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修羅の言論、仏に非ず

 投稿者:桜@青い太陽  投稿日:2014年 9月30日(火)01時53分27秒
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  みなさん、こんばんは。


一点だけ、ご指摘させていただいて、ROMに専念いたします。




>あんたも青臭いのう(爆笑)

問題の本質は、そんなこととちゃうで。

既に他人のエディットの入った文書を「原典」として
流してしもうた信濃町某の立ち位置が揺らいでおるのよ(鬼笑)

つまり信濃町はんは、何が真性の御指導か、そうでないか
判別する論拠を失うておるいうこっちゃ。

あんたのつぶらな脳みそで、以下の京都乃鬼はんの提起された見解を
も一度よう考えてみいや。




「和らかに又強く両目を細めに見・顔貌に色を調のへて閑に言上すべき」-教行証御書、1280ページ


日蓮大聖人の門下ならば、修羅の言論で、相手よりも優位に立とうとするのではなく、相手への礼節と謙虚な姿勢で、ものの道理を主張するべきです。

論点をずらす事を追求することはしませんが、実力のない者に限って、他者よりも優位に立つための威嚇や侮蔑と言った言葉の使い方をしますね。


池田先生の対話の極意は、どこまでも相手を尊敬し、礼節と信義を持って、真剣勝負の対話をされました。

いやしくも、池田門下ならば、師匠の名代として互いの仏性を確信して誠実に真摯に対話をするという言論戦の王道を進んでもらいたい。

池田先生は理想主義でした。

それを青臭いと笑うなら笑うでよし。

自身の心の明鏡に照らして、修羅の言論が、六道輪廻の彷徨える狭い境涯に堕す事を自覚されたい。


修羅の言論に堕するならば、それはここで議論になっている谷川さんたちの境涯と同じ無明に堕するのです。

仏法は厳しい。

はったりは通用しない。


本部の腐敗幹部が魔に食われた事実を反面教師として、自らの態度、自らの姿勢に対する反省や自戒がなければ、同じ天魔となるのです。


池田門下は、どこまでも謙虚で誠実で慈悲と哲理の言論で、内外に思想戦で人間革命の王道の創価学会の大道を行かねばならない。

フェイクや遊び半分の投稿は、先生に迷惑です。

池田門下は、徒党を組んでヤクザまがいの言質に堕するなど、師弟不二、師弟同心、師弟共戦という、学会の王道の方程式の矮小化に堕す。

門下一同、くれぐれも用心するべきでしょう。

以上。
 
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