日本のロックに市民権を与えた人気バンド
大阪芸大在学中、学園祭のコンサートで知り合った世良公則とドラムスのふとがね金太が結成したツイストは、ボーカル世良の男気溢れる歌いっぷりと独特のアクションで、当時の他のバンドとは明らかに一線を画する個性を持ったバンドでした。特に第14回ヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト(通称ポプコン)の入賞曲で、1977年の世界歌謡祭でグランプリも受賞した彼らのデビュー曲「あんたのバラード」の、静かなピアノの
イントロから一転する世良の迫力ボーカルは、それまで洋楽
ロックのコピーが多かった日本ロック界に新鮮な息吹を吹き込んだのです。
翌1978年にリリースしたデビュー・アルバム『世良公則&ツイスト』は、アルバム・チャートで初登場1位の快挙に。デビューからわずか1年足らずで頂点に立ったのです。その後も「宿なし」「燃えろいい女」「銃爪(ひきがね)」などヒットを連発。当時、ロック・バンドの曲がヒットを続けるということ自体珍しいことであり、御三家と言われたChar、原田真二とともにロックをお茶の間に持ち込むことに成功。不良の音楽と言われていたロックに市民権を与えたという意味でもツイストの功績は大きいと言えるでしょう。
1981年の12月にツイストは解散しますが、世良公則は、映画『Wの悲劇』、NHK(朝連続ドラマ)『チョッちゃん』などに出演、俳優としてデビュー、ソロとしても着実な活動を続け、10枚のアルバムを発表しています。
- ※おんがく日めくりの更新は2002年10月をもって終了しました。
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