“夢の超特急”新幹線 進化の50年
10月1日 17時50分
“夢の超特急”誕生からちょうど50年。昭和39年に開業した東海道新幹線は、三大都市圏を結ぶ大動脈として日本経済を支え、移動時間の劇的な短縮で社会を大きく変えました。半世紀の間、絶えず車両の進化と高速化が追求され、日本企業の最新技術がそれを支えていました。世界の高速鉄道の先駆けとなった新幹線。その歩みを振り返ります。
(取材:社会部・宮原修平記者 名古屋放送局・馬場健夫記者)
19番ホーム
10月1日午前6時、東京駅19番ホーム。50周年の節目を飾る列車は、昭和39年の開業日と同じ時刻に同じホームから滑り出しました。車両は初代の「0系」車両から最新型の「N700A」へと変わりましたが、開業当時を思い起こさせる記念の出発式となりました。
東海道新幹線は、50年前、東京・名古屋・大阪の三大都市圏を結ぶ「夢の超特急」として東京・新大阪間で開業。それまで在来線特急で6時間30分かかっていた東京と大阪の間を4時間で結び、高速鉄道時代の幕開けを告げました。その後もスピードアップが行われ、東京・新大阪間は翌年には3時間10分に短縮。現在では2時間25分で結ばれています
車両の進化
新幹線開業からの半世紀は「車両の進化」と「高速化」の歴史でした。
〈0系〉
初代の新幹線の「0系」は、先頭に丸みがある「だんごっ鼻」のようなデザインが特徴。最高時速は210キロで、当時、世界最速の車両としてデビューしました。
〈100系〉
昭和60年に導入された「100系」は、先頭がより鋭いデザインに。眺めのよい2階建て車両が登場したのもこの時です。最高時速は220キロに。東京・新大阪間は3時間を切りました。
〈300系〉
次世代の新幹線として大きく変貌を遂げたのが、平成4年に誕生した「300系」。初代「のぞみ」の車両です。空気抵抗を減らすシャープなデザインが特徴で、「鉄仮面」と呼ばれて親しまれました。車体重量をそれまでより25%軽くしたことで、最高時速は一気に270キロに。東京・新大阪間を2時間半に縮めました。
〈700系〉
平成11年に登場した「700系」は、先頭がカモノハシのくちばしのように長くせり出した独特の姿。パンタグラフの形も変えて高速化に伴う騒音や振動を減らしました。
〈N700系 N700A〉
スピードと乗り心地の良さの両立を追求したのが、平成19年に登場し、今も主力の「N700系」です。最大の特徴は乗り心地の良さを保ったままカーブで速度を落とさずに走れるシステムの導入で、東京・新大阪間をさらに5分縮めて2時間25分に。改良型の「N700A」も登場しています。
東海道新幹線がこの半世紀で走った距離は地球5万周に相当するおよそ20億キロ。これまでに運んだ乗客はおよそ56億人にも上ります。開業当時1時間に2本だった運転本数は、現在、基本パターンで1時間14本に。大量輸送と高速化の追求は今後も続き、来年春には最高速度が時速285キロに引き上げられ、所要時間は2分から3分程度短くなる見込みです。
高速化支えた中小企業
新幹線の進化を支えたのが日本企業の最新技術でした。高速化を進めるうえで1つのポイントになるのが車両の振動を吸収する「ばね」。1両に16個、1編成に256個使われています。スピードアップを実現した裏には、親子3代、半世紀にわたって「ばね」を生産してきた中小企業の技術がありました。
愛知県豊川市にあるメーカーは、新幹線開業以来、ばねを作り続けています。社員はおよそ100人。社長の小松義博さんの祖父の代から新幹線のばねを製造してきました。未知の速度で走る新幹線のばねには確かな強度と弾力性が求められ、小松さんの会社はそのための技術を試行錯誤しながら培ってきました。
最も重要なのが「焼入れ」と呼ばれる工程。高温に熱した「ばね」を油に入れて冷まし、強度を上げる作業です。ばねが800度以上でむらなく熱せられているか、「色」で確認します。
炉から取り出して寸法も確認。1人で行う一連の作業に許される時間は僅か30秒ほどで、これを過ぎるとばねの強度が落ちてしまいます。さらに、車両の揺れを吸収するには、ばねの両端を「1ミリ以下」の単位で調整して平行にしなければなりません。熟練の技術者が手作業で仕上げます。
こうした技術の礎を築いたのは、小松さんの父親、喜一郎さんでした。「愚直にまじめに安全なものを作れ」と言い続けていた喜一郎さんですが、9月6日、87歳で亡くなりました。「父親が携わってきた新幹線は、ものづくりでずっと安全神話が築かれてきたので、その遺志を引き継いで、われわれはいいものを作っていく」。こう語る小松さん。これからは自分が新幹線のさらなる進化を支えたいと考えています。次の課題は高速化に向けたばねの「軽量化」。これまでは太くしてきた「ばね」を、強度は維持しつつ、細く、軽くするという大きな転換に挑戦しています。
精密な部品を製造
東京・大田区にも新幹線の部品を長年製造してきた工場があります。岩井仁さんの金属加工会社は車両の部品を手がけてきました。製造しているのは、車両の揺れや振動を吸収する筒状のシリンダーと呼ばれる部品。列車1編成に64個取り付けられています。
東海道新幹線は海の近くを走行するため、部品は塩害に強い鉄が使われています。そして、高速化のためできるかぎりの軽量化が求められ、筒の部分の厚みは僅か5ミリ。鉄は厚みが薄いと熱によって変形しやすいので、旋盤で削る際に出る熱や冷えたあとの収縮をきめ細かく計算しながら作業する必要があります。0.01ミリの精度の高い技術が求められ、1つ1つ手作業で部品を生み出していきます。
「新幹線に携わったのは私の誇り」。そう語る岩井さんは、新幹線に乗る際に、必ず揺れを感じやすい後方の車両に席をとり、自分が作った部品がきちんと機能しているか乗り心地を確かめているそうです。こうした中小企業から巨大メーカーまで、国内の鉄道技術が結集しているのが新幹線なのです。
新幹線の今後は
今では全国に広がった新幹線網。来年春には北陸新幹線が金沢まで開業するほか、再来年春には北海道新幹線(新青森〜新函館北斗)が開業します。
さらに、ポスト新幹線といえる時速500キロの「リニア計画」も実現へ向けて動き出しています。三大都市圏の到達時間を劇的に短縮することを目指す「リニア中央新幹線」。JR東海は、平成39年に品川・名古屋間で、平成57年に名古屋・大阪間で開業を目指す計画で、実現すれば、品川・名古屋間は40分で、品川・大阪間は1時間7分で結ばれる予定です。
次の“夢の超特急”は社会や経済にどのような変化をもたらすのか。半世紀の節目を迎えて日本の高速鉄道は新たな段階に入ります。
(資料提供:JR東海)