8月の「月間賞」を贈呈します!
(一同)「特ダネ!投稿DO画」。
(テーマ音楽)東日本を襲った未曽有の大震災。
中でも65歳以上の高齢者が多く全体の半数以上に上ります。
体の不自由なお年寄りは避難する時さまざまな困難に見舞われました。
犠牲になったのはお年寄りだけではありません。
お年寄りを避難させようとして津波に襲われた人もいました。
父親を助けるため海の近くの自宅に戻った女性です。
消防団は取り残されたお年寄りを見捨てる事ができませんでした。
近い将来起きるとされる巨大地震。
高齢者の命をどう守るのか。
助けに行って犠牲になる人をなくす事はできるのか。
被災者の証言を基に解決策を探ります。
(松村)東日本大震災から3年半。
NHKでは大震災に遭遇した人々の証言を取材し「あの日わたしは」と題して放送しています。
これまで番組で伝えた生の声はおよそ450人になりました。
その証言を改めて紹介し今後の大規模災害にどう備えればいいのか考えていきます。
今日は災害社会工学が専門で長年岩手県釜石市の子どもたちを中心に地域の防災教育を行っていらっしゃいます群馬大学教授の片田敏孝さんにお越し頂いています。
片田さんよろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
3年半前になりますが3月11日の地震の時片田さんはどちらにいらっしゃいましたか?あの日は釜石のすぐ近くなんですが青森県の八戸市におりました。
防災関係の講演会がありましてその会場にいたんです。
ものすごい揺れだったものですから津波が来るって直ちに思いました。
そして長年にわたって釜石の子どもたちの防災教育もやってきましたしまた地域の方々の防災にも取り組んできましたので絶対に津波が来るという思いの中でとにかく逃げて頂きたい。
懸命に携帯電話で釜石に連絡を取ろうと努めてましたが駄目でしたね。
ただただ心配でした。
実際に釜石の様子が分かったのはそれから数日たってからという事だったんでしょうか?そうですね。
3月14日の事だったと思います。
まだがれきがそのままの所をなんとか乗り越えて釜石まで行った事を覚えております。
後ほど釜石で行ってきた防災教育についても詳しく伺いたいと思いますがまずはこちらをご覧頂きたいと思います。
実に半数以上に上っています。
片田さんこの数字どうご覧になりますか?毎回災害の度にこのように高齢の方がたくさん亡くなられるという状況なんですね。
今回もそうだったなと改めて数字を見て思います。
ご高齢の方はやはりその日その時迅速な避難行動をなかなかできないという状況があります。
地域の災害犠牲者をどう減らしていくのかという事を考える時にこのご高齢の方々の命をどう守っていくのかという事これは一番大きな問題だなと思っています。
あの大震災で大変多くの高齢者が犠牲になりました。
高齢者が避難する上でどんな困難があったのか見ていきます。
岩手県宮古市田老地区で暮らす…あの日赤沼さんは自宅で強い揺れを感じ大きな津波が来ると確信しました。
近所に住む家族が駆けつけ指定された避難場所に逃げるよう促します。
しかし赤沼さんは同じ避難場所に逃げるのを断念します。
自分の足では役場の前にある階段を素早く駆け上がるのは難しいと考えたからです。
階段を上らなくてもいい場所はないか近くの山を目指す事にします。
赤沼さんは昭和8年の三陸大津波で家族がばらばらに高台に逃げ全員助かった経験がありました。
赤沼さんは家族とは別々に1人で避難します。
なんとか山の麓にさしかかったその時でした。
必死に道を急ぎますが途中で足場が悪くなり前に進めなくなります。
赤沼さんはその場にとどまりしゃがみ込みます。
津波はしゃがみ込んだ場所のすぐ手前で止まりました。
青森県八戸市に住む…寝たきりの父親を避難させようとしていた時津波に襲われました。
吉田さんの家は海からおよそ500mの所にありました。
両親と同居している吉田さん。
職場で大津波警報が出たと知り急いで自宅に戻ります。
父親は1階の介護ベッドに寝ていて自力で歩く事ができない状態でした。
車ではもう避難できないと考えた吉田さんは駆けつけた兄と共に父親を2階に運び上げようとします。
しかし思うように階段が上れません。
こんな感じで。
なのでこの辺まで来て力尽きてもう駄目っていっても水がどんどん来てるので。
父親を引き上げている最中にも津波は押し寄せ1階はほぼ水没します。
なんとか父親を2階に引き上げたあとベランダに出てみると辺りは一面濁流にのみ込まれていました。
吉田さん家族は水が引いたあと消防隊に救助され全員が無事でした。
岩手県陸前高田市の…「私は逃げない」と言った寝たきりのおばあさんを無理やり車に乗せ避難させました。
町内会ではあらかじめ災害が起きた場合は高齢者の避難を支援する事を決めていました。
あの日地震のあと寝たきりの96歳のおばあさんが住む家に駆けつけます。
ふだんから訪問していた介護士や近所の人も集まって避難するよう説得しますがおばあさんは応じようとしません。
阿部さんたちはこのまま見捨てる訳にはいかないとやむをえずおばあさんを布団ごと車で運ぶ事にします。
長男が用意した車におばあさんを乗せ高台に向かいます。
その直後津波は町をのみ尽くしました。
高台に避難した阿部さんたちは無事おばあさんを助ける事ができました。
岩手県陸前高田市の…還暦前に緑内障で視力を失ったため近所の人と一緒に避難しました。
あの日吉田さんは自宅で強い揺れに襲われます。
一緒に暮らす長女は仕事に出ていました。
吉田さんは大腸がんの手術を受け退院したばかりでした。
家が潰れると思い掘りごたつの中に逃げ込みます。
死を覚悟したその時でした。
中にはいつものんでいる抗がん剤とお薬手帳が入っていました。
この時吉田さんの心が変わります。
生きる事を決断した吉田さんは避難を始めます。
外に出てとっさに向かいに住む女性を大きな声で呼びました。
吉田さんたちは小高い場所にある寺を目指します。
吉田さんが家を出て間もなく町は津波にのみ込まれます。
津波は吉田さんたちのすぐ後ろまで迫ってきました。
周りの人たちに助けられなんとか生き延びる事ができました。
今の証言を聞いて片田さんどう感じましたか?ご高齢の方々や障害をお持ちの方々の避難がいかに大変かという事を物語る証言の数々だったと思います。
その中で一番最初の宮古の赤沼さん95歳というご高齢の中でそれでも一生懸命逃げておられますね。
そして陸前高田の吉田さんもう諦めかけた時に頭に浮かんだのは子どもたちの顔だったと。
津波なんかで死んじゃやだというさみしそうな顔をしてたという中で死んじゃいけないんだって。
それは自分の命だけではなくてこういう子どもたち孫たちの励ましの中で守り抜かなきゃいけないんだという強い意思を持たれた時に生きる力につながったんじゃないかなと思いました。
自分だけではなくて誰かの顔が浮かんでその人たちのために逃げなくてはという気持ちがわいた。
高齢者の方々どれだけ難しい状況があって避難できなかったのかを見てきたんですがここである調査データがあります。
こちらは宮城県石巻市の65歳以上の犠牲者1,012人について亡くなった時の居場所及び行動を調べたものです。
このように自宅にいて亡くなった方が71.6%に上っています。
こういうふうに高齢者の方が自宅で多く亡くなってしまう。
これはどうしてなんでしょうか?まずいかに逃げる事が大変なのかという事を物語った数字である事は間違いないんです。
ただこの「自宅にいた」という中には「私は逃げない」と言ってとどまられた方も先ほどのVTRのようにおられたように思うんです。
一見頑固なお年寄りの思いのようにも感じられるんですが私はその背景を考える必要があると思うんです。
自分が逃げるには誰かの助けが必要だ。
自分の助けをしてくれる人の命が危ない。
それを考える時に自分はいいから人に迷惑かけたくないからという思いの中でこうやって自宅にとどまった方逃げなかったとおっしゃった方がたくさんいるという事は僕らはよく注意しなきゃいけないと思います。
それから「付添」。
これも非常に多くの割合がありますね。
最近ご高齢の世帯が増えていわゆる老老介護と申しましょうか動けない人に付き添っているという状況の中でやはり逃げられないという状況が出来上がってしまうという事なんだろうと思います。
こういった問題をどうするのか。
高齢者問題としては非常に重要な問題だと思います。
そしてこのデータから僕たちが読み取らなきゃいけない事がもう一つあると思うんです。
この方々が犠牲になると同時にこの方々を助けたいと思う方々がたくさんいらっしゃってその方々が犠牲になってるという事なんですね。
釜石の子どもたちはおじいさんおばあさんを助けるためにリヤカーを引く練習をしてたんです。
リヤカーを引いておじいさんおばあさんの所に行って「逃げられる?」って。
「逃げられないんだったら迎えに来るからね」というような声をかけてくれたんですね。
しかしあの日あの瞬間子どもたちがリヤカーを引いておじいさんおばあさんを迎えに行く。
その状況を思い浮かべた時にとても間に合わないなというのと彼らが命の危険を冒してるという事を考えた時にまず自分の命を守ってほしいという思いの方が先だったというのが正直なところです。
あの日頃の練習を目を細めて見てたのにあの時行くなって思ったのは矛盾してると思います。
でも正直な気持ちです。
実際にはどうだったんですか?実際はあの日子どもたちにそういう余裕はありませんでした。
子どもたちもとにかく一生懸命逃げるという事にまずは向かってくれました。
東日本大震災では自宅にいて逃げないまたは逃げられないお年寄りを助ける途中で犠牲になった家族や消防団員がいました。
皆さんどういった思いで助けに行ったのでしょうか。
宮城県仙台市荒浜に住む…あの日友達と外で食事をしていました。
地震の時自宅にいる高齢の父親の事が気がかりでした。
二瓶さんは車で自宅に向かいます。
ラジオでは大津波警報が伝えられていました。
自宅に到着した二瓶さん。
家の中にいた父親を見つけます。
私先頭になって。
車に乗り込もうとした時津波が襲ってきました。
二瓶さんは濁流に足を取られながら父親と共に2階へ駆け上がります。
この時家が津波で流されている事に気付きます。
二瓶さんと父親は家ごと1km離れた資材置き場に流されていきました。
その夜は氷点下の寒さでした。
2人はぬれた体に毛布を巻きつけ凍えながら一夜を過ごします。
翌日自衛隊のヘリによって無事救助されました。
青森県三沢市で消防団の分団長を務めていた…津波の危険を感じながらも津波に巻き込まれた人の救出に当たりました。
地震のあと河村さんは高台にある消防団の屯所に向かいました。
そこで津波を目撃します。
被害状況を調べに出た河村さんに「お年寄りが自宅に取り残されている」という情報が入ります。
お年寄りの家は1階が水に浸かっていました。
家に取り残されていた…余震が続く中もっと大きな津波が来るのではないかと恐怖感を抱きました。
家に入ると高橋さんは奥の部屋で身動きがとれない状態でした。
河村さんは高橋さんを救出。
無事高台に避難する事ができました。
岩手県大町の消防団で部長を務める…自宅にいたお年寄りの救出活動をしていた消防団員を津波で失いました。
あの日鈴木さんたちは強い揺れのあと津波が来ると思い2台の消防車に分かれ住民に避難を呼びかけながら高台へ向かう事にします。
川の近くを通りかかった時呼びかけても避難せず津波を見ようとしているお年寄りがいる事に気付きます。
必死でお年寄りを説得し避難させた鈴木さん。
自分たちも急いで高台に向かいます。
避難し始めてすぐ津波が堤防を越えてきました。
高台にたどりついた鈴木さんはもう一台の消防車に無線で呼びかけます。
しかし応答はありませんでした。
もう一台の消防車の団員たちは自宅にいて自力で動けないお年寄りを助け出そうとして津波に巻き込まれていました。
消防団員の犠牲をどうすればなくす事ができるのか。
苦渋の判断をした消防団があります。
岩手県釜石市の…あの日佐々さんは水門を締めたあと住民の避難誘導をしながら高台へと上ります。
そこで1艘の漁船が流されていくのを目撃します。
その様子を佐々さんと一緒に見ていた消防団員がいました。
転覆した船の漁師の息子…そして夜になりある事に気が付きます。
佐々さんたちは海の近くまで行きます。
その時父親の漁船が転覆するのを見ていた和憲さんが「女性を助けに行く」と言いだします。
和憲さんの気持ちは分かっていましたが救助のための装備がない中助けに行かせる事はできませんでした。
助けに行った側の人が危険な目に遭ってしまう犠牲になってしまう。
こうした状況をどうご覧になりましたか?そうですね。
まず本当に多くの方々を消防や警察やそして自主防災の方々やまた民生委員の方々多くの方を救って頂いたと思うんです。
ただ一方でこの方々が多く犠牲になってるという現実これをどうするかという問題は本当に大事な問題だと思っています。
ただ日本の消防団やそういった職責の中で防災に当たられてる方々本当に責任感が強くて自分の命を顧みずにそこに飛び込んでいってしまう。
でもこの方々の命も守らなきゃいけないというこういう難しい問題があるように思うんですね。
こういった方の命を守るためにはどうしたらいいんでしょうか?僕はそういう方々も命を守れるような仕組みを作っとかなきゃいけないと思うんです。
消防団員のどうしてもおばあちゃんを助けたいという思いはこれは否定する事ができないと思います。
そしてどんなにそれを否定しても非常に責任感の強い方々はそれをやってしまうと思います。
その時に私は例えば消防であるならば現場を指揮しておられる方々に役割を果たして頂きたいと思うんです。
若き消防団員たちに1人のおばあちゃんのために3人を亡くすという事。
これを「行くな」と止めて頂きたいんですね。
実際に証言の中でも最後に出てきた佐々さん「苦渋の決断」だとおっしゃってましたが。
そうですね。
本当に苦渋の判断だったと思います。
もちろんおばあちゃんはそれでいいのかという問題は残ります。
でも共倒れになってみんな亡くなるという状況よりもより多くの人を守るという判断を冷静にして頂きたいと思うんです。
非常に残酷な話ですしそして命をてんびんにかけるような話になってしまいますがただただ消防の方々の勇敢な行動に感謝をするという事だけではなく消防の方々だってみんな助からなきゃいけないんだ。
少しでも多くの人が助からなきゃいけないんだという思いの中で時にこんな冷静な考え方も必要なんじゃないかなと思っています。
そして自分の家族の方が「家に取り残されている」という事を思ったら「助けに行かなきゃ行かなきゃ後悔する」という気持ちもありますよね。
そうですね。
仙台市の二瓶さんのお話がありましたね。
怖かったんだけどもお父さんの事を考えると「行かなきゃ」って思いの方が強かったんだって。
僕はその思いもごくごく普通の心だと思うんです。
人は人として逃げられないという側面があると思うんです。
「人は人として逃げられない」?はい。
大変難しい問題なんですが私はその日その時その状況になったらやはり人は逃げられないと思うんです。
だからこそそのような状況にならないという事をどう作るのかという事なんだろうと思うんです。
例えば僕は釜石の子どもたちにも言ったんです。
「先生はみんな逃げてくれると思うよ」って。
「でもみんなが逃げたあとにみんなのお母さんはどうするんだろう?」って。
こう問いかけた時に子どもたちの顔は曇ったんですね。
「お母さんは僕を迎えに来ちゃう」って。
来てくれるんじゃないんです。
「心配したお母さんが僕を迎えに来てしまう」。
そう。
ですから僕は子どもたちに「君が絶対逃げる子だという事。
そしてそれをお母さんがちゃんと信用しててくれる事。
そうすれば『うちの子絶対逃げてる』ってお母さんが思ってくれればお母さん逃げるだろ?」って。
「だからね君は自分の命をしっかり守れる子じゃなきゃいけないんだ」って。
「まして君が自分の命をしっかり守れる子であるという事がお母さんやお父さんの命を守る事にもなるんだ」。
片田さんはそういった事を津波てんでんこという言葉を使って教えていらっしゃいますよね?そうですね。
津波てんでんこという言葉はもともとは「一人一人ちゃんと自分の命を守っていかないと地域が全滅しちゃうんだ。
だから一人一人逃げていいんだよ」と先人が教えてくれた言葉です。
津波てんでんこができるようになる。
それはどういう事かと言うと一人一人が自分の命に責任を持ってそれを信頼し合ってる事。
釜石の子どもたちが一生懸命逃げてくれたのも本当に自分の命を守るという事よりも「僕はちゃんと逃げてるからね」って。
「お母さんも逃げてね」というこういう思いの中でこのてんでんこの教育が生きたんじゃないかなと思います。
一方で自力では避難できないお年寄りについてはどうしていったらいいんでしょうか?そうですね。
津波てんでんこといえど自分の力で避難する事ができないという事。
その現実をどうするのかという問題は非常に重要だと思います。
逃げられないという状況の中でそこに物理的に津波が来るという事になればそれはそのまま犠牲になるという事に直結してしまいます。
確かにこれに対して万全なこれでいいんだという回答はないと思うんです。
しかしその中にあっても地域の状況の中で皆で知恵を出し合ってなんとかするんだというこの姿勢が大事だろうと思います。
地域の住民でというお話がありましたが地域住民が自ら日頃から高齢者の早期避難について取り組んでいる地域があります。
ご覧下さい。
三重県尾鷲市。
南海トラフ巨大地震でマグニチュード9の地震が発生した場合17mの津波が15分で到達すると想定されています。
尾鷲市南東部の海沿いに位置する三木浦町は人口およそ600。
うち半数の311人が65歳以上の高齢者です。
お年寄りたちを津波からいち早く避難させるため住民たちの取り組みが行われています。
その中心となっているのが…東日本大震災のあと避難マップを見直しました。
黄色の15mラインより高い場所に一次避難場所を12か所作り海沿いのどこにいても5分以内に避難できる避難ルートを整備しました。
この道は新たに整備された避難ルートです。
地域住民100人が集まり竹林を切り開き急な斜面に階段を作りました。
(取材者)1時間で作ったんですか?そうそう。
更に23m以上の所に二次避難場所を設け時間に余裕があれば逃げる事になっています。
住民一人一人が自ら避難する事が基本ですが自分で避難する事が困難な高齢者は誰かの助けが必要です。
この家には町で最高齢のお年寄りが住んでいます。
分かるかいの?おじやん。
(ふく子)子どもらに世話かけるのでな。
本当にな…。
原則として家族が両親を避難させる事にしています。
家族だけで手が足りない時は誰が助けるのか。
この町ではかつて近所の人でその責任者を決めていましたが住民たちで話し合った結果あえて決めない事にしました。
責任者を決めるとその人が危険にさらされる可能性があるからです。
その一方上村さんたちはお年寄りの意識改革に乗り出しました。
集会の度に…逃げなかったら助けに行った多くの人が犠牲になる可能性がある事を話してきました。
その結果お年寄りたちの意識が変わりつつあります。
三木浦町では声をかけるけど待たない。
消防団も含め率先避難の町づくりを目指しています。
この地域は片田さんがアドバイスをしている所なんですよね。
そうですね。
今の尾鷲の事例なんですがどのようにお年寄りたちの命を守るのかという事これに真剣に向かい合ってるという事は言えると思うんです。
とかく防災というとお役所がやる事で自分は守られてる存在だというそんな行政主導の防災という事だったと思うんです。
しかし例えば大きな地震があって津波まで尾鷲なんかでも15分ぐらいしかない。
その間にお役所の方々が地域の方々をお守りできるのか。
そこには無理がある訳ですね。
そんな中でまず行政に依存して「何かやって」という要求ベースから自分たちのできる事を全部精いっぱいやろうとまず大きく意識が変わったというところに一つ大きなポイントがあるように思うんですね。
避難路を作るのに100人集まってきたというのはちょっとびっくりしたんですが。
600人の集落で100人集まってきて1人1m1時間で作り上げた。
「避難所を整備してよ」と行政にお願いするんじゃなくて自分たちでみんなで出てみんなで助かるための道をみんなで作るって。
その道そのものもすごく有効なんですが何よりもみんなの心の象徴のような気がするんですよね。
意識が変わってきている?そうですね。
それからお年寄りの意識も変わってるように思うんです。
それまではとかく「もうわしはあかん」というように諦めておられたり。
その上で人に迷惑かけちゃいけないと思ってるから「自分の事はいいからね」と言っておられた。
でもどうやってもおじいちゃんにもおばあちゃんにも生き残ってもらいたい。
孫たちだってそう願ってる。
みんなが願ってる。
それをしっかりお年寄りに分かって頂きそして決して諦めないという。
おじいちゃんおばあちゃんも絶対に生きるんだというそんな意識改革ができてる事が僕は非常に大きいと思うんです。
この地域では地域の防災のリーダーが「逃げない」と言うおじいちゃんおばあちゃんのところに行って「じいちゃん死んでまで人に迷惑かけるな」というような厳しい…。
随分とストレートな言葉にも感じますが。
でもそれはみんなの思いの詰まった言葉だと思うんです。
要はおじいちゃんの事をみんな死んででも迎えに行くという思いがあるんだよという事を伝えてるんだろうと思うんです。
お年寄りは「逃げなきゃいけないんだ」って。
自分はどれだけ彼らが不自由でも困難があってもとにかく玄関に行くまでだけでもそういう意欲をしっかりお年寄りは持ち始めたし玄関まで行ってればできる範囲で精いっぱい助けるからねという事をまた周りの方々はメッセージとして伝えておられる。
そこにあるのは…もちろん実際に大きな大きな津波が来た場合それが達成できるかどうか分かりませんし難しいのかもしれません。
でもあの日釜石の子どもたちが小学校の子どもの手を引いたり保育園の子どもを助けながら逃げてくれた訳ですがその一方で子どもたちがおじいちゃんおばあちゃんの事を気遣ってたというのがあるものですから子どもたちが小学校の子どもたちの手を引いて賢明に逃げる姿を見ておじいちゃんおばあちゃんも「これはただ事じゃない」って「逃げなきゃな」という事で声を掛け合ってその子どもたちの列の中にどんどん入ってきてくれたんです。
日頃のおじいちゃんおばあちゃんたちを思う気持ちの中であの日実際は多くのお年寄りを助けてくれたと僕は思ってます。
やはり日頃のそういう練習だとか心というのが高齢者の方たちにも伝わってたから当日そういう動きができたという事ですよね。
僕は防災に万全はないと思います。
そしてこれだけ高齢化が進んだ社会特に地方においてはその状況は深刻だと思います。
でも「みんなで守るんだ」「みんなで助かるんだ」というこんな思いの中で取り組む防災。
今こういう防災が求められているように思います。
今日は災害社会工学が専門で各地で防災活動や防災教育に取り組んでいらっしゃいます群馬大学教授の片田敏孝さんにお話を伺いました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
おはようございます。
よろしくお願いします。
2014/09/12(金) 02:40〜03:30
NHK総合1・神戸
いつか来る日のために「証言記録スペシャル 高齢者の避難」[字][再]
東日本大震災では、犠牲者の半数以上が高齢者だった。特に寝たきりや耳が聞こえないお年寄りの避難は困難をきわめた。今後の災害のとき、高齢者の命をどう守るのか考える。
詳細情報
番組内容
東日本大震災では、犠牲者の半数余りが65歳以上の高齢者だった。特に寝たきりや耳が聞こえない高齢者の避難は困難を極めた。さらに、逃げ遅れた高齢者を助けようとして多くの家族や地域の消防団員が亡くなった。災害に弱いお年寄りの命をどう守るのか。救助する人の犠牲をなくすことは出来るのか。証言記録「あの日わたしは」で放送してきた被災者の証言をもとにその解決策をさぐる。ゲストは釜石の奇跡の片田敏孝群馬大学教授。
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