〈劇団四季の浅利慶太さんの話〉 突然の訃報(ふほう)を聞き、大変驚いています。山口さんは『ミュージカル李香蘭』の上演を毎回楽しみにしてくださっていました。劇場でお見受けした、あの気品あるほほ笑みが今でも脳裏から離れません。

 ミュージカル製作の際には、取材のため、中国大陸に赴き、その足跡を訪ね歩きました。彼女は常に昭和の歴史の転換点にいらして、忠実にその時と向き合っておられた。

 彼女が抱き続けた「中国と日本を思う心」を、若い日本のお客様に伝えたい。その一心でつくった作品が、『ミュージカル李香蘭』でした。これからも大切にしていきたいと思っています。在りし日のお姿を偲(しの)び、心よりご冥福をお祈りいたします。

■「日本人の中国情緒をかき立てた」

 〈音楽評論家の北中正和さんの話〉 満州国建国から日中戦争の時代にかけて、中国のエキゾチックなメロディーや大陸の風景を反映した曲が「大陸歌謡」として日本で流行した。なかでも中国人歌手としてデビューした山口さんは、美貌(びぼう)と透明感ある歌声で日中両国で人気を博した。「夜来香」「蘇州夜曲」などの名曲は日本人の中国情緒をかき立てたが、戦況が深まる中、国籍を偽って活動した悩みも多く、それが戦後の政治活動にもつながったのではないか。

■「チャップリンと親交深かった」

 〈山口さんが名誉顧問をつとめた「日本チャップリン協会」会長の大野裕之さんの話〉 チャップリンと本当に親交の深かった方でした。山口さんは映画「ライムライト」の音楽のスタジオ録音に立ちあい、オーケストラを指揮するチャップリンを間近でみたそうです。来日した際には空港から真っ先に電話がかかるほどで、チャップリンが晩年を過ごしたスイスの自宅にも招かれたそうです。

 (ペット型ロボットの)アイボに「チャーリー」と名付け、「いつもチャーリーが身近にいる気がするの」とかわいがる、おちゃめな一面がおありでした。最後に話をしたのは4年ほど前。「また(チャップリンが好きだった)天ぷらでも食べましょう」と電話口で話されていました。

■「直接、歌唱指導をしてくださいました」

 〈劇団四季で李香蘭を演じた野村玲子さんの話〉 突然の訃報(ふほう)に触れ、大きな悲しみにくれています。演じた役にはそれぞれに思い入れがありますが、中でも「李香蘭」は特別な存在です。初演の稽古の際には直接、歌唱指導をしてくださいました。役作りに戸惑う私へ、「玲子ちゃんなりに自由にやっていいのよ」と仰(おっしゃ)ってくださって、フッと体が楽になったことを思い出します。またあるとき仰った「私が李香蘭をやった時間よりも、玲子ちゃんのほうが長くなったわね」というお言葉も忘れられません。山口さんが李香蘭として活躍されたのは、7年。私は20年以上演じてきましたから、感慨深いものがありました。まだまだ色々と教えていただきたかった。本当に残念でなりません。在りし日のお姿を偲(しの)び、心よりご冥福をお祈りいたします。

■「それは美しい方でした」

 〈満映時代を知る編集者の岸富美子さんの話〉 旧満州の新京(現長春)にあった「銀映荘」という満映の社宅で、李香蘭さんは隣の部屋に確かお一人で住んでいました。それは美しい方でした。素晴らしい中国服を着て毎日出社されるのを眺めておりました。当時の李香蘭さんは日本でも満州でも男性に絶大な人気がありました。私の兄(福島宏)がカメラマンをしており、「私の鶯」という映画で一緒に仕事をしましたが、うわさになってはいけないからと言って、出来るだけ親しくしないように気を配っていたのを思い出します。