コールセンター (cache) little soul cafe     リトル ソウル カフェ 下北沢のSOUL BAR    (ソウル バー)        :NAS Come back to Little Soul Cafe

2014年09月30日

nas little soul cafe


先日の Starfes に出演のため来日していたラッパーの NAS が、今年もリトルソウルカフェにやってきました(数日前の話)。昨年も2日続けて遊びに来てくれたとはいえ、下北沢のこんな小さなレコード酒場のことを頭のどこか片隅に覚えていてくれたと考えると、なんともうれしいもの。今年はボディーガード?含め人数がわりと多かったので自分としては気分は少し楽、というのは働く側の人間にしか分らない心理なんだけれど、体格のいいリアル N.Y. の人達相手にソウルバーのレコード係の任務が今年も遂行されることに。
いつもどおり曲を手探りであれこれ選んでかけていくことにしますが、週末の疲れもあって思考回路がどよ〜んと休日モードのせいでリズムにうまく乗れないなというのはこちら側の話でありましたが、Facts Of Life なんかを流すと、すぐに Bobby Womack と叫んで反応してくれる Nas の姿を見て、ようやく血の巡りがよくなってきた感じ。こんな小さなハコでもお店の雰囲気はオーディエンスと一緒になって作り出すものなんて書くと他人任せな無責任な奴となるけど、反応があると素直にうれしいものだし頭の回転速度も速くなる。7月のニューオリンズのエッセンス・フェスで NAS の生ステージを見た時の様子をライターの林剛さんから聞いていて、登場の際は Gladys バージョンの The Makings Of You が流れていたよ、なんて話を思い出して、その曲を投げてみると、立ち上がってポーズをとって大喜びの様子。何をやっていたのか確認したかったけど、この曲は2分20秒しかないのでぼやぼやしていられない。NASという人はもちろんヒップ・ホップ界のスーパースターで、自分もその成長過程を目の当たりにして大人になった人間ですが、いったんは日本人から見た、対 N.Y.ヒップホップという感覚は取り去って、彼らの生活習慣における純粋な黒人音楽という次元に思考を戻すのは言うまでもありません。同じカーティス系サントラつながりの正攻法で Let's Do It Again を流すのはお約束。聞きたい曲があったら気軽に声を掛けてねのこちらの対応は、昨年は様子をみられていたけど、今年はすぐにレスポンスあり。Ohio Players の即返答で、すぐに Heaven Must Be Like This なんだろうなと察知するのはソウルバーを長くやってればこその直感だけど、違っているとよくないので念のため、どのトラックなの、と確認するとやはりその回答。70年代ファンクバンドによる艶めかしいグルーヴが、高級葉巻の煙が充満するスモーキーな店内に忍び寄るさまは、当時の黒人街にタイムスリップした錯覚に。体臭から滲み出る様なメローな音の粒の肌触り、この辺のフィリーングというのは今もなお黒人音楽の根底に無意識に埋め込まれているのだけれど、このグルーヴの美意識が今の日本人には難しい感覚だったりするのかなともふと頭をよぎった。
2時間半くらいの滞在で、かけたのは70年代のスロージャムが多かったかもしれない。80〜90年代古典も含めいろいろかけてみたかったけど、余計なことはしないほうがいいなと無難な路線でいったのはレコード係としてのこちらの組み立てがうまくいかなかっただけかもしれない。曲によっての反応はまちまちなので、本人の中でどのように古典が根付いているのかをチラ見できたのと、ヒップホップ作品に反映されているかをあれこれ妄想するにはいい機会でした。
ちょうど、本人のドキュメンタリー映画「Time Is Illmatic」が公開中の時期ということで、数週間前に配給会社さんから販促グッズ一式をいただいており、その中にポスターもあってたまたまお店に貼ってあったのを本人が発見。たいそう喜んでくれて自らサインするよと言って気分よく書いてもらえたのはラッキーでした。サインは去年もらったので今年もお願いするのはあつかましいなと思って控えていたところでしたので。近寄りがたいオーラなのは相変わらずだけど、今年は昨年よりもフレンドリーで終始ご機嫌な様子。帰り際には二人で肩を組んで写真を撮ろうといってくれて、黒人スタッフのカメラに収まることに。
さっきも書いたけど、NAS はヒップホップの人で、Starfes でのステージを観て皆様が感じたであろう伝説のラッパーであり、今の時代を生きる現在進行形のアーティストに間違いない。だけどその裏側ではフィラデルフィア・サウンドが奏でるコーラスグループの美しい名曲に愛着をもち、レコードにあわせて歌っていたりする、なんて姿は日本にいて感じるナスのイメージとは程遠いけど、やはり黒人の音楽というのは時代の変化に対応しながら形が進化、発展しても、昔からの伝統や流儀というものに対する尊敬のもと成り立っているものと少なからず体感するには十分な時間でありました。クラッシックに対する感覚というのは実際はどうなのかは分らないし、NAS や黒人アーティストがどう感じているのかは分らないものだけど、個人的には正確な答えなんてのにそれほど執着しないのは、英語や文化がすらすら分るアメリカ人でもなければ、黒人でもなければ、70年代の生活をリアルタイムで接した人間でもないからであり、日本人ならではのいろいろな勘違いや、もしかしたらこうなのかもしれない、ああなのかもしれないというごく小さな思いをちり積もらせながら、今後も古い黒人音楽やレコードへの憧れや謎解きが行われていく原動力となり、そして育まれていくものですから。

(21:00)

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