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今や針のムシロに座らされた「吉田調書」スクープ班が待つ処分
 華々しくスクープ記事を放ったつもりが、今や社内で針のムシロに座らされている有り様なのだ。『吉田調書』報道の取材班は大誤報の責任を取るべく、首を洗って社内処分を待つ身である。いずれ閑職に飛ばされ、冷や飯を食わされるのは確実だが……。

 朝日新聞が9月11日の会見で明かしたのは、『吉田調書』取材班は、“デスクは1人、記者は何人もいる”ということだった。

 しかし、同社の中堅幹部によれば、

「特別報道部という調査報道に携わるセクションがあって、現在、福島原発事故をテーマにした『プロメテウスの罠』という連載を担当している。そこに所属する記者が『吉田調書』報道の第一報(5月20日付)のメイン部分を、さらに、“全資料 公表すべきだ”と題した《解説》部分を、特別報道部からデジタル部門に異動になった元デスクが書いています」

 その記者と元デスクは、『福島原発事故 東電テレビ会議49時間の記録』などを共著で出版し、一貫して原発取材にかかわってきたという。

「元デスクはデジタル部門に移ってからも、『吉田調書』報道に協力していました。ですが、代わりの新たなデスクに、“原発ゼロ”で朝日と共闘する菅直人元総理とベッタリの政治部記者が就いた。取材班のなかで『吉田調書』全部に目を通すことができたのは、第一報を書いた記者と元デスク、それに現デスクの3人だけではないかと言われているのです」

 一連の『吉田調書』報道を見てみると、10人近い記者が署名記事を執筆しているものの、中心メンバーはあくまでもこの3人だったという。

■反原発イベント

 とりわけ、肝心なメイン部分を担当した記者は、どのような人物なのか。

「今年46歳になるベテランです。早稲田大学卒業後、最初はカメラマンとして採用され、初任地は西部本社でした」

 と話すのは、特別報道部のOBだ。

「しばらくして、本人の希望で記者に転身するのですが、九州で働いていたときは炭鉱取材がライフワークだと公言し、炭鉱夫やその家族の話を熱心に拾い集めていた。それらをまとめた本も出しています。その後、北海道の帯広に転勤になると、その地でも炭鉱取材を続けていた。“弱者に寄り添いたい”的な発想をする朝日にありがちなタイプの記者です」

 そして、福島の郡山支局を経て、東京本社・地域報道部に勤務しているときに福島原発事故の取材にかかわるようになったという。

「当初、原発はまったくの門外漢だったから、東電の記者会見に出席しても話がチンプンカンプンだったと自ら口にしていました。ところが、いつの間にか反原発イベントに参加するようになり、マイクを握って講演までしていたのです」(同)

『吉田調書』を都合良く曲解したのは、やはり、“反原発”主義に基づいてのことだったのか。

 朝日は、『報道と人権委員会』(PRC)という第三者機関で審理のうえ、『吉田調書』報道の関係者を厳正に処分するとしている。

 幹部社員が言う。

「今のところ、だいたい2カ月後をメドに処分を出す方針のようです。当然、取材班の中心メンバー3人はその対象。加えて、特別報道部の市川誠一部長と渡辺勉ゼネラルエディター兼東京本社編成局長が管理責任を問われ、更迭されると見られている。どのような処分になるかについては、3人は外部との接触が少ない整理部や片田舎の支局に飛ばされ、冷や飯を食わされることになるはずです」

 最近では、橋下徹大阪市長の出自がテーマの記事を載せた『週刊朝日』の編集長がPRCで審理のあと、知的財産センターという閑職に追いやられたという。

「ただ、第一線の社員は冷遇されても、出世コースに乗った渡辺局長は将来の社長候補とも目されているし、いずれ復権するのは間違いない。現に、木村社長自身、かつて社内不祥事で編集局長を更迭されたものの、不死鳥のようにカムバックし、最終的には社長にまで上り詰めていますから」(同)

 要するに、朝日は謝罪も処分も甘いのだ。

「特集 十八番の「自虐」はどこへ行った? 『朝日新聞』謝罪が甘い!!!」より
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