シベリウス、ヤン
Sibelius,Jean
(1865-1957)

 シベリウスはもっと聞かれてもいい作曲家だと思う。民族主義的な傾向が災いしているのか、イマイチポピュラーではない。「フィンランディア」を除いて曲のためもあるが、7曲の交響曲は案外ブルックナーのフィンランド版という趣がある。マーラーではない。どちらかというと精神的にはブルックナーに近い。
 シベリウスの第4番以降の交響曲を聞くのは、最初苦痛かも知れない。何が言いたいのかさっぱり分からない。
 でも「白夜の国の作曲家」というイメージを捨てて虚心に聞いてみると、民族主義的ではないシベリウスの一面が聞こえてきて、やみつきになってしまう。
 それからでいいのだ。「ああ、シベリウスってフィンランドの自然を取り込んでいるんだ」と気が付くのは。

シベリウス
交響曲第2番ニ長調op.43
ジョン・バルビローリ指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音1963/10/1
CHESKY/CD-3(輸)
レナード・バーンスタイン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音1986LIVE
DG/F00G 27032(日)
 この曲は何枚ものCDを聴いたぞ!お国ものがいいのかと思いベルグルンド、ヤルヴィ(出身は違うが、フィンランドのレーベルBISから出ていた)、サラステ(ってフィンランド人だっけ−98/1/20までサロネンと書いていた。サロネンファンの奈良在住のAYA嬢からご指摘を受けるまで、小生気がつかなかった!)など、確かにシベリウスに対する共感は素晴らしいし、魅力的な演奏だと思う(カヤヌスを聞いていないのは勉強不足だ)。これらの演奏のCDを聞く価値は高いだろう。
 お次は、グローバルな方々、カラヤン、バーンスタイン(非常に濃密な演奏。ただ遅いだけではない)、マゼール(シーティーエーという国内の訳の分からないレーベルのがある)、ディヴィスなどなど。
 そして、最もゴージャスな響きを満喫させてくれるのが、オーマンディ!これはなかなか良くて推薦できる(RCA)。ところが手元にCDがない。どこへ行っちゃったんだろう。
 バーンスタインの演奏は有無を言わせぬ説得力がある。その濃厚な演奏は、最初の内「あくが強くていやだな」と思っていたが、知らず知らずのうちに、のめりこまされてしった。
 しかし、バーンスタインはこの交響曲で最初に聞くべき演奏ではないとも感じてしまう。最初は、ベルグルント、ヤルヴィあたりか。
 そして、とっておき、バルビローリ指揮のこのロイヤル・フィルとの演奏!
 バルビローリにはEMIにハレ管弦楽団との全集盤もあるが、そちらの方が多少ひとなつっこい。
 しかし、演奏全体の気迫と完成度では、このロイヤルフィル盤が勝る。
 バルビローリとロイヤル・フィルの演奏は他に聴いていないので、珍しいのかも知れない。CD屋でジャケットに惹かれて発作的に買ったこのCDが、シベリウスの交響曲第2番の中では一番良かった。
 第1楽章第2主題(?)の胸をしめつけられるメロディの歌わせ方に、さすがバルビローリ節を感じる。
 最終楽章のフィンランドの国民を現すメロディは大変暖かくて、しかも感動する。ロシアに負けるなフィンランド!と思わず応援したくなる(すみません。ロシアの音楽を聴くと、またそれなりに感動してしまう小生は、ノーテンキなノンポリです)。
 この録音の白眉は最終楽章だろう。他に優れた演奏は数多くあるが、そのシベリウスに対する共感では一頭抜きんでている。

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シベリウス
交響曲第4番イ短調op.63
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音1965/5,9
DG/POCG-2091(日)
 シベリウスから少し離れた話題で恐縮だが、小生は最近のDGへのブーレーズの録音は購入するしない、とは別の意味でまるで共感していない。なぜブーレーズがマーラーの交響曲を録音しなければならないのか分からない。今日現在(97/7/5)第5番、第6番、第7番を聞いてきたのだが、「それがどうした」という演奏。
 申し訳ないが、まるで共感できない。マーラーの演奏では、全く逆のエモーションを持った演奏、バーンスタインの晩年の録音にも小生はあまり共感していないが。
 実は、ブーレーズにはマーラーよりもシベリウスの後期交響曲を録音してほしかった。これから録音されるのなら、ものすごく期待できるが。
 シベリウスの交響曲は、フィンランドの自然を抜きにしては語れないかも知れないが、もっとグローバルな視点からの演奏も可能だろう。
 カラヤンとバルビローリはそのことを端的に示している。確かに、ベルグルンドの演奏も素晴らしいとは思うが、イマイチ乗り切れない部分もある。逆に音響美学に徹したカラヤンの演奏に惹かれたりする。
 ただし、これからシベリウスを聞こうと思う人は、第3番や第4番、第6番から聞き始めてはいけない。作曲者の生きているときなら別だが、一応亡くなってその功績が認められているひとだから、交響曲ではまず第2番、第5番、第7番の順番でシベリウスの民族的・古典的な部分から、超越的・現代音楽的な極端な振幅を知る必要があると思う。でないとシベリウスを誤解してしまう。その上で、第1番、第3番、第4番、第6番を味わうべきだ。もちろん、本来の聞き方は自由だが。
 言葉を変えて言うと、第1番、第3番、第4番、第6番が他より落ちるということではなく、シベリウスの7曲の交響曲の振幅を知らなければ、聞き手に誤解が生じるということだ。
 実は小生がそうだったのだ。「北欧の白夜の音楽」というイメージに拘泥されてはいけない。それはシベリウスに対して失礼だ。民族的な音楽から、もっと異なる世界へのシベリウスの里程標が第4番であったのではないかと思う。
 だからこそ、ブーレーズで聞いてみたいと思うのだ。

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シベリウス
交響曲第5番変ホ長調op.82
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音1965/2
DG/POCG-2090(日)
パーヴォ・ベルグルンド指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
録音1986/12
EMI/TOCE-7209(日)
 シベリウスの他の交響曲に比べて、第1楽章から明るく輝かしい。この交響曲では、カラヤンかバルビローリ、そしてベルクルントを聞いて立体的に楽しもう。
 第1番や第2番に比べて、響きやメロディは単純になっているのに、後期交響曲の方がはるかに深い音楽だ。
 面白いくらいにカラヤン、バルビローリとベルグルンドでは解釈が違う。ベルグルンドはなめらかな耳あたりのいい演奏ではないが、非常に力強い。
 どちらが上だとか、お国ものを称揚する趣味は小生には全くないが、グローバルな音づくりと、ドメスティックな響きを両方楽しんじゃった方が得だと思う。
 この交響曲を初めて聞く人は、恐らく最初「なんだこりゃ!面白くねえや」と思われるに違いないが、何度でも繰り返して聞いてみてほしい。
 聞き込むうちにこの交響曲ほど、はまりこんじゃう音楽も珍しい。特に最終楽章最後のコラール風旋律が盛り上がってゆくところは、毎日にように聞きたくなってしまう。
 スペクタクルな映画音楽か、コンピュータゲームの音楽か、はてまたシンフォニックな音楽が好きなヘビメタの連中のメロディに似ていなくもないが、不思議な魅力に溢れている。

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シベリウス
交響曲第6番変ニ短調op.104
ジョン・バルビローリ指揮
ハレ管弦楽団
録音1970/3
EMI/TOCE-6043(日)

最近、廉価盤で再登場している
 久しぶりにこの交響曲を聞いてみて、「あれ?、こんなに優しさに充ちた曲だったかな」と思わず全曲聞き直してしまった。
 バリビローリの演奏だったからかも知れない。聞き始めの頃、シベリウスの後期交響曲だから難しいと構えて聞いていたのかも知れない。
 初めて聞いたときには、晦渋であまりよく分からなかったが、今回聞き直してみていい曲だと思った。
 シベリウスの能書きにも少し書いたが、案外、ブルックナーファンがシベリウスを好きになるかも知れない。世のブルックナーファンのみなさま、一度この第6番を聞いてみてください。「このやろ、全然違うじゃないか!」と怒られそうだが、それは作曲技法、各々の作曲家の立脚点が違うからで、ブルックナーとシベリウスの通底している部分を感じ取った方が、より面白く音楽を聴けると思う(ブルックナーより、一般的にはシベリウスの方が、受容される歴史ははるかに早かったんですよ)。

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シベリウス
交響曲第7番変ホ長調op.82
エヴゲニ・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
録音1965/2/23LIVE
MERODIA/VICTER/VICC-2033(日)
 最初シベリウスが何を言いたいのかさっぱり分からない。
 しかし、他のシベリウスの交響曲と同様、何回も聞くうちに、知らず知らずはまり込んでゆく。
 カラヤン、バルビローリ、ベルグルンドで立体的に楽しむのがいいと思うが(たいして楽しい音楽でもないが)、鋼のような響きが独特のムラヴィンスキーの演奏がなかなかに凄い。
 この曲は、まかり間違うとフニャフニャグニャグニャとムード音楽のようになってしまうが、ムラヴィンスキーは恐ろしいほどの強力な意志でこの交響曲を鳴らしてしまう。しかも、響きが素朴にならないのが凄い。「ウヘエ!」と驚くクレッシェンドを聞くことができる。思わず襟を正して聞いてしまいそう。
 シベリウスの最後の到達点がこの交響曲だと言われているが、テーマのない交響詩が延々と続く印象を受ける。それは音楽という芸術形式に対するノスタルジアなのだろうか?曲自体もノスタルジーに満ちていて、ヴェーベルンやショスタコーヴィッチの交響曲とは異なるが、確かにロマン派の作り出した交響曲の最後の姿の一つなのかも知れない。
 ムラヴィンスキーは、少し構成的に強固すぎるかも知れない。最初は、やはりカラヤン、バルビローリ、ベルグルンド・・・(なんだか3題話みたい)。

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シベリウス
管弦楽曲集
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音1984
DG/413 755-2(輸)
アドリアン・リーパー指揮
カペラ・イストロポリターナ
録音1989
NAXOS/8.550330(輸)
 おなじみ交響詩「フィンランディア」、「トォネラの白鳥」、「悲しいワルツ」、交響詩「タピオラ」などなど。
 いわゆる管弦楽名曲集なので、誰の演奏が最も優れていると目くじらをたてて聞くのは大人げない。
 ただ、「フィンランディア」などには噴飯ものの演奏もあるが、個人の趣味なのでここでは云々しない。
 さまざまなCDがあるが、やはり最も安心して聞いていられるのはカラヤンの演奏とバルビローリだろう。カラヤンはDGから2種、EMIから1種出ているが、「フィンランディア」などもっと素朴な演奏が可能だという理由で(国民意識発揚の音楽だもの、カラヤンだと美しすぎる?)、多少の違和感はあるがそれでも名演には違いない。
 「悲しいワルツ」は、その情景を思い描きながら聞くと泣けますよー!、まさに上質の歌のないオペラだ。
 「トォネラの白鳥」や「タピオラ」も冷ややかな感触が魅力。
 カラヤン版名曲集は、60年代のきりっとした演奏もいいが、最後の84年録音のものもいい。より、懐の深い音楽になっている。
 もう1種は、NAXOSのグリーグの管弦楽曲集と一緒になっているもの。いわゆるカラヤン盤などの名曲集とは違い、リラックスして聞けるように選曲してある。CDの題名も「Romantic Music for Strings」で、弦楽オーケストラによる曲集。
 NAXOSの各種のCDで、ワーズワース、リーパー、ヴィットという指揮者を初めて知った。確かにいわゆる大家の音楽ではないかも知れないが、安心して聞ける。日本の石丸寛さんみたいだな。
 これはブランディでもなめながら、少し暗めの部屋でパラゴンかなんかで(昔出ていたJBLの超高級スピーカーシステムです)聞くといいなと思う(夢です。自分の部屋のなんというちらかりよう!狭い部屋にゴチャゴチャとCDと書籍が積み重なっている。ロマンチックじゃねえなあ、この環境!)

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