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サイ・ゴダード(3月18日)
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【プロ野球】ドカベン香川さん死去 52歳、心筋梗塞2014年9月28日 紙面から ドカベン、逝く−。南海やダイエーで捕手として活躍した香川伸行(かがわ・のぶゆき)さんが26日午後、心筋梗塞のため、福岡県朝倉市の病院で死去した。52歳の若さだった。大阪府出身。同府の浪商高(現大体大浪商高)時代に牛島和彦さん(元横浜監督)とバッテリーを組み、甲子園で活躍。ドラフト2位で1980年に南海に入団。ホークスが福岡に移転した89年限りで現役を引退するまで、巨体を生かした豪快な打撃で人気を博し、野球漫画「ドカベン」にちなんだ愛称で親しまれた。葬儀・告別式は30日午前11時から、朝倉市頓田147の1、いすや斎場頓田会館で執り行われる。喪主は妻弘美(ひろみ)さん。 お相撲さんのような体形と豪快なスイングで、香川さんは放物線を描いた。水島新司さんの人気野球漫画「ドカベン」に登場する明訓高の捕手でスラッガーの主人公、山田太郎の実写版のように強打を連発した。浪商高時代は細身の本格派右腕、牛島さんとともに1979年春のセンバツで準優勝。3試合連続本塁打を放った同年夏の甲子園で4強入りするなど光り輝いた。 南海入団1年目の80年に初打席初本塁打を放つなど、50試合に出場して8本塁打を放った。15本塁打をマークした83年にはベストナインにも選ばれた。しかし、甲子園のスーパースターは自分の肉体との格闘を強いられた。約170センチの身長に対し、100キロを超える体重。重い体を支える膝、足首は悲鳴を上げ、プロの厳しい世界で成績もなかなか伸びなかった。 85年オフに南海の監督に就任した故杉浦忠さんは、それまでの捕手から三塁手に転向させた。守りよりも、持ち味の打力を生かす狙いだった。だが、三塁手として定着することなく、10年間のプロ生活で通算714試合に出場し、打率2割5分5厘、78本塁打でユニホームを脱いだ。 陽気で人懐っこい性格は誰からも愛され、現役引退後も過ごした九州の地で野球界への貢献を続けた。野球解説者や福岡県内の硬式野球クラブの指導者を務める一方、少年野球大会も主催するなど白球と関わり続けた。2006年には長男が夏の甲子園に福岡工大城東高の選手で出場した。 近年は腎臓などを患い、人工透析治療を受けていた。関係者によると、26日午後6時半ごろ、福岡県筑前町の自宅で倒れ、緊急搬送された。家族の話では、最近体調を崩していたという。 親友との突然の別れに、牛島さんも「こんなに早く逝ってしまうとは…。中学3年で出会い、浪商高では彼の大きな背中を見ながら、追い付き追い越せでやってきた。何でや、まだ早いやろう、と思う」と悼んだ。太く短く生きた52年。ホークスの歓喜を見届けることなく、天に召された。 PR情報
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