、意外な関わり方を思い出にしている人もいます。
開業から28年後の1992年。
東京−大阪を2時間30分で結ぶのぞみが誕生しました。
当初の列車名の最有力候補は希望だったそうですが、その名前を決める委員会に参加していた阿川佐和子さんの一言で…≫つまり、のぞみの命名者は阿川さん。
ただし、これには父である小説家、阿川弘之さんのアドバイスがあったからこそなんだとか。
ただ、阿川さん自身は当時、のぞみという名前がしっくりきていませんでした。
大幅なダイヤ改正も行われ、日本の大動脈がますます勢いづきました。
このとき、日本に元気がわくようにというコンセプトに合わせ、キャンペーンに起用されたのがこの5人。
そして新幹線は、意外なミッションの舞台になったことも。
2006年、トム・クルーズが映画のPRのためにのぞみを貸し切ったんです。
その費用、総額3000万円。
東京から新大阪までの間、ファンと交流する大作戦でした。
これまで56億人を運び乗客の死亡事故はゼロという日本が誇る新幹線。
しかし、命を守るために大きな決断を迫られたこともありました。
1973年の新聞にこんな見出しがありました。
その場にいた方を訪ね、愛知県へと向かいました。
当時、小学5年生だった杉浦さん。
東京に住むおばに会うため、祖母と一緒に「ひかり412」号に乗っていたそうです。
それは午後5時半過ぎのこと。
出産のため実家のある東京に向かっていた女性が新幹線の中で産気づいてしまったのです。
≫1973年、走行中の新幹線で乗客が産気づくという緊急事態が発生しました。
このとき車掌を務めていた津久井さんが当時を振り返ります。
車内放送の呼びかけに、2人の医師が応えてくれました。
しかし、診察するなり…スピードが命の新幹線を停まる予定のない熱海で緊急停車させました。
そして女性は、待機していた救急車で病院へ。
再び新幹線が走り出すと、津久井さんはこんな車内放送を入れました。
この出来事をはっきりと覚えているという杉浦さん。
当時、小学5年生でした。
新幹線開業50周年の節目を迎えた今年、JR東海と雑誌「サライ」が共同で「私と新幹線」という思い出を募りました。
杉浦さんはこのエピソードを投稿して採用されたそうです。
そして車掌の津久井さん、緊急停車を許してくれた乗客に今も感謝しています。
国分≫やっぱり50年あれば歴史もありますよね。
杉山≫ひかりさんという方を番組でもいろいろ捜してみて住んでいる場所なども見つかったのですが結果的には見つけることができなかったんですよ。
久保田≫ひかりちゃん、今これぐらいです。
同じ1973年生まれ。
国分≫育ったね〜。
久保田≫育った、育った、おかげさまで。
ひかりちゃん!杉山≫そこから歴史を歩んできたということですけれどもね。
国分≫ただね、新幹線を引くっていうときにあんなに反対があったっていうのも驚きでしたねる岩下≫何でも大きな事業をするとき必ず文句言うやつがいるからね。
杉山≫しかも当時やっぱり飛行機も出てきていてこの時期に鉄道かという話もあったんですよね。
岩下≫ちょっと時代遅れの感があったんでしょうね、線路で、どうっていうのはね。
杉山≫この夢の超特急・新幹線なんですがまさに高度経済成長の象徴だったんですよね。
開業の9日後に東京オリンピックが開催されたということですから。
10月10日に東京オリンピックが始まったわけですからまさに日本が盛り上がっていた時期なんですが、新幹線50年の歴史の中で、本当に様々なことが行われていました。
まずは1988年、バブルの絶頂期に、なんとディスコしかも新幹線の中でディスコですからね、映像があります。
国分≫映像あるの!?これJR発足1周年を記念したイベントで、シンデレラ記念号と名付けられたイベント列車。
皆さん、踊っていますね。
枡田≫走ってる新幹線ですか?杉山≫もちろん走ってる新幹線ですね。
国分≫とにかく踊りたいんだね。
杉山≫ある号車を改装してイベント列車、イベント号に仕立てたという。
国分≫これは今じゃはやんないけど、この当時だったらやってみたいという方多かったかもしれないですよね。
杉山≫ほかにもありまして、続いてはこちらでございます。
新幹線の形をしたものがありますが、お子さまランチプレートですね。
新幹線型のプレートなんですけれども、子どもたちに大人気で開業してすぐに、割と、人気にあやかってランチプレートをニイミ洋食器店さんが最初につくったということで、都内の飲食店を取材したんですけれどもやっぱり人気は健在で、子どもたちからも、やはりこの新幹線に入ったね。
国分≫汽車が運んできたよ、新幹線を。
これ、久保田さんどうですか?久保田≫うちの子あまり食べないんですけど、これで食べたことあってやっぱりよく食べるんですよね、楽しいしうれしいし。
あそこのお店行きたい。
杉山≫祐天寺のお店です。
そして岩下さんにも新幹線にまつわる思い出を伺いました。
国分≫詩人ですね。
岩下≫一応、小説家だからね。
久保田≫そうだった、そうだった。
国分≫忘れてたわ。
食堂車あったんですね。
岩下≫ありましたよ。
枡田≫ハコちゃん、これは1人で?岩下≫1人のときもあれば、2人のときもあった。
それでバブルのときは2階建てとかあってね、今とちょっとサービスが違いましたね。
いろいろ思い出があります。
杉山≫どんな雰囲気でしたか?岩下≫食堂車、昼下がりに行くと本当にすいてたの。
ですから内緒話するにはいい…ハハハッ国分≫何を思い出してんのよ。
枡田≫どんな内緒話をしてたんでしょうね。
杉山≫たっぷりと思い出してください。
それぞれに50年の中に歴史があるわけですね。
国分≫さっきさ、僕らの曲が流れていたとき誰も触れてくれなかったの。
今、いい感じの音楽流れてるけどさ杉山≫「AMBITIOUSJAPAN!」が流れていましたね。
国分≫今も聞けますからね、新幹線の中で「AMBITIOUSJAPAN!」は。
杉山≫西から東京方面に行くときに流れたりしますから、楽しんでいただければと思います。
新しい歴史が詰まった新幹線ですからぜひ思い出をつくりに、そして思い出を振り返りに、≫どんどん失われていく古き良き日本の文化。
本当にこのままでいいのでしょうか?≫初回のテーマは昭和の象徴、ちゃぶ台。
≫ちゃぶ台を知らない若者たちが増える一方で、新たにちゃぶ台を見直す動きも。
吉田≫さあ、新企画です、「もったいない遺産」日本の古きよき文化を見直そうというコーナーになっています。
このもったいない遺産の委員会の委員長を務めるのは岩下さんです、よろしくお願いします。
国分≫委員長も気になるんですけどあの人も気になります。
何でそんな制服で?吉田≫私もどうしたらいいのかよくわからないんですが、なぜかこの格好で。
国分≫「8時だヨ!全員集合」を思い出しますよ。
吉田≫コントなんですけど、コーナーはステキなので安心してください、岩下さん、コーナーの説明からお願いします。
岩下≫時のうつろいととにもいろんなものが消えてまいりますけどその消えそうなもの、あるいは消えたものも、思わぬ形で今に伝わっているものがありますから、その中から何か価値を見出していければなと思って、そういう趣向で。
国分≫それ大事ですよね。
ただただなくすんではなくて、何か役に立つのであれば残すべきですもんね。
吉田≫そして第1回のテーマなんですが、ちゃぶ台です。
まずはちゃぶ台の歴史から振り返っていきましょう。
≫昭和の時代、家族が集まる茶の間の中心には、必ずちゃぶ台がありました。
ちゃぶ台を囲み、家族で食事をするどこにでもあった日本の光景。
高度経済成長の兆しが見え始める昭和30年代、ちゃぶ台を囲む一家団らんが日本人の常識となったのです。
当時はそんな家族を描いたドラマも数多く放送され中でも「寺内貫太郎一家」は、ちゃぶ台を壊すお決まりのドタバタ劇で平均視聴率31.3%の人気番組でした。
また、アニメ「巨人の星」では父・一徹が息子飛雄馬に怒りをぶつけ、ちゃぶ台をひっくり返すシーンが有名に。
しかし、その後、ちゃぶ台は徐々に姿を消していくことになるのです。
昭和35年には皇太子ご夫妻が東京・ひばりが丘団地を視察したことで団地は人々の憧れの的となりました。
昭和のくらし博物館の館長で昭和の文化を研究している小泉さんに当時のことを伺いました。
≫そのときに台所にね、ダイニングキッチンにしたわけね。
それはなぜかというと、ものすごくその頃もスペースが少なかったんですが。
そうしないと日本の住宅はとめどなく狭くなっていくと。
≫この、西山さんによる食寝分離の法則によって団地の間取りはダイニング路線へと大きくかじを切ることになったのです。
こうしてダイニングテーブルのある生活は団地の定番となり、貧しくても幸せだった時代の象徴、ちゃぶ台はこうして不必要なものとなっていったのです。
国分≫確かに懐かしいですわ。
吉田≫実際に使ったことはありますか?ちゃぶ台。
国分≫ちゃぶ台って、どれまでをちゃぶ台というかなんですけど、僕のところは丸じゃなくて、四角かったんですけど、星一徹さんは四角でしたね。
久保田≫丸のイメージでしたけどね。
岩下≫どっちもです。
もともとは丸かったんでしょうけど、後から四角になって、折り畳みの、足がついているというところが特徴。
国分≫四角だったら、僕も使ってました、子どもの頃は。
吉田≫ちょっと懐かしい感じもしますが、実際に形もまたどんどん変わってきたということでさらに歴史を振り返っていきましょう。
ここからは岩下さんも解説していただきます。
そもそもちゃぶ台はいつから日本で使われるようになったのかということです。
久保田≫ほんの最近。
国分≫そんな最近でもないですよ、明治時代。
久保田≫そうか。
国分≫折り畳むということですか?岩下≫それよりも、それまでは1人1人どんな貧乏な家でも食器だけは自分のお膳って言いましてそれを使ってて、特に庶民たちは自分のお箸とお椀は箱膳と言いまして箱になってる、それに入れて自分で管理してたんです。
吉田≫よく時代劇に出てきますけど、こういうものを銘々膳というふうに。
久保田≫私、幕末の時代のドラマ撮ってるんですけど、これでご飯食べ国分≫食卓を囲むという言葉はなかったんですか?岩下≫あと上流階級だと親子違う部屋に住んでますでしょう。
一緒にご飯を食べるなんてことはなかったんですね。
久保田≫家長と奥さんというか、男と女でも別でしたもんね。
岩下≫あと子どもとか、奉公人とかあと、貧乏な家でも、私たちの先祖は銘々に台が、個人的な台で食べていたということです。
吉田≫岩下委員長に解説していただきます。
国分≫今、ちょっとしちゃったところもあるかもしれない。
岩下≫今、ちょっとどころか全部しゃべっちゃった。
久保田≫失礼しました、本当に。
国分≫何よりも驚いてる、この後、私が言うのって。
岩下≫1つつけ加えるなら、昔の日本人は同じ火で煮炊きしたものを家族で食べるというのが大事なポイントだったんです。
その家の火で炊いたものを、分け合って食べるっていうことが眼目で、食器は別々だったんです。
そこは一つの風習ですね。
吉田≫そして疑問2つ目です。
国分≫足長いですね。
吉田≫そこから日本の和室に合うように足が短くなって、折り畳めるようになったものが、昔ながらのちゃぶ台と。
国分≫畳っていうところですかね。
岩下≫そうです、これも諸説ありまして、中国語だとか英語だとかいろいろありますが、つまりは外来語ですね。
向こうのものを取り入れたってことです。
枡田≫だからチャブなんですね。
久保田≫お茶の茶とかね。
岩下≫いろんな当て字があります。
もともと外来語だから。
中国語の当て字も卓袱って書きましたけど、いろいろね。
読み方がチャブチャブ。
国分≫かわいらしい名前ですね。
吉田≫中国でご飯を食べることを「ちゃふん」っていうようで、それに似ているのでチャブチャブと呼ばれていたと言われています。
そんなちゃぶ台が出てきてから庶民の食卓がガラリと変わったんです。
変化したことベスト3を挙げてみたんですが、皆さん何だと思いますか?国分≫1個もわかんない。
だって明治時代の話でしょ。
それわかる方がおかしいよ、それ。
吉田≫ちょっと難しいですかね。
国分≫さっきもお話に出ましたけど。
岩下≫それまでは銘々ですからね。
これはもともとちゃぶ台がはやったのって料理屋からです。
鍋を出す、牛鍋屋とか。
幕末から明治の初めにかけてお肉を食べるようになって、牛鍋みたいなものをみんなでお客同士が食べるときに突つき合うというのが初めて出てきて、それが家庭にも入ってきたということですね。
国分≫鍋料理っていうのは、ちゃぶ台の後に生まれた料理なんですかね?岩下≫前もあったけど、それは色街でね、男と女が差し向かいで小さな鍋に、小鍋立てって言いまして2人でイチャイチャしながら食うもんだったんですよ、最初は。
さっき言ったように、家では1つの火でみんなで炊いたものをみんなで食べるっていうのが習慣だったから色街で江戸時代の半ばぐらいから始まった習慣。
それが幕末から明治にかけて男たちがみんな大勢で、牛を食おうぜみたいなことでつつき合って始まったってことざんすね。
国分≫外食も増えてったんですね。
久保田≫それまでは洗っていなかったんですか、どういうこと?岩下≫今でも禅宗のお坊さんたちが自分でお使いになったのは、最後白湯を入れておこうこで、ご飯粒をすくって、それで自分でお拭きになってということを庶民の間でも、あれに似たことをしておりました。
それに江戸時代なんかだと洋食とかないから、大体おみおつけとご飯とおつけものとお祭りの日にお煮染めぐらいでしょう。
白湯で済むわけです。
パーッと自分で飲んで箱にしまって片づけていたんですが、明治以降はやっぱり家の中でカツレツ食べたりカレー食べたりすると洗わなくちゃならないですからね。
吉田≫そして気になる第1位なんですが、これは大きい変化です。
国分≫会話がなかったのかな。
岩下≫そうです、もともと行儀悪かったんです、ご飯食べながらしゃべるというのは。
それを、明治以降、家庭っていうのが大事になって、生存競争が激しくなるでしょう、近代化とともに。
家が憩いの場になってくるわけです。
そうするとみんなで、お父さんもお母さんも、子どもたちも、お姑さんも舅もみんなで囲み合って一家団欒という言葉が、調べたら出てくるのは明治時代半ばからなんです。
これでちゃぶ台はいい道具だったんですね。
枡田≫御嶽山の救助活動で動きがあったようですので中継で伝えてもらいましょう。
≫こちらは御嶽山の火口から南西にある運動競技場のヘリポートです。
今、中型の輸送ヘリがこちらに到着しました。
山頂からこちらに到着しました。
実は2機のヘリで4人の安否不明者がこちらに運ばれてきているという情報が入っているんです。
今、我々の目の前にいるこのヘリコプターに4人のうちの1人、もしくは2人、もしくは3人、安否が不明の方が乗っている可能性があります。
今入ってきた情報によりますと、心肺停止の状態の人が4人、2機のヘリに分かれて、こちらに運ばれてきている状況です。
この1機目のヘリ、我々の20mほど先に見えています。
プロペラがだんだん止まろうとしています。
この後、このヘリコプターの左手、我々から見て左手に救急車両が配備されているんですね。
この車両に人が乗せられましてここから1時間ほど離れたところにあるもともと小学校だった建物に、また運ばれ、そこで亡くなっていれば、検視、そして身元確認を行うということになります。
先ほど、大型の輸送ヘリが次々と山頂に向かっていきました。
今、200人ほどの救助隊員が御嶽山の火口付近で捜索・救助活動を行っています。
そして、そこで発見、そして救助された4人の人が今、2機の中型のヘリに乗せられまして今、ここに運ばれてきている、そういう状況です。
今我々の目の前にあるヘリコプターに、何人乗ってるのかわかりません、もしかしたら、1人、2人、3人かわかりません。
心肺停止の状態だということです。
これからこの近くで待機している救助隊員、救急や消防の隊員が、運ばれてきた人を救急の車両に乗せまして、このそばの小学校に運ぶということになります。
枡田≫また新しい情報が入り次第お伝えします。
吉田≫先ほどはちゃぶ台の歴史を振り返ってきましたが、今、お茶の間から消えつつあるちゃぶ台が見直されているんです。
≫時代の波にのまれ、徐々に姿を消していったちゃぶ台。
しかし、今、このちゃぶ台が新しく見直されているんです。
国立長寿医療研究センターで認知症や骨粗しょう症、老化や老年病の研究を続け現在は名古屋学芸大学の教授も務める下方先生にお話を伺いました。
≫認知症予防は一般的に会話や運動が重要だと言われていますが、なぜちゃぶ台が認知症予防になるのでしょうか?≫ちゃぶ台に注目したのはきんさんぎんさんのぎんさん、106歳まで生きましたけどぎんさんに4人の娘さんがいて、その人たち、実際に調査したことがあっておうちに行って気がついたのは居間があってその居間にちゃぶ台が置いてあるんです。
そのちゃぶ台に座って楽しそうに会話をしてるんですね。
≫特に丸いちゃぶ台はみんなの顔が見られるため会話が生まれやすくなり、認知症予防により効果的だと言うのです。
≫そこでもちゃぶ台が一役買っていました。
≫テーブルとイスでは、そんなに立ったり座ったりすることはないんですけれども、ちゃぶ台ではきちっと座るということになると。
≫ぜひ今の生活の中にも取り入れてほしいです。
≫そう話すのは長年、日本の住まいを通して子どもにとって一番いい学習環境を研究し続けている四十万靖さん。
ベストセラーとなった「頭のよい子が育つ家」を出版した四十万さんはこれまで10年以上の歳月をかけ200軒以上の家庭を取材。
家ごとの学習環境を分析した結果ある共通点があったんです。
≫やる気を引き出す、その気にさせるっていう、そのきっかけとしてちゃぶ台を見直すというのは僕は非常に重要だと思います。
≫家庭から姿が消えつつあるちゃぶ台を今もつくり続けている人がいます。
日本でも数少ないちゃぶ台職人の1人牧野さん47歳。
今やちゃぶ台は機械でつくるのがほとんどですが牧野さんのちゃぶ台はすべてが手づくり。
≫そういうふうにしていきたいなとは思っています。
一生使える。
先ほどのVTRで皇太子ご夫妻が東京ひばりヶ丘団地を視察された年代が、1965年と表示されていましたが正しくは1960年でした。
失礼しました。
どうでしょうか、ちゃぶ台今、見直されているのですが。
国分≫健康もそうだし、頭もよくなると聞くとやはり忘れかけていたものを取り戻さなきゃいけないなと思いますね。
久保田≫私、絶対娘にちゃぶ台で勉強させようと思います。
国分≫早いね。
久保田≫もう決めました、買います国分≫そのぐらい僕はいいものだと思いますよ。
でもハコちゃんは…、ハコちゃん委員長でしょう!岩下≫私が選んだタネじゃないんだ。
吉田≫そんな舞台裏まで明かさなくても。
枡田≫ハコちゃんはイス派?岩下≫「寺内貫太郎一家」は1970年代の半ばでしょう?大分、あの頃、すたれてましたもんね。
うちもテーブルになった。
国分≫僕らも感動したんですよ。
岩下≫だから、委員長として皆さんに伺います、これは残した方がよろしいでしょうか?枡田≫私たちはそう思っていますよ。
国分≫続いて「ぷく天」です。
根本≫まずは台風18号の最新情報なんですがこの台風、大型になっています。
大型というのは強風15m以上の強風域が大きいということなんですが、今後の進路、見ていくと、これさらに大型に加えて、勢力も強くなって日本列島に近づいてきそうなんです。
実は今、980hPaなんですけど4日、945hPaまで気圧が下がって日本の方に近づいてきそうなんですね。
このままいくと上陸かなという感じが見えるんですけれども。
国分≫まだルートも定かではないわけですか?根本≫ええ、この黄色いラインですのでこう行くかもしれませんし、こう行くかもしれませんしいずれにしても日本の本州の方に近づいてくる可能性は高いかなと。
これまでも、歴代で見てみると14回ぐらいは上陸していますので上陸するのは珍しくはないんですが。
ちょっとまたこの辺になると予報が変わってくるかもしれませんので詳しくお伝えしたいと思いますが今日はですね、まずこの雨。
これが実は、当初の予想よりも長引くかなというのが気になるところ。
今、北東の風が吹いているんですねこれ見てみますと雲はここだけなんですね。
天気図を合わせますと高気圧と高気圧のこの縁、ちょうど間部分というのは時計回りに風が回っていますのでここと、こっちから回っている風がぶつかるというちょうど谷ラインになってしまっているんです。
こういったときはなかなか雲がとれないかなといったところが気になります。
予報を見ていきたいのですが今日は九州南部は一日雨が降りやすい、九州北部も降ったりやんだりかな。
なかなかすっきりしないと思います。
そのほかはおおむね晴れの天気ということになります。
今日の晴れ、有効に使ってください明日は天気、崩れます。
静岡から札幌、こちらの晴れベースになっちゃっているんですけど当初の予想よりも変わって、午前中いっぱいは傘があった方がいいと。
で、午後もなかなか晴れない。
晴れてくるのは夕方ぐらいかなといった感じになってきそうなんですね。
そのほかは大分、晴れるということで洗濯物干せると思います。
気温なんですが、今日は25度前後大体、平年並みなんですが、昨日に比べるとグッと下がるのでちょっと肌寒く感じるんじゃないかと思います。
夜も冷えますので、ちょっとあったかい格好をしていった方がいいと思います。
ひょっとすると東京、ここまでいかないかもしれません。
週間予報ですが、明日は日本海側から前線が近づきますのでまとまった雨になってきそうなんですね。
明日の午後からは御嶽山も枡田≫続いては最新のニュースをお伝えします。
≫今日未明、北海道南幌町の住宅で女性2人の遺体が見つかった。
遺体には外傷があり、室内に荒らされた跡があることから警察は強盗殺人の可能性もあると見て捜査している。
こちらの規制線の奥、あちらの住宅で2人の女性が亡くなっているのが見つかりました。
遺体には傷があり、部屋には荒らされた跡があったということです。
今日午前2時半頃、北海道の南幌町の住宅でこの家に住む70代と40代の親子と見られる女性2人が死んでいるのを帰宅した20代の孫娘が見つけた。
警察によると、玄関の鍵はかかっていたが勝手口の鍵は開いていたとのこと。
当時同じ敷地の離れには10代の孫娘もいたが、寝ていて異変には気づいていなかったとのこと。
警察は、強盗殺人の可能性もあると見て調べている。
先月、アメリカホワイトハウスにナイフを持った男が侵入した事件で、男が大統領の公式行事に使われる奥の部屋まで侵入していたことがわかった。
大統領の警護に当たるシークレットサービスのトップ、ピアーソン長官は20日、議会公聴会に出席し、9月19日のホワイトハウス侵入事件について二度と同じ事態を起こさないと謝罪したが、事態は玄関先で取り押さえたとする当初の発表よりも深刻なものだった。
男は後ろの芝生を駆けぬけた後玄関に突入。
そしてさらに奥、数々の公式行事が開かれてきたイーストルームまで侵入していたことが明らかになった。
男は勲章授与式などの公式行事や日米首脳の共同会見でも使われるイーストルームでようやく取り押さえられた。
過去の侵入事案では柵を乗り越えた時点で身柄が拘束されているが、今回は警備の不手際が重なり、建物奥への侵入を許す事態となっている。
アメリカで初めての感染者。
アメリカCDC=疾病対策センターは、エボラ出血熱に感染した患者が国内で初めて確認されたと発表した。
アフリカ大陸以外での感染確認は初めて。
CDCによると、患者は男性で、エボラ出血熱の流行が拡大している西アフリカのリベリアからテキサス州に住む家族に会うために先月20日に入国。
その後、エボラ出血熱の症状が出たため28日から隔離され、検査を受けていたもので、杉山≫大会12日目を迎えましたアジア大会です。
なでしこジャパンが大会連覇をかけまして決勝に挑みます。
相手は準決勝で韓国との激突を制しました北朝鮮です。
厳しい試合になることは間違いありません。
絶対に負けられない一戦、みんなで応援しましょう。
頑張れ、ニッポン!枡田≫3兄弟みたいです。
国分≫昭和3兄弟だね。
久保田≫先生と生徒みたいな。
枡田≫今日も皆さんからたくさんのメッセージをいただきました。
ありがとうございます。
1つ目こちら。
国分≫これは最高ですね。
やっぱり東京のオリンピックに向けて頑張ってもらいたいですよね。
岩下≫大体、黒船が来たとき3つぐらいだったね。
久保田≫すっごい若く見える。
国分≫いや、でもハコちゃん、ちゃぶ台そんなにのってなかったでしょ。
あれだけ解説したのに。
だって、ねもっちもあれでしょう?根本≫私はちゃぶ台の話を聞いてこれはいいと思って。
これはもう買おうかなぐらいの気持ちでしたよ。
2014/10/01(水) 08:00〜09:55
MBS毎日放送
いっぷく![字][デ]【御嶽山噴火4日…帰り待つ家族の思い▽東海道新幹線50周年】

御嶽山噴火から4日▽現場から最新情報…帰りを待つ家族の思い▽高度3千m自衛隊ヘリ限界超えた救出劇▽噴火予知は可能なのか▽東海道新幹線50周年…乗客の感動秘話

詳細情報
お知らせ
★ニュース
<御嶽山噴火4日目 現場から最新情報>またしても捜索中断…待つ家族の思い有毒ガスに天候不順、限界高度を超えた救出劇。噴火予知は可能なのか?
★いっ特
東海道新幹線開業50周年!半世紀で56億人の乗客を運び死亡事故ゼロ。日本の高度経済成長を支え、レールは日本全国へ!交通に革命を与え、多くの人びとから愛される新幹線の歴史や心温まるエピソードを紹介
番組内容
★もったいない遺産
時代と共に消えていく、古き良きニッポンの景色…。しかし、もう一度直すことで、現代に残すべきその価値を再発見できるはず!「ちゃぶ台の歴史」を交えつつ「ちゃぶ台の新しい良さ」を紹介します!
出演者
国分太一
岩下尚史
枡田絵理奈(TBSアナウンサー)

久保田磨希

根本美緒(気象予報士)
制作
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■フェイスブック
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■FAX
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