NHK高校講座 日本史「豊臣秀吉」 2014.09.12

歴史に対する憧れと深い知識を持ったアイドルの養成所。
それが日本史研究の殿堂高橋歴史女学館である。
歴史は暗記するものではなく推理するもの。
館長の高橋です。
今日は「豊臣秀吉」。
秀吉は太閤さん。
太閤殿下と呼ばれ今でも歴史上の人物としてとても人気が高いですね。
みんなは秀吉についてどんな事知ってますか?天下統一をした人ですよね。
「鳴かぬなら鳴かせてみようほととぎす」。
あと身分を越えて出世した人です。
でも館長太閤さんって何ですか?太閤というのはですね天皇を助けて政治を行う前に習いましたよね関白。
秀吉は関白まで上り詰めました。
この関白の位を譲った後の人を太閤といいます。
今日はそんな太閤秀吉の事業を見ていこうという訳なんですね。
では今回学ぶべき重要ポイントを見てみよう。
今回の時代は…織田信長亡きあと天下統一を果たしたのが豊臣秀吉です。
秀吉はどのようにして統一していったのでしょうか。
また統一後どのような政策をとったのでしょうか。
今回押さえるべき「三つの要」は…太閤殿下と呼ばれ親しまれた秀吉の統一事業を見ます。
織田信長には優秀な家臣がたくさんいました。
本能寺の変のあと信長の後継者を巡る争いが始まります。
秀吉はそれらを勝ち抜いていく訳なんですね。
それでは「三つの要」に沿って見ていこう。
「要」その一。
1582年織田信長が家臣の明智光秀に京都の本能寺で襲われ自害しました。
この時秀吉は中国地方を支配する毛利輝元と戦っていました。
事件の知らせを受けた秀吉は直ちに戦いをやめ毛利氏と講和。
京都に向かいます。
そして山崎の戦いで明智光秀を倒しました。
これをきっかけに秀吉はたくさんの家臣たちの中から大きく抜け出し信長の後継者としての地位を固めました。
1584年には小牧・長久手の戦いで信長の次男織田信雄と徳川家康の連合軍と戦い後に屈服させます。
また秀吉は大坂に巨大な城を築きました。
見る者を圧倒する城でした。
周りには城下町も造られ大坂は日本の中心としてにぎわいました。
1585年公家の内紛に乗じて秀吉は天皇を助けて政治を行う関白に就任します。
より高い官職を得る事でほかの大名を従わせようとしたのです。
そして翌年には太政大臣にもなり豊臣の姓が与えられました。
秀吉は天皇の名で大名同士が争う事をやめさせる命令を出しました。
これに従おうとしない大名には攻撃を加えました。
まず九州の島津義久を攻めて降伏させます。
そして1590年小田原の北条氏を滅亡させ伊達政宗ら東北地方の諸大名も降伏しました。
これによって秀吉は天下統一を成し遂げたのです。
秀吉の天下統一の背景には強大な軍事力だけではなく経済力もありました。
そこで豊臣政権の主な経済基盤を見ていきましょう。
これですね。
秀吉の経済基盤はまず征服の度に設けたおよそ200万石の直轄地です。
そして…これらの都市を支配して収入を得たんですね。
更に佐渡の金山石見・生野銀山を支配しました。
これらの経済力を背景に秀吉はなんと金の大判貨幣まで造っていきます。
これが実物の大きさにコピーした金の大判です。
本当に大きいんですね。
でもこんなに大きなもので何を買うんですか?ああこれはですねものの売り買いではなくて…恩賞…。
はい恩賞ですね。
当時金貨としては世界最大級の大きさだったんですね。
更に秀吉は画期的な政策を打ち出していきます。
それでは「三つの要」を見てみよう。
その二。
平安時代から続く荘園制では1つの土地に税を払う者と受け取る者とが何層にも重なり複雑な関係にありました。
秀吉はこの制度を解体していきます。
太閤検地では各地で田畑の広さや生産力耕作者を詳細に調査しました。
そして一地一作人を原則として1つの土地の中で税を払う者と受け取る者の関係を整理しました。
これによって直接耕作者から税を納めさせる事ができるようになったのです。
当時の検地帳には田畑の面積や生産高と共に耕作者の氏名が記録されています。
また征服した領地や降伏した戦国大名の領地にも検地を行い土地の生産力を米の量である石高で表しました。
大名の領地は石高で表されこれを基準に軍事を負担させました。
これを石高制といいます。
次に秀吉が打ち出した政策が刀狩です。
1588年大仏建立を口実に刀狩令を出し百姓たちから武器を取り上げて武力を奪いました。
1591年には百姓が畑を放棄し商売をする事などを禁止する身分統制令を出します。
これによって身分の固定化を進めました。
このような戦闘のための兵士と農作業に専念する百姓とを区別する政策を兵農分離といいます。
平安時代から何百年も続いた荘園制を解体するなんて秀吉って大胆ですね。
うん。
でもどうして秀吉は荘園制をやめたかったのかなあ。
館長どうしてですか?う〜ん。
そこはやはり先生に伺いましょうか。
山本先生お願いします。
こんにちは。
(3人)こんにちは。
我が女学館の特別講師山本先生です。
(一同)よろしくお願いします。
先生。
秀吉が行った太閤検地なんですが秀吉にはどういう考えがあったんでしょうか。
それにはまず太閤検地以前の土地制度である荘園制がどういう構造になっていたかをちょっとお話ししましょう。
荘園というのはこういうふうにある訳ですね。
これ1つの土地というか今の村のようなものですね。
その上に本所とか領家とかいうその荘園に対する権利を持ってる人がいたんですね。
荘園の中を見るとですね荘園を管理する荘官それから土地を運営する名主それから実際に土地を耕作する作人というこういう人たちがいたんですね。
更にその荘園を守る地頭というこれは武士ですけどそういう人がいた訳ですね。
だから作人が作ったお米とかそういうものはですねこういういろんな人たちに分けられてた訳ですね。
それが秀吉が土地を検地で測ってこういう形に変えるんですね。
分かりやす!
(込山)分かりやすい。
実際に土地を耕作している人に土地の権利を与えて名前を把握してるんですね。
その年貢はその地域の領主に支払う。
こういうすっきりとした関係にしたのが太閤検地なんですね。
従って名主が作人になる事もありますし作人が権利を認められて作人になる事もあります。
こちらは武装もしてますので武士になっていく。
分かれてそれが1対1の関係になります。
間にいる人たちが大もうけしてこつこつためて力を持つっていう事がなくすようにしたって事ですか?一番権利を失ったのは本所領家という今までのお公家さんだとか寺社だとかそういう人たちは権利がほとんどなくなってくるんですね。
秀吉が知らないところでお金をもうけてるって事がないようにしたって事ですね。
そうですね。
今まではいろんなところでお金のもうけ方があったんだけどこれからはそういう事はなかなか許されませんよという。
すごく分かりやすいですよね。
(3人)分かりやすいです。
もう一つ刀狩によって社会はどう変わったんですか?刀狩というのはですねこれまで荘園の中の名主作人という人も刀を持ってたんですね。
というのは刀を持ってこの荘園を守らなきゃいけなかったのでみんな武装していたんですが秀吉はそういう社会を作人は耕作して米さえ作っていればその土地は自分が守ってやると。
だからもう刀はいらないだろうという事で刀を全部取り上げてその刀は秀吉が新しく造る大仏殿のくぎやかすがいにして信仰に使うのでお前たちもこれから幸せに暮らせるであろう。
そういう事で刀を奪う訳です。
すると…そういうシンプルな社会になっていく訳なんですね。
なるほど。
さて秀吉は更に大胆な事業を始めます。
「三つの要」その三を見てみよう。
秀吉は早くから大陸への出兵の方針を表明していました。
天下統一後秀吉は朝鮮に対し日本への朝貢と中国・明への進撃の協力を求めます。
朝鮮はこれを拒絶。
1592年秀吉は朝鮮におよそ15万の大軍を送って侵略戦争を開始します。
文禄の役と呼ばれる戦いです。
釜山に上陸した日本軍は各地に軍を展開し朝鮮の都である漢城現在のソウルを落とします。
しかしその一方で各地で義勇兵が蜂起し日本の兵士を悩ませました。
また海上では朝鮮水軍を率いる李舜臣が日本の水軍を打ち破り制海権を奪い返します。
そして…戦局は次第に不利になっていきました。
秀吉は明との講和交渉のため休戦します。
しかし交渉は決裂。
1597年秀吉はおよそ14万の軍勢で朝鮮半島に再攻撃を開始しました。
この慶長の役と呼ばれる戦いでは苦戦を強いられました。
翌年意外な形で戦いは終結に向かいます。
秀吉が病によって死去したのです。
秀吉を補佐した…先生秀吉の朝鮮明への侵略の意図これがどうもよく分からないんですがなぜ秀吉はこんな事を起こしてしまったんでしょうかね。
1つは天下統一して日本全国が秀吉のものになりますから朝鮮明に領地を増やそうというのが1つあると思うんです。
もう一つは秀吉は明を従わせて北京まで行くとそのあと自分は寧波に行ってこの地域を支配するというような事を言ってるんですね。
寧波とはどういう所かと言うと東シナ海の貿易ネットワークの中心なんですね。
ここにいるという事は秀吉は日本の九州から朝鮮中国台湾この辺りの海上の貿易ネットワークですねこれを全て自分のものにしようと。
そういう新しい説も出てきてます。
当時秀吉はポルトガルとかスペインがやって来てますのでこの地域の状況の知識は非常にあった訳ですね。
よく知ってたって事ですね。
ここが一番の富の源泉であり日本の柱になる地域だと考えたんじゃないかと思うんです。
実態はどうだったんですか?実際は北京を攻めてこういう帝国をつくる前段階で朝鮮で非常に大きな抵抗を受ける訳ですね。
すると…それから日本ではまだ陶器を作る技術が非常に弱かったといいますか後れていたので朝鮮人の陶工こういう人たちを日本に連行して陶器を作るようにさせたとかそういう朝鮮の人々への大きな被害を与えたという事と日本人も兵士は出ていく訳ですが物を運ぶ人たちというのはみんな百姓なんですね。
そういう人たちが連れていかれるものですから日本の中では田を耕す人がだんだん少なくなって田んぼが放置されて荒れ地になる場合も非常に多くなる訳ですね。
従って…そういう大きな被害があってなおかつ戦いで苦戦してますので戦いに行った武将たちの間に反目が生まれてみんな関係が険悪になるという結局…そういう1つの大きな要因になる訳ですね。
この戦いはしかし結果的に見ると両国にとっていい事は一つもない。
今でも朝鮮侵略については朝鮮では批判されてるという事はあります。
そうか。
それはやっぱり秀吉さんちょっと浅はかだったのかな。
そうですね。
ちょっと想像力が足りなかったというところがあるかもしれませんね。
引き続き山本先生です。
戦国時代は下剋上の時代っていわれますね。
この時代に最も大きな変化というのはそれまでの武家政権というのは必ずトップが貴種だったんですね。
貴種とは「貴い種」と書きまして要するに清和天皇の子孫であるというそういう高貴な血筋の人が武家の棟梁だったんですね。
そういう人でないと武士も従おうとしなかったという。
だから鎌倉幕府も室町幕府も全部そうだったんですが信長以降はそういう皇族の血を引いてないどこから出てきたか分かんない人間がトップに立ってもみんなが従うようになる。
太閤様の出世物語っていうのは足軽から始めて信長の草履取りになって武将になって今度は天下を統一する訳ですからね。
社会の構造はここで違うのでこれが…大きな変化だと思うんですね。
でも「武」というのは力が強くて相手を倒すための武もあるけどここに出てきた信長とか秀吉っていうのはある意味お金ですね。
そうですね。
経済っていうのは非常に強い。
経済をすごく持っていたから。
武というのは経済がないと兵も養えないし鉄砲も買えないしですね。
だからそういう富を握った者が強くなるというのはあるんです。
それでこういうものが出てくる訳ですよ。
これご褒美ですよね。
(生徒たち)ご褒美。
このころの日本は金銀がザクザク出てくる時代だったんですね。
社会に金銀があふれてる。
世界的にも金銀が日本は豊富な土地だという事でポルトガル人なんかもやって来る訳ですね。
黄金の国ジパング。
黄金の国とはそういう事なんですね。
それだけの経済力を誇ってそれを握ったのが信長であり秀吉であった訳ですね。
じゃあ今日よく答えましたから差し上げましょう。
え〜!いいなあ〜。
先生ありがとうございました。
(生徒たち)ありがとうございました。
3人のもの。
イエ〜イ。
でも館長からもらったステータスです。
ああ〜そうですか。
秀吉になったような気持ちでね。
本能寺の変の後各地の戦国大名を降伏させ統一は完成。
2014/09/12(金) 14:00〜14:20
NHKEテレ1大阪
NHK高校講座 日本史「豊臣秀吉」[字]

日本の今は、誰が、どのように作り上げたのか? 日本史研究の殿堂、高橋歴史女学館がその謎に迫る。出演:高橋英樹・AKB48(向井地美音、土保瑞希、込山榛香)

詳細情報
番組内容
今回の時代は安土桃山時代。本能寺の変で倒れた織田信長の後を引き継いだのは豊臣秀吉だった。秀吉は、ある時は武力で、ある時は朝廷の権威を利用して戦国大名たちを抑え、ついに全国統一を成し遂げる。秀吉は検地や刀狩を行ったが、それは日本の社会をどのように変えたのだろうか? また、秀吉による朝鮮侵略はなぜ、どのようにして行われたのだろうか? 足軽から身を起こして天下人となった豊臣秀吉の足跡を見つめる。
出演者
【講師】東京大学史料編纂所教授…山本博文,【出演】土保瑞希,向井地美音,込山榛香,【司会】高橋英樹,【語り】杉村理加

ジャンル :
趣味/教育 – 中学生・高校生
趣味/教育 – 大学生・受験
趣味/教育 – 生涯教育・資格

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