秋の夜長に 

2014/09/30
Tue. 04:03

あと一ヶ月。
秋の風がどうしても感傷的な気持ちにさせますね。
そんな場合ではないのですが。

こんな小さな店ですが、この子のためだけにやってきた5年間でした。
18の頃からなんで16年かな。

自分語りをする歳でもないのでしょうが、よく聞かれることですし、隠すことでもないし。
このブログも最後でしょうから。

そもそも私は料理なんて興味がなく、家庭科の授業で謎の料理検定3級というのにも落ちたクラスの2~3人のうちの一人だったくらいです。

高校は親に無理を言って故郷からずっと離れたデザイン系の高校に行かせてもらいました。
将来は画家になるんだって本気で頑張っていたのですが、私が一人暮らしをさせてもらったり高い画材を強請ったためでしょう。実家が倒産します。
もちろんこんなとこで発表することではないことは承知してます。
そして大学を諦めます。
その時に私は一つ決断をしました。
高卒ではありえない就職先を恩師に紹介していただいたのですが、アホな私はその話をお断りするという暴挙に出ます。
卒業してお金を貯めて大学に行くんだって。
あの時の先生の悔しそうな悲しそうな顔は忘れられません。
毎日朝から晩までデッサンしてたので、社会の厳しさなんて全く知らなかったんでしょうね。
借金取りの怖い人が学校や住んでたアパートに来ても逆切れしてたくらいでしたから。

卒業して、高卒で一番給料がいいのってやっぱり飲食で。
松山のアマーレアマーレというイタリア料理の店に入ります。
その店がまた強烈な店で、予約は一切取らずに、夜だけで三回転させるような。(今は移転されて落ち着いたレストランになってます)
食べ終わったらお客さんには帰ってくれと言いにいきます。
猛烈なスピードと、鬼のようなシェフ、先輩。
とにかく朝早い仕込みから緊迫していて、生きた心地がしないとはこのことで。
しかし才能溢れる私はメキメキと頭角をあらわし...
ませんでした。

今考えるとよく使ってくれたなと思います。
体ばっかりでかくて、不器用で、デクノ坊と呼ばれてました。
毎日辞めたいと、本当に毎日思ってました。
一日だって楽しかったことはなかったです。
給料だって13万もなかったので切りつめてもほとんど貯まりませんでしたね。当たり前ですが。
そこは、料理人を志す人の集まる場所でしたから。

三年ほどしてからかな、きっかけも何もなく。
ただ何故か、料理が楽しくなってました。
そこから21,2でストーブ前を任され24の時に本店を任せてもらいました。

そして、神戸に出ることを決意します。
何故かというと…神戸という響きがかっこよかったからです。
横浜か神戸か本気で悩んだくらいですから。
えぇ、ミーハー(死語)ですよ。。
その時私はまた暴挙に出ます。
松山でお世話になった全日空ホテルの支配人に、神戸の某有名ホテルのレストランの紹介をいただくのですが...
断ります。
あの時の支配人の悔しそうな悲しそうな顔は忘れられません。

世間知らずの私はインターネットで部屋を決め騙されます。
やっぱり神戸は敷金礼金高いんだなーなんて思ってましたが、今考えるとやられてますね。

春日野道にある大日通商店街というアーケードの中のマンションで、窓を開けてもアーケード内で陽当たりどころか風も吹かずに、商店街のテーマソングが流れていて、下が天ぷら屋さんで洗濯物も干せず。
それでも松山の友人とトラック借りて夜中に引っ越しして。無駄にパワフルでしたね。
手元には6575円しかなくて、電気もガスも水道も通ってない部屋にしばらく住んでました。
苦労した自慢ではないです。
イタリアに単身行って野宿しながらレストランで修業したっていう、かっこいい話ではなくて。

田舎もんのアホな子が、人の忠告も聞かずに行動して失敗ばかりしている珍道中の噺です。

神戸に来たその日にフロムAで大丸のレストランに電話して、次の日から働かせてもらいましたね。

そこからは本当に時系列が分からないくらい馬車馬でしたね。
とにかく朝から晩まで働きました。
レストラン、カフェ、練り物工場、市場。

名前を出させてもらっていいところは、炭火の勉強がどうしてもしたかったので加納町のせいごろりん、という焼き鳥の店で働かせてもらったことや、甲南本通商店街の魚屋大杉で朝から魚の仕入れや処理、夜は隣の鮨大杉で大将に魚の扱いを教えてもらいました。
この二つの経験はとくに大きいですね。

炭は炭火屋、魚は鮨屋。

そこから西宮に移り住み、食品会社に勤めながら今の物件を見つけました。
直感もあるし、あの通りも好きなので。
大した理由はありませんが。

店を出すことで大きな借金をしましたが、私なんか身寄りもない者には借金すらさせてもらえないのが世の常です、そのために力を貸していただいた方の恩は一生かけてかえさなければなりません。

どこぞのわけわからん奴がいきなり店をだして、プロのサービスマンもいないし、料理頼んでもなかなか出てこないし。
最近は焼肉屋でも煙がないのに、店の中は煙幕で。この魚ドヤ顔の料理人がのたまうって。

自分で考えても滑稽です。

この街には私のことを良くいう人のほうが少ないでしょう。


そんな私を信じ、育ててくれたのは、お客様で。
離れていった方ももちろん。

毛並みの良い店ではありませんが。
支えてくれた方にとって誇れる店であるために。

嫌いで嫌いで仕方なかった料理の店をします。


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