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静錬のアドゥナフェル

Adunaphel the Quiet

語りますまい
悲しい過去など
詠いますまい
憎しみの詩など
いと高きわらわに何の遺恨がありましょう
さあ、いざわらわの歌に耳傾かれよ
声を上げてはなりません
冷たき肌が、湿った骨が
足下に横臥せし父祖の躯が
そんなにも恐ろしいのと申すのですか
憐れなるかな、卑小なる人の子よ
そなたらが一度は通る道
わらわの前に何の差異などありましょうや


 第7のナズグル、レディ・アドゥナフェル、そう、ただ1人だけ存在する女性のナズグルです。MELEのカード『Adunaphel Unleashed』には手にリュートを持ち、長い黒髪をなびかせた不自然なほど緑泥色の肌(!)の女性が描かれています。彼女こそアドゥナフェル、その在りし日の(?)姿なのです。さあ、その蒼ざめた姿に秘められた過去をご紹介しましょう。

 レディ・アドゥナフェルの誕生は第2紀1823年、ヌメノ―ルはフォロスタル(Forostar)の地でのことでした。ドゥネダインの貴族の家系に生まれ、その一族は地位に伴う広大な領地を島内に所有していました。彼女は幼い子供の頃でさえ奇跡的なまでに美しいとの評判をとり、その美しさは伝説的とまで称されていました。

 彼女は未だ幼い頃、父親の死という不幸に見舞われました。彼は既に老齢だったのですが、その死はアドゥナフェルの心に大きな衝撃を与えました。彼女はこれ以来、常命というものを酷く忌まわしいものと見なすようになり、後には公然とエルフを妬み反する事を主張するようになったのです。彼女は(その母に似ず)ヌメノ―ルの宮廷(当時の王はタル・キルヤタンでした)で、エルフを忌避する1派に加わりました。このころ伯父*1)のアドゥナジル(Adunazil)という人物の勧めに従い、結婚を経験しています。ちなみにこの伯父は、後にモルグル王となるムーラゾールに仕え、その傲慢を助長した人物でもありました。

 彼女は2つの望みを抱いていました。1つめはエルフの呪縛を断ち切り、純血のドゥネダインだけの独立した社会を構築する事。もう1つはヌメノ―ル人の優越を確信するものとして、すべての卑小な人間達の上に君臨する事でした。1914年、彼女は偉大なる島を去り、エンドールに己が王冠を求めて旅立ちました。奇しくもその行動はムーラゾールのそれに酷似したものでした。そしてこの淑女は多くの家臣達と共にウンバールで上陸すると、大ペニンシュラ(Great peninsula)北西部の端ヴァマグ(Vamag)、ハラダリムの言葉で「血の高原」と呼ばれる地に居を定めました。彼女はここに自らの世界の構築を求め、覇業の中心となる要塞を築きました。1939年にはウンバールからハルネン河(River Harnen)を経てハラド近辺にまで、彼女の影響力が広がっていました。最早彼女は北ハラドの事実上の王となったのです。この地に根を張っていた素朴な漁師や遊牧民の支配は容易いものでした。彼女はこの地に強固な交易網を張り巡らせ、ヴァマグの王、“虚栄の”アルド、として知られるようになりました。彼女に国を運営する才が有ったのは確かな事です。そしてその才によって、ウンバールの港と遠ハラド(Far Harad)を支配地に付け加える事に成功しました。

 1987年、ヌメノ―ルがアドゥナフェルに臣従と納税を要求してきた事が転機となりました。ヌメノ―ル王タル・キルヤタンの要求は法の遵守とウンバールからの撤兵でした。もはや説明するまでも無い事ですが、この要求はアドゥナフェルを激怒させ、無礼な“外国”からの干渉に従う道など思いもよらないものでした。しかし国力的にヌメノ―ルの優位は明らかなものでした。彼女はせめてもの妥協点を探るべくアルメネロス(Armenelos)という人物を使節として送りました。かろうじて認められた14年の猶予期間、陰謀と策略が議論を支配しました。

 ここに登場するのが闇の王です。彼はこの西の淑女が、邪悪な目的の道具として有用である事に気づいたのです。彼は過去にアドゥナフェルと矛を交えていた近ハラド(Near Harad)に支配の手を伸ばしました。“虚栄の”アルドへの影響力を得た事で、彼はウンバールでのタル・キルヤタン勢力の展開を遅らせる事に成功したのです。そしてアドゥナフェルの中にエルダ―ルへの憎悪と不死への渇望があることに気づくと、力有る指輪を彼女に提示しました。

 彼女は堕ちました。2001年のことです。

 指輪を受け入れた彼女には、驚くべき変化が表われました。幽鬼と化した彼女は自分本来の姿を失い、代わって黒い鎧をその姿としました。臣下のハラダリムは主に新たな名を冠し、“かっては虚栄に満ちていた”アルド、“静錬の”アドゥナフェルと呼び習わしました。この新たな名は彼女の宮廷を席捲しました。もはやホールに鳴り響く彼女のリュートの音色が、日の出を迎える事は無くなったのです。続く300年間、彼女はヴァマグの王座から、闇の君の忠実な召使の役割から反ヌメノ―ル体制の堅持までの指揮を執りました。

 2280年、彼女はウンバールをドゥネダインの手からもぎ取るべく軍勢を動員しました。その兵力はアドゥナフェル軍の3に対しドゥネダイン軍は1に過ぎず、数の優位は明らかでした。しかしドゥネダインの先鋭は彼女の自信に楔を撃ち込みました。2週間と経たずに彼女の軍は崩れ、空のヴァマグは格好の襲撃の的と化しました。彼女は北方へと逃れましたが、ウンバールは拡大しアルドの王国は古文書の中へと放逐されたのです。アドゥナフェルはハルネンの南州、ルガルルール(Lugarlur)の備えとして、近ハラドの中央に新たな王国を築きました。この後981年間、3261年にアル・ファラゾンの侵攻を迎えるまで、彼女はこの王国を掌握していました。サウロン降伏以降は黒き国に逃げ場を求め、第2紀の終わりまで彼の国に留まりました。ヌメノ―ル没落後はサウロンの元、南方の兵を指揮しています。そして、主が打ち倒されると影の中へと落ちて行きました。

第3紀

 アドゥナフェルは1050年にエンドールに帰還すると、近ハラド、ルガルルールに入り帝国の再建に着手しました。彼女の采配は巧妙を極め、ウンバールの海賊達すら手駒に使い、誰に気取られる事なくその目的に利用していました。後にゴンドールで大疫病が猛威を振るうと、彼の国の見張りは著しく弱体化しました。この期にアドゥナフェルはオスティグラスへと入り、他の幽鬼達と再会を果たしています。“西の淑女”はウーヴァタ、アコーラヒルと共にヌアンに入り、主の帰還に備えて地ならしを行いました。1656年には、彼女は多くの忠実な代理人をこの地に残し、ドワルと交代にオスティグラスに戻っています。1975年の魔王の帰還をもってミナス・イシル強襲の最終準備は成され、2002年にはこの街は闇の手に渡りました。この後アドゥナフェルとカムールはオスティグラス守備の任に戻り、959年間この街で執政の地位を守りつづけました。

 2941年、サウロンはドル・グルドゥアを離れモルドールに帰還しています。その10年後、アドゥナフェルとカムールは冥王より、北方の遺棄された土地と要塞を再占領するよう命を受け、これを実行しました。これ以降この2人はドル・グルドゥアに駐屯し、闇の王の威光をこの暗き森に及ぼしました。

 指輪戦争が勃発すると、この2人はドル・グルドゥアを拠点にエルフの王国へと幾度にも渡って大軍を差し向けましたが、これらの王国を陥落させるには及びませんでした。ほとんど成功目前までいった指輪の探索行にはこの2人も差し向けられ、ここに9人の幽鬼が集結しました。ブルイネンの敗北の後、両名は再びスランドゥイルの王国に軍勢を差し向けています。しかしペレンノール野でのモルドール軍の敗北は、黒の地にあっても2度目の再編成を強いるものでした。アドゥナフェル自身も翼持つおぞましき獣を駆り、大モランノン門前にて自由の民に対しました。しかしこの戦いは短いものでした。鷲達と壮絶な空中戦を演じていた彼女達でしたが、闇の王は遥かに重要な目的に気づき幽鬼達を召還しました。指輪は正にオルドルインの火の飲まれる間際にありました。残っていた8人は南へ、滅びの山へと走りました。しかしこの努力は徒労に終わり、1つの指輪は破壊され、アドゥナフェルは主もろとも影に消えたのです。


 “西の淑女”は狡猾な女性で、1メートル83センチの痩身でした。彼女は極めて美しい女性でしたが、その本性は闇そのもので幾多の男たちの心と望みを引きつけました。彼女は生涯を通して活動的で、黒い鱗金鎧を好んで着用していました。幽鬼の1人となって以来顔が見える兜を捨て、大きなおぞましき海亀の顔に似せた兜にその顔を隠しました。


 *1)原文ではアドゥナジルとの縁故は「Uncle」である。とりあえず「伯父」とした。


from 『Gorgoroth』


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