憧れてるなら真似するな

 つい最近、似たようなこと書いたばっかなんですけれど、ウチのブログでは話題がループしまくるので気にしません。いや、ちょっとは気にするけれど、気にしないふりをしているだけです。さてさて、はい。えー、はてなブログ今週のお題は「憧れの人」とのことですけれども、はいはいー、当然のことなのかどうかは知りませんけれど、俺にも憧れの人、みたいな人はいます。好きとか尊敬とかを通り越して「この人みたいになりてえ」というような人が。音楽家にもおりますし、文筆家にもおりますし、幸福なことに身近な人にもそのような人はいる。んで、その人のようになりたくて、いろいろ努力もしたりしなかったり。そーいうのは俺だけじゃなくて、いろんな人がそのようなことをやっていると思う。
 
 ただ、その努力のベクトルが間違っているんじゃね?って人がたまーにいます。いや、もしかしたら結構いるかもしれない。それは「その人の真似」に終始している人です。それってちょっと違うんじゃないかなあ、と思う。もちろん、自分が何かをアウトプットするにあたって、そういった人たちからの影響とかってのは受けて然るべきだと思うのだけれど、こう、なんつーか、その人たちがやってきた通りにやったり、悪く言えば「二番煎じ」の人たちが。まあ、その人がそれで満足しているならいいんですけれど。俺が憧れている人ってそんなに多くは無くて、片手で足りるくらいの人数くらいしかいないんだけれど、その全ての人が絶対的なオリジナリティーを持っている人たちだし、そういったオリジナリティー性、みたいな物を持っているからこそ憧れているわけでして。もちろん、そのオリジナリティー溢れるキャラクターだったり、アウトプットがカッコよかったり、スゲーなーって思うことが前提だけれど。んで、彼らのオリジナリティー性を真似することはできなくはないんだけれど、それをすることによってその憧れの人に近づくことができるかっていうと、全然そーじゃなくて、それどころかますます離れていくと思うんですよね。その時点で「その人みたい」では無いんじゃないのかなー。

 なんて言いつつ、ちょっと真似しちゃうところもあると思いますけどね。そこはバランスっていうか。完全に真似に終始しちゃうと、かっこ悪いと思う。影響が見え隠れするくらいがちょうどいいのかもしれません。ってか、ひっくり返ろうが、何をしようが、残念ながらその「憧れの人」になることは100%無理ですしおすし。だけど、そういった憧れの人のようにオリジナリティー溢れるアウトプットをすることは頑張ればできると思う。