ホーム

ワウのドワル

Dwar of Waw

始めて受けた傷の痛みを覚えている
血と炎を
身を焦がす憤怒を覚えている
血と炎
それは我が下僕、我が道具
我が復讐に終焉無きことを知るがよい
我に追えなき者の無きを知るがよい
汝が上に安息の無きを知るがよい
傷ついた脚を休める叢で
乾いた喉を潤す泉で
焼けた身体を憩わす木陰で
我が猟犬の到るを知るがよい


 ワウのドワル、第3のナズグル。METWでは狼、蜘蛛、動物の戦闘力を上昇させる能力を与えられています。その頭に狼の意匠を掲げた彼の生涯はやはり獣達と共にありました。ここでは獣使いにして復讐者でもあった彼の生を紹介ましょう。

 後に第3のナズグルとして知られることになるデンドラ・ドワル(Dendra Dwar)は第2紀1949年、ウォーリム(Wolim)の漁師デンドラ・ウィムとその妻オンブリルの間に生まれました。彼の人生は苦悩に満ちた始まりを迎えました。彼を世に生み出すのと引き換えに、その母は命を落としたのです。その境遇ゆえ、少年を取り巻く環境は厳しいものとなりました。7歳で働きに出された上、常に母の死という重荷を背負っていたのです。

 彼の故郷ワウは、まがりなりにも独立を貫いていたのでしたが1965年に状況は劇的に変化しました。ヘントのケプラー(K'prur of Hent)がワウに上陸し、ホルム(Horm)の彼の街を焼き払ったのです。ケプラーの軍は無慈悲にウォーリムの漁船を沈め、住人を狩りたてました。ドワルとその兄ドウェム、そして父ウィムの3人は島の西側にあった洞穴に逃げこみました。数週間後、ドワルの父は逃走時に受けた傷が元で息を引き取りました。若きドワルは激怒に駆られ、故郷と父の仇を取ることに生涯を奉げると誓ったのです。ドワルは北へと舟を出し、本島のウォル(Wol)を目指しました。ウォーリム族は元々好戦的な性格で知られた一族です。ドワルは、本土の親戚筋の中で敵を打ち負かす手段を学べるだろうと目論んでいたのです。実際、彼はウォーリムの軍に入隊すると、見る見る内に頭角を現し始めました。多くの戦法を学んだ彼は、覚えの良い生徒として、又、強い戦士であるとして名声を勝ち取りました。彼と獣の交流はここから始まります。軍の斥候となった彼に、屈強な戦闘猟犬が与えられたのです。ウォーリムの敵と闘うよう訓練されたこの猟犬達と彼は共に戦うようになりました。

 大きな力を手に入れた彼でしたが、この程度では十分ではないと感じていました。これまでに得た追跡の技術では復讐を完遂するにはいかにも力不足に思えたのです。1969年、呪術がこの不足を埋めてくれるのではないかと考え、その古き門を叩きました。呪術(Embra)の技を学ぶ毎に、彼はこれこそ自分に相応しい力であるとの確信を深めていきました。

 1980年、傘下にワウの分遣隊を迎えたドワルは“犬の王”として歴史の表舞台に立ちました。彼はアルク・ワウ(Alk Waw)の砦を強襲し、ケプラーの支配下にあったこの砦を奪還しました。追い詰められたケプラーは激しい報復戦を仕掛けてきましたが、彼の呪術と猟犬の軍勢は1年以上も持ちこたえました。この間、ドワルはゆっくりと軍勢を増強し、1982年に反撃に出ました。彼は人間と2千近い猟犬の軍勢を送り出し、1月とかからずに島全体を征服したのです。彼は島の古き会議の召集を拒み、自ら島の上級王として起ちました。ここにワウは鋼の拳持つ犬王の下に統治される犬の島となりました。しかしこれでも彼の復讐心は満たされなかったのです。彼は東方で最も強大な帝国の1つを築き上げると、周囲の島々に服従を迫りました。ウォル(Wol)に、ブロード(Brod)に、キーモニエノール(Cimonienor)に、そして、特にヘントに。ワウには強大な艦隊が用意されました。1998年、これらすべての国々がドワルの要求を飲み、その支配下に降りました。

 デンドラ・ドワルが“消失”した時、彼を長らく満たしていた復讐心は、貧慾と憎悪に変じていました。彼は不死の誘惑に屈し、モルドールのサウロンから力の指輪を受け取っていたのです。かの冥王の意を受け不死の下僕となって以来、ドワルは文字どおり人々の前から姿を消しました。これによって、彼の甥であるデンドラ・スウィプが新たに犬王のマントを継ぎました。しかしその伯父は影から「自分の」王国を支配したままであったのです。この状態は252年間にも及び、アルク・ワウの塔には不吉な影が蠢き続けました。結局、ワウは2250年にドワルがモルドールに居を移すまで、戦乱の絶えぬ国であり続けたのです。

 2250年から3262年まで、ドワルはバラド・ドゥアで獰猛なモルドールの狼達に訓練を施しました。冥王がヌメノールに降伏すると、彼はワウに帰還し、この地にしばしの間留まり続けました。ヌメノールが没落するとドワルはモルドールに復帰し、猟犬達の訓練を再開しました。ヌメノールの後継者であるアルノールとゴンドールとの戦争に備える為、彼の力が必要だったのです。猟犬達は「最後の同盟」の戦いにおいて獰猛な戦い振りを見せました。しかし敵軍はあまりに強大であり、冥王の軍は敗北を喫しました。ドワルも主の没落と共に、影の中へと消えたのです。

第3紀

 彼の帰還は1051年の事でした。しばしドル・グルドゥアに留まった後、彼は東に飛びワウへと戻りました。かの地にて彼は住人達を煽動し、ローカス・ドラス(Lochas Drus)に叛旗を翻させました。続く589年の間、犬王は独立を取り戻した犬の島にて絶対の支配者としてワウに君臨しました。犬王の再度の召還は1640年のことです。オスティグラスにて他の幽鬼達と合流すると、バラド・セレグ(Barad Sereg)で準備を整え、1656年にはモランノンの黒門を再占領しました。2000年までかの地を護り、1975年にオスティグラスに入ったモルグル王とも連絡を取っていました。彼と旗下の軍はゴルゴロスの軍と合流し、2000年にミナス・イシルの大理石の都を襲いました。2年後の2002年に陥落させると、犬王はモランノンとミナス・モルグルを往復するようになりました。

 2063年、犬王はサウロンと共に東に赴き、アラタールとパルランド(ガンダルフ等と同じ魔法使です)の施した影響を打ち払う為に闘ったといいます。犬王は、共闘する2人の青き魔法使を序々に侵していったのですが、完全に打ち破るには到らなかったようです。

 2941年には自ら居と定めたミナス・モルグルに姿を現しています。指輪戦争勃発の前、モランノンに移り、そこから他のナズグル共々指輪の探索に発ったのです。彼等は黒き馬を駆り、アンデュインの谷間からエリアドール中をくまなく捜し、指輪の回収まで後1歩のところまで迫りました。ブルイネンでの失敗の後、モルドールにておぞましき獣を授けられた犬王は再び、今度は空より指輪の捜索を続けました。2度目の捜索では成果はあげられませんでした。犬王はモランノンに戻り、ゴルゴロスの軍を指揮しました。この地での戦いでは、残り7人のナズグルと共におぞましき獣にうち跨り、鷲達との戦いに挑みました。戦いの最中、指輪所持者の旅は完遂され、1つの指輪の崩壊と共に、彼もまた滅びを迎えました。


 ドワルはウォーリムにしては長身で、6フィート4インチ(約1メートル93センチ)、がっちりした体格、ハシバミ色の目とワウの特徴でもある血色の良い肌色の持ち主でした。彼は、その猟犬と同じ色の鋼で補強された長衣を纏っていました。その兜は犬のイメージを特化させた狼の意匠で飾られ、魔法の力が込められていました。


from 『Gorgoroth』


戻る