【コラム】香港『傘の革命』について:香港の抱える問題 #occupyhongkong #occupycentral
ここ数日の動きとして、香港では2017年に行われる香港特別行政区長官選挙について中華人民共和国政府や中国共産党が示した方法が全く民主的ではないとの抗議の声が上がり、遂には香港の業務中心地(CBD)である香港島北部の中環(Central:セントラル)地区や金鐘(Admiralty:アドミラルティ)地区を封鎖するデモ活動、いわゆる占領中環(Occupy Central)が続いています。香港警察は市民に対して催涙弾を用い、多くのデモ参加者が傘でそれを防いだため、象徴して『傘の革命(Umbrella Revolution)』とも呼ばれています。
占領中環は本来中国の国慶節である10月1日から開始される予定でしたが、前倒しされて9月28日より始まりました。デモ活動は中環地区を越えて、湾仔(Wanchai:ワンチャイ)地区、そして香港随一の繁華街である銅鑼湾(Causeway Bay:コーズウェイベイ)やヴィクトリア湾を挟んで九龍半島側の旺角(Mong Kok:モンコック)地区へと飛び火しています。また金融都市香港でのこの動きは、中国のみならず世界の金融動向にも影響を及ぼし始めました。
日本人にとって身近で、日本から最も近い世界都市のひとつでもある香港ですが、その実情や社会情勢は意外と知られていないのが現状だと思います。また世界でも類を見ない独特の街並み、聳える摩天楼、そして東西の美食の数々、その魅力に引き込まれた方々も多いと思います。自分もその一人であり、様々な縁やきっかけを持って香港の多くの方々と繋がりを持つこともできるようになりました。東西の軋轢の中で時代に翻弄されてきた港街香港は、今また岐路に立とうとしています。その香港の今ある問題点を、日本人でも分かるような形で箇条書きにまとめてみました。少し長文ですが、どうぞ。
・香港で生活している人々のルーツは、第二次世界大戦後には中国共産党の統治に反対する人々やその家族、共産党の中国統治によって本土を追われた資本家、共産党と敵対している国民党の支持者に加えて、特に1950年代から60年代へと続いた中国共産党と当時の最高指導者の毛沢東による大躍進運動やプロレタリア文化大革命などの悪政から逃れてきた人々が圧倒的に多い。そのような理由から、元来香港は中国共産党や共産主義に対しては懐疑的であり批判的な土地でもある。一方香港にあって中国共産党を支持する勢力も一部あり、香港に於いて市民全体が一枚岩と言うわけではない。
・香港は英国の植民地時代から続く英国法のコモン・ローによる法治地域であり、今のところそれが引き続いて中華人民共和国政府によって遵守され、少なくとも1997年から50年後の2046年までは続くとの約束が1984年の英中共同声明によってなされている。かつて中国共産党の最高指導者のひとりであった鄧小平氏が中台両岸問題の解決のために提唱した中国国内の特別行政区における、いわゆる一国二制度の要である。
・植民地経営について自由放任の統治主義であった英国は、1970年代以降に工業都市から西洋と東洋の玄関口、米ソ冷戦の最前線、そして世界の貿易中心地や金融センターへと変わりつつある香港へ植民地の範疇の中で社会の現代化と民主化の道を模索し始める。特に1992年、最後の香港政庁総督に着任した英国庶民院議員のクリストファー・パッテンがそれを急速に推し進めた事から、市民には中国国内とは全く異なる欧米や日本と遜色ない民主的な感覚が既に備わっている。1990年代の民主化の背景には新香港国際空港や関連施設の建設と共に英国やパッテン総督の遺した置き土産だとする評も多く、これは香港の国際的地位の向上と共に、主権移譲後に英国が去った後の香港が北京の中国共産党政府へ対抗できるための措置とも言われる。
・1997年より50年間約束された一国二制度に対して、現在香港の主権移譲後20年を迎えようとする中で中国政府や香港政府の態度から次第に懐疑的になりつつある市民が増えている。また中国政府と香港政府は香港と本土の均質化を徐々に進めており、それは本土とを繋げる物理的な高速鉄道や高速道路網整備などのインフラ建設から始まり、マスコミなど本土資本による間接的な言論統制、教育、そして法律にまで着手し始めている。また今後2046年前後に一国二制度の変革期で最も影響を受けるであろう現在の10代後半から20代の若年層は、香港の未来について危ぶむ考えを持つ者は多い。
・香港は英国統治時代より、植民地であるがゆえ欧米や日本のような普通選挙による秘密投票はなかった。しかし英国の進めた社会の現代化は香港市民にとって民主的思想が根付いたものとなり、加えて主権移譲後も一国二制度の運営に際して将来的には普通選挙による秘密投票が香港でも行われると市民の誰もが信じていたのである。中国政府は2017年に行われる次の香港行政庁官の選挙に対して中国政府が選出、或いは選考した候補を複数擁立した上で選挙を行う方式を取るとしている。この方式では中国政府に都合の良い人物のみが選出されかねない事や、香港市民の意向は殆ど反映がなされない。香港で民主派や人権派と呼ばれる人物の選出は有り得ず、香港市民が渇望している成熟した現代的な議会制民主主義の実現は到底期待できない。なお歴代の第一代行政長官であった董建華、第二代の曽蔭権(ドナルド・ツァン)、そして現在第三代の梁振英の各行政長官の選出にあたってはそれぞれ北京の中国政府や中国共産党の意向を汲んでおり、いずれも押し並べて中国政府や共産党寄りであると評されている。
・2012年に香港政府は香港と中国本土の均質化の一環として国民教育、中国本土で言う愛国教育の開始に関する告示を公布したものの、多くの市民はこれを洗脳教育だと評して拒絶。香港島北部の中環地区を占拠する大規模なデモ行動も勃発し、結果的に政府はこれを撤回した。
・香港へ中国本土から流入する大量の本土人に対して、香港市民は批判的で時に拒絶反応を示す者さえいる。中国の経済改革開放政策に伴うバブル的好景気に乗った本土人は香港に対して資本的な豊かさを与えたかも知れないが、本土人の拝金主義による傍若無人な振る舞い、中国国内の食の安全危機から起こった粉ミルクや乳製品など生活物資の買い占め、香港領民が持つ権利獲得目的による香港領内での集中出産、単純なところでは公衆道徳の欠如など感覚の差や、時には実損益に伴うストレスがあらゆる軋轢を生んでいる。さらに香港では流入するチャイナマネーによって不動産価格や物価のバブル的な高騰が引き起こされており、これらも香港市民が本土人へ対する不満理由のひとつとされている。香港市民は全ての農作物を食い荒らすような様を見て、本土人を『イナゴ』と呼ぶようになった。
・中国共産党は中華人民共和国の今後の動乱や分裂機会を避けたい思惑もあり、中国国内の民主的な運動や抗議運動などへは強固な態度を貫き通している。中国共産党が香港を操舵できないことは、チベット(西蔵)や東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)、さらには内モンゴル自治区(内蒙古)の分離独立の運動機運を高める遠因ともなり兼ねず、また民主化のキーワードは一党独裁状態の中国共産党自身や中国全土、強いては中国人民に対する民主化へのアプローチのきっかけともなり得る。直近で中国共産党が懸念する最たるものとしては中華民国(台湾)との、いわゆる両岸問題の今後へ急進的な変化が現れることである。また香港ではほんの一部ではあるが独立を志向する動きもあり、昨今の中国政府や香港政府への不信感から極僅かながらその機運は高まりつつあるとも思われる。
香港は中国大陸の都市でありながら、1842年以降の約150余年間に渡って英国によって育まれた土地です。英国は世界各地へ進撃進軍し植民地としましたが、しかし今日欧米や日本で当たり前のように享受できる近現代的な議会制民主主義の発祥もまた英国です。また香港は時に1912年に清朝を倒す辛亥革命を率いた近代中国の祖である孫文を輩出し、そして1930年代の国共内戦や1949年に発足した中華人民共和国の圧政から逃れる人々の受け皿にもなり、さらにその人々が今の香港の街を作り上げてきました。かつて中国共産党の最高指導者のひとりであった鄧小平氏が香港へ植民地支配を行う英国に対して『港人治港(香港は香港人が治める)』と唱えたように、現代でも真の意味で香港の未来は香港市民が執り行えることを願っています。
香港的大家你方面請為了擁有的權利加油, 從我日本支援著。