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私達は日頃何気なくシナを「中国」と呼んでいますが、実はこれはとても異常な事です。 どう異常なのか、そしてなぜこんな異常な事が起きてしまったのかをまとめてみました。
引用/転載の際は、出典またはURLの明記をどうかよろしくお願いします。
〔参考文献〕 「China を『中国』と呼ぶ重大な過ち」中嶋嶺雄[2006](WiLL 2006年9月号) には、昭和21年当時、支那という記述が世の中から「瞬く間に消えた」経緯が書かれています。 「支那」「中国」という言葉が使われて来た歴史についても解説されています。 |
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「日本人として最低限知っておきたい“Q&A”近現代史の必須知識」水野 靖夫(著),渡部 昇一(監修)[2006]は、 教科書が教えない近現代史の真実をやさしく解説しています。 「支那」「シナ」という呼称を用いています。必読の一冊です。 |
『広辞苑』には、「支那」とはシナに対する外国人一般の呼称であると書かれています。
支那(しな)インド人の「シナ」という呼称に「支那」の字を当てたのは当のシナ人です。 そしてシナ人自身も自国を「支那」と呼んでいました。 「国父」とされる孫文も、自国を「支那」と言っています。 差別語であればシナ人は使わないはずです。
(「秦(しん)」の転訛)外国人の中国に対する呼称。初めインドの仏典に現れ、 日本では江戸中期以来第二次大戦末まで用いられた。 戦後は「支那」の表記を避けて多く「シナ」と書く。
一方日本人は元々、シナの事を「から」「もろこし」と呼んでいました。 「支那(シナ)」と呼び始めたのは外国人の影響です。 江戸時代の学者・本居宣長(1730-1801)は、『玉がつま』の中で、 日本の一部の学者が外国の真似をして「支那」と呼ぶことを批判しています。
もろこしの國を、もろこしともからともいひ、漢文には、漢とも唐ともかくぞ、皇國のことなるを、 しかいふをばつたなしとして、中華中國などいふを、かしこきことゝ心得たるひがことは、 馭戎慨言にくはしく論ひたれば、今さらにいはず、又中華中國などは、いふまじきことゝ、 物のこゝろをわきまへたるひとはた、猶漢もしは唐などいふをば、つたなしとやおもふらむ、 震旦支那など書くたぐひもあんなるは、中華中國などいふにくらぶれば、よろしけれども、 震旦支那などは、西の方なる國より、つけたる名 なれば、そもなほおのが國のことをすてゝ、人の國のことにしたがふにぞ有ける、 もし漢といひ唐ともいはむを、おかしからずとおもはゞ、 漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書むに、何事かあらむ、このことからも、支那(シナ)は「日本人だけが使った言葉」ではない事が明らかです。 むしろその呼称が世界標準だったために、日本人までが使うようになったというのが真実です。
これは今も同じです。 下記の一覧表は、世界の国々がシナを何と呼んでいるかをまとめたものです。 これを見ると、国毎のなまりはあるものの、多くの国が「シナ」に基づいた呼び方をしている ことが分かります。英語の「チャイナ」もシナが変化したものです。 朝鮮語の「チュングク」とベトナム語の「トゥルンコック」のみが「中国」に基づいた呼称のようです。 ペルシャ語の「シニスタン」は「震旦(しんたん)」と同源で、やはり「秦(しん)」が元になっています。
「China を『中国』と呼ぶ重大な過ち」中嶋嶺雄(WiLL 2006年9月号)より引用
2002年、シナの巨大ポータルサイト 新浪(sina.com) に対して、 日本に留学経験のある学者が抗議をしたことがありました。 「sina は日本による差別語だから改名するべきだ」と言うおなじみの主張です。 その時 sina.com の代表者は 「シナは英語のチャイナの過去の発音で、それ自体に侮辱の意味はない」と言って拒否したそうです。 さらに続けて、「sinaを世界のブランドにし、シナ人が誇れる呼び名にする」と言ったそうです。 至ってまともな意見です。
大体シナを「差別語」だと主張する人達は、日本にいて日本のマスコミの報道に接した人が多いようです。 もしシナにいるシナ人が sina.com の名称を嫌がっているとしたら、 わざわざ日本に留学した学者に指摘されるまでもなく、最初から大騒ぎになっていたはずですし、 間違っても人気サイトなどにはならなかったでしょう。
本当の差別語や明らかに侮蔑している場合はともかく、相手をどう呼ぶかは呼ぶ側が決めることです。 「このように呼んで欲しい」と要請をするのはいいですが、それが受け入れられるかどうかは相手次第です。 それを相手が命令に従わないからと言って「差別」と決めつけるのは、 やくざの言いがかりに等しい言い分です。 ましてや相手が国際標準の呼び方をしているところに、ごく少数の国しか使わない特殊な呼び方を 押し付けるなどというのは あってはならない話です。
〔参考文献〕 『馭戎慨言』本居宣長著[1778] には、聖徳太子以降、日本がシナときちんと張り合って来た歴史が、内外の豊富な史料を元に 実証的に描かれています。 日本が中国であったこと、日本人がシナを「中国」と呼んではならない訳なども述べられています。 |
しかし日本と清の関係は悪化しませんでした。 清の故国である満州は日清戦争の後ロシアに占領されていましたが、 日本は1904年の日露戦争を戦ってロシアを追い出し、清の手に取り戻しました。 さらに日本は満州の地にインフラを築き、治安を守り、産業を発展させました。 この頃からおびただしい数のシナ人が満州に移住してきました。 一方清は、日本の明治維新を手本にして強力な立憲君主制の国になろうとして、大量の留学生を 日本に送りました。今日のシナで、社会科学分野の語彙の7割が日本起源と言われるのはそのためです。
下の地図は清の支配領域の全体を表したものです。 いわゆるシナとは「漢族」と書かれた領域 のことです。 清の領土を引き継ぐという事は、シナ人の領土だけではなく、 満州、モンゴル、ウイグル、チベットの各民族の領土すべてを自分の支配領域にするということです。 辛亥革命は元々シナ人の民族独立運動だったはずなのに、 いつのまにかシナ人による他民族の支配という別の目的に切り替わっていたのでした。 例えて言うと、強盗団に捕まっていた人質の一人が自由の身になったとたん、 「強盗団の財宝も人質もすべてを自分のものだ」と主張し始めたようなものです。
『「日本と中国」歴史の真実』拳骨拓史著 より引用
支那 = 漢族の領土
中国 = 漢族の領土+満州族の領土+モンゴル族の領土+ウイグル族の領土+チベット族の領土
結局第二次大戦後、シナは満州国をまんまと自分のものにし、 日本が多額の投資をした満州の産業をも手に入れました。 しかしそれまで満州は、歴史上ただの一度もシナの支配下になったことはありませんでした。 それなのに満州国の建国を助けた日本は、いつのまにか「中国を侵略した」ということにされています。
その後シナは、モンゴル人(一部は独立)、ウイグル人、チベット人に対する侵略、抑圧、虐殺を繰り返し、 それらの地域に大量のシナ人を流入させて「民族浄化」を進めています。 シナ政府はこれらの地域で起きていることをひた隠しにしてきましたが、 次第に世界の人々も、そこで何が起きているかに気づき始めました。 亡命した人々が世界中で声を上げたからです。 シナ政府は世界からの批判に対して、「内政干渉だ」と言って反発していますが、 本来これらの国々は、清が倒れた時に満州国のように独立するべきでした。
〔参考文献〕 『大東亜戦争への道』中村粲著[1990] には、日清・日露戦争から大東亜戦争に至る歴史が詳細に描かれています。 満州がシナの領土かどうかについての詳しい考察があります。 |
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『紫禁城の黄昏』レジナルド・F・ジョンストン著[1934] は、清の皇帝の家庭教師が自らの見聞を詳細に記録したものです。 満州国建国の正当性を訴えています。 評判の悪い岩波版を買わないように注意。 | |
『「日本と中国」歴史の真実』拳骨拓史著[2007] は、学校で教えられている日本とシナの歴史の間違いを分かりやすく解説しています。 「中国の歴史とは、漢民族による緩やかな異民族抹殺の歴史」とし、日本にとっても他人事ではないと 警告しています。 |
[2009/9/13]
支那という呼称についてさらに詳しく知りたい方は、 「『支那』の語源についての考察」についての考察 もお読み下さい。「いままで自分はだまされていた」と感じた方は、 [広告]なぜ江戸時代の書を読むべきなのか もお読み下さい。
Baidu.jp からは本ページをどうしても検索できないことが分かりました。どうやら検閲をしているようです。 皆さんも試してみてください。Baidu.jp でも本ページが表示されるようになりました。露骨な検閲が、かえって評判を落すということを 理解したのでしょうか。(2012/4/19)
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