愛族同盟
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まずはこれを読んでください。
高沢皓司さんの「オウムと北朝鮮」より抜粋
(※国松長官狙撃事件の後の話です)
射撃の腕は仲間うちでも一番
事件の起こった1995年の春、私はこの連載の以前の回でも書いたように、たびたび北朝鮮を訪れていた。「よど号」ハィジャック・グループのリーダー・田宮高麿と、いくつか打ち合わせをする必要やインタビューの仕事があったからである。田宮をはじめとする「よど号」グループと、取りとめのない話も含めて、さまざまなことを話し合っていた。 その後、私は彼ら「よど号」グループのあまりにも多い「嘘」と、不誠実にほとんど嫌気がさしたこともあって、訣別を余儀なくされるが、折からのオウム真理教の事件や、この国松警察庁長官狙撃事件についても、何度か話をする機会があった。 田宮と「よど号」グループは、ちょうどそのころ、「愛族同盟」という民族派組織を日本国内でつくることを計画していた。もちろん、この発想は彼ら「よど号」グループの発想にもとづくものではなく、朝鮮労働党の指導によるものであったろう。「愛族」という言葉そのものが、金正日が北朝鮮国内に向けてスローガンとしていた言葉であったからである。ただ、私には、それらのスローガンと語られる内容がひどく時代錯誤で、ナチスにも近いファシズムとしかみえなかった。 「やめろよ……」 と、私は一度だけ彼に言った。 田宮は、そのとき、 「もう、遅い!」 と、叫ぶように言った。 私たちの間に、気まずい沈黙が落ちた。 そのあとに、田宮はこう言ったのである。 「貴賓室に呼ばれてな、そうやれと言われたら、それには従わざるをえないやろ……」 私は黙っていたが、それがあの国の最高権力者を意味していることは明らかだった。田宮高麿が、少なくとも当時、そうした立場にいたことは確かである。彼が語らないまま胸の奥にしまいこんで、あの世に持っていってしまったことは数多いと思われるが、国松警察庁長官狙撃事件にかかわることについても、彼は口に出して言うことのできない何かを知っていたのだと思えるのである。 もっとも私にしてみれば、当時、オウム真理教の事件についての関心は、ごく普通の一般的な興味を越えるものではなかった。 しかし、警察庁長官の狙撃事件は、事件の性格や、その意外性からしても大事件だっ」たから“話題にのぼらないわけはなかった。その話の途中で、彼は意外なことを言ったのである。 「似てるんだよな。あの身のこなしといい、身軽さといい……射撃の腕といい……」 彼が、心配していたのは、同じ「よど号」の仲間である田中義三についてだった。 「射撃の腕は、仲間うちでは田中が一番やった。たしか、あの犯人は自転車で逃げるんだろ。あれは、よっぽど身のこなしが軽くないと思いつかんだろ。そういう意味ではプロだと思うよ。意表を突くことが、一番、大事なことだしな」 田宮はそのとき、狙撃事件の犯人像について詳しく聞きたがった。私にしても、すでに報道されている以上の犯人像や手がかりを知っているわけではなかったが、知っているかぎりの情報は彼に話した。ときどき、なにかを必死に考えるようにしながら、田宮は、結論めいた口調で、こう言ったのである。 「……似てる」 と。 正直にいうと、私は田宮の心配しているところがどこにあるのか、そのときはわからなかった。なるほど、そうか。あの犯人と田中はそんなに似ているのか、漠然とそんなことを考えていただけである。国松長官狙撃事件と「よど号」グループのことが、私のなかでは、しっくりとまだ結びつかなかったのである。 別の指揮系統で活動していた ここにきて、あらためてオウム真理教の一連のテロ事件と、その背景の闇に溶けこんでいる北朝鮮工作組織のつながりに光をあてようとして、私は、そのときの田宮の言葉について、はじめて考えをめぐらせるようになった。「よど号」をハィジャックした赤軍派が、北朝鮮に渡ってから、あの国でどのように扱われ、どのような訓練を受けてきたかについて、私は『宿命−「よど号」亡命者たちの秘密工作』(新潮社)という本のなかで、詳細に辿った。だから、ここであらためて詳しく辿りなおすことはしないが、彼らが北朝鮮に渡ってから数年後に、金日成主義とチュチェ思想に完全に転向し、隔離された日本人だけの「村」で、軍事訓練をはじめとするあらゆる工作技術を学び、朝鮮労働党の傭兵と化していた事実だけは、ここにもくり返して述べておかなければならないだろう。 彼らの軍事訓練は、日本人革命村と呼ばれる彼らの居住施設内で、数年にもわたり、朝鮮人民軍の指導教官から直直に行われていた。銃火器の扱い、短銃、自動小銃(カラシニコフAK47だったが)の分解と組み立て、狙撃訓練(これは彼らの「村」のなかに射撃訓練場が建設されていた)、火薬の扱い方、ほかにもありとあらゆる破壌工作の技術と諜報技術が教えこまれた。 もちろん、それぞれの人間に特性というものはあり、すべてのメンバーがそうした軍事的な技術や工作技術に熟練したかどうかは疑問だが、そのなかでずば抜けて優秀な成績を示したのは、他ならぬ田中義三だったとされている。 田宮高麿の心配も、根拠のないことではなかったのである。 田宮の証言には、もうひとつの重要な意味が隠されている。それは、実際上「よど号」グループのリーダーであった田宮が、「もしかして、あれは田中ではないのか」という心配を一時でもしたということは、彼にとって、田中の行動は自分の指揮系統以外のものであることを、暗に語っていたことになるからである。 田中義三は、「よど号」ハイジャッカーの一員であり、たしかにグループのメンバーでもあったが、彼の行動は謎に包まれていた。多くの場合、彼はピョンヤンで仲間とともに行動することはなく、「よど号」グループがヨーロッパでの工作活動の第一線から身を引いた後も、彼だけは海外での活動にとどまっている。ひところは、そのことでもってグループ内で対立があったのではないか、彼だけは別の工作活動に従事しているのではないか、という噂も根強くあった。 別の工作活動を裏付けるかのように、田中は1996年3月、偽ドル紙幣を使用した容疑で、カンボジア当局に逮捕されている。 田宮の発言は、そのことをはっきりと裏付けていた。 田中の活動内容について、組織のリーダー田宮は、まったく把握していなかったのである。 すでに連載の中で何度か指摘したとおり、田宮は、オウム真理教の一連のテロ事件が話題になったときに、 「筋がちがう……」 と、言った。 田中義三の活動も田宮にとってみれば、「よど号」グループとは「筋がちがう」という性質のものだったのだろう。出自そのものは「よど号」グループという同じ仲間であっても、活動内容はまったく別の指揮系統の中に位置づけられていたというのが、真相だった。 わかりやすい例えをすると、彼、田中は「よど号」グループという労働党の“子会社”から、“親会社”に出向した出向社員のようなものであったのだろう。その出向社員は、職場の任務や仕事の内容について、当然のように親会社の指示に従わざるをえず、子会社の指示で動くわけではない。あくまで労働党という親会社の指示で動かざるをえない。 リーダー田宮が、田中のことを案じたのも、そういう事情があったのだろう。田宮は、出向した社員、田中義三がどこで、どのような活動をしているかについて、詳しい報告を聞いてはいなかった。 その田宮のまえに、突然、オウムのサリン事件に引き続いて、国松長官狙撃事件が伝えられた。報道される犯人像は、その田中義三に酷似していた。彼には、私のうかがい知れない、なにか思い当たるふしがあったのだと、思わずにはいられないのである。 <引用終>
え〜〜と、
気になるワードは、
★「愛族同盟」という民族派組織を日本国内でつくることを計画
★活動内容はまったく別の指揮系統の中に位置づけられていた
の2点。
因みに、どこかのブロガーさんもこの高沢皓司さんの文章はブログで引用されておりますが
↓
私は、もうちょっと長く引用させていただいて、どこかのブロガーさんが焦点を当てている「エセ右翼」などはおいておいて、、
その「愛族同盟」という民族は組織を日本国内でつくった人は誰か?
田中義三を指揮していた「別の指揮系統」とは何か?において、
これから思いついたものを勝手にメモします。(ソースはすべてウィキからです)
★まずは、国松長官が狙撃されたのは
で、1995年3月30日。
★田宮高麿が死んだのが
、
で、1995年11月30日です。
で。
田宮が死ぬ前日に会ったのが塩見孝也。
田宮は1995年11月30日に平壌で死亡したとされ、当局は死因を心臓麻痺と発表している。しかし、前日の29日に赤軍派議長だった塩見孝也が田宮に平壌駅で見送られており、死亡日前日まで田宮が元気であったことが確認されていることから、高沢をはじめ拉致事案を追っているジャーナリストの多くが田宮の死に疑問を呈している。
★一方、塩見孝也は…
ぱとり・自主日本の会を主宰し、定期的に都内で集会を開くなどの活動を行っている。出所後は何度も渡朝し田宮(1995年死亡)らと再会。また近年、民族主義を唱え一水会らと共に「国の日集会」(毎年9月2日開催)を開いたり、よど号事件実行犯が日本人拉致に関与しているかのような発言を行い、物議を醸している。
なんですよね。
★で。一水会のウィキを見てみると、
創設以来、鈴木邦男が代表を務めてきたが、1999年(平成11年)、書記長だった木村三浩に交代した。鈴木は顧問となり、文化人として日本の現状を憂え、言論活動を行っている。出版物も60冊を超えた。一方、木村は創造的民族派活動を掲げ、右翼民族派としては画期的な池子米軍住宅建設反対運動を行ったり、「対米自立」の観点を堅持しつつ、国際的な視点から湾岸戦争以降のイラク、NATO空爆後のユーゴスラヴィア(現セルビア共和国)等を訪問。フランス、ドイツ、ロシア、リビア、シリア、マレーシア等各国の民族主義政党・団体と交流し、民族派同士の国際連帯を構築した。
で、民族主義にいやに御熱心なんです。
★で。ロフトとブントの戦いが、
クロニクル〈ロフト襲撃事件〉97年7月〜12月
で。田中義三を動かしていた別系統って、私はアリラン爺さん達じゃないかと思うわけです。
で。ロフトとブントが仲直りしたきっかけは、「愛族同盟」のご命令が下ったからじゃないかと、私は思ったわけです。
で。この人もやはり、「民族」「民族」と言ってますね。
↓
実に分かりやすいw
アリラン アリラン アラリヨ〜〜
豚さんは桑田さん、絶賛してましたよね。
で。やはり、真打登場です。
>それから、ピョンヤンギャングも朝鮮総連・シバキ隊経由で
首都圏反原発連合と合流するだろうし… あ。あからさまの人がいましたね。独立党にも… |
「メモホルダー」書庫の記事一覧
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2014/9/28(日) 午後 1:08
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2014/9/27(土) 午後 11:31
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2014/9/26(金) 午後 11:11
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2014/9/26(金) 午後 2:37
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2014/9/26(金) 午後 2:00
田中義三を動かしていたのは、たぶん、
塩見孝也、重信房子、鈴木邦男、亀井静香、
佐々敦行、後藤田正晴、中曽根康弘の
7人だろうな〜。ここで何故、あさま山荘事件や
よど号ハイジャック事件で塩見孝也と対峙して
いた亀井静香が
出てくるかというと、亀井静香が亡命中の
麻薬王でペルー大統領のアルベルト・フジモリを
擁護して、亀井静香の国民新党から出馬させようと
してたでしょ。けど、そのアルベルト・フジモリの
奥さんが、あさま山荘事件やらよど号ハイジャック事件で
亀井静香と対立関係にあった塩見孝也と政治活動を
共にしていた摩訶不思議な世界があるわけよ。
2014/9/19(金) 午後 0:35 [ 秋山 ]
で、亀井静香の仲間の佐々敦行に関しては、
佐々敦行の実父がリヒャルト・ゾルゲの
右腕として赤で、しかも、四元義隆を通して、
重信房子の実父とお仲間だったし、佐々敦行の
義父(奥さんの父親)が朝鮮窒素肥料の幹部として、
北朝鮮で核開発していて、部下には統一教会の
文鮮明までいたしね。で、中曽根康弘の指南役が
四元義隆で、右腕が後藤田正晴で、後藤田正晴の
部下が、佐々敦行、亀井静香、そして、狙撃された
国松だよ。しかも、田中義三は佐々敦行の祖父が
設立した高校のご出身。全国で5000近い高校がある
中で、よど号グループは、
捕まった塩見孝也を加えるとたったの10人だよ。
2014/9/19(金) 午後 0:36 [ 秋山 ]
で、朝堂院大覚が、後藤田正晴に合計5億円を
献金する一方で、オウムの広告を内外タイムスと
フクニチ新聞に載せるよう働きかけ、後藤組の
組長に敏腕弁護士を紹介し、さらに、塩見孝也や
頭山満の孫と共に、一水会を鼓舞する会なんていう
パーティを共同開催した
からね。で、後藤田正晴の子分の佐々敦行が、さらに
子分の寺尾正大に、上九一色村の捜査を…。
ぜーんぶ繋がってまっせ。
2014/9/19(金) 午後 1:16 [ 秋山 ]
高沢皓司さんの本は私が北朝鮮のことを知りたくて、まず最初に読んだ本です。
こうやって抜粋して載せてくれていると、見直すポイントも違いますね。
豚はどうして、途中までしか引用していなかったんだろうか?
その先を読めば、赤軍派の闇に触れることができるのに、
それを途中でやめて、エセ右翼の話ばかりに持っていこうとする
もしかして、赤軍派関係者を擁護してるのかもしれませんね。
(独立党の中にも関係者はいるっぽいからw)
オウムの中に潜んでいたと言われるチュチェ思想研究所の尾上健一はもともと中核派でしたしねw
2014/9/19(金) 午後 2:53 [ ミカエル ]
>田中義三を動かしていたのは、たぶん、
塩見孝也、重信房子、鈴木邦男、亀井静香、
佐々敦行、後藤田正晴、中曽根康弘の
7人だろうな〜。
↑
オウムの闇っしょw
2014/9/19(金) 午後 2:55 [ ミカエル ]
そういえば、鈴木邦男を絶賛しているあのねあのねというヤツも、あそこの党の中にいましたねw
2014/9/19(金) 午後 2:56 [ ミカエル ]
田中義三は佐々敦行の祖父が
設立した高校のご出身。
熊本済々黌高等学校ですね。
孫文とかも来校している。玄洋社臭い学校です。
今も、防衛大学とかに進学する生徒が多いという話。
一瞬、スパイ工作学校だったのかとか思いましたが、
クリームシチューの上田や有田も卒業してますねw
(上田だってw)
2014/9/19(金) 午後 3:02 [ ミカエル ]
で。愛族同盟とネオ満州って関係あるのかな?とか思ってます。
2014/9/19(金) 午後 3:06 [ ミカエル ]
>よど号グループは、
捕まった塩見孝也を加えるとたったの10人だよ
子会社がよど号なら親会社はまだ日本にある!
社長は誰だ〜?w
満州人脈の二代目、三代目が親会社の幹部になってる?
ならば、頭山○介とか笹川○平とか?
上に書いた尾上はハンセン病に触れて、チュチェ思想になったとか訳が分からないことがウィキに載っているんだが、ハンセン病とは一体何?
何でなるんだろうか?
あの工場と関係あるのか?
それとも731?
何??
笹川良一もハンセン病は特に気にしてましたし。
???
2014/9/19(金) 午後 3:21 [ ミカエル ]
笹川良一よりもむしろ四元義隆こそが黒幕じゃないか?
塩見孝也、重信房子、鈴木邦男、亀井静香、佐々敦行、
後藤田正晴、中曽根康弘、この7匹の上官は、どう考えても、
四元義隆でしょ。
2014/9/19(金) 午後 3:57 [ 秋山 ]
日本の黒い貴族として力がある家柄は、頭山家(頭山満)や
犬養家(犬養毅)、松方家(松方正義)、岩崎家(岩崎弥太郎)、
安川家(安川第五郎)、明石家(明石元二郎)、正力家(正力松太郎)、
緒方家(緒方竹虎)、佐々家(佐々弘雄)、出口家(出口王仁三郎)、
谷口家(谷口雅春)、岡田家(岡田茂吉)、鮎川家(鮎川義介)、
久原家(久原房之助)、笹川家(笹川良一)、岸家(岸信介)、
児玉家(児玉誉士夫)、稲川家(稲川聖城)、小泉家(小泉純一郎)、
石原家(石原慎太郎)、池田家(池田大作)などが確かに有名だけど、
毛利(毛利元就)や西園寺家(西園寺公望)の方が格上でないかい?
もちろん、黒い貴族の頂点は天皇家(大室寅之祐)だけどさ。
2014/9/19(金) 午後 5:18 [ 秋山 ]