常に相手の立場を思いやる
飾らない人柄、常に相手の立場や事情を思いやり、親身になって考え、行動する小倉氏の姿は、ロンドン駐在中のイングランド・サッカー界の人々とのやりとりを通じて多くの人の信頼を受け、以後の日本とイングランドのサッカー交流に大きな力となった。
87年に6年間のイングランド駐在を終えて帰国、翌88年には古河電工サッカー部の部長として日本サッカーリーグの「リーグ活性化委員会」委員長に就任する。この委員会こそ、後のJリーグにつながる直接的な意思決定機関だった。その課程で、小倉氏のプロクラブ運営に対する知識、国際的な感覚が大きな役割を果たしたことは論を待たない。
FIFA功労賞を受賞
その後日本サッカー協会の専務理事に就任、2002年ワールドカップの招致活動に専念し、世界中を飛び回った。94年にアジアサッカー連盟(AFC)の理事に就任、02年には日本サッカー協会の副会長になるとともに国際サッカー連盟(FIFA)理事に就任して「国際派」としての幅をさらに広げた。
長年の功績を認められ、10年には「FIFA功労賞」を授与されている。日本人としては、長年アジアのサッカーの発展に貢献した藤田静夫氏(第6代日本サッカー協会会長、故人)、Jリーグの成功でアジアのプロサッカー発展を主導した川淵三郎氏(第10代日本サッカー協会会長)に次ぎ、3人目の受賞だった。
93年のJリーグスタート以来、日本のサッカーは「右肩上がり」の成長を続けてきた。98年には初めてワールドカップ出場を達成、02年には韓国との共同開催ながらワールドカップのホスト国となり、高い評価も得た。日本代表への関心は高まる一方で、日本サッカー協会の財政規模も大きくふくらんだ。
ワールドカップ・ブラジル大会の日本代表23人のうち、16人が五輪出場経験者だった。1996年のアトランタ大会で28年ぶりの五輪出場を果たし、以後5大会連続して出場してきたことが、ワールドカップに向け…続き (9/26)
「選手たち全員のパフォーマンスに満足している。ピッチの中でも外でも良かったと思う。しかし、これからたくさんの仕事をしなければならない」
「より固い守備ができなければならない。2試合で4失点は多すぎる…続き (9/12)
「ゼロからのスタート」。28日、自身最初の日本代表メンバー発表記者会見に臨んだハビエル・アギーレ監督の口からは、再三この言葉が出た。
「若手なのかベテランなのか、初招集なのかすでに代表でプレーしたこ…続き (8/30)
| C大阪 | 1 (終了) 0 | 浦和 |
|---|---|---|
| F東京 | 4 (終了) 0 | 柏 |
| G大阪 | 4 (終了) 1 | 鳥栖 |
| 川崎 | 1 (終了) 1 | 仙台 |
| 名古屋 | 0 (終了) 1 | 新潟 |
| 大宮 | 2 (終了) 1 | 清水 |
| 広島 | 1 (終了) 1 | 神戸 |
| 徳島 | 0 (終了) 5 | 鹿島 |
| 横浜M | 0 (終了) 0 | 甲府 |
| 新潟 | 0 (終了) 2 | 浦和 |
|---|---|---|
| C大阪 | 1 (終了) 2 | 名古屋 |
| F東京 | 4 (終了) 0 | 徳島 |
| 柏 | 2 (終了) 0 | 鳥栖 |
| 大宮 | 1 (終了) 3 | 川崎 |
| 清水 | 0 (終了) 3 | G大阪 |
| 甲府 | 2 (終了) 0 | 神戸 |
| 仙台 | 0 (終了) 1 | 鹿島 |
| 横浜M | 1 (終了) 0 | 広島 |
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