大天使ミカエルとミカエルの仲間達

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ハンセン病と731部隊(メモ)

やはり、関係してた。
だから、うつるうつると言って、隔離していたんでしょうか?
 
 
 
私は、今年の8月15日、KBS(韓国放送)のディレクターから「小鹿島での生体実験と七三一部隊」というテーマの取材を受けた。午後一時前に、東京からレンタルカーできた3名(ディレクター、通訳、カメラマン)が自宅を訪ねてきて、約2時時間余りの取材を行なった。
 小鹿島更生園で、収容された患者が死や傷害をもたらす人体実験がなされていたことを殆んどの日本人は知らない。また、知ろうともしない。私はここ10余年、全羅南道南端にある孤島・小鹿島を訪問し、何度となく小鹿島での患者の生体実験の証言を聞いた。(小鹿島更生園長・西亀三圭たち日本人が引揚げるとき、園にある日本統治時代の書類はすべて、焼却している。したがって、小鹿島での患者の生体実験を資料的に裏付けることは、困難である。なお戦前西亀は、朝鮮総督符の警務局衛生課長から第5代小鹿島更生園に就任している。戦後は厚生技官として1949年〜52年まで栗生楽泉園勤務している。西亀の戦前に朝鮮で行なったハンセン病患者のことの責任は、いまなお問われずにいる‥‥。)
 小鹿島での患者の生体実験のことを、私は本や雑誌に書きもしたが、読者の反応は鈍かった。しかし、私が最も反省するのは、「家永・教科書裁判」で、石井部隊による「七三一部隊の人体実験」のことは、かなり前から知らされていた。同時に、小鹿島での患者の生体実験のことを知っていた。しかし、この両者を関連つけて、論考することはなかった。今回、KBSが取材にきて、その関係を考えるようになった。
 未来社編集部の好意で、『未来』11月号でこの問題を掲載することが、可能になった。詳細は『未来』誌のほうに譲りたい。
 滝尾英二著『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島』未來社(二〇〇一年九月)発行には、(TBSの藤原デレクターやカメラマンと私は、一九九七年一二月九日に聞き取りした)を収録している。その中で二人の方から具体的な「人体実験」の証言を記述している。TBS(東京放送)が一九九七年一二月九日といえば、日本では「らい予防法違憲国賠訴訟」が提訴される以前であり、小鹿島の入所者の証言を著書として書いたのは、熊本地裁判決(01年5月11日)のあった直後のである。しかし、この小鹿島入所者の人体実験の証言は、ハンセン病問題に関わる弁護士やその支援者から、そして研究者の誰からも顧みられなかったし、取り組みもなされなかった。
 私の手元には、何冊かの七三一部隊の人体実験に関する書籍がある。
① 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会編『家永・教科書裁判・第三次訴訟 地裁編(4)―南京大虐殺・七三一部隊』ロング出版、1991年10月発行、(A5判・414ページ)。
② 常石敬一著『消えた細菌戦部隊―関東第七三一部隊』ちくま文庫、1993年6月、文庫判・308ページ)。
③ 吉林省社会科学院ほか編・江田憲治編訳『証言・生体解剖―旧日本軍の戦争犯罪』同文館、199年7月、(B6判・204ページ)。
④ 神奈川大学評論叢書・第5巻『医学と戦争――日本とドイツ――』御茶の水書房、1994年6月、(A5判・244ページ)。
 これら①〜④の本には、参考文献がたくさんあげられている。ところが、日本植民地時代のハンセン病患者への人体実験に関する研究物・論考は、きわめて少ない。皆無といっても過言でない。私は自著『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島』未來社(二〇〇一年九月)発行の中で、つぎのように書いた。しかし、この問題はまったくというほど、この事実を、ハンセン病問題に取り組む関係者は無視乃至は、これを軽視した。
 「‥‥それから、一九四二年か四三年のことだったと思いますが、破傷風というのがあるでしょう? 人体にはいると腰が伸びきってしまいます。日本は当時、ここの患者が多いといって中でも治る見込みがない人間たちに、それを生きた体に注射で入れたんですよ。
 本当に、あれほど残虐な人間たちがいることは不可能としか言えません。本当に何とも言いようがありませんよ。癩患者の治療をすると言っておきながら、破傷風の研究に患者を使って人体実験をするなんて‥‥‥。」(おじいさん<七〇歳>Cさん)(二九六〜七ページ)。
 「それから大きい事件は、さっき出た軍人、ほら、軍隊で医師をやる人。そう、軍医。その軍医が断種手術もしたし、医学の研究をいろいろやっていて。二四時間でひきつる注射。みんな、「ひきつる注射」と呼んでいました。頭がこんな風にひきつるんですよ。注射されると。そして二四時間で死ぬ。そのために人がものすごくたくさん死んだんです。」(おじいさん<七九歳>Dさん)(三〇〇ページ)。
 二〇〇三年八月八日に、チャムギル(社会福祉をすすめる会・代表は鄭鶴理事長)が主催して、小鹿島で「国際人権シンポジュウム」が開かれ、日本から滝尾の呼びかけで二六名、この人権シンポジュウムに参加した(『未來』第四五八号=二〇〇四年一一月号、参照)。その翌日の午前に、日本の弁護士三名(徳田、国宗、大塚)、報道機関三名(泉熊日記者、田端共同通信熊本記者、三宅大阪本社記者)と滝尾の計七名が、二名の小鹿島の入所者の聴き取りを行なった。
 それを国宗弁護士が録音した。それは国宗さんのホームページに「日本植民地時代の被害の聴き取り」として収録されている。その中で「C・Gさん八三歳(一九二一年六月一七生れ)のかた」は、つぎのように、語っている。
 「‥‥当時はもちろんここには入らないほうが良かった。何回考えてもそれは入らないほうが良かったというのは当たりまえのことでないですか。
 注射されて神経が引きつれて死んだ人が何人もいる。何人かがねじれて死んだ人が何人もいるから怖くて診察に行かなかった。研究のためだと思う。治療については何の説明もなかった。大風子油は知っているがそれではない。それで二〇人くらいは死んだと思う。だから治療には行かない。昭和18年かそのころのことだったか、よく覚えていない。注射をされてからすぐに神経が引きつれて1日か2日で死んだ。みんな人体実験だと推測していた。実際はわからない。何の説明もないから我々にはわからない‥‥‥」。
 二〇〇四年一一月一〇日放映された「韓国KBS政策ドキュメント=小鹿島の真実」は、この人体実験について、小鹿島住民の証言として、「生きた人間の体に注射をして骨髄を抜くことまであった」という。その残虐な事件現場を取材したとして、金キジンおじいさんの証言を放映している。
 「*‥‥より衝撃的なのは生きている人の胸から骨髄まで奪ったと言うことである。治療ではない研究目的であった。証言(その当時、ここに注射のようなものを当てて、このようにするので中に芯が入っていくのだ。ここに入っていくのでちくりとする。我々が当時心臓から血を取ったのではないか、そのように思った。
「*抜くとき痛くない?」
 証言(あれは、痛かったですよ、骨が中に入っていくので、どれほど痛いかったか分からない。)
 「*他の人たちも理由なく抜いたのか?」
 証言(強制的だった。血を抜かなければ、ここで生きられない。食べ物もくれなかった。)
 ソロクト弁護団長(本年二月まで)、現・人権委員会の人権政策局長の朴燦運さんは、「ハンセン病をとりまく人権問題とその解決のための方策提示」と題して昨年10月11日に大韓弁護士教会主催の「ハンセン病人権報告会」で報告した。(その報告内容は、『飛礫』四五号、二〇〇五年一月に「つぶて書房」から発刊されている。原文の韓国語を広島市在住の井下春子さんが日本語に訳し(一一六〜一三六ページ)、滝尾も同『飛礫』誌の中で六ページにわたりそのことについて「解説」ている(一三七〜一四二ページ)。
 朴弁護士はその報告のなかで、小鹿島更生園の医師たちが行なった「人体実験」について、つぎのように述べている。「(4)断種手術および胸骨骨髄穿刺――日帝時代に小鹿島では、‥‥小鹿島ハンセン者たちは、(日帝時代に)治療をするという名目で胸の真ん中を刺して骨髄を抜く胸骨骨髄穿刺という癩菌検出を強要された。こうした慣行は解放後にも一九五〇年代まで継続されたという主張がある」(一二二ページ)。
 七三一部隊が石井四郎軍医=軍医としては最高位である軍医中将が率いており、国際的には認められなかった細菌戦の研究が植民地の人たち・直接被害者である人たちを「サル」とか「マルタ」とか称している。小鹿島更生園の患者を人間扱いにせず、佐藤看護長は「貴様のようなものは、あの松の木よりも劣るのだ」と口ぐせしていた。また、未来社発行の自著『朝鮮ハンセン病史』に書いたDさんの証言もあるように、大阪の軍医が断種手術もしたし、医学の研究として、「ひきつる注射」もして人体実験をしている。すなわち、医学の名による軍事研究であり、戦闘を有利にするための「医学研究」であった。
 この残虐な人体実験の事実を、今次のソロクト補償請求弁護団は、東京地裁の法廷内で深刻な患者に対する人権侵害だとして議論をたたかわしたのだろうか。それは私が、今年1月17日に同裁判所に提出した『陳述書』においても同様で、そのことは書かれていない。私自身、自己批判・反省せざるを得ない。
 ソロクト補償請求弁護団も、『訴状(2004年8月23日』において「‥‥さらに、同園では、入所者に対して何らかの薬剤の試験的使用などが行われ、このために入所者が死亡した例がある。非人間的な環境にあって、入所者らが完全に人権を抑圧されている状態に乗じて、人体実験までが行われたことが強く疑われるのである‥‥‥」とは述べている。しかし、ソロクト弁護団が法廷内でも、このことを、するどく追及したということをきかない。今年3月に出された『ハンセン病問題に関する検証会議・最終報告書』も、同様である。
 いま、厚生省監修『らい文献目録・医学編』1957年発行、814ページに採録されている「ハンセン病目録」を手がかりに、2〜3行程度に内容が抄訳されているその出典の雑誌名の原本にいちいちあたって、人体実験の有無を調べる必要があろう。あと私の余生は少ない。そのことを若い世代の研究者たちに期待したいと思う。
                                                           滝尾英二(05年9月2日)

コメント

滝尾英二様
 731部隊のことは、「悪魔の飽食」で読みました。菊池です。写真を差し替える前の本を持っていました。問題になった写真は実は昔はどこでもやっていたんだそうで、ミスですね。実は菊池恵楓園でも あのようなスタイルですので、医師がまるで悪魔のようにも見えますが。
 石井四郎将軍以下、国家犯罪を犯したと思いますが、米国とうまく取引を行って罪に問われていません。最近その米国における証拠が見つかったろいう報道がなされましたね。
 今、gooの画像をチェックしましたら、建物の一部を保存しているのですね。
 
 
 
 
<その他>
【熊日新聞】骨格標本作製 医学倫理無視、連なる人脈
 
光田 健輔(みつだ けんすけ、1876年1月12日 - 1964年5月14日)は、日本の病理学者皮膚科医国立長島愛生園初代園長。正三位勲一等瑞宝章文化勲章受章。ダミアン・ダットン賞受賞。ハンセン病の研究で知られ、ハンセン病治療の第一線で活動した。また、日本の対ハンセン病政策の明暗を象徴する人物とされている。
 
 

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