100分de名著 般若心経(最終回) 第4回「見えない力を信じる」 2014.10.01

「般若心経」は人類がたどりついた最高の英知「空」を明らかにしたお経です。
その「空」に近づくために大切なのは唱える事。
音の力が私たちをあらゆる固定観念から解放してくれるのです。
最終回は262文字が放つ神秘の響きに身を委ねます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…個人的には前回の3回目の終わり辺りで何かこうまとめ感といいますか何か理解できたんじゃないかという感じがしたんですけどどうやらスタッフのざわつきを見てるとこの4回目でもう一つでかい話が来るみたいですね。
そうなんです。
最終回はまた違った切り口でこの「般若心経」を理解していこうという事なんですよね。
テーマは「見えない力を信じる」。
「見えない力を信じる」?今までも「空」とか「無」とかやってましたけど。
十分何か見えない感じでしたが更にですか。
更に262文字全体からみなぎるパワーのようなものを感じて頂けると思いますよ。
はい。
それでは指南役の先生をお迎えしましょう。
花園大学教授の佐々木閑さんです。
よろしくお願いいたします。
(伊集院島津)お願いいたします。
先生最終回になりましたが今夜は何を学ぶのか。
今回のテーマは「見えない力」それはつまり神秘の力という事なんですね。
「般若心経」の一番のテーマは実はその見えない力神秘というものをどうやって我々が体得してそれを信じるのかそこが実は一番大切なポイントなんですね。
だからそれをこの4回目にお話をしようと思っております。
今日もどうぞよろしくお願いします。
更に今回はゲストの方をお招きしています。
作家で僧侶の玄侑宗久さんです。
よろしくお願いいたします。
玄侑宗久さんは福島県で住職を務めるとともに作家として数々の作品を発表してきました。
そして2011年東日本大震災と原発事故の体験から仏教的人生観が今の時代を生きる力であるとの思いを強め日々新しく生きるための知恵を発信し続けています。
被災地の実情をずっと見つめてこられたわけですが震災を経て改めてこの「般若心経」の見えない力をどういうふうに感じてらっしゃいますか?一から出直さないとしょうがないというような事が数多くあったんですね。
やっぱり一から出直すといった時に自分をリセットして…積み上げてきたものはなくなったんですけど我が身はあるわけじゃないですか。
我が身が持ってる本来の力というのが今むしろ逆に燦然と感じられるというか。
何か震災の時にも「あれ?幸せって何だっけ英知って何だっけ僕らが目指した未来って何だっけ」という立ち止まりがあったのでその立ち止まりの中で読むともしかしたらおっしゃるとおり新たな一歩目に大きな力みたいなものをくれるかなという感じはしますね。
我が身一つになるんですよね。
それだけでもすごく救いの時間だと思いますね。
それは本当にお経ならではの力でもあると思うんですけど「般若心経」にはその見えない力神秘について書かれている箇所があるんですね。
それがこちらになります。
これはね最後の後半部分の所ですけれども…。
「故知般若波羅蜜多是大神咒是大明咒是無上咒是無等等咒能除一切苦真実不虚」と読みますね。
「般若波羅蜜多」これは「知恵の完成」と訳しましたが「知恵の完成というものを正しく如実に知る。
それは大いなる呪文である。
そして知恵優れた呪文である。
最高の呪文であってもう比べるもののない呪文なのである。
それが一切の苦しみを除くのだ。
これは偽りのない真実の言葉なのだ」と言っています。
とても力強く盛り上がっていく感じがあるんですけども「これは」と何度か出てきますけれど「これ」というのは何を指してるんですか?実はこのあとにいよいよその「これ」というのが登場するという事なんです。
前口上といいますか。
そういう事ですね。
それがいかにすばらしいものかここでうたってあるわけですね。
このあとに実際呪文は何がくるんですか?これが例の有名な三蔵法師がその音のままで写した「羯諦羯諦波羅羯諦」あの呪文が来るわけです。
その呪文がいかにすごい神秘の力を持っているかというのはご存じの方も多いある有名な物語の中にも書かれているんです。
そちらをご覧頂きます。
昔長門国に芳一という盲目の琵琶の名手がいました。
ある晩寺に居候していた芳一のもとに侍が訪ねてきます。
(侍)拙者はやんごとなき主の使いである。
主がお前の得意な「平家物語」を聴きたいとご所望なので是非聴かせてくれ。
芳一は侍についていき琵琶を弾き語りました。
物語の最後にさしかかるとあちらこちらからすすり泣きが聞こえてきます。
(侍)主がお前の見事な琵琶にお喜びだ。
毎晩ここに来るように。
しかしこの事は誰にも言うな。
そう命じられた芳一は主のもとに通います。
とりつかれたように毎晩出かけていく芳一の身を案じ和尚は後をつけさせました。
すると琵琶を鳴らす芳一の周りを無数の人魂が飛んでいたのです。
実は芳一が琵琶を聞かせていたのは平家の亡霊だったのです。
それを知った和尚は体中に「般若心経」を書きました。
お経が書いてある所は亡霊から見えなくなるからです。
(和尚)よいか芳一。
今晩使いの者が来ても決して返事をしてはならぬぞ。
果たして夜になると亡霊がやって来ました。
(侍)芳一!芳一!「般若心経」がびっしりと書かれているので亡霊にはその姿が見えません。
しかし怒り狂った亡霊がふと見上げるとそこに耳が浮かんでいました。
和尚は芳一の耳にだけお経を書き忘れていたのです。
亡霊は両耳をつかんで引きちぎり悔しそうに去っていきました。
かわいそうな芳一は耳を失ってしまいます。
しかし「般若心経」のおかげで命は取られずにすんだと喜び合いました。
僕このお話大好きですけど体に書いたお経が「般若心経」だったとは知らなかった。
漠然とお経を書いたっていうのは知ってましたけど。
私も知りませんでした。
ここで「般若心経」が使われるという事がすなわち「般若心経」には神秘的な力があるという事の証しなんですね。
今の「耳なし芳一」の話はあの有名なラフカディオ・ハーン小泉八雲が明治時代にお話を集めてきて作った「怪談」という本の中に入っています。
その中でこの体に「般若心経」を書く事によって悪霊亡霊そういうものがとりつかないんだと魔除けの力があるというわけなんですね。
魔除けの力があったのはこの一番最後の「羯諦羯諦」の所ですね。
「羯諦」というのは「行った者よ」。
どこかへ行くという。
「行った者よ行った者よ向かい岸へ行った者よ向かい岸へ完全に渡った者よ悟りよ幸あれかし」という意味なんです。
これは「ガテーガテー」というようなサンスクリット語が呪文として既に作られていたんです最初から。
サンスクリット語の呪文なんですこれは。
とりわけ神秘的な力を持つこの部分は古代インドのサンスクリット語で呪文として作られました。
「般若心経」の言葉はその意味にも大切な教えがありますが音の響き一つ一つに見えない力があると信じられてきたのです。
「羯諦羯諦」のくだり呪文としての部分の「般若心経」の音は唱える事でどういう効果があると考えますか?仏教は基本的に…世界をゆがめているというふうに考えるものですからその私が無い状態言葉が浮かばない状態あらゆる考えが無い状態というのを天然自然の「いのち」と思ってるわけですよ。
どうやったらその天然自然の「いのち」に帰れるのかという方法の一つとして呪文というのがあるんですね。
意味がありがたいんじゃなくてその音が最初からありがたいんです。
日本人ってオノマトペって擬音語擬態語を非常に多く使う多分世界でも稀な民族なんですね。
例えば「しっくり」とくればどういう感じかすぐ浮かぶでしょ。
「じっくり」というのはまた違うでしょ。
だから音というものをどれだけ音そのもので分かっちゃってるかというのは日本人は特にあるような気がするんですけど。
うわ〜ごめんなさい。
僕は本当にそういうところと真逆の生き方をしてきたから音そのもののパワーみたいなものに関してはスーッとは入ってこないですけどもそう思ってやったって事に関しては敬意を払うというか…少なくとも。
まあ音だけでいいんだという意味合いとしては「絵心経」という面白いものがあるんですね。
「絵心経」?東北の岩手県の方が考え出したんですけども。
こちらに用意いたしました。
これが「絵心経」で本来は絵がずっと描いてありますが絵だけなんだそうです。
今回私たちに分かりやすいように横に漢字を付けてあります。
(伊集院)頓知なんだ。
そうなんですよ。
(玄侑)「波羅」なんか「腹」ですよね。
お腹の腹ですよ。
(玄侑)「蜜」は農業で使う「箕」です。
これは「釜」が反対だから「摩訶」。
これは何のために作られたんですか?字が読めない方々に覚えてほしいというので作られたんですね。
東北弁が入っていまして「色」という所が「鋤」なんですね。
(伊集院)鋤だ。
ああ面白いな〜!東北のお国柄で。
「すき即是苦」なんだ。
私たちが頑張って理解しようとした「空」は食べるの「食う」これでいいのかと思うぐらい簡単なでもかわいいイラストになってしまってますね。
とにかく意味は関係ないよっていうのがこれをご覧になると分かると思うんですね。
音としてとにかく覚えてほしいと。
現代人に例えば「般若心経」を覚えて下さいって申し上げると意味に引きずられてなかなか覚えないんですよ。
だから本当はそこまで分かった上であえて絵にしてるのかもしれない。
でもなそこが納得いかないんだよな。
じゃあ意味を覚えなくても何か効果があるのか。
効果というのは変だけどそれが音のパワーによって何かプラスがあるかというところには僕はちょっとどうしても納得いかないですね。
暗唱できるようになりたいかといったらそうでもない。
ただちゃんとこの事を自分の中で実を結ばせたいとは思う。
実を結ぶっていうのは最後の呪文に対する讃嘆があるじゃないですか。
ですから「般若心経」全体を呪文として捉えて唱える事がないとこのお経は完結しないんです。
ほ〜そういう考え方だ。
ですからその意味に対するリスペクトというのはもちろんあるべきなんですけどそれとは全く別な行為として「唱える」というのがあって両者合流しないといけないのに同時にしようとするんで覚えてくれないっていう話なんですよ。
後に両者合流しなければ駄目だと考えたら最初音でいいじゃないっていうまずは。
そこまではちょっと理解できます。
この「般若心経」の中身はやはり「空」とか「般若波羅蜜」というように言葉で説明しきれないような…そのためにはやはり覚えて唱えるというこの行為が何より大事な一つの行動になるわけなんですね。
お坊さんたちというのはたくさんのお経を読んだり暗記して毎日のように唱えるわけじゃないですか。
そうするとやっぱり呪文のような効果というか「無」に近くなる気持ちっていうのは実際にふだん感じられたりというのはあるんですか?やっぱり何ていうんですかね覚えている事を再生しているわけですよね。
今唱えた言葉の意味とかいうのを考えるとすぐ間違えるんです。
ちょっとお経がそんなに際どいのかというのは不思議だと思うんですけど。
お経がですか?未来に行かず過去に戻らず今だけに居続けているから間違わないんですね。
そういう意味では極めて覚醒しているのに何も考えてないという時間を現代人は特に持ってないんですよ。
耳も目も鼻も極めて敏感なんです。
ですが何も考えてないという時間をお経を読み始めた途端に作れるんですね。
何か思い出そうとか発想しようとかじゃない。
要するに脳の記憶をそのまま覚えたものをそのまま再生してる時というのはかなり無に近い状態になれるっていう。
「いのち」そのものになれる感じなんですね。
「般若心経」の呪文を唱えると私たちにどんな効果があるんでしょうか?私たちのこの「いのち」というものにこの辺にポンと「私」というのが住んでるようじゃないですか。
実はこの「私」が消えてくれた方が「いのち」は本当に伸び伸びできるし本来の力も出せるという部分がとてもあると思うんですね。
その「私」というものにしばらく消えてもらうという手段として呪文というのは非常にてきめんな効果がありますね。
「私」がいなくなっちゃう。
その苦しいとか羨ましいとかあいつムカつくとか今日嫌な事あったとかそれをどうにかしたいみたいなやつを記憶を引き出して単純に再生するという作業の中で考え続ける事って難しいと。
できないと。
だからこそこれが無くなっていっていつの間にかもうただただ生きているというか。
ただただ「いのち」であるというかそういう状態になる。
ええ。
これ無心ってやつですか?だと思います。
佐々木先生世の中では今写経もはやっていますよね。
写経もその「空」になるという無心になるための方法の一つですよね。
これはもうインドの時代からこういった「般若心経」のようなお経は「書き写して下さい」「写経して下さい」というのが一つの教えだったんです。
今日本では写経が静かなブームを迎えています。
写経とはお経を一文字一文字書き写す事ですがもともとは僧侶が信仰心を養うための修行でした。
そして今現代人にとってはさまざまな願いを込めたり日々のしがらみから解放される大切な時間になっているのです。
こちらにあの弘法大師空海が書き写したと言われているものがあります。
「隅寺心経」というものです。
これが今の一つのお手本になっていますわね。
皆さんこれを写すので。
本当に大きさも幅もそろってきれいに端正に書かれていますよね。
奈良や平安時代からもうこの写経という伝統がありまして例えば国の安泰とか平和とかそういう大きな事のために書き写す事はあったんですがその伝統が今もずっと続いてきて今では一人一人の人が自分の心の安寧とかその一人一人の幸せあるいは家族の健康とかそういう事を祈って書くような事が残ってますがこれはもともとインドから伝わるそうあるべき姿ですから「般若心経」の正しい伝え方なんですね。
僕ちょっと写経やってみたいなと思ったのは昔学校の宿題で漢字練習すごいさせられてる時って途中から自分が書いてるのか何かに書かされてるのか分からなくなってくるじゃないですかず〜っとやってると。
その家族の幸せみたいな事を考えながら書きだしてもう何にも考えないけどず〜っと「般若心経」が出来上がってる状態は恍惚な気がする。
そもそも俺何がしたかったんだっけとかそもそも自分は何を考えてる時が楽しかったんだっけという事が分からなくなるから余計な事を切り落としてもともとのやつを見たくなる時あるじゃないですか。
そういうのにいいかな「般若心経」自体が。
今回は「般若心経」の見えない力について今まで議論を重ねてきたわけですけれどもこの力がね現代に生きる私たちにとってはどういう助けになると思いますか?一番はとにかく私たちが縛られているその狭い世界観価値観を一度解き放って元に戻すもうそれの一点ですね。
これが今の日本にとっての「般若心経」の持ってる大きな役割だと思います。
伊集院さん4回にわたって「般若心経」取り組んでまいりましたけれども。
僕の中になかった新しいジャンルのこれは誤解をいっぱい生むかもしれないけど「遊び」悪く言えば「ゆとり」みたいなものとして唱えたり書いたりしながら更に意味ももうちょっと理解してみようという三位一体の楽しみ方をちょっとしてみたいかなと思いますね。
佐々木先生そして玄侑さん本当にありがとうございました。
(一同)ありがとうございました。
2014/10/01(水) 05:30〜05:55
NHKEテレ1大阪
100分de名著 般若心経[終] 第4回「見えない力を信じる」[解][字]

ゲストとして、僧侶で作家の玄侑宗久さんを招く。玄侑さんは般若心経は「生きる勇気を与える呪文」だという。お経の音の響きが人にどんな影響を与えるのか、その力を語る。

詳細情報
番組内容
ゲストとして、僧侶で作家の玄侑宗久さんを招く。玄侑さんは、般若心経は「生きる勇気を与える呪文」だと語る。人間は言葉によって世界を認識している。しかし言葉には、限界がある。そこで人間の生命力に直接働きかける「呪文」として生み出されたのが、般若心経だというのだ。最終回では、いにしえの人々が般若心経に寄せてきた思いをひもときながら、お経の音の響きが、人の心にどんな影響を与えるのか、その力を考える。
出演者
【ゲスト】作家・僧侶…玄侑宗久,花園大学教授…佐々木閑,【司会】伊集院光,島津有理子,【語り】小野卓司,稲田徹

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
趣味/教育 – 生涯教育・資格

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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日本語(解説)
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