宅録ミュージシャン雑記 月に見下ろされて ~宅録ミュージシャン trifling beetleのブログ~

宅録ミュージシャン・trifling beetleの雑記帳&忘備録。
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「ぎたい」 作詞・曲 trifling beetle

朝から不快指数はとても低く感じた
僕は22番のバスに乗り込み 区役所へと出向いた
通りなれた路地や見慣れた家並み
すべてが最高の輝きを放っているそんな気がした



役場で簡単な手続きを終え息子が生まれた医院に行ってみた
玄関の木は赤い実をすでにいくつかつけている
「お願いします」と建物にお辞儀をしたあとで
いつもみたく長建寺の冷たい水を飲みに行った
清めたいのは手と喉だけじゃないのにね
張り裂けんばかりの気分を押し殺し
小ぶりの葉桜を携帯のフィルムにしっかりと収めた


砂利道を滑り 疏水べりを歩いてみた
いつかあの人と手をつなぎながら歩いた場所さ 

冬の深まる朝に
手垢のついた合鍵を手渡しちまい 
僕はくだらない自慢話なんかを聞かせたことをふと思い出した
あの人は屈託なくステキに 良く笑ってくれた
もしも、僕がもっとだらしない性格を克服していたのなら
そして経済的なパワーを少しは有していたのなら
三人でこの道を歩けたのかもしれないな
そう思ったとたん 心の垢が瞳からとめどなく溢れ出した
ごめんなさいね 

あなたが真剣に見た夢を跡形もなく壊してしまって


あじさいが綺麗な色を太陽に揺らせている
川面は穏やかに深い緑をはらんでいる
柳の葉は風に揺れることもないけど
僕はその景色をず~っと見つめることにした

また吸い始めたタバコをふかして
そして僕はこの街に何を捨てていくのか
とめどなく思ってた いつか鮭が帰るように
この川に変えることができるのだろうか?
一番愛しているこの街の片隅にでもいいんだから
僕はもう一度この両足をゆっくりと、そっと、着けてみたいんだ



いつか親父が倒れる前に街に来たことがある
そのときに見送った大手筋のバス停で
信用金庫をせわしく出入りする人々を 何気に見ていた
22番のバスはまだ来ないなぁ…
悔しさよりも 狂いそうな気迫で通り抜けた 職安への細い路地
親父の手を引きながら
二人でアイスクリームをほおばった夏の色
タクシーに巻き込まれた時に 大声でケンカを始めたアーケード
図書館の玄関の母子像 ラーメン屋のベンチたち
臨月のあの人がとても心配で
工場までこっそりとつけていった陽炎に歪む道
郵便局跡を過ぎるとき なぜ駆け寄ってあの人の手を
しっかり握っていっしょに頑張ろうな!といえなかったんだろう?
それが今でも悔しい



お気に入りのパン屋さんで買い物を済ませたら
遅れていたバスがやってきた
220円でバスに乗るのも もうこれが最後なのかもしれないな
今日という日で終わりになることは 僕の周りに
実はたくさんあるのかもしれない
混乱よりも悲しみよりも無感情…
さなぎのふりをすることが今は一番楽の様だ





マンションに着くと不動産屋が来ていて
部屋をひとしきり目を皿のようにして点検していった
庭にはいくつかの樹や草花を置いてゆく事にした
いくつもの季節をここで過ごし 心を病んだ
そして僕は この街を離れざるを得ない事情に
どうしても悔しさが押さえきれなくなっちまう Ah…ah…
二時過ぎに大垣書店のパーキングで待ち合わせていた
高知へ帰る友達の車に乗せてもらった
171(イナイチ)号を下りながら
僕はすべての景色を出来るだけ見ないように
友達とひたすら馬鹿話をした
何千回も通った国道が
何百回も通った国道と いつしかなんとなく交わってゆく Woo…



言葉と心が地面の下よりも
ずっと深いところに行って
そして永久凍土の地層の中で 
期限も見えない永眠に没頭していく
さなぎの僕の頭を 
まるで幼子のように撫で回しながらね 

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友達と話していて大笑いしたが、そのひといわく「コジャレたホームページを見ると妙にムカつく」ということだった(笑)。

コジャレたモノだらけな電脳世界。

嘘八百なのではないのか、この見栄っ張り!!ムカつく、と。


見なければいいのではないか、と突っ込むと、「それは出来ない相談だ」(笑)とのこと。


よく聞くと、そういうコジャレたモノを片っ端からブックマークして、毎日「けっ!」なんていいながら読むのが日課で、それによりストレスから解放されているからだという。

ストレスからの解放があるから自分は今日も元気なんだと(笑)。


良く判らないけど、なんか納得してしまった(笑)。




映画「空の穴」を観た。

ほんま、あっさりとした天一のラーメンという感じ。


天一のこってり味が大好きなのだが、ある時、ふと気が向いて北白川の本店に行ったのだが、そこでなんとなくあっさりを食べたら、これが結構イケたのだ。

あっさりは邪道に思っていたのでこれは以外だった。

ただ、優先順位は変らない。

というか、その後あっさりを食べたのは二度あるかないかという



話が脱線したが、さらっとした、いい映画だった。

「放蕩息子」とはよく使われる言葉であるが、この映画ではさしずめ「放蕩父親」か。

父親は年がら年中日本中を車で走り回っていてめったに家に帰ってこない。

なので寺島進演じる一人息子がドライブイン「空の穴」をひとりで切り盛りしているのだ。

30過ぎて独身。

趣味もこれといってない。

田舎に埋没している、よくいる冴えない中年男性である。

自分にはまったく耐えられないシチュエーション、および日常である(笑)。


このドライブイン「空の穴」は北海道の人も疎らな片田舎にある。

だから客はおろか、人も殆どいない(笑)。

さっぱり儲かっていなし、今日も閑古鳥が鳴いている。

なので仕方なく昼間からボーっとして空を眺めている。


そんな日常に突然事件が・・・である。


菊地百合子演じる東京から来たという謎の女が、突然現れる。

話を聞けば彼氏に置いてけぼりにされたそうだ。

所持金もないので予定調和的に「空の穴」のバイトとなった。


そんなふたりの恋物語だ。


ありがちな展開だということなかれ。

ドラマティックな展開はないがほのぼのする映画である。

後味あっさり系だ。


熊切和嘉監督の映画は本当に好きである。

前回紹介した「海炭市叙景」、最近では「そこのみにて光り輝く」は名作だと思う。


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「trifling beetleさんの一押しの役者さんってどんな人がいるのですか?あるいは、演技力が高い人って?」


という質問をいただいた。


嬉しいのである。

が、これはすごく答えにくい質問だ(笑)。


演技力云々に関しては、自分は評価できる人間でもないし、正直いえばよくわからないし、思い込みがあるかもしれない。

なので、「役者としてすごく魅力があると感じる人、この人が出てるから観ようと言う気になる人」ということにとどめたいのだが


まず、女優さんでは安藤サクラ、江口のりこ、小池栄子、池脇千鶴、松たか子、満島ひかり、寺島しのぶ、麻生久美子、室井滋、伊藤歩、小林聡美、深津絵里、尾野真千子、真木よう子、永作博美、沢尻エリカ、板谷由夏、宮崎あおい(敬称略)かなぁ。

特に安藤サクラや池脇千鶴、板谷由夏、伊藤歩の名前を見た作品にトンデモナイ駄作は皆無だった。



一方、男優では、香川照之、大森南朋、松田龍平、高良健吾、瑛太、長塚圭司、オダギリジョー、山田孝之、西島秀俊、西島隆弘、新井浩文、松山ケンイチ、加瀬亮、山本浩史、大泉洋、阿部寛、阿部サダヲ、寺島進、井浦新、内野聖、竹中直人、佐藤浩市あたり。

というか、挙げればキリがないや(笑)。


このくらいで勘弁いただけないものか(笑)?

そっけなくてスミマセン。




今更ながら井筒監督の名作「のど自慢」を見た。

ドサ回りの演歌歌手の赤城麗子(室井滋)の物語だ。

苦労と肩透かし、希望と絶望の連続の日々。


以前、自分も少しの間、地方のドサ回り演歌歌手のバックバンドでベースを弾いていた経験があり、なんとなく共鳴できるというか

いや、酔っ払いのパワーと暴力はトンデモナイ(笑)。

自分は、たかがバイトのお雇いバックミュージシャンであり、未来を夢見ているというのでもなかったから、とことんまで思いつめることなんかも皆無だったのだが、それにしてもあの閉塞感覚にはすさまじいものがあると感じた次第。


さて、映画のこのベテラン歌手もご多分に漏れずCD販促のためならどこででも歌う。

プロダクション社長兼マネージャーの須貝(尾藤イサオ)との二人三脚の旅だ。

そんな赤城はプロの誇りをかけて、素性を隠して「NHKのど自慢」の事前審査会会場に行くことにする。


もし、仮にも落ちれば、それすなわちプロ失格だ。

さて結果やいかん?

...というストーリー。


色々な出場者が出てくるが、それぞれに人生ドラマを背負っている。

いやいや、壮大な出演者たちだ(笑)。

チョイ役連中がそれぞれいい感じで光っていたりもする。

こういうコネタの満載は大好きだなぁ。


全体的にユーモアたっぷりに描いていて、観たあとは結構明るくなれた(笑)。

これって元気がもらえたということなのか?


監督 井筒和幸 1998年 112分 脚本 安倍照男、井筒和幸 撮影:浜田毅 

出演 室井滋 尾藤イサオ 小林稔侍 大友康平 伊藤歩 北村和夫 松田美由紀 竹中直人 佐々木すみ江 由利徹 光石研 岸部一徳 田口浩正 川越美和 りりィ 坂本冬美 大川栄作 三浦斗夢 近藤芳正 笹野高史 山谷初男 桜金造 古尾谷雅人 坂上香織 徳井優 でんでん 川上のぼる 九十九一 石丸謙二郎 ミッキー 北村有起哉 他



****************

新たにカラーミーショップ(Color Me Shop)内にて


「KYO-SHO RECORDS trifling beetle shop」


を開設する運びとなりました。

アルバム単位での販売となりますが、今後とも、ぜひぜひよろしくお願いいたします。

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ワールドカップサッカーブラジル大会が近く、一応以前ほどではないが盛り上がっているようだ。

キプロス戦なんかを見ていたりもしたが、なんだろうか、この物足りなさ?

心が重い。

理由はわかっている。

ナカタヒデトシを感じるものが何もないからだ。


ま、当然といえばそうなのだが、やはり彼の存在は、単純にサッカー全体への関心をとめどなく呼んでいたことは否めない。

ヒデが見れるというだけで衛星放送に入ったし、ヒデのことが書いてあるからワケワカランサッカーの専門誌を買った(笑)。

本当に好きだった。

その存在の大きさは、単純に埋められるものでもないよ。


だからポストヒデはこの先、永遠に出ないと思う。


もうピッチにヒデを求めるのはいい加減やめようと思うのだが、それでもなぜかサッカーを見ると、ハーフラインのやや敵陣側、やや右あたりに残像を探している自分がいる。

チュニジア戦でのダイビングヘッドなんて今でもくっきり憶えていたりするもんね。

市川の右サイドからの、フェイント付きドリブルクロスボールと込みでね(笑)。

森島の先制ゴールのディティールなんかははっきりと憶えていないのに


あ、そうそう、日韓大会での韓国チームのアンジョンファンの決勝ゴール(イタリア戦)と、あとポーランド戦での先制(だったと思うけど)ゴール、パクチソンのポルトガル戦でのアクロバット的ゴールなんかは今でも鮮明に残っている。

アルゼンチンのバティストゥータの体ごとゴールに飛び込んだヘッド、フランス戦でのセネガル・ディオプの、同じくデンマークのロンメダールの値千金のゴールとかもね。

イエロのPKも鮮明だな。

スペインは大好きなチームで、ラウールもいたしモリエンテスも、ナダルもメンディエタもいた。

スペイン製ベッカムことデ・ペドロのアシストも職人技だったし。


おお、懐かしい、心が震える。


今大会のスペインはディフェンディングチャンピオンだが、まあ、転びそうな予感(笑)。

ジダンがいた頃の最強フランスチームの没落を髣髴させる。






さて、「海炭市叙景」。

いやいやいい映画だった。

中身がぎっしりと詰まっている。


熊切和嘉監督はさすがだ。

ところで、同監督作品の最新作が「そこのみにて光輝く」で、これは池脇千鶴と綾野剛が出ている。



劇太りばかりが注目されているが(笑)、この作品での池脇ちーちゃんはもはや円熟の局地だ。

早いって、まだ若いのに(笑)。



「海炭市叙景」、まず映画の舞台である架空の街・海炭市の概要がかなり綿密に練りこまれているように見受けられる。

そしてそれは細部に至るまで根を張るように一貫しているのだ。

ここにこの映画の最大の成功要因があると思える。

ちなみに函館を主体にしたロケだったそうだ。


他方、登場人物やそのエピソードに関してはすごく淡白に描かれている。

どちらかというと冷淡な客観的態度で、決して深入ることをせずズーミングしているといえる。

つまり、舞台と登場人物たちの温度差が非常に心地良いコントラストを成していて、それはさながら静謐な雪原の持つ清涼感のようなのだ。


ストーリー展開的には複数のエピソードがリンクするタイプだが、すべてにおいてズームがボケず、拡散もせず絶妙にリンクするので、散漫にならず映画に集中ができた。

温度を孕みすぎず、そっけなくなりすぎずというこの絶妙なストーリーの内容。

このあたりの設定もまたしっかりとしており、まったくブレがないというのは、やはり、かなりの時間をかけてコツコツと企画を練り上げた証であろう。


その地道な努力は確実に実っており、うらぶれた地方都市独特の空気感や皮膚感覚、哀愁、切なさなどを総合的に映像化することに、見事に成功している。


オーケストラをやんわりと包むストリングスのような音楽はジム・オルークだ。

さらに竹原ピストルの存在感というものは実に不可思議である。

加瀬亮と南果歩の薄幸感も最高だ。

ちなみに三浦誠己は「きょうのできごと」で、酔っ払った田中麗奈にヘンチクリンナ髪型にされた西山役の人だ。


監督 熊切和嘉 2010年 152分 原作 佐藤泰志 

出演 竹原ピストル 三浦誠己 山中崇 谷村美月 加瀬亮 南果歩 小林薫

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スーパー淋病というものが日本で始めて発見されたという。

それを聞いてなぜか「スーパーアンチウイルス」を連想した。


去年末から今年の初め頃のかけてだが、もうアドウェアとの格闘でヘロヘロになった。

頭がしゃきっとする薬があれば、まるでASKAのように、間違いなく吸引(笑)していたと思う。

どちらかを選べといわれたら、やはりメガシャキよりもアンナカを取ると思うわけで



まあそんなことはどうでも良い。



「東京難民」。主人公は中村蒼演じる都内大学生。

ある日大学へいくとIDカードがエラーになり教室に入れなくなっているではないか。

あわてて学生課に行くと授業料未納で除籍だと告げられ愕然とする。

さらに住んでいるレンタルハウス料金未納により3日以内にここを出ていってくれと宣告されもする。

意味がわからないが高をくくっていると、3日後部屋の鍵が強制的に変えられてしまう。

荷物も何もかもが部屋の中である。


実は、学費もレンタルルール料金も親父が払っていた。

なので、親父の家へ行ってみると、なんと親父はフィリピン女性とトンズラしているではないか。


仕方なくネットカフェで過ごし、時給のよさそうなバイトをパソコンで探すうちに、なんとか治験のバイトにありついた。

思わぬ収入に浮かれてしまい新宿で遊ぶうちに今時の女に逆ナンされる。

泥酔させられ、気がついたらぼったくりホストクラブにいた。

仕方なくそのホストクラブで働くことになる。

やがて指名がつき、稼ぎ頭となってゆく。そんな中、同僚の金の持ち逃げ事件に巻き込まれ、リンチにあい、河川敷へ放置。


そこからホームレスとの交流が始まり、主人公は自分を取り戻していくという話しだ。



わたしたちの日常は、微妙なものの上に立っていることを痛感させられる。

つまり、安定しているように見えても、実は明日のことなんてわからない。

足元は、常に不安定極まりない。

明日何が起こるかわからないし、それ故にいきなり全てを失っても不思議ではない。

それこそが「リアル」なのだ。



いつ大地震が起こり、大津波が押し寄せ、原発が停止し、放射能がダダ漏れしても全然不思議ではないことは実証済みだ。

平和ボケした現代社会に激しく警鐘を鳴らす佳作。

ほんのちょっとしたボタンのかけ違いが起こす社会派現代的ホラーといえる。

決して心から笑うことはできないはずだ。

佐々部清「ツレがうつに...」の監督さんだが、こういった社会の闇をうまいこと抉り出すなと感心する。

格差社会、裏社会の実態、日雇い労働の過酷さ、ネットカフェ難民、そして見えない貧困などを鋭く描いている。

この映画のキャッチは「底辺より怖い、底なし。落ちたら最後」というものだったそうだ。

大塚千弘は旧芸名「大塚ちひろ」である。

改名していたんだな。

TMレボリューションの西川とどうしたこうしたがあってからしばらく名前を見かけなかったが、こういうことだったのか。

妹の山下リオ共々、これからが楽しみだ。




佐々部清監督作品 2013年 130分 脚本 青島武 原作 福澤徹三 

出演 中村蒼 大塚千弘 青柳翔 山本美月 中尾明慶 井上順



オフィシャルサイト:http://tokyo-nanmin.com/




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新たにカラーミーショップ(Color Me Shop)内にて「KYO-SHO RECORDS trifling beetle shop」を開設する運びとなりました。

アルバム単位での販売となりますが、今後とも、ぜひぜひよろしくお願いいたします。

http://triflingbeetle.shop-pro.jp/


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8月11日が「山の日」になりますっていわれても、ねえ(笑)。

山の日って、ポピュラーになりきれない気がする。

せいぜい「猫の日」とか「歯の日」とエエ勝負って程度かな。

祝休日でもなんでもない「母の日」「父の日」よりもずっとなじみが薄そうなまんまだし。

「キスの日」よりは、上かな(笑)。

改正案には「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」と明記したという。


美味しんぼが休載だという。

残念だ。

鼻血騒動としていまだに賛否が渦巻いているのだが、これは、考えようによってはすごく、すごく、いい傾向だ。

そう思うのだ。

風化ということを一番憂うからだ。

何事にしてもそういう傾向が顕著だから、だからこそ、記憶を途絶えさせてはならないと思う。


さて、この騒動に関しての詳細は、もう専門的な人があちらこちらで論じているのであり、よって自分のようなズブの素人には、特に記す事は、基本的にはない。

だが、意見はある。

思うことも、ある。

今の政権が、この騒動の一方の当事者に対してかなり腹を立てているであろうことのひとつに、「根も葉もないことを言いふらすな」ということがある。

そう、根も葉もない嘘だから、そんな嘘をむやみにばら撒くことは風評被害を拡散、助長するだけだから、やめなさい、と。

だが、果たして、根も葉もないことなのだろうか?

雁屋哲氏や井戸川氏の大嘘なのだろうか、と思うのである。


そんな時にある人のブログが目に停まった。

そして深い極まりなかった霧は、おおかた晴れた気がする。


遡ること三年少し前、民主党政権下で起こったあの大震災、原発事故での政府の対応は、やはりどう考えても酷いものだったといわざるを得ない。

枝野、平野なんて、頑として「人体には影響ありません」といい切っていたのだから。

放射能がダダ漏れしているのに、「影響はない」だよ。

どう考えても異常だ。

狭い日本なんて、あっという間に、西から東まですっぽりと放射能に覆われても、不思議じゃない気がする、と無知無学な自分は思った程だ。

チェルノブイリ事故のこととか詳しくは知らないけど、広大な旧ソ連の国土の、決して狭くはない範囲が、動物も住めない「死の町」と化したという話も聞いたことがある。

ソ連と日本の国土面積の違いなんて、もう世界地図を見るまでもなく明瞭だ。



そういう一連の民主党の対応のまずさを、中心的役割を担い、そして糾弾に走ったのは、言うまでもなく現政権の自民党だ。

その自民党が、国会において民主党を追及したときに挙げたネタのひとつに、実はこういうニュアンスのものがあったという。


「今、福島では鼻血が停まらない子どもたちが溢れかえっている。これでも人体に影響が無いといえるのか?」。


ちなみにこれは国会において、熊谷大(ゆたか)、森まさこ山谷えり子という議員が言ったことだそうだ。


(以下引用)「国会での「鼻血」に関する質疑について」


http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-1708.html


1.東日本大震災復興特別委員会(第179回)-8号 (2011/12/2)

宍戸隆子氏(参考人)

「北海道に避難している方たちといろいろ話をしまして、その中で、例えば鼻血なんですけれども、そういうような症状を訴えていたお子さんが非常に多かったです」


2.東日本大震災復興特別委員会(第179回)-8号(2011/12/2)



http://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_nuclear_disaster_news/34302886.html


熊谷大参議院議員(自民党)

そういった状況で、官房長官は、人体に影響がないということを繰り返し発表をしておりました。この前、予算委員会でも紹介させていただきました保健便り、ある県南の、宮城県の南部の学校、小学校が出した保健便りの一節ですね。ちょっとまた読ませていただきます。保健室の利用状況についてでございます。四月から七月二十日現在の保健室利用状況では、内科的症状で延べ人数四百六十九名が利用しました。内科的症状では、頭痛、腹痛、鼻出血の順に多く、鼻出血というのはこれ鼻血のことですね、外科症状では擦り傷、打撲、虫刺されが順に多かったということで書いてありますが、平野大臣、この事実もう一度、どのようにお考えになりますでしょうか」

引用元


3.予算委員会-8号 (2012/3/14)

熊谷大参議院議員 (自民党)

「四月から七月二十二日現在の保健室利用状況では、内科的症状で延べ人数四百六十九名。内科的症状では、頭痛、腹痛、鼻出血、これ鼻血ですね、順に多くということ、これ結果で出ているんですね。これ、県南でもやっぱりこういう症状が出ると心配になるんですよ。それにどういうふうに、本当に不安はないと言えますか」




さらに、である。実際に鼻血が止まらない人の一例として担ぎ出されたのは、誰でもない、時の人・井戸川氏だったというではないか。


山谷えり子自民党議員はこういっている。

「井戸川町長が雑誌のインタビューでこんなことを言っていらっしゃいます。私は、野田首相に双葉郡民は国民だと思っていますかと聞いたけど、国は、アメリカにSPEEDIのデータを先に知らせて、国民にはSPEEDIのデータを提供していなかった。今もって双葉町はSPEEDIのデータは来ていません。あの情報が入っていたら仙台方面に逃げていますよと。あるいは、ベントの連絡もなかったと。それから、国、東電は、止める、冷やす、閉じ込めると言い張って絶対に安全だと言ってきた結果がこれで、我々は住むところも追われてしまった。放射能のために学校も病院も職場も全て奪われて崩壊しているのです。私は脱毛していますし、毎日鼻血が出ています。この前、東京のある病院に被曝しているので血液検査をしてもらえますかとお願いしたら、いや、調べられないと断られましたよ。我々は被曝までさせられているが、その対策もないし、明確な検査もないという。本当に重い発言だと思います」


また、これはとても興味深い議事録だと思った。


4.東日本大震災復興特別委員会(第179回)-8号 (2012/6/14)


森まさこ参議院議員(自民党)

「例えば、具体的にこんな心配の声をお寄せいただいています。子どもが鼻血を出した、これは被ばくによる影響じゃないかと心配なんだけれども、それを診察してもらった、検査してもらった、そのお金はどうなるんですかということです。

次にまた、今なかなか屋外の運動ができておりません。それで、実際に走ったときに、足が弱くなっていて転んでしまった、骨折をした、そのような医療費はどうするんでしょうかというような声があります。

そのようなものについても、私ども野党の案を起案したときには、原則として含まれていくというふうに考えてはおります」


決定打だろう。

こうやって、民主党が与党だった時には、自民党議員も鼻血について言及しているわけだ。

その中で、確定的ではないが、被曝の影響ではないかと、暗に言ってもいる。

ところが、いざ自分たちが政権を取った後は、まるでこの話は無かったように振舞っている。

被曝と鼻血は関係ないと。


特に恐ろしいのは森まさこだろう。

今回の鼻血騒動を受けての発言が、もう、超笑える(笑)。


美味しんぼ:鼻血問題で森担当相「差別や偏見を助長する」


つまり、自民党は以前、井戸川氏や子ども達の止まらない鼻血をうまく利用して民主党を攻撃し、それがかなうやいなや、今度は一転して井戸川氏や子ども達の言い分を全否定している(笑)。

利用するだけ利用して後はポイ捨て、ってこと?

これは一体全体、どういうことなんだろうか?

これって、誰がそう子どもが見ても明白なくらいに矛盾に満ちていると思うのは自分だけだろうか。


ある人は、震災直後「子どもの鼻血が止まらなくて怖い、疎開したい」という、主に母親からのツィートが溢れかえったという。

これらは事実だとすれば、すごく重要な証言だという気がしてやまない。

というか、事実なんだろうなと、強く感じるのだ。


つまりである、震災直後から鼻血を出す人がたくさんいたという「話」は、何も今に始まった出来事ではなく、たまたま最近漫画で取り上げられたから、今、脚光を浴びているだけのことなのだ。

もっと早い時点ですでに、「鼻血などの症状を訴える人が大勢いる事実がある」と、双葉町は認識していると取れるのだが。

とすればだ、では、双葉町のあの発言は、何?嘘、まさか


そう考えたならば、この話はもうある意味、周知の事実なのではなかろうか。


ただ、この手の情報がどれほど世間に流れていたのかということについては、はなはだ疑わしい。

かなり巧妙にせき止められていた形跡が窺えるからだ。

そういうバイアスがまんまと効いた故に、「なんとなく、本当か嘘かわからない」という感じに、まんまとはぐらかされている気がする。

世間一般的に、そうではなかろうか。


国会の答弁でのことは、これは議事録として公表されているのであるから、事実以外の何ものでもなかろう。

事実、そういう答弁があったことに疑いの余地はまったくない。

ただそのネタの信憑性については、これは事実だと結論付けることは残念ながらできない。

だから、民主党を攻撃するために「鼻血を出して困っている人が多数いる」という嘘をでっち上げたと考えることさえできる。

もっとも、現実性には乏しいが(笑)。

しかしそうならば、それはそれで、問題大有りである。

まさに風評被害だからだ(笑)。


そして今も、鼻血に悩む人、鼻血に怯える人が、実際にたくさんおられるのだとすれば、これが事実なんだとすれば、もうこれは国がらみの大掛かりな犯罪、詐欺まがいなことではないのかというところまで話が膨張して行く。

収拾は、つかないほどに。


雁屋氏が嘘をついているにしても、政府が嘘をコキくさっているにしても、どちらにしてもこういうことでの嘘はいただけない。

なのでここはだ、ちゃんと調べて白黒つけたらいいのではないのかと思う。

調べたら、そんなもん、すぐにわかることであろう。

どちらが嘘をついているかがね。

二年もの長きに渡り、入念に福島を調べたという雁屋哲氏を嘘つき呼ばわりし、「根も葉もないことだ、風評被害だ」と声高に主張するのならば、政府もまた綿密に現場を調べ上げて、そして雁屋氏の告発が嘘八百なことをちゃんと証明すればよいだけのこと。

そうすればおそらく、言葉を重ねるよりもずっと、ずっと、説得力があるだろう。

国民に、真の安心というものを届けることもできよう(爆笑)。


私達は、やはり、安心したいのだ。

それが一番の特効薬なのである。

さ、調べよう。

法律変えるとか云々のアホくさいことは、もうええからさぁ。

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「太陽の罠」をオンデマンド配信で見た。


あまり期待してなかったが、すごく良かった。

NHKやるのう。


考えて見たら出ている役者がつわものばかりだ。

尾美としのり、AAAの西島隆弘、伊藤歩、塚本高史、吉田栄作、伊武雅刀、石田ひかり

豪華絢爛やのう。


特許侵害を巡る社会派のドラマだが、これが奥が深い。

そして見所が多く、抜群のデキだ。


ややもすれば堅苦しくなりがちなテーマだが、それをすごくサスペンスフルに仕立て上げていて無駄がない。

大島里美の脚本がいいからだろう。


なんと言っても、やはりすげ~よ、伊藤歩は。

この人の泣きの演技は天下一品だ。

常盤貴子なんて目じゃない(笑)、表情のデパートだ。

写真を見ればわかるが、このドラマの中だけでも、これだけ色々な表情で電話をかけている。

これぞ、七変化だ。















その都度、言葉にない表情の演技で、自分の感情を激しくぐらつかせてくれた。

「西島を色仕掛けでたぶらかす産業スパイの役」という非常に難しい役柄を見事に演じきっていたが、ただ単に悪人なだけではなく、過去の哀しみをたくさん背負い込んでいて、そしてまた、悪人である自分に激しく嫌悪しているという複雑な女性役だ。

最後、裏切り行為がばれて消されるシーンなんか、こちらもマジで泣いてしまった。

これから、ますます円熟して行くな、このひとは。

最近なんとなくテレビにもよく出るようになってきたし、心なしか露出時間が増えてきた気がする。

これはファンとしてすごく嬉しいことだ。


西島の演技力の高さについては「愛のむきだし」で確認済みだ。

本当にいい役者だ。

もうぼちぼちとアイドル辞めてもいいのでは(笑)?


尾美としのりと石田ひかりは大林チルドレンだ(笑)。

このふたりはすっかりと貫禄が付いていたし、すっかりおじいちゃん化した吉田栄作の年季の入った演技も渋かった。

この人も年取ってから良くなってきたクチだ。

自分のすごく好きな役者である塚本高史が目立たないくらいに周りがすごかったといえる。



テーマがすごく重いということは、それだけ重層的な示唆を含有しているということだ。

現実の日本の企業社会の閉塞的状況を、すごく皮肉的に、さりげなく肯定的に描いている。

ほんのさりげなくね(笑)。


もう、こういうドラマを見ると、最初は未来への希望とか、どうでも良くなるんだよね(笑)。

で、しばらくすると、なんとなく反感というか反逆心というか、そういうものが沸いてくることもある。

転がり続ける石のようにじゃないけれど、ロックじゃないけれどがんばることが報われるとは限らないって事実がイヤというほど骨身に染み渡るけれど

だけど、やっぱりもうちょっとがんばってみようかという気分に、なぜかなるのだ。


40代~50代の失業者が、非正規社員が、わさわさあふれかえっているこのご時世だ。

直視することもなんとなくはばかられるというものだが、しかし、こういうドラマの中にぽつねんと佇んでいる現実の描写なんかからでも、反面教師として、逆境をバネにする活力一滴を得ることがあるのかもしれない。

現実は、ドラマよりもはるかにエグイのだが、ね。


ドラマの中でもキーとなるアイテムである「As Time Goes By」(青木カレン歌唱)もすごく良かった。

4回シリーズで、昨年秋から年末にかけての放送だったようである。




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新たにカラーミーショップ(Color Me Shop)内にて「KYO-SHO RECORDS trifling beetle shop」を開設する運びとなりました。


アルバム単位での販売となりますが、今後とも、ぜひぜひよろしくお願いいたします。


http://triflingbeetle.shop-pro.jp/



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道端アンジェリカさんという人がテレビに出ていておもわず「お前はハーブかっ!!」と突っ込んでしまった。


「道」の「端」の「アンジェリカ」って。





「東京ゴミ女」を観た。

タイトルで惹かれたのだ。

「東京うんこ」もすごかったが、こちらもなかなか。


「ファザー・ファッカー」でデビューし、「富江」「御法度」「愛のむきだし」などの話題作への出演がある中村麻美がはまり役、もうそれにつきるかもしれない。


ゴミあさり女みゆきの物語だ。


同じマンションに住む売れないミュージシャン役の鈴木一真に片想い中。

さらに彼が出す生ゴミ袋を密かに自室に持ち帰り、仕分けし、妄想にふけることを「夢」としている。


得てして生きることに不器用な彼女が、ゴミを漁ることにより彼の生活習慣を知り、理解した気になり、やがてストーキング的な歪んだ独占欲を孕ませてゆく。

中村が変貌してゆく様がリアルだ。



個人情報を無防備に晒しかねない行為、つまりゴミ出しというのは非常に難解で、おもしろおかしい課題を孕んでいるといつも思う。

プライバシーの観点から、昔は真っ黒い袋を容認している自治体は多かった。

しかし時代は変わり、最近では半透明など、ある程度の中身が確認できるものでなければ収集してもらえなかったりする。

ゴミ袋に関しては自治体が指定しているというのが殆どかと。

やはり不法投棄問題とか、エコの観点からこういうことへとあいまって行ったのだろうが、そこには人間同士の信頼感の喪失とか、あるいはコミュニケーションの欠如問題などがちらほらしている。

だからこそ、たかがゴミを出すことが相当なストレスフルな作業となりうるのだ。


できるだけ部屋の外に晒す時間を短縮したいが上に、収集時間ぎりぎりに持っていくとか、あるいは一番下になることを先回りして考えて、夜中に出すとか。

ゴミを出すところを誰かに見られること事態が、なんとなく苦痛だったりする。

涙ぐましい努力を必要とされてしまう。

外に晒す時間が増加すれば増加するほど、漁られるリスクも比例して増加する。

ゴミ袋は、ストーカーや悪徳業者の格好の餌食だ。

ところがゴミを出す時間まで指定されていたりする。

動物が夜間に漁ったりすることがあるからだ。

もう、問題がここら辺だけでも重層的に複雑化しており、なんともしがたいことへと変貌している。

繰り返すが、たかがゴミ出し程度なのにだ。

神経をすり減らすことこの上ない。


かくように、ゴミを漁られることに不快感をもよおす人は大多数だろう。

それはやはり私生活を盗撮されたような気分と同義だからだ。

覗き見だ。

すごく気分が悪い。

しかしゴミは出さなければたまるだけだ。

出して不快になることと出さずに不快になることを天秤に掛けるた末、どちらかを選択するわけだが、おおかたの人は「出す」不快感を選ぶことになる。

社会の暗黙のルールだからだ。

不快を感じることからの逃避はできない、選択肢は、本質的にはない。


あと、粗大ゴミを出した時に感じる「プチ優越感」と、粗大ゴミを見かけた時に感じるあの「プチ敗北感」とかって、あれはいったい何なんだろうか?とも思う。

まあ「ゴミ出し問題」は「ゴミ問題」よりもずっと身近で、それは日常生活の何気ない場面に潜んでいる、ちょっとした地獄絵図だと思うのだ。


こういう観点からこの映画を見た時に、すごく身に詰まるものがあった。

男にも女にも、どちらの感情もなんとなく同意してしまう自分がいるからだ。


愛する人のすべてを知りたいという感情は、誰もが感じたことがあろう。

ただその想いが極端に肥大すると、こんなになる、かも、というテーマの映画だが、重苦しい感じではない。


彼と同じタバコを吸い、同じシリアルを食べる。

使用済みコンドームを見つけて怒り狂い、彼の写真に自分のプリクラの切り抜きを貼り付けて嬉々とする。

彼の捨てた衣類を着て小躍りする。彼にファンレターを何通も送りつけた女を待ち伏せし、ストーカー呼ばわりして罵倒するのもイタイ。

究極で一途な片思い。

怖すぎる。

だけど、なんとなくかわいらしくて憎めない。



彼女は勤める喫茶店では戸田昌宏に、執拗に言い寄られる。

しかし拒絶一点張りで、要するに、好きな男はゴミまで愛し、嫌いな男から渡されるものは花束でもクソなのだ。


ある日、彼のライブの楽屋に忍び込み、彼と本物の夢の一夜を過ごすことになる。

それも束の間。

翌朝、ゴミ出しの話になった時、彼は前々から自分の生ゴミ袋を彼女が盗んでいることを知っていたと告白する。

実も蓋もない言葉でぐさりとやられてしまうのだ。

しかし、ゴミのことがバレた時の彼女の冷めかたが凄いし、「別にいんだけど」っていう鈴木一真の態度はいたってドライだ。


こうやって夢は突如終わり、彼女は現実へと帰還する。

それだけの映画だ。

彼女はひたすら「自己満足感」だけを追求していたことを自覚し、ゴミ屋敷化していた部屋を跡形もなく片付けて旅に出る。

夢はゴミと化したのだ。

その消えた夢は「夢の島」に持って行かれてしまったのだ。

彼のゴミの中でひとつだけ捨てられなかったものがあって、それは死ぬまで忘れられないと心の中で呟く。

喪失した処女膜のことだ。



脇の柴崎コウがワイルドだ。


「やらないと処女膜再生しそうで怖い」と嘯くぐらいのヤリマン。

アフリカ人と寝たことにより「五大陸制覇」を達成したと狂喜乱舞する女。


いい感じだ。


ビデオ撮りにしては綺麗な映像だと思う。

ED曲wyolicaの「さあいこい」が爽やかな感じ。これはドラマ「アナザー・ヘブン」の挿入かだったモノだ。


東京ゴミ女(プレビュー) - YouTube



廣木隆一監督、中村麻美、鈴木一真、柴咲コウ、小山田サユリ、戸田昌宏、田口トモロヲ


2000年/日本/1時間28分


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trifling beetleさんの映画批評は全然辛口じゃなく、毒気もないし、聴き心地のいいことばかりで、なんかリアリティが薄いっす、うそ臭いっす」といわれた(笑)。

「邦画の回し者」扱いまでされたし(爆)。

そうだ、その通りだ、ええ、そうですとも!


毒気はない、確かに

禿しく納得した次第。


で、毒を吐く、今回は(笑)。

まずは時事ネタ。


ASKAの本名って「宮崎重明」って言うんだな。

ごく平凡だ、面白くない(笑)。

ASKAは根っからの超愛国主義者だと聞いたことがある。

確かオジイサンが軍人とか、お父さんが自衛官とか、なんかそういうことだったんじゃないかなぁ。

とにかく長渕なんて目じゃないくらいに恐ろしい愛国主義者だという。

音楽関係者の中にはそのことをかなり危惧する人も多かったとか。

交友関係とかを見るとかなり偏向しているし。

というか、極端に狭そう。


例えば桑田佳祐、小田和正、あるいは吉田拓郎、浜田省吾、それから誰だ泉谷しげる、故キヨシロー、陽水、坂本龍一、小林武史まったく交流とか付き合いとかなさそうだモンね。

「今から誰かを殴りに行こうか」なんていう超物騒な歌を平気で歌える人だから(笑)。

そういう噂も、単なる噂ではない気がしていたらこの事件だ。

なんとも言いがたいというか。


手を出したらおしまい、なので絶対に手を出してはいけないものに、ついつい手を出してしまったというコレは、なんとなく人類にも当てはまるではないか。

ウランやプルトニウムに手を出した人類と見事に重なるっていうか。

行く末は、茨の道だ。





「ソラニン」を観た。

で、ガッカリした。

コレ、別に宮崎あおいでなくてもエエやんと。


もったいないというかさ。

若手にチャンスを与えたほうが良かった気がする。

彼女のダメキャラはなんか違和感があるんだよな~。

他の三人(高良健吾、桐谷健太、近藤洋一)のダメキャラは見事にハマっているだけに、惜しい。


伊藤歩もこの映画では冴えも切れもない。

平凡すぎて沈殿している。

良い時の伊藤は、もうそれこそ単なる脇役のくせに、出演時間の5倍分くらいの存在感を平気で出す人だ。

どど~んって出てくるもんね、演技力で。

だがここでは、残念ながら出演時間の少なさと比例した程度、もしくはやや少な目の存在感しか出していない。

伊藤のせいじゃないと思うので、気の毒な限りだ。


宮崎あおいに関しては、これは明らかに黒歴史になるだろうなということ。

キャリアに傷がついたなって感じだ。

力量を考慮したならば、あえてこういう役をやる必要もないと思うんだけどな。

もったいないよ、マジで。


ただ救いは高良健吾がおもろすぎること!!

ひょうきんな役もうまいなぁ~。

アドリブ満載だったそうだ。

で、また声がすごくやさしくていい。

ここでも役になりきっている。

才能ある人はちやうね、やっぱ。


とにかく、この映画の駄作たる所以は、偏に、監督の力量にあると見た。

とにかく録り方がヘタクソ。

話しにならない。

これならば小林武史監督の映画(バンデージ)のほうがずっとましだ。

同時に脚本も、アレだな。

セットで。



経歴を調べたらMV製作畑出らしい。

映像美に囚われすぎなところも納得。

映画とMVの違いを、もう少し学べといいたい。

全体的に映像は美しい。

美しいのだが、映画としては実も蓋も当てられないほど破綻しきっている。

狂牛病の牛の脳みそ並みにスカスカで甘すぎるのだ。

アイドルの三流映画並みのクオリティで超ガッカリした。

井筒監督なら企画段階で間違いなく鬱を再発させていただろう。

間違いなく。


一つ辛辣に指摘すれば、もう設定がムチャクチャなのである。

リアリティのクソもない。

当然、映画だからフィクションとそうでないところが混在しているべきで、一概にリアリティがあるべきだとは言えない。

なのだが、もう特に序盤などは、フジテレビのクソドキュメンタリー「NONFIX」みたくどうしようもない。

どっちつかずというか、中途半端すぎてわざとらし過ぎるのだ。

これならばクドカンみたく完全フィクションに徹したほうが良かったのではないのか。

「少年メリケンサック」なんて、リアリティの欠片もない話なんだけれど、それが逆に、なんとリアリティ溢れる作品に仕立て上げていることか(笑)。

とほほである。

ダメな若者をわざとらしく追いかけた下手クソなドキュメンタリーかっ!と突っ込みたくなる、激烈に。

イライラしてくるんだよね、こういうのを見てしまうと


ヒロインがたかがあんな理由でいきなり退職とか、会社辞めた帰りに勝手に靴買うわ、高良に音楽をやれと唐突に説教するかと思えば、レコード会社のオファーを、メンバーを差し置いて逆切れして断るわ、ギターを弾こうと思い立って程なくして、急に人前で聞かせられるほどの腕前になるとかありえなさ過ぎるし、理解不能、意味不明なだけだ。

腑抜けなマザコン息子を溺愛する、モンスター・オカンの陳腐な物語にしか見えない。

もうすべてにおいて「MV」なのだ。

劇場映画じゃなく「MV」。

単なる「MV」だ。


ラストの曲も何の脈略もない曲ではなくて、ここは本家本元・アジカンの「ソラニン」でよかったんじゃない?

それまで徹底的に「MV」的に撮っていたが、このラストだけが「クソMV」的になっている事も、よくよく考えたならば不可思議だ。


あと、そうだ、これも書きたい。

高良がやめたところに再就職する話だ。

ふつう、就業中に仕事をほったらかして「ギター弾きて~」と発狂して絶叫した挙句、自己都合でいきなりやめる人を、同じ就業所が再雇用は、しないと思う(笑)。

普通に考えて。

こういうひとつひとつのエピソードが、ほとんどがもう「ぬるすぎて気持ち悪い」だけなのだ。


その積み重ねがこの映画だと考えたなら、クオリティーの低さは手に取るようにわかると思う。

一言「見る価値はない、見ないでよし」(笑)である。

怖いもの見たさとかは、大歓迎だけど。


「ソラニン」とはジャガイモの芽に含まれている毒のことだそうだ。

自分も久々に毒を吐いてすっきりした。




映画『ソラニン』予告編 - YouTube

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冒頭の山本浩史の登場シーンだけで笑いはマックスになった。

一時停止させてから、しばし体を激烈に捩じらせ、涙、鼻水をだらしなく垂れ流し、引き攣りながら笑いにならない笑いをそこらじゅうにぶちまけた次第。


いや、ホンマにおもろすぎる映画というのは、実は相当体に悪いのではなかろうかと思う。

例えばプロレスやボクシングなどが、高血圧の高齢者とかには、非常によろしくないということは周知の事実だ。

エロ系もそうだ。

あまりにも過激なものとかはよくそう喩えられる。

過度に「興奮するもの」が血管や脳に対するリスクを高めることは確かにあろう。


しかし笑うことはどうかといえば、「笑えばがん細胞がやっつけられる」「長生きできる」挙句には「幸せがやってくる」などといわれる。

この扱いの差はなんだっ!!

正義の味方ではないか。

「百利あって一害なし」的なこの語られように、自分は疑問を投げかけたい。

ついては、この状況に軽く警鐘を鳴らしたいのだ(笑)。

つまりは笑うことにも、その状況とか、笑い方によっては相当危険なものがあるということだ。


こういう山下敦弘の映画とかを観て起こる笑いは総じて「腹に来る」ものだ。

声を出そうにも出ない笑い。

腹筋と背筋が尋常じゃなく硬直、痙攣する。

これは筋トレの類ではないぞ。

こむら返り的な、つまり正等ではない引き攣り方なのだ。

本当に体にこたえることがあって、二、三日間、お腹の筋肉及び背筋の調子に気持ちの悪い不具合が生じることが非常に多い!

やがては腰にも来そうで冷や冷やする。

机の端っこを両手でしっかりとつかんで腰を痛めないようにして、引き攣りながら笑っている、このなんともいえない間抜けな絵面。


コレは、ある意味地獄、いや拷問、虐待だ。

正直困る。

腹回りの毛細血管や筋がどれくらい断裂したかを想像したら頭もクラクラしてくる。

そんなに困るなら観るのをやめればいいし、わざわざ観るから余計な心配が浮かぶだけなのだが、それでも、な・ぜ・か、やめられないのが怖い。


ジャンキーASKAの気持ちという感じか(笑)。

まさに、「余計なものなどない」と言うこと(笑)。





山下敦弘監督デビュー作にして、山本浩司のデビュー作である。


しかも自主制作。


大阪芸大の卒業制作でもあったという。



完成度は微妙だが、『リンダリンダリンダ』『天然コケッコー』よりもずっといい。

完成度で言えばそら負けているけどね。

しょぼいし。


それでも良い作品だなと、皮膚感覚で思う。


すっきりしない曇り空とふきすさぶ風。

怪しげなリーゼント男・紀世彦と、プータローで、特に覇気もなくとりあえずパチンコで生計を立てている努とが、さびれたパチンコ屋で出会うところから物語が始まる。

このスリル感にまずは引き込まれる。

リーゼントがなんともいえないほどおもろい。

服装センスも最悪で、特に紀世彦は女物サンダルを履き赤いカーディガンを着ている。

昭和50年代頃のヤンキーだ(笑)。


意気投合したのかどうだか知らないが、紀世彦は努に裏ビデオのダビングを手伝わせることになる。

かくして奇妙な同居生活が始まる。

この紀世彦のねぐらの「男のひとり暮らしの汚部屋」のリアリティがハンパない。

酸っぱい気分になるほどだ。


それも含めて、本作は、徹底的に安っぽく、低予算映画の雰囲気がプンプンしている作品。

うだつのあがらない二人の男の生活感と、この低予算感が見事にマッチしていて、相乗効果を挙げているといえる。

趣味は実益を兼ねるという趣だ(笑)。


ところで、バブル後の不況から脱出できないどん底の不景気と喩えられていた2000年前後、こうした若者が、落ちこぼれてもこういう生活をしていて、それなりに楽しく、なんとか生活できた時代だったのだ、現実的に。

今はさらに経済状況は悪化している。

この映画の主人公のような生活さえ難しいという状況だ。

この先、不況が更に悪化していったとしたら、この作品を観た未来人は「羨ましい」と感じるのかもしれない。


さて、山下敦弘という監督は拙い人だと思う。

普通の劇映画だとあざとくなりすぎるほど素人っぽい演技やシーンなんかでも、この映画の持つ素人臭にブレンドされてしまうと、それはなんともいえない「味」になる。

その絶妙な旨みを引き出すことに成功しているのだ。

当然、計算ずくだろう。

「やりすぎると痛い映画になる」ことを理解した上で、「拙さから出る味」を引き出してだ。

すごい才能である。

だからこそ鬱屈とした病みモノとならずに、こういうこと長く続くといいよな、ならないかな?無理だよなという、ある意味ファンタジー作品になっている。

こうやって旨みを散りばめた自主制作映画を、なんとギリギリのところで劇映画としても成立させている。




最後に、エンドロールでダルビッシュの名前を見つけた。

まさか本人?いやいや弟?と思って調べたら、弟のほうだった(笑)。

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