先日友人(エリートサラリーマン一家生まれの大手インフラ企業勤務)に、現代日本の抱える貧困について愚痴を漏らしたところ
「でもアフリカの飢餓よりマシだろ?それに比べたら日本は豊かじゃん」
と真顔で、何の屈託もない顔で言われた。
経済上の理由で高校を中退した子供の話をしていた時にである。
もう、いい加減にしてほしい。
この「アフリカよりマシ」という論法、なんでこんなに流行ってるんだろう。それが反論になると本気で思ってるんだろうか。
確かにアフリカの一部の最貧国では、飢餓や疫病でで多くの人間の生命が危険に晒されている。それはわかる。悲劇だと思う。
でも、そのアフリカの現状に、こういう反論をする馬鹿は果たしているだろうか。
「でも旧石器時代よりマシだろ?それに比べたら21世紀の人類は豊かじゃん」
なるほど。旧石器時代の平均寿命は20代中盤だ。それに比べてアフリカの最貧国は平均年齢40代以上、ゆうに2倍である。運が良ければ国際支援団体が食べ物や薬を持ってきてくれる。旧石器時代ではそんなことありえない。なるほど!アフリカの最貧国は恵まれてるんだぁ!
こんな馬鹿な反論が成り立つだろうか。
ちなみに旧石器時代時代の困難な生活だって、比較対象を変えれば正当化することができる。
「でも猿よりマシだろ?それに比べたら旧石器時代の人類は豊かじゃん」
火や道具を持たない猿と旧石器時代の人類なら、その身に降り注ぐ困難と死亡率は圧倒的に人類の方がマシである。ならばこそアフリカで発生したホモサピエンスは全世界にその版図を広げられたわけだ。なるほど!旧石器時代の人類って恵まれてるんだ!猿よりマシだもんね。
でも猿だって生きる困難さのトップに立つことはできない。
「でも原生生物よりマシだろ?幼体が成体に成長できる確率は何千倍もあるじゃん。原生生物に比べたら猿は豊かだよね」
いい加減にしろ。
貧困問題ってのは、そういうもんじゃないんだ。何かと比較してそれよりマシとかそれより酷いとか、そういうもんじゃない。
貧困問題ってのは、今目の前にある、同じ血肉を持った人間の苦しみを、果たして「良し」とすべきかどうか、そういうところにあるんだ。
経済上の理由で高校に行けず、何の希望もなくフリーターとして働いている10代の子供の苦しみを、お前は「良し」とするのか?
問われてるのはそこなんだよ。アフリカの人間なんか何の関係もない。
今この瞬間から、日本の貧困問題で「アフリカ」ってワードのは未来永劫禁止だ。破った奴は旧石器時代の人類さんに打製石器でぶん殴ってもらうから、覚えておけよ。
コメント
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彼らが「現代の日本人」と「現代のアフリカの人」を比較するのは、「同時代の、同じ人間という動物である」という巨大な前提があるから。「時代も生物的分類も同じなのに、違うのはおかしい」という意味で彼らは言う。
彼らは「旧石器時代なんて昔の話じゃん」「猿は猿。人間は人間」と思っているので、その例を出してもあまり意味がない。彼らにとってはまったく違う話。
>貧困問題ってのは、今目の前にある、同じ血肉を持った人間の苦しみを、果たして「良し」とすべきかどうか、そういうところにあるんだ。
と、書いているけれども、彼らにとっては貧困の日本人も貧困のアフリカの人もおそらく自分からは同じ距離であって、「どちらも目の前にいるように思えて可哀想」か、「どちらも目の前にいないから可哀想でない」という感じなのではないかな…。もしかしたら突っ込むべきはそこなのかも。「想像力の遠近感」みたいなものが、妙なんだよな…。
そういう遠近感の人は、あるていど論理把握能力的には狂っていそうなので、もしかしたらこの旧石器時代論法に騙されてくれるのかもしれないけど、たぶん根本的な理解はしてくれない。
今目の前にある、同じ血肉を持った人間の苦しみ。
世の中にはアフリカだろうが日本だろうが等しく目の前にあると思える人は多いし、そもそも同じ血肉をもった人間だから等しく捉えようと思う人も、とても多い。そういう人たちに伝えるなら、何を、どう伝えたらよいのか。なかなか難しいところだとおもいますが、そこで手を抜かないようにしたいですね。
9年間の義務教育は確実に受けられるし。
高校、大学も本人が望めば進学できる。
経済的な理由で進学を諦めるとかよく聞くけど、国公立に通いながらバイトで学費を稼ぐ、
奨学金を借りる、特待生として入学するとか
色々選択肢はある。ただ本人が調べなかったり、努力しないだけ。
完全に自己責任かと思いますね。
短気は損気と言いますから、石器で殴るのはどうぞ控えて。
意見を言うのは大事ですが、つまらぬ輩の敵愾心を煽らないか心配です。
一つお聞きしますが、
「経済上の理由で高校に行けず、何の希望もなくフリーターとして働いている10代の子供の苦しみ」って何でしょうか?
「経済上の理由で高校に行けない人間」は「希望が持てない」と勝手に決めつけないでください。
「希望を持つ」か「希望を持たない」かは、高校に行けるかどうかで決まるのではなく、本人が決めることです。
フリーターの中にも「希望」を持って日々生きている若者が必ずいるはずです。
経済的に苦しい状況の中でも、希望を持って「自分の生きる道」を模索している若者は必ずいます。
上から目線で勝手に彼らを「被害者」にするのはやめてください。
あなたは勝手に「自分から見て不幸な人たち」を仕立てあげ、勝手に「可哀想だ」と騒いでいるだけです。
もう一度言いますが、経済的な理由で高校に行けない人のことを、
あなたの勝手な価値観で「希望を持てない苦しい子」にしないでください。
国公立大学は入学試験が難しいです。
日本の大学生の四人に一人が国公立大生です。
国公立大学に行けないのは自己責任と言うのでしょうか?
社会活動家の雨宮処凛氏の本で知りました。
その雨宮氏の本の中で、あの現職当時の石原都知事と対談した時に、石原氏が
「遠くのアフリカの…」という『犠牲の累進性』で「言い逃れ」した時のことが書いてあって、
本当に政治家か?と思いました。政治家でこんな発言する人いるか?と。
まぁ暴言政治家ですから仕方ないですけど。
ご友人の「アフリカよりマシ」発言も、言いかえれば自分はアフリカ見下し発言だから怖いです。
日本在住の日本と某ヨーロッパのハーフ(ダブル)の方の発言(著書の中で)で勉強になったのが、日本人は欧米以外の地域・国を無意識に見下している…
ことを、自身がヨーロッパ系だから感じるそうです。
明治や戦後の文化侵略で、そういう思想誘導・洗脳(言葉がキツイですが)されたからでもありますが、奇妙な自意識・セルフイメージ感じますね…。
あと、思い出したのがビジネスコーチングの方の営業ブログで紹介されたお客様のケース(女性)で紹介されてて印象的だったのが
「自分は父がアル中の毒親環境で育ち、貧しく、勉強するにも大変だった。本当は名門大学進学して、留学もしたかった。今、勉強・仕事頑張っているけど、結局、結婚も相手が私の家柄を見たら、私は下層から抜け出すことは出来ない。」
みたいな絶望に、胸が締めつけられました…。
あんた勝手に一般化して読んでおいてそれを勝手に一方的に否定してるよ。世話ねえな。
あんたの勝手な正義でね。
無意味な改行もやめなよ。
えーと、進学を諦めたのは「経済上の理由」なんだから、本人は高校に行きたかったはずなんだけど、それを諦めた人生は本当に幸せなんですかね。
多分アフリカよりマシってのは
日本じゃ多少ヘマしたり理不尽な状況に陥っても豊かだから頑張りさえすればなんとかする事が出来たりするけれど、
アフリカじゃヘマとか多少の理不尽とか関係無くいくら頑張ろうがいくら足掻こうがどうにもならない,、そんな究極の理不尽と比べたら
日本で経済上の理由で高校を中退する理不尽なんてまだまだマシなんだ、
だから頑張らなくちゃって事なんじゃないかと思っています。
確かに日本はまだまだいろいろ問題はある国だけれど少なくとも日本は幸せな国なんじゃないかな。
でも、私たちを放っておいてください。なんの手助けも無用です。なぜなら、アウシュビッツの囚人よりも私たちは恵まれているからです!私たちは、生きているのです!
そう言えるのか?
だからそれが当人の問題と何の関係もねーっつってんだけど……
やっぱこの論調を受け入れてる奴ってホントに本質が分からねえんだなあ。
そうだね
日本は他の底辺国と比べればまだまだ幸せなんだから多少の不幸なんてどうでもいいよね
そうやって小さな不幸を見て見ぬふりしてきた結果が今の惨状だろ
あと自己責任論者ってどこにでも沸くけど国の恩恵を当たり前に享受してるお前らが自己責任とか言うな
彼はその話題にただ興味がなかっただけで、深く考えての発言ではないような気もするから、それに過剰に反応して責めたてるのは少し酷ではないだろうか。それこそ彼がその問題を理解することから遠ざけてしまうだろう。
それとも、この文章はそういった啓蒙目的のものではないのだろうか。
関係のない疑問なんだが、その友人の肩書きは必要だったかな?エリートですらこう思っているという含みを持たせたということ?言及した割りには、全く触れられていないのだが。
そのエリートの友人だという貴方の文は感情的で、論点が見にくくなっているから、気をつけた方がいいと思う。