日本一コンサートをする男と日本一ロックなクリエイター。
絶壁ね。
ほぼ同じじゃん。
ほぼ同じ。
音楽と広告それぞれの世界で活躍しながら共通点の多い2人が大切な音楽を持ち寄り語り合います。
デビューから40年。
美しい言葉でつづられた詩と叙情的なメロディーで多くのファンを魅了しています。
去年コンサートでは前人未到の4,000回を達成しました。
出した小説は次々ベストセラーに。
微妙な感情のあやをすくい取る表現はさだまさしならでは。
発表した小説がほとんど映画化される稀有な存在です。
更に近年はバラエティー番組にも挑戦。
音楽の枠を超えてあらゆるメディアで才能を発揮する表現者です。
リンゴイチゴブドウ。
しかし多くの栄光を手にする陰に想像を絶する挫折と深い葛藤の日々がありました。
CMやポスターキャンペーンなどを手がける広告業界の売れっ子クリエイターです。
代表作は音楽ファンなら誰でも知ってるこのポスター。
更に強烈なインパクトを残すCMで次々と世間を驚かせてきました。
「くっちゃらはぴはぴハイチュウくっちゃらはぴはぴ」。
「これが正式な名称でございます」。
日本のトップクリエイターとして常に斬新な手法でメッセージを伝える箭内。
しかし日の目を見たのは30を過ぎてから。
遅咲きの才能の陰に数多くの挫折と音楽へ憧れ続けた日々がありました。
そしてミュージシャンとして出演した「紅白歌合戦」。
福島県出身の箭内には伝えたいメッセージがありました。
ミュージシャンとクリエイター。
ともに常識を破り我が道を切り開いてきた表現者たちの青春物語。
心に残る音楽を通して2人の人生を見つめていきます。
3人きょうだいの長男で実家は材木商を営んでいました。
当時豊かな家庭のシンボルといわれたバイオリンを3歳で始めます。
するとメキメキ才能を発揮。
両親の期待に応え数々のコンクールに入賞。
長崎で神童と呼ばれるまでになりました。
バイオリンで未来を切り開こうと思った日々この曲と出会って広い世界へと憧れます。
この歌今でも好きだな。
一番好きな歌謡曲かもしれないっていうぐらい。
僕バイオリン3歳からずっとやらされてたんでだからね聴く曲もやっぱりクラシックの曲を聴くぐらいしか…。
歌を聴くチャンスってほとんどなかったんですよ。
ただ子どもの頃「夢であいましょう」っていうNHKのバラエティーは親が楽しみにしててこれは一緒に見てもよかった。
これで「今月の歌」っていうのが毎月違う歌をやるんだけど。
僕が初めて歌謡曲ちゃんと聴いたのはこの番組なんですよ。
そういうものの中にこういう渋い歌が交じってて。
子どもの頃の植え付けられたものって違うね。
だから僕ね旅人の歌書けないの今でも。
だって「遠くへ行きたい」って言われちゃったらもうほかに言葉がないよね。
旅って遠くへ行きたいんだよね。
知らない街を歩いてみたい。
知らない人に巡り会いたい。
もうこれ言われちゃったらねああもう旅の歌書けないなって感じ。
一方さだが生まれてちょうど12年後箭内道彦は福島県郡山市に生まれます。
実家は市内でお菓子屋さんを営んでいました。
お菓子屋の息子?もう憧れだったよ俺たちの。
いやでもね虫歯になりますよ。
何でも食える訳ですから。
あのねお菓子屋で思い出すのが遠足の時に…。
遠足ってお菓子300円までとかいって。
うちの父親が1,000円分ぐらいリュックに詰めろって言うんですよ。
「こんなの怒られちゃうよ」って言うじゃないですか。
遠足に行くとまた先生に言いつける同級生がいて。
「箭内君がいっぱい持ってきてる。
300円じゃない」って。
父親にその時絶対言えって言われてる事があって「うちでは300円です」。
そうすると翌日うちのお菓子が売れるんですよ。
みんな買いに来るんですよね。
キャンペーンやってた訳だ。
やってたんですよね息子使って。
すばらしいプロデュースだね。
なるほどな。
商売熱心だった父親から学んだ広告の大切さ。
両親は配達で忙しかったためいつも一人店番をしていました。
その時よく口ずさんでいたのが…。
「おはようメロディー」っていう不思議な番組があって。
局アナの方々がディスクジョッキーしてるんですよ。
そこで恋愛の相談とかをねOLの方が書いて送ってきてかかる歌謡曲たちっていうのを僕どんどん覚えていって。
だから何て言うんですかね…。
いわゆる流行歌から入ってきた訳だ。
そうです。
だからそこにある色気っていうか子どもにはかなり早い男女関係じゃないですか。
そうだね。
そういう流行歌の影響もあって…。
どんな子どもだったの?大人の顔色うかがうのが好きで。
自分が大人に何て言ったら大人が喜んでくれるか。
喜ばれるのがやっぱりうれしかったし相手に何て思われるかって事ばっかり気になって。
同級生に対してもそういうとこありましたね。
嫌でしたけどね本人的には。
中学生になった2人はその後の人生に大きな影響を与える運命の歌に出会います。
小学校を卒業したさだは両親の期待を背負い一人バイオリン修業のために上京します。
家族を離れ下宿先で過ごす夜唯一の楽しみはラジオでした。
そんなある日運命の一曲に出会います。
ポッて流れてきた時にね腰抜けたね。
それで「サウンド・オブ・サイレンス」ってちょうど中学の1年生だから英語の辞書で引くと「沈黙の音」。
あっ沈黙の音ってあるんだって。
こんな哲学的な事を歌謡曲でやるんだっていうショック。
それとこのギターサウンドがまずびっくりした。
このイントロから。
イントロが。
ギターってこんな音するんだ。
すっごいショックだったの覚えてる。
バイオリン修業のため上京したはずなのにギターの魅力に取りつかれたさだ少年。
下宿先のギターを借りて練習を始めます。
憧れは当時大人気だった若大将。
早速まねして弾き始めます。
「君といつまでも」の大バレーコードってこういう…。
人さし指で6弦全部押さえなきゃいけない。
バイオリン弾いてるから全然普通に弾けるの。
ジャ〜ンって鳴る訳。
あっいい音だなと思ってね。
「これがギターだ」と思って「君といつまでも」を一日丸一日歌ってたね。
そしたらコードも覚えちゃってさ。
そうするともう別の曲を作ったんだよねその日に。
親友に翌日聞かせに行ってね。
「昨日さ曲作ったんだけど聴いてよ」。
「えっ昨日初めて弾いたのに?えっ曲作った?何?」。
「ちょっと聴いてくれる?」ってギター借りてって歌ったら「お前は天才だ」って訳。
その「天才だよ!」って喜んでくれた声がね胸に残ってるね今でも。
一方中学生になった箭内。
将来の目標もなく大人の顔色をうかがう日々。
そんな箭内少年の心を唯一熱くさせたのがフォークミュージック。
時は1970年代後半。
吉田拓郎や松山千春などのフォーク歌手が時代を席けんしていました。
僕北海道に行ったんですけど。
一人旅したくて。
いくつの時?中3ですね。
お〜!そのころ中島みゆきさんだったり松山千春さんだったり北海道には何かあるぞっていう感じがあって。
千春さんってどんな所で生まれたんだろうって見たいなと思って。
そのころ僕もギター始めてたんで何かうまくなるような気がしたんですよね何かを感じて。
それで青春18きっぷで。
いいね。
乗り放題なんですよね。
それで夜汽車に飛び乗りたくて。
行く時。
ホームに続く階段の下で待機をして発車のベルが鳴ったとこで駆け上って乗りました。
バカだね。
いや本当バカだと思いますよ。
そういうの全部歌に書いてあるじゃないですか。
「夜汽車に乗ってどこまでも行こう」とか「青函連絡船でたどりつく」とかねそれがやりたくて。
でユースホステルっていうとこに泊まるんですよね。
ユースホステルって一番安くて大学生たちがわ〜って盛り上がっていて。
夜になると大学生の主みたいな人がフォークギターでこれ歌ってるんですよ。
「落陽」を。
何回も何回もみんなで歌ってるからすごくこう僕も「ああいいもんだなあ」って思っちゃって。
でこの歌詞に…帰りは青春18きっぷ捨ててそれに乗りたい。
いいね。
…って思ってサイコロを札幌のデパートで2つ買って。
買って波止場にいるふ頭にいるおじいさんに…。
本当なんですよ。
これうそじゃないです。
渡して「これを俺に下さい」って言って。
いじらしいな。
何か歌のとおりの事がやりたくてしょうがなかった。
中学時代に運命の歌と出会った2人。
しかしその後大きな挫折が待っていました。
バイオリニストになるからと一人上京していたさだ。
多額の学費をかけたにもかかわらず音楽高校の受験に失敗。
両親に顔向けできなくなりました。
失意の中で国学院高校に入学。
当時さだの心を慰めたのはむなしい思いで波止場を眺める情景を歌ったこの歌。
海辺育ちなのね。
僕長崎なんで。
だから海を見るとちょっとホッとするのね今でも。
それもねだだっ広い海だと不安になるけど長崎ってすり鉢の一方が欠けたみたいなそんな町なんだけどこの僅か欠けた所から世界がダ〜ッと入ってきたというのを子どもながらに知ってるから。
しかも中学1年から離れてるとすごい長崎が恋しかった事もあったと思う。
高校時代にこの曲を一日中聴いてたよな。
ちょうどねバイオリンこのままじゃ無理だなって思ってる頃だったね。
っていうのは音楽学生ってすごくお金が要るんですよ。
うちの家計ではちょっと音楽学生育てらんないなって思うところもあって。
だから俺は無理じゃないかなって思い始めた頃だったのね。
高校2年生の終わりから3年生にかけてちょっと僕ノイローゼになってね。
バイオリンを取ったらね何の才能もない。
どうやって生きていけばいいんだろう。
生きていけるんだろうかって恐怖感が一番渦巻いてた頃にやっぱり音楽ばっかり聴いてたね。
逃げてた?逃げてた。
音楽で挫折したはずなのに逃げ場所はやはり音楽でした。
さだは友人に誘われバンド活動を始めます。
そして後にフォークデュオグレープを結成する吉田政美と運命の出会いを果たすのです。
あの当時のバンドってうまいバンドがいくつか集まってその中のうまいやつが集まって別のバンド作るんだよね。
そういうバンドがまたちょっとレベルが上がる訳ね。
そういう中でグレープの吉田と高校時代に出会った。
まさかでも本職になるとは想像もしなかった。
挫折の日々だった。
ちょうどこのころ吉田もねあいつも何かグレてたな。
悪い事した訳じゃないんだけど家にいたがらなかった。
ずっと俺の部屋いたからね。
ず〜っと俺の部屋にいんだよ。
飯を俺が食わせるんだよ。
もう一人杉山ミツルっていうやつがいてこいつもずっと俺の部屋にいたの。
6畳間に男3人。
最低の日々だったね。
このころ「TheDockoftheBay」を聴いてたね。
一方箭内は地元福島県の高校に進学。
バンド活動を始めるもコンテストには落選。
ミュージシャンへの道を諦めます。
ああもう駄目なんだって思ってやっぱりね1週間ぐらい泣いてたですね。
えっ!何か諦めなきゃいけないって諦めるために1週間泣いてなれないって何か自分で分かる瞬間ってあるんですよね。
あっそれは分かる。
指が動かないとか高い声が出ないっていうだけじゃなくね。
分かる。
あっ俺なれないわって思って高校の進路を考える時にみんな何て言うんですかね…「文系にする?理系にする?」みたいな話を2年生になるとみんなするんだけどどっちにも行きたくなかったんです。
行きたくなかった?そう。
文系と理系の何で2つから1つ選ばなきゃいけないんだみたいな。
いろいろ探したら美術大学っていうのが。
美大系だ。
美大。
美大がある。
美大だったら芸大に行こうって思ったんですよ。
そらぁ最高ですよね。
目指したのは日本最難関の東京芸大。
しかし3度受験し失敗します。
心ズタズタの浪人時代。
うろつくように町を歩く。
この歌が箭内の胸に刺さりました。
やっぱりその時に何度も挫折しそうになって…。
この歌を聴いてた。
この歌なんですよね。
僕の中では臥薪嘗胆ソングって呼んでるんですけど。
つらい時にはこれを聴けと。
そうなんですよ。
何かこの歌聴くと「いつか見てろ」っていう気持ちになれてだから「才能ないからやめちゃいなよ」ってみんな優しさでいろんな人が言ってくれるんですけどやっぱりやめろって言われるとやめたくなくなるっていうかね。
いいね〜。
だから「絶対諦めんなよ」って言われたら諦めちゃってたような気がして。
(笑い声)夢は意地でも諦めない。
箭内はこの歌を聴きながら成功した未来の自分を思い描いていました。
夢に挫折しながらも必死で立ち上がろうとする2人。
しかし試練の日々は続きます。
1972年大学生になったさだはふるさと長崎へ帰ります。
アルバイトのし過ぎで肝臓を壊した事がきっかけでした。
すると相棒の吉田もさだを追いかけ長崎へ。
2人はフォークデュオグレープを結成。
地元長崎での活動がレコード会社の目に留まり幸運にもデビューが決まります。
しかし当時2人が目指していた音楽は意外なものでした。
通好みのバンドフロック。
ジャズバイオリニストジェリー・グッドマンを中心にした前衛的なサウンドが売り物。
2人は強烈に憧れます。
ジャズバイオリン弾きがいるっていうだけで全然音楽性が変わっちゃったのね。
いわゆるプログレッシブ・ロックプログレのはしりみたいな。
ピンク・フロイドとかキング・クリムゾンよりもフロックの方が僕らには新しくて刺激的でこういうのやりたいねって吉田と言ってたの。
実はこのフロックっていうのがグレープが目指してたものなの。
しかし時代はフォーク全盛。
2人は売れるために目指すロックサウンドとは正反対の叙情的なフォークを奏でます。
デビュー翌年亡くなったいとこへの思いとふるさとの情景を重ねて描いた「精霊流し」が大ヒット。
その後も「無縁坂」などヒットを重ねます。
しかしこうしたヒット曲によって世間が持つグレープの音楽へのイメージが固定化されていきます。
2人はファンが求める音楽と自分たちがやりたい音楽のはざまで思い悩みます。
「精霊流し」がヒットしなきゃよかったんだけどいやよかったというかヒットしたから今の自分があるからありがたい曲なんだけど大金字塔になっちゃったら何かそこから離れてフロック行ったら裏切り者みたいな感じがしてあえてフォークの汚名を着たね。
しかしさだは相棒の吉田をフォークに引き込んでしまった事には大きな負い目を感じていました。
吉田と一緒に音楽をやるっていう原点がフロックだった訳ね。
むしろ吉田がそっち行きたいだろうなと思って俺と一緒にやってて次に当たったの「無縁坂」だったから「ああこうか」と。
「俺たちはここ求められたか」と。
「ここへ入れって言われたか」と。
違うのに。
吉田道連れにしちゃったなみたいな感じで…。
更にさだを苦しめたのが人気故の多忙な生活。
さだは再び肝臓を壊し黄疸の症状が出るほどになっていました。
結局さだは解散を決意します。
デビューから僅か2年半の事でした。
ここが人生で一番苦しかった。
悔しくて…もう本当に泣くのも悔しいぐらい。
もう泣いたら血が出てくるんじゃないかっていうぐらい悔しかったから…。
最後のコンサート長崎でやったから僕はそのまま長崎に残ったんだけど何か青春が終わったなって思った。
一方3年間の浪人の末ようやく東京芸大のデザイン科に合格した箭内。
しかしいきなり大きな壁にぶつかっていました。
浪人生活が長かったおかげで受験が目標になりその先の未来が描けなくなっていたのです。
やりたい事が見つからないもんもんとした日々。
ある日トップアイドルのこの歌に心を射ぬかれます。
あの…これサビで「人は大人になるたび弱くなるよね」というのがあってきっとみんな自信をなくして迷ってしまう。
そんな時に自分があなたの味方になれたらっていう歌でああこういうふうな仕事がしたいなって思ったんですよね。
広告の世界に行けばミュージシャンになりたかった頃のみんなに何かをメッセージするとかたくさんの人を幸せにするってできるんじゃないかなって思って。
時代はバブル絶頂。
箭内はデザイナーとして大手広告代理店博報堂に入社。
しかしメッセージを伝えようと力み過ぎたせいか売れるデザインが作れない。
芽の出ない日々です。
結構その時は苦しかったですね。
3年たっても芽が出ない。
一年間何にも作んない年もあったぐらいの。
へえ〜!8年ぐらいたってやっと仕事が少しずつ自分らしくできるようになっていったという感じでしたね。
かっこいいデザインを作らなければという強烈なプレッシャー。
今は形にならなくても自分のメッセージにいつか誰かが味方してくれるはず。
祈るような日々でした。
結局箭内はデザインを諦めより自由に広告を作れるCMプランナーへの転向を決意します。
2人がそれぞれの世界で成功した秘けつは誰もやらない方法をとったから。
入社から7年目。
CMプランナーに転向した箭内がまずやった事は金髪にする事。
金髪なのにイマイチだったらすごい恥ずかしいじゃないですか。
アハハハハ追い込んだね。
そうそう。
もう一つは営業パトロールっていってそれは代理店で営業部署があってねそこに何かいい仕事が落ちてないかと。
どんな小さくてもいいですって言って。
それでタワーレコードっていうところの仕事が落ちてたんですよ。
たまたま。
それはすごい大きかった。
タワーレコードにもナイキの「JUSTDOIT.」みたいな何かそんなスローガンというかコーポレートボイス的なものがあったらいいなっていう話をしてくれて。
それが「NOMUSIC,NOLIFE.」。
CDが最も売れた1990年代後半箭内は憧れだった音楽にまつわる広告で初めてのヒット作を生み出します。
人気アーティストが本当に会いたい人と出会った瞬間を描くこのポスター。
ほかでは見せない素の表情が評判を呼び現在までおよそ20年続く箭内の代表作となりました。
ようやく日の目を見た箭内。
CMではトップアーティストを起用し大胆な作品で勝負します。
浜崎さんこれはかなり面白い。
ハイチュウのチュウをネズミのチュウとかけて浜崎あゆみがなんとネズミになるCM。
なかなか企画がOKしてもらえない事を逆手に取ったCM。
一見交通情報のようなCM。
次々と斬新な手法で世間にインパクトを与えます。
快進撃を支えたのは箭内だけのやり方クリエイティブ合気道。
どんなものなのか。
昔合気道のビデオを会社の先輩に見せて頂いてすごい達人のおじいさんがいて指一本で大男をポ〜ンって投げるんですよね。
かっこいいね。
「合気道って何だ?」って思って相手の力を使って遠くに投げ飛ばすんだっていう話を聞いてこれはクリエイティブにも応用できるんじゃないかと思ったんです。
いろいろみんなオーダーがありますよね。
こんなもの作りたい。
あんなふうにしたい。
いろんな思いを聞いてそうじゃないでしょって言うんじゃなくてそれ一回もらってそれ以上のものをその延長線で大きくして返すっていう。
合気道?うん。
だから言う事をそのまま聞くんじゃなくてそれをどれだけ飲み込んで膨らませて相手が喜んでくれるか相手が驚いてくれるかっていう。
子どもの頃から嫌だった人の顔色ばかりうかがう性格。
しかしその性格が箭内をトップクリエイターに押し上げたのです。
その成功へのキーワードはボブ・ディランの代表曲にも使われた「風」という言葉でした。
何が引っ掛かったのかな?一番はやっぱり「風」ですね。
フォークソングの中で多分一番使われてるのが風なんじゃないかな。
僕もよく使う。
そうですよね。
あれはやっぱり風に感じる自由だったりちょっと切なさだったりいろんな事が全部風に入ってて風ってすごい大好きで…。
やっぱり誰かの都合のいい常識っていうものを僕もかなえなきゃというふうに思ってたんですね。
例えば最初デザインってかっこよくてきれいで…。
憧れるよね。
そういうふうじゃなきゃいけないって自分も思ってて。
かっこよくなくても何かいい感じならいいじゃないかとか今までにないものだったら美しくなくても魅力があるかもしれないという事に風が気付かせてくれた…。
自分のやり方を見つけヒットメーカーとしての地位を確立した箭内は2003年大手代理店を辞め独立します。
そしてたった一人で…新たな門出に選んだ言葉は「風」。
ずっと憧れてきた音楽への思いが凝縮されたネーミングでした。
一方グレープ解散から半年迷いながらもやっぱり自分には音楽しかないとさだはソロデビューを決意します。
すると翌年コミカルな歌詞で注目を集めた「雨やどり」がいきなり大ヒットとなります。
そしてその後の音楽活動に最も大きな影響を与える人物と出会います。
クラシックだけでなく映画やテレビのテーマ音楽の作曲も数多く手がけています。
さだの代表曲の一つ「親父の一番長い日」は山本のある言葉がきっかけで生まれました。
あの当時僕何であんなに直純さんにかわいがってもらったんだか今でも分からないんだけど妙にかわいがられたのね。
山本直純ってね天才だったんですよ。
小澤征爾さんが「直純が自分と同じ事してたら自分は恐らく世界に行けなかった」って言うぐらい山本直純はすごくて…。
この人に教わった事は常識なんていうものは誰かの便利のために考えられたもんだ。
だから音楽に常識は邪魔だっていう事は彼は常に言ってた。
だから25分の歌を書けって言われた。
「先生歌は普通3分から5分だって決まってんだ」。
「それはお前テレビとラジオにお前がだまされてんだ。
洗脳されてるんだ。
音楽に時間制限がある方がおかしいだろ!?」って言われて…。
25分には及びませんでしたがさだは12分を超える楽曲を書き上げます。
それは当時の常識を覆すものでした。
そして山本は壮大な間奏のアレンジでさだの思いに応えます。
さだは青春時代に挫折したクラシックの世界に背中を押され新境地を開く事になったのです。
(ハミング)この展開がすごいなと思う。
フルオケのこの間奏を聴いてたらやっぱり涙が出そうになる。
直純さん思い出して。
「直純の音だ!」っていう。
音楽的な事はあの人は体で示したな。
僕が書いたものをアレンジする時に「お前本当はこの構図を持つべきだよ」っていう事をアレンジで示して見せたりしてくれたんで偉大な人だなと今でも思ってるし。
本当力がないと書けないんですよ。
長い歌って。
25分の歌書く力なかったんだね。
僕は…。
精いっぱい長く書いたんだけど12分半だった。
だからいまだに僕は直純の期待に応えてない。
約束を果たしてないなと思ってね。
山本と出会った後さだは世間に衝撃を与える曲を次々と発表していきます。
・「お前を嫁にもらう前に言っておきたい事がある」・「かなりきびしい話もするが」・「俺の本音を聴いておけ」亭主関白という言葉が既に死語となっていた時代に発表した「関白宣言」。
女性差別という非難もありましたが社会現象になり空前の大ヒットを記録します。
・「生涯お前ただ一人」そして日露戦争を題材にした映画の主題歌として書き下ろした「防人の詩」。
命のはかなさを歌いながらも戦争を美化していると物議を醸しました。
さだはこれまで誰も歌ってこなかった事を歌う事で当時の常識を次々と壊していったのです。
・「みんな逝ってしまいますか」冗談半分で…常識を壊す事で成功を手にした2人。
次回最も憧れた人物と運命の出会いを果たします。
2014/09/11(木) 00:00〜00:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「さだまさし×箭内道彦 第1夜」[字][再]
さだまさしと箭内道彦が人生の10曲を語り合う。さだが衝撃を受けたサイモン&ガーファンクル、箭内の人生を変えた吉田拓郎など青春時代に決定的な影響受けた音楽を紹介
詳細情報
番組内容
さだまさしと箭内道彦が人生の10曲を語り合う。思春期のさだが衝撃を受けたサイモン&ガーファンクル、箭内の人生を変えた吉田拓郎「洛陽」▽常識に縛られるな!さだが恩師山本直純の言葉で書き上げた12分半の代表作「親父の一番長い日」。東京芸大在学中に箭内が広告の道に進もうと決めたのは浅香唯の歌う「セシル」の歌詞だった。二人の青春に決定的な影響を与えたヒット曲とエピソードを紹介する▽沢田研二「危険なふたり」
出演者
【出演】さだまさし,箭内道彦,【語り】ヒロ寺平
ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ
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