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カテゴリ: 編集部より

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【第2回】角川歴彦とメディアミックスの時代

メディア収斂論と表現の<最適(バカ)>化 大塚英志

 連載を再開するにあたり、メディアミックス、という、出版の世界でいえばとうに死語であり、しかし、あまりにルーティン過ぎて日常化している現象について、何故、今更、問題とするのかについて少し書いておく。

 そもそもメディアミックスが日本のメディア産業で「流行」となったのは80年代の角川春樹(かどかわはるき)による角川映画であり、むしろこの考え方に積極的だったのは徳間書店の徳間康快(とくまこうかい)だが、彼らのやったことは出版社などの異業種資本によって、衰退した大衆映画を「復興」することにあった。その中心に歴然と映画が存在し、角川映画であれば主演女優が、作品のまさに主題を歌詞に織り込んだ文字通りの主題歌を歌った。徳間康快が大映を買収したのは映画産業の救済であり、「角川映画」として大映の遺産を自社ブランドに躊躇なく取り込むことのできる現在のKADOKAWAとは異質だ。徳間康快はプロデューサーとしても鈴木敏夫(すずきとしお)の「ライバル」として映画を作り、なにより徳間からは、ジブリというこの国で最後の映画スタジオが産まれた。現在、この時期の角川映画は北米で、そしてジブリ作品でない徳間映画が中国の研究者の間で再評価されているのは、80年代メディアミックスが日本映画史の最後の輝きとしてあるからである。角川春樹、徳間康快はメディアミックスを標榜したかに見えるが、映画という旧メディアにむしろ殉じた感がある。彼らは映画が作りたかったからメディアミックスを行った。しかし、この連載で扱うのは彼らのメディアミックスではない。角川歴彦(つぐひこ)以降の「メディアミックス」のための「メディアミックス」である。いわば「象徴としてのメディアミックス」だ。

 さて、その、メディアミックスが「日本的」な現象として、海外のポップカルチャー研究から注視されている。議論のリセットのためにこれを概観しておくことは無駄でないだろう。海外の研究動向にことさら振り回される必要はないが、「オタク」や「萌え」や、あるいは「スーパーフラット」や「動物化」や「趣都」といったいくつもの日本発のキーワードや分析フレームが海外の善意の日本のサブカルチャーの「発信力」に便乗して自身を世界に届けたい人々によって語られてきたのと違い、「メディアミックス」は海外のまなざしによって議論化した。日本発のクールジャパン的な議論は、幸いにもと言うべきか、ヨーロッパや北米では終息し、元々が東洋学の一分野の日本学が特化した形で成立した日本まんが・アニメーション研究自体、アジアへの関心が中国やインドに移動していくなかで失速している。日本そのものへの関心が薄れているのであり、まんがアニメを引き合いにだして、日本が「世界中から愛されている」というのは自己愛妄想に過ぎないのは言うまでもないが、以前よりは冷静な研究環境が一部とはいえできている。「メディアミックス」への関心は、いわば、浮かれたクールジャパン論のむしろ失速した後に登場したものである。

 その点で興味深いし検討には値する。


 海外のメディアミックス研究はメディアミックスという現象そのものから現在の日本社会なり日本文化なりを理解できると考えている点で特徴的だ。トーマス・ラマールの『アニメ・マシーン』(2009年)は、直接、メディアミックスを扱った物ではないが、メディアミックスを可能にする文化装置か特化した形で現在の日本文化に組み込まれていると考える。ラマールはそれを「アニメ機械(マシーン)」と呼ぶ。

 この議論は今の日本人からは分かりにくいが、そのこと自体が、実は日本が日本アニメ史を語る言説の歴史を忘却したこととも関わってくる。ラマールは日本のアニメーションの中に、彼らが考えるところの「西欧的な」一点透視図法を前提とする「映画」的なもの、「シネマティズム」とは異質のシステム=「機械」を見出し、個別の作品でなくアニメーションという事象そのものを理解しようとする。その時、彼らの分析モデルとして採用されるのが「マルチプレーン」と「リミテッドアニメーション」である。ここで「マルチプレーン」が議論の中心にでてくるのは、今村太平(いまむらたいへい)やこれを批判した花田清輝(はなだきよてる)の「漫画映画」とドキュメンタリー映画をめぐる議論の中で「マルチプレーン」が問題とされたことを知っていればさほど唐突ではない。しかし今村らを日本アニメーションに関わる議論の前提にするのはむしろ北米の研究者であるところに「忘却」の問題の一端がある。

 それはさておき、「マルチプレーン」が何故、現在の日本アニメーションの総体を理解する装置となるのか。ウォシャウスキー兄弟の映画『スピード・レーサー』を見れば分かることだが、あの映画では、車に乗った人物、背景の街並、更に背後の山や雲を別途に撮影した実写映画一つ一つをわざわざレイヤーとして重ね合わせて一つの映像にしている。アニメーション技術に多少知識があれば、つまりは実写映画で「マルチプレーン」をやっていることに気づくだろう。では何故、わざわざそんなことをしたのかといえば、それは「日本のアニメみたい」だからである。そう本人たちが語っているので興味のある人はコメントを探せばいい。正確にいえば、彼らはレイヤーの全てにピントが合っていることに妙に驚いているので、実際にはマルチプレーンでなく複数枚のセルをただフラットに重ねただけの画像にむしろ反応していることが分かるのだが。

 今村的文脈とは別に彼らの様に、このマルチプレーンないし疑似マルチプレーンとしての複数のレイヤーのそれぞれを移動させながら撮影していく、「動画」とは異なるアニメーション技術に「日本的なもの」(歴史的に遡るか単に印象論かは別として)を見出す人々は北米には少なくない。そして、スタジオジブリのジブリ美術館に行けばマルチプレーンの撮影機のレプリカが設置されていて、そのことなども場合によってはこういう印象を補強するのかもしれない。無論、マルチプレーンは日本で発明された技術ではなく、ジブリ美術館の一階の奥には、覗き窓から何枚ものレイヤーを配置して奥行を仮想的に見せる17世紀ヨーロッパで考案されたピープショー「エンゲルブレヒト劇場」(明治期には日本でも複数枚の絵を重ねる「透かし絵」があった)を模した展示もある。ぼくがニコニコ生放送で配信している山路亮輔(やまじりょうすけ)の「動画」は実は、北米の「日本アニメ観」を模したもので、いわゆる「動画」を一切用いず、仮想的なマルチプレーンによる、レイヤーの移動だけでアニメーションをつくる、究極のリミテッドアニメーションである。

 こういった、北米の議論は手塚(てづか)がローコストによるテレビアニメーション制作のために作り出したと、日本国内では殆どアニメーション制作の労働問題でしかないリミテッドアニメーションを「方法」として再評価している点で興味深い。

 ラマールの議論は、こういった「平面」(このイメージが村上隆(むらかみたかし)のスーパーフラット論に喚起されている印象なのは厄介なのだが)と「平面」の隙間を受け手の想像力が埋めていくというイメージを元にメディアミックスを理解していくものだ。そして、ラマールの言う「マルチプレーン」的な「機械」は単にリミテッドアニメだけでなく、まんが、アニメ、ゲーム、グッズを多様に展開していくメディアミックスをも比喩として、それぞれをレイヤーにみたて、その重なりからなる総体として見ていく印象である。

 ラマール自身は彼が「アニメ機械」と呼ぶこのような文化に内在するシステムを日本固有論からは慎重に腑分けしている。それは正しい。「アニメ機械」そのものは普遍的であり、日本に於いてある条件下で特化したに過ぎない。ぼくは十五年戦争下「ディズニーとエイゼンシュテインの野合」という言い方で、十五年戦争下を起源とし、戦後を通じて、まんがアニメ領域で、キャラクターの書式、モンタージュ、画面内部の構成、言語など様々な水準で過剰な構成主義が進んだと考えるがこれはラマールの議論と一致する。言語については、吉本隆明(よしもとたかあき)は少女まんがの言語表現が「位相化」されている、と考えたが、これは言語の過度の「マルチプレーン化」であり、ラマール式にいえば「アニメ機械」的である。

 しかし、そもそも、マルチプレーンは日本アニメ史に於いては、エイゼンシュテインの映画や文化映画的な画面の奥行の美学をアニメーション内に再現する際、空間を「構成」として形式化するなかで採用されたと考えられる。レイヤーを重ね、過剰な遠近法を「構成」する技術は戦時下の対外プロパガンダ雑誌『FRONT』で原弘(はらひろむ)らが示した技術だが、その直接的な出自はソビエトのフォトコラージュ的な手法にある。山路が「過剰なリミテッドアニメ」に行きつくまでに参照したものの中に、エイゼンシュテインや『FRONT』が入っている。そういう美学の成立が「アニメ機械」を戦後化したといえる。ぼくは、むしろ、この過度の構成化を「ファシズムの美学」と考え、戦後の「おたく文化」はその延長にこそあると考えるが、ある意味で構成主義的な文化装置が日本の中で特化した、という考え方はラマールに近くはある。

 とはいえ、ラマールのメディアミックス論は、本人も自覚しているかもしれないが、ぼくにはエイゼンシュテインの日本文化論の反復のように聞こえる時がある。エイゼンシュテインは「モンタージュ(構成)」をあらゆる日本文化の中に見出し、その結果、十五年戦争末期には「モンタージュ的」=「日本的」という思考回路さえ成立した。エイゼンシュテインはプリミティブな文化の中全てに「モンタージュ(構成)」を見出しているだけだし、その意味で彼らは極東の原始的な文明としての歌舞伎や俳句の中に「構成」を見出したに過ぎないし、映画という近代的な芸術に於いては少しも現代的でない、とさえ言っている。しかしエイゼンシュテインのこの主張が回り回ってアニメーション絵巻物起源説という誰も立証できていない「定説」になった。現在のアニメーション産業の中に、「アニメ機械」という、あらゆるものをレイヤーとして構成化していこうとする普遍的な枠組の、日本に於ける特権的な開化を見るラマールの視点は、日本の側が受け止め損なえば、「アニメ機械」日本文化論へとただちに語られ直されてしまうリスクがある。そうならないようラマールは慎重に議論を進めるが、「過度の構成化」の歴史的トレースがまだ不十分である。そういう危惧を孕みつつ、日本文化論としてのメディアミックス論という視点が一つには否応なく存在する。

 ぼくは現象としてのメディアミックスを考えていく上である種の文化装置がそこに内在化し特化していくというラマールのイメージを否定しない。しかし、それは「アニメ機械」ないしは「過度の構成化」とは異なる別の装置なのだ、と考える。ぼくはKADOKAWAとDWANGOの合併に際して述べたように、WEB産業がこの文化装置をインフラとして内在化していくことで起きる、個人の(アーティスト、のではない)「創造」や「発話」の企業管理をこそ問題としていく。その出発点として、ラマールの議論は有効である。


 その意味で、メディアミックス研究で参照すべき海外研究は、メディアへのオーディエンスの関与という文脈である。日本ではBLと呼ばれる男性同性愛的二次創作が、北米では『スタートレック』で行われてきたことに注目したヘンリー・ジェンキンスの議論が中でも興味深い。彼は『スタートレック』の女性ファンたちがカークとスポックのホモセクシャルな関係をファンアートで妄想することを例に、ファンのテキストの「書き換え」を論じた。こういったファンによる参加の文化、書き換えの文化への関心が、イアン・コンドリーなどの「初音ミク」への過剰な評価となる。オーディエンスの参加論はテキストという制度の受け手による主体的な書き換えという表現の「民主化」論とも結びつく。そういう「ファンタジー」の枠が、受け手をいかにWEB上のインフラに隷属させていくのか、という企業の新しい論理を見えにくくもしているというのがぼくの立場だ。


 そして連載にもどる最初の議論として注意していいのが同じくジェイキンスの示したメディアコンバージェンスという考え方だ。角川春樹でなく歴彦のメディアミックスを問題化するにはこの議論が有効だ。恐らく議論の出発点はここにある。メディアミックスが文字通り、メディアを横断した、トランスメディアストーリーテリングを示す概念であるのに対して、ヘンリー・ジェンキンスが『コンバージェンス・カルチャー』(2006年)で提示したメディアコンバージェンスという考え方は情報端末の収斂(しゅうれん)を問題とする。前世紀に於いてぼくのような旧世代はテレビモニターにゲーム機やCATVチューナーやDVDプレイヤーを繋ぐことで自分たちが多元的なメディアにアクセスしていくことをその具体的な光景から意識するに至った。個人的には面倒なのでゲーム機など一つも繋がなかったが、ジェンキンスはこういった多彩な端末は、最後にはたった一つの「ブラックボックス」に収斂してしまうと予見した。多端末化に対応したストーリーテリングがメディアミックスであるとすれば、端末が唯一のものに収斂(コンバージェンス)していくのがメディアコンバージェンスである。

 角川歴彦が北米のテレビ雑誌や80年代の雑誌展開の前提にテレビモニターに繋がれた多端末をイメージしていたことは既に述べた。ジェンキンスの「メディアコンバージェンス」以前の状態である。歴彦が語る、この多端末が繋がれたテレビモニターのイメージ自体は、これは当人が幾度も繰り返すことから判断して、「企業神話」(松下幸之助(まつしたこうのすけ)からスティーブ・ジョブズまで、経営者は自身の言説を「神話」化し、企業そのものを物語消費論的な「世界」化しようとする)として割り引く必要があるにしても、注意を促したいのは、歴彦にとって多端末としてのモニターに接続されたものとして雑誌を考えたことはやはり重要であるということだ。

 ここで80年代雑誌論が必要になる。

 80年代の雑誌のトレンドを情報誌と捉える考え方が当時、あった。例えばマガジンハウス系のファッション誌や、矢内廣(やないひろし)の(とやはり書くべきだろう)『ぴあ』がそれを象徴している、とも論じられた。矢内は情報こそが資産だと言い、バブル期に土地資産への投資に抑制的であったが(それ自体は、企業人して倫理的には正しい)、ぼくは『ぴあ』の創立記念日に「『ぴあ』のなくなる日」と題する講演をして顰蹙(ひんしゅく)を買った。しかし、そこでぼくが言ったのは、過剰な情報から自力で何かを選ぶことをまもなく人々が面倒臭がるから『ぴあ』はなくなるよ、ということだ。『ぴあ』は今でいうメディアリテラシー、つまり膨大なデータベースの中から自分のための情報をクリティカルに自力で集められる「受け手」を想定していた。そういう人間観を前提とした企業はひどく青臭いが、それも人としては間違っていない。しかし、今や、自分で選べない消費者のための情報がWEBにあふれているのは言うまでもない。情報は「資産」となったが、それは個人情報とその集積としてのビッグデータで、一つの映画館に於けるスタッフや公開映画館についての「情報」ではなかった。そこに矢内の誤算があった。

 マガジンハウスの凋落、『ぴあ』の終焉、あるいはファッション誌などの情報誌が出版社の赤字の最大の要因になっていき、2000年代に入って「情報誌」は消滅する。ファッション誌は今や「付録」としてのポシェットや化粧品のサンプルを書店やコンビニで流通させるツールでしかない。

 その一方で80年代的情報誌としてはむしろ傍流に見えたのが、情報端末に対応した情報誌である。

 例えば角川は'87年に『CDでーた』を創刊する。企画を立てた編集サイドは『FMfan』や『FMレコパル』といったFM情報誌の創刊を望んでいた。今となっては若い読者に理解されにくいが、FM放送は新しくリリースされるアルバムの主要な楽曲や、アーティスト特集の形で、ベスト盤的に放送され、それを情報誌を頼りに確認し(エアチェック)、カセットテープに録音する、という無料コンテンツ配信の文化としてFM放送があった。FM雑誌は70年代に創刊し、90年代には終息する。80年代半ばの時点で、「ラジカセ」という端末がやがて衰退するということを予想することはさほど難しくなかったが、角川歴彦の「端末」ごとに雑誌を対応させる思想(雑誌の「端末化」)はここに端的にみてとれる。『週刊ザテレビジョン』や、そこからアニメーション部分をスピンオフさせた『ニュータイプ』もその一例だ。『ニュータイプ』は本来、総合サブカルチャー雑誌として現場では構想されたが、アニメーションに特化した雑誌に創刊直後に変わる。サブカルチャー誌が変化した『OUT』、児童向け付録付き月刊誌(つまりは『少年倶楽部』だ)『テレビランド』からスピンオフした『アニメージュ』と比して、「テレビ」という「プラットフォーム」雑誌からスピンオフした『ニュータイプ』の違いは、一見、同じ月刊アニメ誌でありながら異質であったことはもう少し注意していい問題だ。

 こういった多端末対応雑誌としてはコンピュータ及びコンピュータゲーム誌が特徴的だろう。元々コンピュータ雑誌はアスキーが先駆であり、『テクノポリス』('82年)に於ける徳間書店の参入も実は角川より早い。徳間は『ファミリーコンピュータMagazine』('85年)、『MSX・FAN』('87年)など、「端末」ごとの雑誌の対応も行ったが、展開に失敗する。角川は徳間の捨てたコンテンツをビジネス化したという井上伸一郎(いのうえしんいちろう)の至言は「多端末雑誌」にもいえる。結論だけ言えば、徳間は「映画」という旧大衆メディアを選び、ジブリを産んだが、出版社としては時代の変化に対応できなかった。その「失敗」にぼくなどはかなり好意的なのだが、その徳間との比較論はいずれ記す。

 アスキー、角川、そして角川から角川兄弟の対立でスピンオフしたメディアワークスは、コンシューマゲーム機に逐一、対応する雑誌を創刊していき、これらの版元が現在のKADOKAWAを構成しているのは当然といえば当然である。

 さて、ジェンキンスがメディアコンバージェンス論を唱えたのは、テレビモニターの前に様々なチューナーやゲーム機といった端末が混然と繋がれる時代の最後の時期であるとともに、iPhoneの登場前夜でもある。

 多端末化が「収斂」に転じることは明らかになっていき、端末対応型の雑誌という考え方そのものが過去のものになっていく。角川に於いて『週刊ザテレビジョン』の編集が2000年代に入り子会社に移行したように、多端末化としてのメディアミックスへの対応という雑誌のありかたが終る。角川が合併以前、無意味に思える同業他社の合併を繰り返し、強引にワンカンパニー化したのは多端末化したメディアの「コンバージェンス」への第一歩である。コンテンツの「収斂」、ワンプラットフォーム化が必要、というあたりは佐藤辰男(さとうたつお)の考えだろうが。

 確かに現在、ジェンキンスがイメージしたブラックボックスは登場していないが、スマートフォンは多様な端末の収斂のツールとなっている。そのことを過小評価すべきでない。なるほど、今のところスマホでは少年週刊誌の今週号は読めないし、コンシューマゲームの最新ソフトはプレイできない。一方で音楽のチャートでCDの売り上げ枚数を誇示するのは、オリコン神話を未だ信じる旧世代のメディアの上層部を丸め込む戦略で、旧メディアを総なめするAKB48ぐらいで、ヒットチャートはダウンロード数の方がリアリティーを持ちつつある。

 しかしここを間違えてはいけない。重要なのは、近い将来、スマホで、既存の形式の「映画」や「ゲーム」や「まんが」や「アニメ」や「小説」が配信されることが「コンバージェンス」ではない、ということだ。そうではなくて、それがスマホなのかタブレットなのか、あるいはジェンキンス的な意味でのブラックボックス化するテレビモニターなのかは別として、その「唯一のメディア」「唯一の端末」の形に応じて「映画」も「まんが」も「ゲーム」も「アニメ」も「小説」もカスタマイズされていく、ということだ。変らざるをえないということだ。それこそがメディアコンバージェンスの本質なのである。

 ぼくたちは今、目の前にある「まんが」が「一色で印刷され、ひどく分厚い週刊誌が最悪でも月刊ベースでリリースされる紙の雑誌」にカスタマイズされることで、その手法が成立したことを忘れている。TVドラマが「映画」と違うのも、ブラウン管と呼ばれた時代の解像度、天地左右のサイズ、視聴のされ方によってカスタマイズされた形式であるからだ。リミテッドアニメもテレビという端末にアニメが「適応」した結果だ。いうまでもなく、携帯やスマホのゲームは、ゲームがこの端末にカスタマイズされたもので、コンシューマゲームの歴史から見れば「退化」にさえ見えるのかもしれないが、同じことが全てのジャンルで起きる。表現の形式とその内容はメディアの形式性や特性によって適応を求められる、という当たり前のことが「唯一のメディア」に対してなされるのがメディアコンバージェンスの本質である。

 日本の出版界はこの問題に二重に無自覚だ。

 数年前、電子書籍元年といわれた年、ぼくは当時のぼくのゼミ生とタブレット端末に「適応」した形でまんががどう変化するかの試作品を10パターンほど作ったが、 そうやって、「端末」に表現を最適化しようという発想に未だ、希薄だ。例えば、日本のまんが出版はKADOKAWAでさえ、WEB配信後の、単行本による収益をビジネスモデルとしているので、WEB配信のまんがは「雑誌」の中でカスタマイズされた旧形式がそのまま踏襲されている。韓国のウェブトゥーンは頁概念を放棄してWEBに最適化し、中国では100万部週刊まんが誌が登場したが、いつでもスマホやタブレットに移行出来る様にフルカラー化されて制作体制もアニメスタジオに近い。KADOKAWAのWEBコミックサイト「ComicWalker」では、WEB対応のため既存の作品を下請け業者に着彩に出しているが、しかし、この国のまんがには長編まんがを全てフルカラーで「読ませる」カラーリング技法はないことに彼らは気がついていない。カラースクリプトの考え方や、色による視線誘導などの技術が必要だということをわかっていない。いいか悪いかでなく韓国、中国には「最適化」という発想が明確にある。

 しかしその一方で、日本では、「無自覚な最適化」が進行していく。WEBコミックの閲覧数を見ていくと新作では「短いページのネタ中心のもの」に集中し、長編をじっくり読ませる形は嫌われていることがわかる。ストーリーまんがの「死」が起きるかもしれない。無自覚な形で各領域の最適化がWEBに対して行なわれている。「手軽で単純で短くてわかり易くてすぐに効果がある」といったあたりが無自覚なコンバージェンスのベクトルだろう。

 KADOKAWAとDWANGOの合併がさしてうまくいかないだろうとぼくが思うのは、表現形式そのもののコンバージェンスに現場が積極的に対応できないからだ。そういう人材がいないのはインサイダーのぼくが一番良く知っている。しかし、企業としての彼らは「メディアコンバージェンス」の結果、プラットフォーム化していく、というのが自己像だろう。具体的には、「ニコ動」を再構築して、旧角川のコンテンツとニコ動ユーザーの「投稿」を一体化し、そこに死にかけたいくつかの旧メディアの一部分を吸収し、プラットフォーム化する「メディアコンバージェンス」が今回の合併の本質だろう。そして、コンテンツ全体を「ニコ動」的(相応に変化はするとしても)なものに「最適化」させ、そのことでいずれ結論の出る、端末の「収斂」に対応できる企業形態に変化することが合併後のビジョンであるはずだ。KADOKAWAは出版社や映画会社であることをやめプラットフォーム化し、プラットフォームにあわせてコンテンツそのものをつくりかえていく。そこまで考えて合併するのでなければ、意味はない。しかし、考えていなくてもKADOKAWAコンテンツの「ニコ動」化という無自覚な最適化は進行し、なんと言ったらいいのか、角川を出発点の一つとして、この国の文化がより本格的に「バカ化」するのだと思う。ぼくに言われたくないだろうが、70年代からこちら側、教養も学問も文学もサブカルチャーさえ、「バカ化」している。この国では見えない文化大革命が進行して来たのだ。文化大革命とはあらゆる文化の水準を限りなく下げる究極の大衆化である。朝日新聞叩きの一番奥底には知的な奴らがムカツク、という文化大革命的感情がなかったとはいわせない。そういう中に80年代以降のサブカルチャー史も角川もある。これは、冗談でなく言っているのだ。

 旧「教養」を破壊した後に出てくる文化がラノベかよ、と誰か怒れよ。

 角川は見えない文化大革命の推進者だったし、ジブリは、その唯一の「反動」としてあった。そして、その最終局面が現在だ。今のこの国が歴代で一番偏差値が低い首相を抱いているのはその意味でよく出来た冗談だ。見えない文化大革命は、今や、総仕上げの時期である。

 そういう方向にKADOKAWAだけでなく、出版社全体、メディア全体が向かっていく。最適化とバカ化がシナジー効果状態で笑えもしない。『週刊文春』が何故、ニコ動のブログ配信システムで最新号を配信するのか。そして、徳間がCCC、つまりTSUTAYAの資本を導入したことや、新潮社までもがラノベに参入することや、講談社のメガヒットを『週刊少年マガジン』が出せなかったことは確かに別々の現象だ。しかし、当事者たちには自覚はないにしても、よくわからないまま表現の「コンバージェンス」に向かっているように思える。ラノベなんて、小説がやがてこういう時代に適応していくためにあらかじめ最適化されたものだったことは言うまでもないだろう。その意味じゃぼくと同じ程度に星海社の太田も戦犯だし、この連載にはこのサイトはふさわしい場所かもしれない。

さて、彼らが約束の地に向かうのか、みんなでタイタニックにこぞって乗っているのか分からないが、一つだけ言えるのは、約束の地に行けるのは、今、この場にはいない、今は名前もない誰かであるということだ。それはいつの時代でも同じだ。ぼくは、まあ、死んでも(無論、比喩として)いいし、何より、沈むところを見たいから船に乗ったままだけど、あ、救命具の点検と使い方、おさらいしとかないと。


 そういうわけで、これから始まる「終わりの始まり」の前史について話すことにする。

 連載再開です。


 

◆BACK NUMBER

大塚英志緊急寄稿「企業に管理される快適なポストモダンのためのエッセイ」2014.05.17

「角川歴彦とメディアミックスの時代・序」2014.06.04

「【第1回】角川歴彦とメディアミックスの時代」2014.06.25


(written by 大塚英志



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