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2014-09-30 勝新太郎伝・その2 『影武者』の顛末
前回のつづき。
- 作者: 田崎健太
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/12/03
- メディア: 単行本
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黒澤はウィスキーのコマーシャルに出演していた。その撮影を担当した、カメラの宮川一夫はこんなぼやきを聞いている。
「三船は金儲けのためにテレビにばかり出て、見るに堪えない。仲代は目玉ばっかり動いてどうしようもない」(略)
「勝というのが、今、テレビで座頭市やっていますよ。いっぺん見てください」
宮川が勧めると、黒澤は『新・座頭市』を見て、「あれは一流だね」と褒めた。
そこで、東宝の藤本が黒澤の意を受けて勝に出演を打診することになった。
(略)
『影武者』の条件は、出演料五千万円、撮影期間約半年だった。一俳優として考えれば充分な条件である。
「難しいな。俺が『影武者』に行って、拘束されてしまったら、勝プロには一銭も入らない……」
勝は俳優であり、プロデューサー、監督でもあった。半年間を拘束されると、勝プロの業務のかなりの部分が止まってしまう。
しかし、言葉と裏腹に、勝は黒澤から声を掛けられて嬉しくて仕方がないのは明らかだった。(略)
「先生、やってください」
眞田たちは声を揃えた。(略)
勝の望む映画を作るために、勝プロを立ち上げたのだ。勝が『影武者』に出たがっている以上、何とかしなければならなかった。
(略)
勝は黒澤を京都に招待し、同じ旅館に泊まり(略)
二人は、すぐに意気投合した。黒澤は脚本を重んじるので勝とは合わないと言われていた。だが、実際に話してみると、黒澤は現場での即興性を否定している訳ではなかった。(略)
ただ、小さな行き違いも出ていた。(略)
[一人二役の内]泥棒の演出については自分に任せてくれないかと勝は頼んだ。
「自分も監督をやっているんです。片方だけはやらせてください」
黒澤を差し置いて、というつもりではなかった。自分の経験を入れれば、さらにいい映画になるはずだと勝は考えていた。それに対して黒澤は曖昧に頷くだけだった。何しろ、製作費のメドが立っていなかったのだ。
(略)
年が明けた78年1月、『新・座頭市 第二シリーズ』が始まった。勝が監督をしていると分かると、朝刊のテレビ欄に印をつけた。テレビの画面を黙って見ている黒澤は、勝の演出に共感を覚えているようだった。
(略)
[78初夏、黒澤は橋本忍に脚本を見せ意見を求めた]
なんだか体中の力が抜け落ち虚脱した感じだった。ふーっと大きな溜め息が出る。拙いよ、どうしようもないよ。……出来が悪く、詰まらなく、ただただしんどいだけなのだ。
話は戦国時代の武将、武田信玄には影武者がいたというだけにすぎない。
(略)
橋本がもっとも気になったのは、[本物にあった刀傷がなくて]泥棒が偽物の信玄だと、見破られる場面だった。(略)
勝も同じ場面に首を捻っていた。
(信玄の弟の信廉ならば、泥棒を影武者にする時点で服を脱がせて、信玄と同じ場所を刀で斬りつけるだろう)
黒澤との打ち合わせで、勝はこの部分を指摘した。黒澤は一瞬黙った後、
「矛盾はあるかもしれないけれど、客に気づかせないように見せる自信がある」と返した。
(略)
共同脚本は、複数の人間の目が入っているので、穴が少ないと橋本は考えていた。事実、これまで黒澤映画の脚本には明らかな駄作は一本もなかった。
ところが、『影武者』の脚本は失敗作だった。映画化しない方が良いと橋本は考えたほどだった。
しかし、黒澤は後戻りができなかった。これが中止になれば、二度と映画が撮れないかもしれない
(略)
『影武者』は、重要な人間が次々と欠けていくという運命に翻弄される。
最初は勝と黒澤を繋いだ、東宝の藤本真澄だった。(略)
勝に『影武者』の出演依頼をした時、藤本はすでに咽頭がんを患っていた。(略)
[再入院した79年、勝が見舞いに]
明らかに、先は長くなかった。[声帯のない]
藤本は、枕元にあった原稿用紙を取り、ペンで殴り書きを始めた。
突きだした原稿用紙には、こう書かれていた。
〈かつ きちがい くろさわ きちがい けんかするな〉
乱れた筆跡から、言いたいことを伝えられないもどかしさが伝わってきた。
(略)
[『影武者』の撮影が始まり、遅れていた『新・座頭市 第三シリーズ』の]撮影を中断し、勝は眞田と共に姫路に向かった。(略)
「今日は勝さんがわざわざ京都からおいでになったので愉快にやりましょう」
黒澤の挨拶で食事が始まった。(略)
酒が進むうちに、座は散らばった。ある俳優が勝に自分はどう芝居をすればいいのか尋ねた。すると黒澤が横から口を挟んだ。
「お前がそんなことを聞くのは百年早い」
監督の自分ではなく勝に演技のことを聞いたのが、癇に障ったようだった。黒澤の機嫌は悪くなり、重い空気のまま宴会は終了した。
今回、京都での撮影を中断してまで姫路にやってきたのは、黒澤と科白の読み合わせをするためでもあった。ところが、いつになっても勝のところに連絡が来ない。しびれを切らした眞田が確かめてみると、黒澤はすでに眠ってしまったという。
黒澤の機嫌は翌日になっても直らなかった。信廉たちが評定をしている場面で、勝頼を演じる萩原健一が科白を何度も間違えた。険しい顔をした黒澤の前で、上手くやらなければと思うほど、気が焦り、科白が出てこない。黒澤は「役者なんだから、何とか言えよ」と大きな声で怒鳴った。
萩原は顔面蒼白になっていた。
ドラマ『前略おふくろ様』などに出演していても、萩原の本職は歌い手である。その萩原をまるで虐めるかのような黒澤の言い方はどうだろうと、勝は興ざめした。
決裂
[予告]撮影のために甲冑を着けた勝を見て、黒澤は呟いた。
「まるで、高見山みたいだな」(略)
勝は暴飲暴食を続けていても、体形を気にしていた。嫌なところを突かれた勝は顔色を変えた。それでも、平静を装って黒澤に言った。
「これで藤本さんのところにお参りしてきます」
藤本の遺影が撮影所に飾られていた。(略)
すると、黒澤は顔をしかめた。
「ぼくはそういうのは嫌だなあ」
甲冑をつけて遺影に手を合わせれば、新聞に大きく報じられるだろう。勝は目立つためにわざわざ行くのだろうと嫌みを言ったのだ。黒澤に気を遺った勝は、人目につかないように裏口を通って遺影の前で手を合わせた。
(略)
[本格的な撮影前、姫路撮影のラッシュ上映会でカメラマンの宮川一夫が倒れる]
病院のベッドに横たわった宮川は、撮影がずっと順調でなかったと眞田にぼやいた。
「姫路ロケでは、雰囲気が悪かった。クロさんも久しぶりだからなあ……昔、クロさんについていた人は誰もおらんし」
「どう段取りしたらええか分からんって、ぼくのところに聞きに来るんですよ。怒鳴られるのが怖いから」(略)
宮川の視界が揺れるという症状の原因はすぐに特定できなかった。精密検査を受けるため、撮影への復帰は不可能となった。
(略)
[黒沢年男が]『新・座頭市 第三シリーズ』の撮影中、勝の控え室に顔を出すと、テーブルの上に『影武者』の脚本が置いてあるのが目についた。何気なく開いてみると、ページが手垢で真っ黒になっていた。普段脚本を一切読まない勝が、何度も繰り返し読んでいるのだ。
勝は黒澤と京都で一緒の宿に泊まり、毎日酒を飲んだのだとうれしそうだった。
「酒を飲んで馬鹿な自分の姿も見てもらった。こういう無茶苦茶な自分こそ、『影武者』にふさわしいと黒澤さんが言ってくれた」
勝は自分のわがままな部分をさらけ出し、それを黒澤は受け入れたはずだ。撮影が始まってから、その信頼関係を覆すのはずるい。
そして勝がビデオを回して降板事件勃発。
勝の代役としての打診を仲代は断った。勝は大切な友だちだ。勝の『影武者』た対する意気込みは知っていた。代役を引き受ければ勝と会えなくなるだろう。
黒澤は引き下がらなかった。(略)
仲代にとって黒澤は、自分を育ててくれた恩人だった。(略)
自分が引き受けなければ、この映画自体が消えてしまうかもしれない。仲代は悩んだ末に、代役を引き受けることにした。
ただし、勝ときちんと話をするために、一週間待ってくれと条件を出した。
仲代は、勝プロを通じて勝に会いたいという連絡を入れた。仲代のマネージャーは、何度も勝プロに足を運び「なんとか勝さんに会わせて下さい」と頭を下げた。
眞田は勝に取り次いだが、「会いたくない」という。
誰も引き受けなければ、黒澤が歩み寄ってくる可能性があるだろう。勝は一縷の望みに賭けていたのだ。仲代は勝に会えないまま、代役を引き受けることにした。
それを聞いて、勝は吐き捨てるように言った。
「これであいつとの付き合いは終わったな」
『影武者』の脚本は勝に当てて書かれたものである。個性の違う自分がそのまま演じるのは難しい。仲代は科白を変えるように頼んだが、断られた。
『警視-K』水口晴幸起用の経緯
勝は配役や脚本を固める前に、山下達郎の曲『My Sugar Babe』を使用することを決めた。(略)
山下の曲を出していたRVCビクターの担当者が、打ち合わせのため勝プロを訪れた。彼は、この後の打ち合わせのために、担当しているアーティストのアルバムを何枚か持って来ていた。勝はその中の一枚に目を留めた。
「こいつは誰だ?」
俯き気味の男の顔写真が大写しになっていた。
「彼ですか? クールスというオートバイグループにいたんですけれど、今回うちのレーベルからソロデビューすることになりました。山下がプロデュースしているんです」
勝はレコードジャケットをしげしげ見た。
「こいつと会えねえかい?」
(略)
「お前、芝居は興味あるか?」
「俺、普段からカッコつけていますから」
(略)
「お前、面白いな。そんなこと言う奴初めてだよ。これから時間大丈夫か」
「はい」
勝はどこかに電話を掛けると「フィルムを回せるようにしておけ」と指示を出した。(略)
[勝の運転するジャガーが西麻布の交差点で停まった時]
「おい、あの女のことか?」
勝は横断歩道を渡っている女性を指さした。
「えっ?」
白いスーツを着た綺麗な女性だった。
「えっ、じゃなくて、あれがヤクの売人なのか?」
何かの役柄を演じているようだった。
「ええ、実はあれが売人らしいです」
水口は声を潜めた。車が新宿に到着するまで、即興の刑事ドラマは続いた。
「お前、やれるよ。面白い」
勝は水口の肩を叩くと車を降りた。そして、カメラテストが始まった。(略)
「普通よりもゆっくり歩け。いつもよりも遅いかなと思うぐらいがちょうど良く映るんだ」
テレビシリーズ終了から9年、88年バブルの恩恵で映画「座頭市」撮影開始。
脚本がなくとも、登場人物の人間関係を作れば、毛穴から湯気が噴き出てくるように、話が浮き上がってくる。テレビシリーズ『新・座頭市』の『冬の海』と同じように現場で俳優の顔色を見て空気を感じ取れば、自然と科白が出てくるはずだった。
ところが、長く作品を撮っていなかった空白時間が、勝の勘を鈍らせていた。
調布市にある「日活撮影所」には、片岡鶴太郎、樋口可南子、蟹江敬三たちが集められていた。板の間の賭場のセットが作られ、撮影開始を待っていた。片岡は自分の役柄の名前さえ知らなかった。樋口も女親分と教えられているだけだった。それが勝のやり方だと、観念するしかなかった。
その時、勝はスタジオの一室でソファーに寝転がっていた。
「神が降りて来ないんだ」
(略)
時代劇に不慣れなスタッフの手際が悪いと、勝はしばしば怒りをぶちまけた。勝の機嫌の悪さは一過性のものである。それを知っている人間は、受け流すことができた。しかし、この映画のために集められた人間のほとんどは、勝のことを知らなかった。勝は撮影中に57歳になっており、スタッフとは年齢差があった。勝が怒れば怒るほど周囲は萎縮していった。
95年、川谷拓三肺がんに。余命半年
「俺はあとどれくらい生きられるんや?一年ぐらいか?」平静を保とうとするためか、呼吸が荒くなった。仁科の心配そうな視線に気がつき、川谷は無理に笑った。「任しとけ、がんなんか治したるわい。こんなところで死んでたまるか」
(略)
勝が病室に現れると、川谷は急いで上半身を起こした。
「親父、もう、あかん」
いきなり勝に抱きつくと、泣き出した。
「拓、大丈夫だ」
勝は背中をさすってなだめた。川谷は子どものように泣きじゃくった。
(略)
この日は勝の誕生日だった。(略)
「俺は今、ディナーショーをやっているから、戻らないといけないんだ。がんばれよ」
勝が声を掛けると、川谷は何度も頷いた。勝が帰る時、川谷はベッドから起き上がり、部屋の外まで勝を見送った。
「ありがとうございました」
深々と頭を下げた、川谷の目に涙が溜まっていた。これが勝と会う最後になるだろうと分かっていたのだ。
それから一ヶ月経たない12月22日、川谷は死去した。享年54だった。
川谷を見舞った時、勝は喉の痛みに悩まされていた。
仲代との和解、がん告知
[喉の痛みで食事量も減り点滴を打ちながら公演を続ける最中、訃報]
脚本家の隆巴、仲代達矢の妻である。
「どうしても行ってやらないといけない」
勝は眞田を連れて、仙台から新幹線に乗り東京に戻った。「お線香をあげさせてくれ」と勝が現れると、仲代は驚いた顔になった。二人が顔を合わせるのは、『影武者』降板以来のことだった。「お前には辛い思いをさせたな」と勝は肩を叩いた。遺骸の前で、手を取り合うと二人は自然に涙を流していた。そして、また一緒に映画を作ろうと手を握って別れた。
[全公演終了後入院、下咽頭がんと診断](略)
「俺は役者だ。喉だけは取らないでくれ」(略)
[家族、眞田を中華料理店に集め]
「あと三年らしい」
勝は紙に《残念》と書いてから、棒線を引いて消した。
「……いや、無念だな」
萬屋錦之介死去
病院には勝の幼なじみも入院していた。
勝を見舞った長良じゅんが、勝を車椅子に乗せて、検査に向かうためにエレベータを待っていた。そこにもう一台の車椅子が来た。長良は車椅子に乗っていた男の顔を見て、声を上げそうになった。
萬屋錦之介だった。勝と同じ年に東映へ入った中村錦之助である。(略)萬屋もまた咽頭がんを患っていた。
勝は萬屋を認めると、無言で片手を上げ、萬屋も黙ったまま片手を上げて応じた。二人とも声が出ないのだ。
(略)
97年3月10日、萬屋が肺炎をこじらせて死亡したという知らせが眞田に入った。[勝にはその死を数日伏せていたが](略)
「眞田、錦之介が死んだらしいな」
勝は眞田を呼んだ。
「はい」
「錦之介とは長い関係だ。どうしても葬式には行く」
外を出歩くのは無理ですと止めたが勝は聞かなかった。眞田が医師に外出をしてもいいかと尋ねると、「点滴を引きずって行けばいいです]と素っ気ない答えが返ってきた。
萬屋の葬儀には、多くの関係者、報道陣が集まっている。その中を勝が点滴の瓶を引きずって歩けるはずがない。勝は葬儀出席を諦め、眞田が代理で行くことになった。
勝死去、あの事件への後悔
斎藤恒久は何度も病室を訪れていた。ここ二ヶ月ほどは、麻酔の影響か、目の焦点も定まらず、あまり話もできなかったので、死を聞かされても驚きはなかった。(略)頭に残っていた言葉があった。
「なんで、ここなんだい?」
勝は絞り出すような声で喉を指さすと悲しそうな顔をしたのだ。
斎藤ははっとした。
映画『座頭市』のロケで亡くなった加藤幸雄は、喉近くの頚動脈を切っていた。病室のベッドに横たわりながら、あの事件のことを後悔していたのだ。