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古谷経衡のコンシューヨンダ! 第22回()

何を言うかではなく、どう言うかが重要―「毒舌」と「暴言」の違い

日本のネオナチ「風」団体(国家社会主義日本労働党)の主催者と一緒に写真に映っていたとされる高市早苗、稲田朋美両議員や、在特会(在日特権を許さない市民の会)の関係者らと写真に映っていたとされる山谷えり子議員らが、事実関係を追求される事態とな...

古谷経衡のコンシューヨンダ!
第22回

 日本のネオナチ「風」団体(国家社会主義日本労働党)の主催者と一緒に写真に映っていたとされる高市早苗、稲田朋美両議員や、在特会(在日特権を許さない市民の会)の関係者らと写真に映っていたとされる山谷えり子議員らが、事実関係を追求される事態となっている。

 問題となった議員は、全員が女性閣僚として安倍改造内閣に入閣している。彼らが抗弁するように、政治家や知名度の高い知識人が、有権者やファンなどから、集会や講演会の席で写真撮影を頼まれることは日常茶飯事である。「そんな団体だとは知らなかった」という弁明は確かにその通りだろう。

 よって一緒に写真に映っていたことを徹底して追求するのは酷な気もするし、第一、在特会は兎も角、「国家社会主義日本労働党」なる団体がこの国に存在していることを99.99%の日本人は報道前には知らなかったはずである。だからこの団体を、欧州で著名なネオナチ団体と同列に語るのは無理があると思う(だから“風”とした)。

 しかし、かと言って筆者は「ネオナチ風団体や在特会と一緒に写真をとって何が悪い!」と開き直るほど、思想的立場は右ではない。その私の立ち位置を前提として、この問題に関して辛辣に糾弾を展開している以下のエントリーを見つけたので論評する。

■May_Roma氏による女性閣僚批判

 2014年9月22日にDMMニュースに掲載された「May_Romaの【自民党ネオナチ女性閣僚】打倒宣言!」http://dmm-news.com/article/891011/ である。著者のMay_Roma氏はイギリス在住の女性ライターで、ツイッターのフォロワーが5万人以上の「ツイッター有名人」として知られる人物だ。著書も何作かある。

 そんなMay_Roma氏による同エントリーは、上記の女性大臣らを激しく糾弾する内容に終始一貫している。欧州におけるネオナチの認知度や、「反ヘイト法」が存在するドイツやオーストリアでは在特会の活動は禁止になる(ので、その関係者との写真など論外)、と主張し、

 先進国ではタブー中のタブーであるナチズムを賞賛する様な輩や、差別活動を繰り返す輩と関係を持つことは、かつてナチのお仲間であった日本のイメージを復活させるだけであって、日本に取って一ミリも良いことはありません。

May_Romaの【自民党ネオナチ女性閣僚】打倒宣言! - DMMニュース:

 と結論している。確かに、筆者もこの部分には概ね同意するところである。繰り返すように、今回問題となった「国家社会主義日本労働党」なる殆ど個人のサークルの様な団体が、欧州のネオナチと同列に扱えるか、という疑問はあるものの、「レイシズム」「排外主義」「民族差別的言説」には断固反対の立場を採る、というのは私の考え方ともほぼ同一である。

 但し、彼女は盛んに「ナチと一緒になった日本~」と枢軸=悪の図式を繰り返しているが、であれば同じ枢軸のルーマニアやハンガリーやフィンランドはどうなのか?というツッコミはここでは置いておく。

 ともあれ、目を見張ったのは同エントリーにおいてMay_Roma氏が主張する内容ではなく、その表現、つまり文体である。

■理解を阻むウケ狙いの下品な文体

 一例を引用すると、

 まず上記の女性大臣らを、

ミキサーで粉々に破壊して、アナコンダの餌にして、アナコンダの尻の穴からブリッと出して

May_Romaの【自民党ネオナチ女性閣僚】打倒宣言! - DMMニュース:

「ぶっ壊す」と宣言する。この位ならまだ可愛いが、日本の国際的立場を、

ユー(日本)はファッキンエネミー
(日本は)場末のキャバクラで渡辺直美女史にそっくりなキャバ嬢に、せっせと貢いでいるだけで、手さえ握らせてもらえない、バーコード頭のオッサンの様な物
*括弧内筆者注

May_Romaの【自民党ネオナチ女性閣僚】打倒宣言! - DMMニュース:

 と形容し、最後には山谷えり子議員らを、

妖怪
脳内にボウフラが湧いていそうな極右女性
ジェンダーフリーとか、女性の社会進出とは何たるを全く理解していないアホ

May_Romaの【自民党ネオナチ女性閣僚】打倒宣言! - DMMニュース:

 と形容し、評している。

 May_Roma氏のネオナチや在特会に対する主張には大きく頷いた私でも、これは頂けない、読んでいて流石に目眩がするような文体である。

 彼女自身は、何か「ウケ狙い」のつもりでそのまま勢いに乗ったのかもしれないが、この様な「下品」な文体では、彼女の主張がどれほど正論であっても、全く理解されないだろう。

 それどころか、

最初DMM様よりお話を頂いた際には熟女SMモノへの出演依頼だと思い込み、どんな奴隷豚をムチでビシビシしばけるのかと、ワクワクドキドキしていたワタクシ

May_Romaの【自民党ネオナチ女性閣僚】打倒宣言! - DMMニュース:

 と自己紹介する、のっけからの彼女の文言に多くの読者が強い不快感すら抱いたのではないかと思う。文体の随所に観られる「気の利いた(と本人が思っている)」表現の殆どがことごとく空転し、空寒いものになっている。

 特に“渡辺直美女史にそっくりなキャバ嬢~”という部分には、言外に彼女の内面に存在する、「夜の職業」に対する隠せざる偏見と強い蔑視が潜んでいるようにすら思える。

■ネトウヨと同レベルだと誤解させる文体

 May_Roma氏はしきりと、上記の稲田、高市、山谷ら女性大臣が所謂「ネット右翼(ネトウヨ)」から支持を受けていると主張する。「ネトウヨ界のトップアイドル」と形容して、糾弾の手を緩めない。

 確かに、ネット上で保守的、右派的な書き込みをする「ネット右翼」の中には、聞くに堪えない表現、例えば「朝鮮人死ね」「ウンコ鮮人」「ゴキブリチョン」などという単語を躊躇なく使用する、大変程度の低いユーザーが少なからず存在することは事実として認めなければならない。

 しかし、今回のMay_Roma氏の記事の文体は、彼女自身が嘲笑し、忌み嫌う「ネット右翼」のレベルと基本的には大差ないものではないかと私には映る。彼女の記事を読んだ多くの読者は、May_Roma氏は「結局はネトウヨの左反転に過ぎない」と見做されるであろうことが残念である。

 私は、繰り返すようにMay_Roma氏の主張の根本の部分には同意しているし、何も彼女の人格を糾弾しているわけではない。ただ、彼女の今回のエントリーは、「何を言うかではなく、どう言うかが重要」というコミュニケーションの鉄則を再度思い起こされるものとして、格好のサンプルになるものだと強く感じた次第である。

■何を言うかではなく、どう言うかが重要

 どんなに正論を言ったとて、その表現が妥当なものでなければ、その正論は人の心には届かないばかりでなく、激しい嫌悪や反発を惹起させる。

 映画館のスクリーンで後ろの席の人間に「脚で席を蹴るんじゃねえ、この馬鹿!」と叫べば喧嘩になるが、「貴方の足が長すぎて、背もたれにあたっていますよ」では、同じ抗議でも全く印象は違う。人間の心とはそういうものである。

奇しくも、映画評論家の町山智浩氏が、安倍政権打倒を叫ぶANTIFA(アンチファシズム)を標榜する人々の頓狂な抗議活動のやり方に、同氏のツイッター上で次のように苦言を呈していたので引用する(2014年9月25日)。

狙撃銃の照準を使うのは暗殺を示唆するようだし、「潰す」という表現を使うのは力と数で相手を圧殺するファシズムの思想と同じでは? 誰よりも安倍が嫌いな僕ですらこれを見て嫌な気持ちになったので、中間層の心を掴んで安倍政権を倒すには逆効果かと思いました。

https://twitter.com/TomoMachi/status/515251859687096320

 町山氏は、アンチ安倍政権の趣旨には賛同するが、その方法論(狙撃、潰すなどのデザインや表現)に強い不快感をいだき、苦言を呈した。まさに「何を言うかではなく、どう言うかが重要」というコミュニケーションの根幹に関わる重要な提起である(因みに筆者は、安倍政権打倒の主張については、あまり同意できない)。

■ユーモアのない暴言は「毒舌」ではない

 May_Roma氏は、ツイッター上でも「馬鹿」「アホ」などと、自らにリプライをしてきたユーザーに対して暴言を投げかけることで知られる。その姿勢を「毒舌」と評する向きもあるが、そんなものは「毒舌」とは呼ばない。「毒舌」には前提的にユーモアと批評精神が含まれているが、「馬鹿」「アホ」にはそんな成分は含まれてない。

“馬鹿”“アホ”“ファッキン”は下品で、且つ他者を傷つける言葉だ。仮にもライターを名乗る者が、自らの記事の中でそんな表現をしてはいけない。

 高市議員や山谷議員の「写真」問題は、確かにセンシティブな問題であろうが、多分May_Roma氏の方が、多くの他者を不快にさせて、場合によっては傷つけ、或いは「日本語表現の稚拙さの典型例」という意味で、この国の国際的評判を落としているかもしれない。そのような文体を「毒舌」だの「鋭い」だのの一言で片付け、許容してはいけないのではないか。

「何を言うかではなく、どう言うかが重要」。この問題を、今回の記事を切っ掛けに今一度問いたいものである。

古谷経衡(ふるや つねひら)
評論家 1982年札幌市生まれ。
主な活動:インターネットとネット保守、マスコミ問題、若者論などについての執筆・評論活動など。著書:『もう、無韓心でいい』(WAC)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト))、『反日メディアの正体』(KKベストセラーズ)、『クールジャパンの嘘』『ネット右翼の逆襲』(ともに総和社)など多数。

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