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東夷のカムール

Khamul the Eastrling

我等は西風に耐えている
星月の煌きに
彼方より出でし真白き仄光に
西風の翼に耐えている
然れども我が身を屈するにあたわず

影闇の内に我等は棲まん
彼処より遥けき此方へ
猛き風を贈らん
我等の相出遭う時こそ禍なるべし


 東夷、彼等は『指輪物語』中では専ら冥王配下の一派として登場し、その文化的背景にはほとんど触れられていません。そのためか彼等は、やもすれば未開の蛮族のようなイメージでとらえられがちです。が、もちろんそれは間違いです。彼等もまた何千年にも及ぶ歴史を背負った誇り高い民であり、ゴンドールを脅かす力を持った一大勢力なのです。さて、その東夷達の中でも特に秀でた一族があります。西方でドゥネダインが支配的な立場に立ったように、東方にはウォマウ(Womaw)と呼ばれる一派が起ったのです。彼等はエルフから智恵と数々の神秘を学び、またその血筋にはエルダールの血が流れていたのです(!)。そう、ウォマウは東方に花開いた“もう一つのドゥネダイン”に他なりません。広大な中つ国の西と東に分れた高貴な人々、ドゥネダインとウォマウはお互いの鏡像であり、ならば彼等が相争うのは必然であったのかも知れません。第2紀の中頃、そのウォマウに1人の卓越した王族が誕生しました。彼は誕生の時から闇の王に見初められた逸材であり、冥王は長い年月をかけて彼を篭絡したのです。さあ、第2のナズグル、東夷のカムールをご紹介致しましょう。

 カムールは元の名をコムール1世といい、その誕生は第2紀1744年、東エンドールはリーグ・ゴーク(Laeg Goak)での事でした。彼はウォマウの超権司(Hionvor)であるムール・タヌール(Mul Tanul)の長子という高貴な立場に生まれ、王の側近でエルフのダルダリアン(Dardarian/彼女は後にコムール1世に助言者として仕え、第2紀1844年には彼を王座へと導く事になります)に教育されて育ちました。ウォマワス・ドラスの王の元、ダルダリアンの影響を受けながら育った彼の外界を見る目は、いささか偏ったものとなり、不死を切望する欲が植え付けられていきました。彼の家系にはエルフの血が流れていたのですが、それは彼に不死を約束するものではなく、一族の寿命を「多少」延ばしたに過ぎなかったのです。

 アヴァラダン(Avaradan/半エルフ)の王家が君臨するウォマウの王国は、東エンドールにおいて最強の国力を誇っていました。王達が長寿である事に加え、策略に秀で失敗を犯すことがなかったからです。その巧みな手腕によって、王家の血統は強靭さを失う事はなかったのです。

 コムールの成長にエルフの影響が大きかった事は既に述べましたが、これは彼1人が特別な境遇にあった訳ではなく、ウォマウの多くの人々がアヴァール(Avar/エルフの種族の一つ)に教えを乞い、彼等は森とその神秘の技に通じていたのです。ウォマウはヌメノールのエダイン達と同じ幹から別れたもう一本の枝と言えます。彼等の政治力も軍事力も極めて洗練されたものであり、その実力は周囲の国々を圧していました。ヌメノールとウォマウの出会いが、ウォマウにとって最大の試練となったことは皮肉としか言いようがありません。

 ドゥネダインがウォマウに交易拠点を築いたのは1900年のことです。それ以来、正にコムール1世の眼前で、彼自身が下した法が捨て去られ、自身の物であった筈の民草がヌメノールの使節に篭絡されていくこととなったのです。遥か西方からの影響力は年毎に増加し、ウォマワス・ドラス南部の国境付近を中心に東方への支配力を強めていきました。西方人はいくつもの植民地を築き、そこを武装化しては領土の割譲を求める圧力をかけました。1994年には超権司の法は瓦解し、多くのウォマウ領主の忠誠は王の元から離れていました。コムールは、追い詰められたのです。

 彼の、否、かつては彼の物であった王国が崩壊への道をたどると、コムールの目は自然と唯一の支持者へ、つまりダルダリアンへと注がれるようになりました。偶然にも彼が、この義母と日の出の島(Isle of sunrise)で出会った時、それが彼の転機となりました。彼女は、美と威厳で彼を誘い、その不死性を顕わにしました。コムールは持ち上げられ、そして突き放され、不死性への渇望は頂点に達しました。彼はダルダリアンに請われるまま、ヘルカネンのアヴァリの王国(Avar Kingdom of Helkanen)、つまりダルダリアンの故国とウォマワス・ドラスとの間に同盟を結ぶ事を承諾しました。この後ろ盾を得た彼は、1年後にはヌメノールに譲歩を迫り、ドゥネダインの領土拡張の意志を挫くことに成功します。この協定は彼に多くの利をもたらし、ウォマウの王国の崩壊は避けられました。しかし不幸にして、この時すでに国民の支えたる超権司の没落は避け得ぬところまで迫っていたのです。

 ダルダリアンは、もう遥か昔からモルドールのサウロンに仕える身であり、コムールを悪に落とすことは闇の御方の計画の一部だったのです。1996年、彼女はウォマウの王に不死性を授ける品をもたらしました。つまり、九つの指輪の一つを…。こうして、東方の王は指輪王へと降ったのです。

 コムールの東方における支配は、こうして唐突に終焉を迎えました。1997年初春、彼は自らの民の前から姿を消しました。この超権司の(見せかけの)失踪により、ウォマウの王座は血まみれの継承闘争の的と化しました。暗殺、間諜、そして陰謀が、かつては平和だったウォマウの宮廷を席捲しました。王国にコムールの力が残っていることを思えば滑稽なことですが、当地では、ヌメノールの後ろ盾を得たコムールの従兄弟アオン(Aon)を首座に頂く一団のために、彼は王座を追われたと理解されました。コムールはこの風評に対して何の行動も起こしませんでした。ただ、遠き故郷の宮廷に復讐を誓う以外には、何も。

 1997年から3年の間、コムールは目に見える活動を残していません。次に彼が歴史の表舞台に立つのは2000年のことで、黒の塔の門前に現れた一騎の黒衣がそれでした。その者の名はカムール、それは「コムール」を黒き言葉で発音した名でした。彼はバラド・ドゥアの指揮を任され、獄門の主と称せられました。

 彼は黒の塔の運営に手腕を発揮し、怜悧な指揮官であることを見せつけました。3262年に、彼の主がヌメノール王アル・ファラゾンに拘束されると、カムールは東へと発ちました。彼はシャイ(Shay)の地に入り込むと巧妙に邪悪な意を広め、当地の5つの部族の連携を引き裂いていきました。3319年、再び彼は黒の国へと帰還しましたが、その従者達がカムールの意を引き継ぎ、3400年には3つの部族を闇に隷属させることに成功しました。

 “最後の同盟”戦の間、この“龍王”は東ヌアンのラグ・グルズム(Lug Ghurzum/闇の国の砦の意)に入り、機を窺っていました。イシリアンへの攻撃が始まった時にも彼は動かず、エルフと人の同盟がウドゥン中央へと侵攻してきた時始めてこの大戦に姿を見せたのです。彼は騎馬にてヌアンの山峡を越え、放棄されたオスティグラスを横目に、バラド・ドゥアが同盟の包囲を受ける前夜に、この黒き塔に忍び入りました。3441年、黒の塔が陥落した年、カムールは主と共に前線に現れ、エルフの諸将に挑戦しました。この黒き野伏は恐るべき戦技の冴えを見せ、彼の前に立ち居でたエルフ達は、その多くが滅びを迎えました。しかし、彼の主が倒れ、イシルドゥアがサウロンの指輪を切り取ると、カムールの全ては虚しくなり、薄闇の中へと転落していきました。

第3紀

 カムールの雌伏は1050年まで続きましたが、この年に中つ国への帰還を果たすと、ドル・グルドゥアにて彼の主の元に帰参しました。サウロンはこの地に“死人占い師”として潜伏し、かって己が物だったおぞましい力を取り返すべく暗躍を始めたのです。1300年にはアルノールのドゥネダインに滅びを与えるべく、ナズグルの首座たる“妖術王”が北へと発ち、アングマールの魔王国を興すと、かの地に戦乱をもたらしました。その同じ年、“兄弟”の出立と同時に、カムールもまた発ちました。その行く先はモルドール南東、風の山脈(Mountains of Wind)はサートアンドマング(Sart and Mang)の城砦でした。この地には東方へと落ちた2人のイスタリ、アラタールとパルランドが在ったのです。カムールは同じくナズグルの1人“ワウのドワル”と共謀し、この強敵の圧力に対抗しました。ナズグル達はこの地を完全に支配するには到らなかったものの、邪悪の勢力はこの地に確とした基盤を築く事には成功したのです。

 1635年、闇の王はカムールをドル・グルドゥアに呼び戻しました。冥王の次なる一撃の始まりでした。1640年、モルドールの見張りは失われ、カムールは以下7名の幽鬼を引き連れて闇の国へと入り、主の帰還に備える事となりました。この8名はオスティグラスの廃墟にて談合し、カムールはドワルと共にこの“血の街”に残り、軍の再編及びグースラグ(Gurthlug)の先鞭を引き継ぎ、砦の再建を続ける事となりました。

 2063年の初頭に、彼はミナス・モルグルへと居を移すのですが、それまではオスティグラスの総大将として鋼の手腕を振るいました。そしてその後、カムールはかっての故郷へと帰還しました。千年前の誓いを成就すべく…。

 カムールは己が父祖の地を血と暴力で蹂躙し、遂にはウォマウを崩壊へと追いやり、2400年に首都のあるゴーク(Goak)の地に入城しました。ここに彼は復讐を成し遂げ、再びこの地を支配下に置きました。彼のミナス・モルグルへの帰還は2460年のことで、これは主の帰還と同じ年でした。ウォマス・ドラスには、サウロンの忠実なる下僕が可能な限りの数で残され、闇の支配はそれ以降も維持されました。

 彼にはミナス・モルグルとドル・グルドゥア間の使者としての役割が与えられ、古巣であるオスティグラスに立ち寄る事さえ稀な身となりました。ドワーフ王スライン2世を捕縛したのは、正にこの任務中のことです。この老ドワーフはドル・グルドゥアの獄に繋がれました。カムールは、彼から“ドワーフの力の指輪”を取り上げ、5年(2845〜2850年)の長きに渡って拷問を加え続けました。しかしそれでも頑堅なドワーフから十分な情報を引き出す事はできませんでした。一方スライン2世は、命永らえることに成功したのです―“自由の民の要人”ガンダルフが、エレボールのすぐ近くに到着するその時まで。

 カムールは、魔法使いのドル・グルドゥアへの侵入を許し、ましてや脱出までも遂げられたという2重の失態を演じ、ドワーフから搾り取った情報の無用性も併せて、闇の王の怒りを一身に受ける立場となりました。しかし、サウロンのカムールへの評価は非常にささやかな(あるいは、ほとんど何の影響もない)変化しか見せませんでした。彼は邪悪なる王に仕える数多の者達の中でも、4本の指に入る実力者で在り続けたのです。

 2941年、サウロンとカムールは、白の会議から痛烈な攻勢をかけられると、ドル・グルドゥアを放棄してモルドールへと移りました。彼の主がその本拠地に入るまで、この第2位のナズグルはモルドールの高みよりロヴァニオンとロリエンの見張りを続けていました。2951年にサウロンはその邪悪な意志と共に、遂に公然とその姿を現しました。カムールはアドゥナフェル(第7位のナズグル)と共にドル・グルドゥアに赴き、再び闇の勢力を解き放つと、要塞として再建しました。その後、ドル・グルドゥアから闇の王への連絡役はウーヴァタ(第9位のナズグルで、カムールの最も信頼する公使でした)が努めました。闇の森南部を押えるこの2人は、西軍への攻撃を仕掛けるべく、軍の編成に力を注ぎました。

 3018年初頭、カムールとアドゥナフェルはドル・グルドゥア駐屯軍を率いて、闇の森北にあるスランドゥイル王の治めるエルフの王国へと、攻撃を仕掛けました。カムールの軍は甚だしい狂暴性を発揮してシルヴァンエルフ達を攻め立てましたが、エルフ達は巧みに攻撃をかわし、結局大きな成果を上げる事は叶いませんでした。しかしこの攻撃は陽動に過ぎなかったのです。幽鬼達に与えられた本当の任務は、別にありました。

 カムールとアドゥナフェルは、アンドゥインの谷間で他の7名と合流しました。そう、主の指輪の探索こそ、彼等の真の使命だったのです。彼等は“輝く原”から、最終的にはエリアドールへと探索を続けました。カムールの腕は、正に直接指輪に触れる寸前まで届いたのです…が、ホビットは辛くも幽鬼達の支配から逃げおおせたのです。避け谷の浅瀬での敗北の後、カムールはアドゥナフェルと共にドル・グルドゥアに戻り、軍の再編と再戦の準備にかかりました。そして幽鬼達は再編成った軍を率い、再び北闇の森およびロリアンのエルフの王国を強襲したのです。この攻撃では、彼等に利は薄く、エルフの軍に敗北を喫します。2騎の幽鬼達は、味方の敗北を前に(時期的にはモランノンの戦いの前です)モルドールに戻りました。

 彼等の不在の最中、ナズグルの第1位たる妖術王は、ペレンノールの野において、ローハンのエオウィンの手によって打ち倒されていました。かくして残った東夷は、指輪の幽鬼の中で最も力ある者となったのです。カムールは大きなおぞましき獣を駆り、彼に続くナズグル達を率いて、自由の民の軍を襲いました。そして鷲達が飛来すると、この雄敵に迎いました。カムールの前には鷲の王たるグワイヒア自身が現れ、幽鬼の王に挑戦してきました。

 戦いの中、カムールは突如退却を迫られました。闇の王が、彼等恐るべき乗り手達の力を切に欲したのです。滅びの山に潜入した、1つの指輪を手にしたフロド・バキンズを止める為に。しかし彼等は間に合いませんでした。それはつまり、カムールの滅びを意味していました。1つの指輪は破壊され、ナズグル達は主もろともエアから放逐されたのです。


 幽鬼の世界に足を踏み入れるまでは、カムールは見目良い男でした。身長1メートル90センチ、体重89キロ、青灰色の目と明るい肌、そして黒髪を長く伸ばしていました。これらの特徴はウォマウの高貴な血の顕われであり、ドゥネダインのそれとも共通するものでした。彼に冠せられた名である“龍王(Dragon Lord)”とは、己が民から与えられたもので、愛用していた龍皮の鎧に由来します。彼は追跡者として際立った才の持ち主で、ウォマウの中でもナズグルの内にも、肩を並べる得る者は居りませんでした。彼の力は非常に有用なものであり、指輪王への忠誠も加わって、彼の王にとって非常に有益であることを証明したのです。


from 『Gorgoroth』


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