共同通信など日本メディアが28日報じたとことによると、日本の代表的な女性政治家で、社会党(現・社会民主党)元委員長の土井たか子氏が、今月20日に兵庫県内の病院で肺炎のため死去した。85歳だった。
土井氏は日本で女性として初の政党代表や衆議院議長を務め、日本の政治史に新たなページを書き加えた。社会党委員長だった1989年には、参議院議員選挙で大勝を収め、巨大与党・自民党を参議院で過半数割れに追い込むという前例のない事態となった。このときの土井氏の「山が動いた」という発言は、20年以上がたった今でも広く知られている。またこの参院選で社会党からは11人もの女性議員が当選し「マドンナ旋風」と呼ばれた。
韓国が経済発展と民主化を成し遂げ、北朝鮮による日本人拉致問題が浮上した90年代。土井氏は韓半島(朝鮮半島)政策をめぐって「親北」の立場を貫き、社会党を孤立させ、結局没落へと追い込む主役となった。一方、過去の歴史を反省し、平和憲法を守る取り組みにより、日本の右傾化をけん制してきたことは、大きな業績とされている。
土井氏は1928年に兵庫県神戸市で生まれた。45年に京都女子専門大学(現・京都女子大学)外国語学科に入学したが、3年生のときに京都の名門私立大学である同志社大学に編入学した。同大で憲法学者の田畑忍による「平和主義憲法9条」と題する講演を聞き、感銘を受けたのがきっかけだったという。土井氏もまた憲法学者としての道を歩んだが、40歳を迎えた68年に社会党から誘いを受け、翌年の衆議院議員総選挙で初当選し、政界入りを果たした。そして86年、58歳で社会党委員長に就任し、日本初の女性党首となり、93年には女性として初の衆議院議長に就任した。
土井氏は2003年末、衆院選で惨敗した責任を取り社会民主党代表を辞任。その後、05年の衆院選で再起を目指したが、落選し政界を引退した。