プロフェッショナル 仕事の流儀▽食糧支援、届けるのは“未来”WFP忍足謙朗 2014.09.12

(台風の雨風の音)フィリピンを巨大台風ハイエンが襲った。
一夜にして町は壊滅。
一刻も早い食糧支援が必要となった。
この時孤立した被災地に食糧を届ける困難なミッションを指揮したのは一人の日本人。
僅か2週間で270万人分の食糧を届け命を救った。
道なき道を進む百戦錬磨の男。
それが今夜のプロフェッショナル。
その男の本拠地はタイ・バンコクにある。
世界のあらゆる場所に足を運んできた食糧支援のプロフェッショナルだ。
所属は国連機関の一つ世界食糧計画。
通称WFP。
アジア全体を統括するこのオフィスの忍足はリーダー。
だがオフィスにいる事は珍しい。
Goodmorning.久しぶりにオフィスに戻ると部下たちとの挨拶が続く。
今貧困や自然災害などによって飢餓状態に陥っている人は世界で8億4,000万人余り。
アジアはそのうち6割が集中する重要地域だ。
この日忍足は危険な現場に向かっていた。
紛争が続くフィリピン・ミンダナオ島。
忍足はこうした危険地域での活動でWFPでもぬきんでた実績を持つ。
(銃声)80万もの難民が発生したコソボ紛争。
忍足は現地で1年半にわたって食糧支援を指揮。
住まいを爆破事故に巻き込まれる過酷な状況の中人々を救い続けた。
そして世界最悪の人道危機と言われる紛争が起きたアフリカスーダン。
600万人もの難民や避難民などが発生したこの現場の指揮を任されたのも忍足。
混乱の中僅か6週間で輸送体制を作り上げ3,000人を動員する支援を行った。
今回向かうミンダナオ島では30年にわたって独立紛争が続いてきた。
忍足たちはこの島で8年前から食糧支援を行っている。
独立を求めるイスラム武装組織と政府の間では今年3月ようやく和平協定が結ばれたばかり。
だが今も散発的な戦闘が起きており予断は許さない。
山間部にさしかかると危険を知らせる連絡が飛び込んだ。
紛争の中心地マギンダナオ州の集落に入った。
フィリピン全土の中でも最も貧しく危険な地域の一つだ。
その中を忍足たちは反政府勢力の最新動向を集めながら支援にこぎ着けていく。
村人の多くは土地を借りて細々と米を作っている。
紛争の度家財を捨てて逃げ惑う生活を続けてきた。
定期的に届く忍足たちの食糧はこの集落の生命線。
無事に食糧を載せたトラックが到着した。
合計15tの米。
300家族が2週間暮らせる量だ。
この道25年。
現場を生きる忍足には確固たる流儀がある。
忍足たちは迅速に食糧を届けるためなら常識にとらわれずあらゆる手段を駆使していく。
例えば輸送手段。
飛行機や船ヘリコプターはもちろんの事時にゾウの背中に載せて道なき道を進んでいく。
届け方もあらゆる方法を考える。
これは飛行機から直接食糧を投下する「エアドロップ」。
一刻の猶予もなかったスーダンでは費用を度外視してこの方法に踏み切った。
そして忍足は時にルールを破る事すらいとわない。
例えばコソボでは住民が避難しておりオフィスを借りる契約が結べなかった。
忍足は使われていない建物を独断で接収。
倉庫に使えと指示した。
更に難民キャンプでは火が使えず支援物資の小麦が調理できなかった。
すると忍足は即座に現地のパン屋を探し小麦の一部を手間賃として渡す条件でパンを焼いてもらった。
飢餓に苦しむ人たちの命を救うためいつでもどこにでも食糧を運ぶ忍足さんたち。
その食糧支援には単に飢えを防ぐ事に加えてもう一つねらいがある。
その地域が紛争や貧困から抜け出せるよう後押しする事だ。
例えば米を届けたこの集落。
実は忍足さんたちはこの道路造りの工事を進める事を条件に米を渡している。
道路造りは住民たちが自ら考えた集落の復興プランの一つだ。
一刻を争う食糧難を乗り越えたあとはこうして集落の復興を支えていくのだ。
この日忍足さんはかつて紛争に巻き込まれた小学校を訪ねた。

(子供たちの歌声)忍足さんたちはここでも復興につながる支援を行っている。
給食を支援し教育の復興を目指している。
忍足さんは一つの事を信じている。
(忍足)その未来につながると思いますね。
忍足にとって最も難しい判断を迫られる仕事がある。
一つの地域で行ってきた支援の終了を決断する事だ。
この日忍足は前の年台風に襲われたレイテ島に降り立った。
昨年11月巨大台風ハイエンで5,000人の死者が出たレイテ島。
忍足たちは被災直後から食糧を配給し続けてきた。
緊急支援を始めてから7か月。
この支援をどこまで続けるべきか。
支援を終える時期を見極めるためには慎重な判断が求められる。
被災者が集まる仮設テントを訪れた。
(拍手)直接人々に今の暮らしぶりを尋ねる。
100人を超す人々が集まってきた。
人々は生活の不安を口々に訴えた。
忍足はその声を一つ一つ聞き続けた。
だが食糧を渡し続ける事は望ましくない副作用を引き起こしかねない。
過剰な支援は自分で立ち上がろうとしている人々の活力をそぐ側面もある。
野菜や卵などを売る市場の回復具合はどうか見定めていく。
Howareyou?忍足は丹念に聞き取りを続けた。
自分の責任で結論を出さねばならない。
オフィスに戻った忍足は自らの決断を伝えた。
この地域の自立を促すためにも7月いっぱいで支援を打ち切る。
現地スタッフも全員同意した。
支援を打ち切る判断。
それはいつも忍足に葛藤をもたらす。
6月。
忍足さんはローマにいた。
WFPの本部で定例の会議に出席していた。
ここに来ると必ず立ち寄る場所がある。
危険地帯を行く忍足さんたちの仕事。
直属の部下も含め命を失った人は少なくない。
平和な日本を離れ厳しい世界に身を置いてきた忍足さん。
そこで何を見何を感じてきたのだろう。
忍足さんは昭和31年東京生まれ。
日系アメリカ人の父と日本人の母のもとで育った。
日本のインターナショナルスクールに通い17歳の時アメリカの大学で学ぶため渡米。
日本領事館でアルバイトをしていた時たまたま国連職員から声をかけられた。
特別使命感があったわけではない。
でも33歳で現場に赴任した時人生が一気に動き始めた。
最初に向かったのはアフリカザンビア。
へき地の病院にいる栄養不良の母親や子供たちに食糧を運んだ。
その食糧で見違えるように健康を回復する姿。
そんな人々を何人も見るうち仕事への使命感が芽生えてきた。
3年後には紛争の地ボスニアに赴任した。
そこは想像を絶する危険な場所だった。
だが危険であればあるほど不条理な紛争に巻き込まれた人々に食糧を届ける仕事の意義を痛感した。
命を危うくする事があってもやり抜くべき仕事。
忍足さんの心は定まっていった。
以後内戦後のカンボジアやコソボ紛争の現場でリーダーとして指揮を執るようになっていく。
住まいが紛争に巻き込まれ爆破された事もあった。
活動中の部下が3人殉職。
涙にくれた事もあった。
それでも何があってもこの活動を止めてはいけないと職務を遂行し続けた。
だが…。
世界最悪の人道危機と言われたスーダンで指揮を任された時。
さしもの忍足さんも300万人という膨大な避難民の前で立ち尽くした。
スーダンはそれまで赴任したどことも違っていた。
紛争は収まる気配がなく人々がふるさとに帰るめどは全く立たない。
希望を見いだせない彼らは日に日に無気力になっていった。
どれだけ努力しても何も変わらない。
忍足さんはこの仕事で初めてむなしさとも怒りとも言えない思いにさいなまれた。
その時一つの事件が起きた。
突然スーダン政府が避難民を支援する国際NGOに国外追放令を出したのだ。
忍足さんたちの下で食糧配給を担っていた外国人スタッフの多くも国外追放を命じられた。
この国の人々を助けたい一心なのになぜこんな仕打ちをするのか。
退去までのリミットはたった一晩。
一体どうするべきか。
その時一つの言葉をかみしめた。
忍足さんは翌日これまで働いてくれたスタッフに別れを告げ新たに協力してくれるスーダン人300人を急きょ募った。
そして混乱の中でも食糧の配給を絶対に滞らせなかった。
あれから5年。
忍足さんは食糧支援に挑む事をやめない。
今も8億人が飢えている。
そうである限り自分が正しいと信じる事をやり続ける。
そう決めている。
6月下旬忍足はフィリピン・ミンダナオ島の中部地域にやって来ていた。
台風に頻繁に襲われるこの地域。
人々は慢性的な食糧不足に苦しんできた。
(銃声)そうした貧困を背景に島ではイスラム武装組織モロ・イスラム解放戦線が政府との紛争を繰り広げてきた。
だが今年ようやく両者の間に和平協定が結ばれ新たな一歩を踏み出す事になった。
忍足は考えていた。
30年もの間紛争に苦しんできた人々を後押しできるチャンス。
今ここミンダナオで忍足たちが力を入れているプロジェクトがある。
赤ちゃんと母親だけを対象にした特別な支援活動「栄養プロジェクト」だ。
月に一度スタッフが訪れ赤ちゃんの体重を測定。
身長も測り母親に赤ちゃんの栄養状態を伝えていく。
その上で栄養食を渡し衛生教育なども行う。
子育てを支援する事こそ地域の一番の下支えになると考え8年前から続けてきた。
ただしまだ実施できている地域は島の一部にすぎない。
その結果島の子供の発育スピードは平均すると今もフィリピン国内で最低だ。
この日忍足は現地のスタッフを集めた。
栄養プロジェクトを島全体に広げるためのあるプランを明かした。
忍足のアイデアはモロ・イスラム解放戦線に協力を呼びかけるというもの。
解放戦線はおよそ2万人の兵士を擁し学校運営なども手がける巨大な組織だ。
和平が結ばれた今解放戦線と政府そして忍足たちが一致して支援に取り組めば島全体で栄養プロジェクトを行う事ができる。
スタッフからは「難しい」という声が上がった。
最大の難問はモロ・イスラム解放戦線がこの話に乗るかどうかだ。
翌日忍足は解放戦線の事務所を訪ねた。
協力を求めて1時間にわたって交渉を行った。
解放戦線側からの回答はすぐには協力体制は作れないというものだった。
だが島のあちこちで食糧不足は待ったなしに進む。
翌日忍足は急きょある村に向かった。
そこでは2週間前に銃撃戦が起き人々は避難生活を続けているという。
学校の敷地内にまだ避難してる人たちもいるみたいなので…。
人々は荒れ果てた学校に着のみ着のままで身を寄せていた。
食べ物はほとんどない。
一人の赤ちゃんがいた。
生後8か月の女の子。
病気にかかっていた。
ここにもまた人間が生み出した紛争で苦しむ子供がいる。
忍足は動いた。
モロ・イスラム解放戦線に今すぐ支援に協力してくれともう一度交渉する。
訪ねたのはある男の家だった。
長年政府と激しい戦闘を続けてきたモロ・イスラム解放戦線の最高幹部。
彼を説得しプロジェクトに巻き込む。
40分後屋敷に通された。
現れたのはガザーリ・ジャファール氏60歳。
2万人の兵士を率いてきた指揮官。
この地で圧倒的な影響力を持っている人物だ。
忍足は語り始めた。
多くの村が困窮している事を伝え今すぐ政府や自分たちと手を組んでほしいと訴えた。
ジャファール氏から出てきたのは政府の怠慢を非難する言葉。
和平がなった今こそ解放戦線にも支援の一翼を担ってほしいと訴えた。
30分後。
ジャファール氏が忍足の話に興味を示した。
話が進み始めた。
1時間後の事だった。
(笑い声)忍足はついに協力を取り付けた。

(主題歌)いかなる状況に置かれても的確な判断ができリスクを知りながら行動を起こせる人がプロフェッショナルだと思います。
そしてその人の判断や人柄を信頼して大勢の仲間がついてきてくれる人がプロの中のリーダーだと思います。
2014/09/12(金) 00:40〜01:30
NHK総合1・神戸
プロフェッショナル 仕事の流儀▽食糧支援、届けるのは“未来”WFP忍足謙朗[解][字][再]

ボスニア、コソボ、スーダン。被災地や紛争地帯に食糧を届ける国連機関WFPで25年活動する忍足。常識的な価値観を超えた過酷な現場に生きる男の驚きの行動哲学に迫る!

詳細情報
番組内容
昨年フィリピンを襲った巨大台風。その直後食糧難に陥った人々の救援活動を指揮した日本人がいた。被災地や紛争地帯に食糧を届ける国連機関WFPの忍足謙朗だ。その実績は圧倒的。カンボジア、ボスニア、コソボ。スーダンでは組織史上最大3千人のスタッフを指揮し任務を遂行した。自らの行動哲学をこう語る。“正しいこと”をやるには、ルールを破ってでもやる覚悟が必要だ。一般的な価値観を超えた過酷な現場に生きる男に密着!
出演者
【出演】忍足謙朗,【語り】橋本さとし,貫地谷しほり

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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