他人への適度な関心と距離感について

最近、また人間関係で悩むことが多くなりました。人間関係って本当に一生の課題だなあ。

人間関係においては、相手との精神的な距離感が難しい。

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関心を強く持ちすぎて他人と同化してはいけない

マザー・テレサ「愛の反対は無関心」という言葉はよく引用されます。

他人に無関心なのは良くない。それはわかる。

しかし他人に「関心」が強くなりすぎて、他人の問題まで我が事のように考えるようになってしまうと、人間関係に破綻をきたすことが多くなると思うのです。


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他人と一緒に落ち込むな

私はずっと、他人が悩んでいたり落ち込んでいたりするときは、それを我が事のように同情して考えるほうが立派だと思っていたんです。

実際、実社会でも物語でもそういう人が「優しい人だ」とされていることが多い。


でも、落ち込んでいる人に合わせて落ち込んだら、落ち込んだ人が一人増えるだけで、大して問題の解決にはならないんですよね。

これは斎藤一人さんが言っていたことですけど。機嫌が悪いのはあくまで相手の都合で、悪い方に自分から合わせにいってはいけない。

他人がどうあれ、自分は自分の都合で機嫌よくしているのが大事だ、と。



斎藤一人「不機嫌に合わせない&自分の機嫌をとって楽しく生きる」 - maze713's blog


それに、結局のところ他人が落ち込んでいるのは他人の問題なのだ。

「嫌われる勇気」にあった「課題の分離」という考え方は本当に目からウロコが落ちました。


嫌われる勇気
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他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らん人生を重く苦しいものにしてしまいます。もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら――その悩みは対人関係なのですから――まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他者の課題を切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。

差し伸べれば手が届く、けれど相手の領域には踏み込まない。そんな適度な距離を保つことが大切なのです。

自分のペースを守る

家族や友達や恋人が悩んでいるとね、「一緒に悩んであげよう」って思ってしまうんですよ。でもそれで自分が苦しんでストレス感じていたら、ダメだよね。


もちろん落ち込んでいても放っておく、というのではなく、自分はあくまで自分のペースを保ったまま、安定した気持ちを保ったまま、助言なり励ましなりをすればいいのです。

その結果、相手がどう動くかは、自分の問題ではないので、どうしようもないということ。

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他人がどういう状況でも自分のペースを守り続けると「空気が読めない」「冷たい人」なんて言われたりすることもあると思います。

それが怖くて、つい人情家っぽく振る舞ってしまうんだけど、それがミステイクなんだ。

その期待は満たされない

結局のところ、私が他人を心配したり、世話を焼いたりするときは「いい人と思われたい」「感謝されたい」という下心があるんですよね~。「いい人と思われたい症候群」なもんで。


ま、人間だから下心はあるものだけど、でもこういう「他人に対する期待は」けっこう満たされないことが多い。

そして、満たされないと不満や怒りが出てきてしまう。結果、自分が苦しい。

対人関係のベースに「見返り」があると、自分はこんなに与えたのだから、あなたもこれだけ返してくれ、という気持ちが湧き上がってきます。もちろんこれは、課題の分離とはかけ離れた発想です。われわれは見返りを求めても行けないしそこに縛られてもいけません。


「他人に期待しないことが大事」というのは、自分の心の安定を守るために大事なんだと思う。


「いい人だと思われたい症候群」をずっとやめよう!と思っているのに、なかなか治らない~。それでも、少しずつ変わってきましたけどね。

人間は……少なくとも、自分は急に変われない。ちょっとずつでいいでしょう。


「課題の分離」「他人に期待せず優しくする」そんな境地に自分が辿り着けるまでに、あとどれくらいかかるか、それはわからないけど……

やはり「嫌われる勇気」は何度も読み返したほうがいいな、と思いました。


※前に「嫌われる勇気」について書いた記事です

ありのまま生きることと孤独と嫌われる勇気のこと - maze713's blog



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