元・戦旗派代表の荒岱介(あら・たいすけ)さんが亡くなった。5月3日(火)のことだ。体調を崩している、とは聞いていたが、危篤だとは思わなかった。65歳だった。若かったのに。何とも残念だ。
僕は大学時代から知っている。同じ早稲田だし、荒さんはブント(社学同)を率いて、雄々しく闘っていた。僕は右翼学生で、いつも激突していた。圧倒的に彼らの方が強い。数も多いし、社学同は体のデカイ、武闘派が多かった。
だから、激突しても、こちらはいつも撃破されていた。荒さん自身も、180センチ以上あるし、武闘派だ。そして論客だった。なんせ、早稲田では、「組織された暴力を!」と叫んでいた。学生・人民の暴力は全面的に認め、それを組織化して、権力抵抗しよう。そして、革命を!というのだ。「組織暴力」といったら、暴力団・ヤクザと誤解される。でも、荒さんは、「勝手に誤解しろ!」と思ってたんだろう。自分たちだって、革命的暴力団だ、と思っていたのだろう。
大学で激突した日々が続き、それから25年が経ち、再会した。初めは、田宮高麿さんの「お別れ会」(1996年)の時だった。田宮さんは、1970年によど号をハイジャックして北朝鮮に渡った赤軍派9人のリーダーだ。
同じ早大で闘った
その時は、荒さんとは、「久しぶりです」と挨拶しただけだった。昔の敵とバッタリ会って、何か、気まずいというか、ぎこちない感じだった。この時、木村三浩氏も紹介した。
ところが、それから、ロフトプラスワンなどで一緒にトークすることが多くなった。木村氏も何度も出た。さらに僕は、荒さんのブントの集会にも呼ばれた。新左翼の非合法路線は清算し、市民運動として生まれ変わっていた。だから宮崎学さんを初め、多くの人を呼び、討論会をやったのだ。そこに何度か呼ばれた。「市民運動」といっても、圧倒的に、元活動家が多い。革命の志を持った人々だ。私なんかを呼んだんでは反対も多いだろうと思った。
「右翼反動の鈴木を呼ぶくらいなら、俺たちは辞める」と言う人もいたという。「じゃ、辞めていい」と言って、集会を強行した。荒さんが言っていた。申し訳ない。私ごときを呼ぶために、昔からの同志を切ったのだ。
『左翼はどこへ行ったのか!』
さらに、荒さんとは、別冊宝島の『左翼はどこへ行ったのか』で対談している。08年に。それは今でも手に入る。私にとってもいい記念になった。
又、荒さんは、野村秋介さんとも会っている。それも府中刑務所で。そのことを、『監獄ロック ロウソクの焔を見よ』(彩流社・08年)で、詳しく書いている。この本を本棚から探して、手に取ってみた。アレッ、本の帯にも、書いてるよ。野村さんのことが…。「過激派の“祭り”の記録」として…。
<引用終>
左翼とか右翼とかもうわけなくてもいいような…
だって、「在特会と反原連と独立党は似てる」って言われているんですよw