はじめに
僕は、CMディレクターという仕事をしている。今日は自分が手がけたCMをいくつか持ってきている。デザイン情報学科と言うことで仕事を見せていきたい。デザインは仕事であるということ。僕がやっているCMを作るということも一つの仕事として位置づけられている。
高校時代
当時、僕も武蔵野美術大学の生徒だった。生まれは福岡だが、上京するときは大阪から出てきた。だいたい、大きく言うとビートルズになりたかった。中学の頃は勉強ができて、そこそこの高校に入ったらできなくなった。高校では勉強ができないので、勉強以外の大学はないかと探したところ美大に行き着いた。美大に入った人にはこのパターンが多いと思う。だから、中学の頃は勉強ができたという美大生は多いんじゃないか。こういうのを「地頭が良い」という。これは本当の意味で頭が良いということ。勉強はできないけれども頭は良いということ。勉強ができないと何を考えるかというと、音楽か美術に逃げる。僕の場合は音楽に逃げた。そこで親に自分はビートルズになるから大学には行かないと話した。親には、君はビートルズにはなれないよと言われた。若い頃はなんにでもなれると思っていた。自分はスター、アイドルになりたかった。これは自分が死ぬまで持ち続ける欲望だろう。徹夜で粘ったが、最後には家系を持ち出されて、中島家には音楽は無理なのだといわれた。絵の才能ならあるかもしれない、絵の学校に行きなさいと言われた。ポールマッカートニーとジョンレノンはリバプールのアートスクールで出会っている。これだ!自分も美大に行ってビートルズになれるぞと考えた。浪人生の冬にムサビを見に来たとき、守衛さんがとても優しかった。そこでムサビも受けることにし、視覚伝達学科に入ることになった。
大学時代
大学時代はたくさんの曲を作り、バンドの活動を盛んに行っていた。このことが、のちに、最初に手がけるCMに大きく関係してくる。彼女とロックと山登りで大学生活を送っていて何も勉強していないじゃないかと思われるかもしれないが、問題意識だけは持っていた。当時、学生紛争の残り火みたいなものがあって、自分たちはこのまま美術なんかやっていていいのだろうか?デザインをやっていくことで世の中が良くなるのだろうか?などと真剣に考えていた。
就職
就職の時期は、高い次元で物を考えるといい。本当にデザインはなんかやっていて世の中は良くなるのか?人としてどのように生きていくことがいいだろうか?そういうことを考えていくと少し落ち着いて就職というものを見つめられる。世の中に対する視点だけは持っていてほしい。常に、疑問を投げかけてほしいと思う。大学時代に、就職のことは考えていなかったが、友人から新卒で就職面接を受けられるのは一度だけだといわれ、面接を受けてみることにした。親が博報堂に勤めていたので、自分も博報堂を受けてみることにした。ここから自分の社会が始まった。東北新社を紹介され、そこで、テレビのCMディレクターになったほうがいいと薦められたのだ。