青森のニュース
  • 記事を印刷

核燃再考 青森から/原船むつの40年(上)遺産/原子炉廃炉の途上/船の一部研究船に転用

原子力船「むつ」の原子炉。普段は格納容器の外側からガラス越しに見ることが可能だ=むつ市関根、むつ科学技術館

 原子力の安全性に対して、国民の不安が増大した歴史的な出来事がある。1974年9月1日の原子力船「むつ」の放射線漏れだ。あれから40年。「むつ」は廃船となったが、母港のあった青森県下北半島には原子力関連施設が集中する。日本初の原船は原子力政策や地域に何を残したのか。福島第1原発事故を経験した現在と「むつ」を結ぶ航跡をたどった。(むつ支局・加藤健太郎)

 「むつ」の原子炉は一般公開されている。
 場所は母港だったむつ市関根浜港に隣接する「むつ科学技術館」。鉛ガラス越しだが、稼働した原子炉を見ることができるのは、世界でもここだけだ。幸か不幸か、運転時間が短く、残留放射性物質が少ないため展示が可能になったという。

▼ 開発に1200億円
 進水から解体まで26年。研究開発に約1200億円が投じられた。航海日数166日、原子炉運転時間3532時間。初の試験航海で放射線漏れはあったが、原船プロジェクトに対する国の最終評価は「成功」だ。国産技術で設計、建造、運航をし、船体の揺れや傾きが原子炉に与える影響のデータ取得などの成果を挙げた。
 元機関士で日本原子力研究開発機構(原子力機構)青森研究開発センターむつ事務所次長の藪内典明さん(56)は「原子動力の力強さ、反応の良さに驚いた。『むつ』を語り継ぐことを使命だと感じている」と話す。

▼ 海外委託検討
 原子炉は実は「廃炉」の途中にいる。船体から一括撤去されたのが95年。2006年に国から廃止措置計画が認可された。将来、切断、廃棄される予定だが、具体的には決まっていない。
 原子力機構むつ事務所長の水島俊彦さん(58)は廃止措置について「技術的には確立されつつあるが、東日本大震災への対応もあり、現状では難しい。前に進める努力を続けたい」と強調した。
 93年に原子炉から取り出された34体の使用済み核燃料は、茨城県東海村の原子力機構東海研究開発センターに運ばれ、再処理のため6体に組み直された。その先の工程は未定だったが、同機構は29日、東海村での再処理を断念し海外委託を検討すると明らかにした。

▼ 何も変わらぬ
 「むつ」の船体は1995年に解体され、一部は海洋研究開発機構(海洋機構)の海洋地球研究船「みらい」に転用された。福島第1原発事故で出動し、福島沖の海中の放射性物質を調べたのは因縁のようでもある。
 「みらい」の母港にもなった関根浜港と最初の定係港だった大湊港の周辺には現在、原子力機構、海洋機構、日本海洋科学振興財団、日本分析センターの研究拠点が集積する。むつ市は「海洋科学研究拠点都市」を長期総合計画に掲げる。
 地元の関根浜漁協組合長の成田士郎さん(66)は「(40年前と比べ)変わったことと言えば高齢化で漁師が減ったことかな。『むつ』には特段何も期待していなかったし、何も変わっていないよ」と淡々と語った。


2014年09月30日火曜日

関連ページ: 青森 政治・行政

記事データベース
先頭に戻る