宅録ミュージシャン雑記 月に見下ろされて ~宅録ミュージシャン trifling beetleのブログ~

宅録ミュージシャン・trifling beetleの雑記帳&忘備録。
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岡田えれなさんというタレントが死亡したというニュースを見たが、正直、誰?それ??って感じだった。

ベースマン鮫島秀樹さんの娘さんかよ。

お若いのに、急性心不全か...。

ご冥福を。






井筒和幸監督の「TO THE FUTURE」「ゲロッパ!」を見た。

連休中は映画をたくさん見ようと決めているので、まずはその第一弾だ。


「TO THE FUTURE」は、いわゆるモンスターペアレンツを題材にした映画で、職場にて、同様の難解かつ理不尽な苦悩、葛藤を、なし崩しに、強制的に日々押し付けられた経験のある自分には、他人事とは思えない映画である。


こういうやつらは必ずいる。

子どもの為という大義名分を臆面もなく振りかざして、やっていることは単なる暴君ネロだ。

要するに子どものためではなく、あくまで「自分のプライド充足」のためだ。

自分の子どもは、当然かわいい。

当然だ。

だが自分の子どもよりも弱者的にある子どもたちを差し置いてまで「特別扱いせよ」と、公然と、暴力的に要求する精神が、自分にはまったく理解できない。


こういう人達の本質を「化け物=モンスター」と表現した人は、まこと賞賛に値すると思う。

もっとキャンペーンを張り、もっと、もっと一般的になって欲しい言葉だ、「モンスターペアレンツ」は。


なお、映画タイトルは自衛隊のポスターから着想を得たらしい。

シニカルで、毒があり、井筒らしいのう(笑)。




ところで、井筒監督作品でまず記憶に残っているのは「ガキ帝国」だ。

これは掛け値なく凄まじかった。

今は封印作品となっているそうだ。

というのも劇中に「ここのハンバーガーは猫の肉、使こてるんやで」という台詞があり、それがロケしたモスバーガーの逆鱗に触れたそうだ。

井筒らしいエピソードだ。

まあそれもあるが内容が凄すぎて教育上良くないということだろう。


この井筒監督は以前、石原慎太郎の監督作品をボロカスにけなしたことがあった。

石原は、タイトルは憶えていないが、要するに戦争を美化する内容のクソ映画を堂々と撮ったことがあり、それが井筒の逆鱗に触れたのだ。

愛国精神にまみれていると思しき有名人たちを巻き込んでの侃々諤々の大騒動に展開していったが、特に窪塚洋介の「映画を観る前から批判するやつはアホ」発言は強烈だった。

ただ、映画も観ていないのに批判したというのは本当だそうで、それはどうかなとも思う。

その後もこの騒動は遺恨を残したそうだが。


あと「みゆき」の撮影依頼を受けた時に、初めて原作の漫画を読んだのだが、そのあまりの内容のなさに漠然としてしまい鬱病になったとか。

大量の抗鬱剤を飲みながらなんとか撮影して完成させたそうだ。

撮影後、症状がいきなり消えたという。

井筒監督の哲学は、聞く人によればただの暴言に聴こえると思う。

奈良弁でまくしたてる様がそういうイメージをいっそう掻きたてるのかも知れないが、例えば、穏やかな標準語の通訳したと仮定すれば、まことに正論だ。

特に在日韓国人に対する哲学とか思想にはただひたすら頷くばかりだ。

今、ここにいる一人の人間としての当然の感覚をしっかりと主張し、その違和感というものを、人種とか境遇なんかを超えた次元で誠実に問いかけること。

人間として、ごく当たり前のことだと自分も思うからだ。


だからしっかりと筋が通っていると自分は思うし、それがまったくぶれないところがまたすごくいいと思う。

本当の意味での「愛国」「国益」とは、実はこういうことから巣立つものではなかろうか。

事実上、誰のものかも良くわかんない、「国益」とかいう非常に正体不明なもんを、とりあえず守ろうじゃないか!というスローガンにまんまと踊らされている人を見る度に、イタいというか、憐れになってくる。

その「国益」って、本当に自分たちまで回ってくると、還元されてくると、こころから信じているのですか、頭、お花畑ですね、とだ。


さて件の窪塚洋介だが、彼は「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」「GTO」なんかのドラマで初めて見たときからなんか持っているなという感じで注目していた。

「ロング・ラブレター」での演技も彼でしか出せない個性があったし、「国会議事堂にションベンをかけたい」発言など、多少のリップサービスはあったと思うが、それでも国家に対しての敵愾心を隠そうともせず、正々堂々としており、好きな俳優のひとり、だった。特に「GO」での演技は凄かった。


過去形にしたのは、彼は明らかに映画「凶気の桜」出演後、見る見るうちに変わって行ったからだ。

厳密に言うと、国粋思想への傾倒は、以前から、ややみられていたのだが、役に入り込むうちに、相当深く傾倒してしまったというか。

ナショナリズム賛美を描いたこの作品は、本当に恐ろしい世界観だと思う。

「ネオトウジョー」とかふざけすぎている。

「キングギドラ」のラップも、まったく音楽的なレベルが低すぎて涙が出てくる。

すべてにおいてだ、ふざけすぎていて、気持ちが悪いガラクタだ。

というか、これを観てホンマの右翼な人間ですら噴飯しているのではなかろうか。

自然に「大日本帝国」とか「ナチス党」を連想する人は相当多いと思う。

まったくどういうつもりなんだろうか?

バカヤロウだ。


この映画の是非は後に取り上げるが、今は置いておく。


窪塚はこの後どんどんと、とり止めもなく右傾化してゆく。

染まればかなり極端に、深く、染まってしまう体質なのだろうか。

「麻」のルーツを探るドキュメンタリー出演後の彼も、それまでとは違った一面を見せて行ったし(ラスタ思想・哲学への過度の傾倒)、右にも左にも、あるいは、すべてにおいてそうなのかもしれない。


この後の彼は見るも無残に干され出し、月面タッチジャンプ事件とか、マンションから「ダイブ」して瀕死の重傷を負う事件まで引き起こす。

過度の右傾化が、そのすべての要因とは思わないが、それゆえのトラブルの数々が彼を非常に付き合いにくいヤツとか、扱いづらい人間としてのレッテルを貼ったことは否めない。


「ヘルター・スケルター」なんかでは凄く吹っ切れた感じが見受けられていた。

なんやかんやで歳を取ったしね。

ただ、ファンには申し訳ないが、自分にとっては、窪塚は嫌いな人間であることに変わりはない。


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「カジキが船に飛び込み大怪我」というニュースがあり、一瞬「カジキ」が「カジヒデキ」に見えて、かなりあせった。

老眼ひどくなってきたのだろうか?




伊藤歩がバラエティに出たことがないと書いたが、実はあった(笑)。



読者さんからのご親切なメールで発覚。

で、早速調べたが、確かに確認。



さまぁ~ずが2010年頃の深夜にやっていた「主演 さまぁ~ず ~設定美容室~」というやつがそれで、そのワンシチュエーションコントにレギュラーで出ている。

よく出たなというのが正直な感想(笑)。



早速ようつべで観てみたが、なかなかはっちゃけている!

でもって、凄くかわいいし、脚キレイ過ぎ!

「スワロウテイル」で少女娼婦役をやっていた女のコが、「リリイ・シュシュのすべて」で丸坊主になっていた人が、アラマ、こんなにべっぴんしゃんになったんだと感慨深い。



全12話で、NG集とか、毎回のゲストとの対談のおまけ付き。

美容師アシスタント役でのレギュラーだが、なかなかいい感じである。



https://www.youtube.com/watch?v=9Gq8rowoDtE



さまぁ~ずのあのやりすぎなコント演技を目の当たりにしたら、誰でも吹き出したり、一度しがみついた執着というか残像というか、そういうものが離れなくなり、笑いが止まらなくなると思うのだが、女優として、生真面目にやり切っているところが逆におかしい。

あえて目を逸らさずガン見して、自爆とか(笑)。



というか、まずは、さまぁ~ずがおもろすぎる(爆)。

店長「竹野内ゆかた」役の大竹の演技とか、三村との掛け合いとか、もうツボにはまったら笑いが止まらなくなる。

大竹がネ申だと思うくらい弾けている。

あんなに面白かったっけて感じでちょっと以外だったが、すぐに頭の先からつま先まで大竹ワールドにどっぷりと浸からされてしまった。



ツイッターにハマって寝不足になり、美容室でシャンプーをされているお客のフリをして居眠るシーンとか、縁日帰りにひょっとこのお面を斜につけて、ヨーヨーしながら、伸びる笛を吹きながら美容院へと帰ってくるところ、美容院内でやる事がないから「おでんコーナー」を始めるエピソード、大竹と伊藤歩が雑誌取材の撮影をするシーンとか、もう爆笑を通り越して全身が引き攣る。

平岡祐太がゲストの「くっつき戦士フィギュア」のエピソードも最高だ。



伊藤歩もさすがに思わず噴いてしまいNG連発の時もあったようだが、気持ちは良くわかる気がする(笑)。

でも後半は凄くコメディに馴染んでいるというか(笑)。

本人も「凄く勉強になる」と語っていた。



まぁ、やたら眉毛が金色なのと、ゲストで出ていた当時AKB48の板野友美の、なんとなくカンチガイしてます感がハンパ無い程の態度の悪さが気になる(笑)。



ぜひ、シーズン2やって欲しいものだ。


となれば、伊藤歩、再び出てくれるのかなぁ?





余談。ひねくれた女子高校生役で出ていた「のど自慢」で、広末の「スキ」を歌うシーンがあるのだが、広末より、ずっと、うまかったぞ(笑)。




公式サイト



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結局、EXILEって、総勢何名になるの?




例えばお菓子、チェリーパイとか、あるいはストロープワッフルなんかを、何度作ってもなかなかうまく行かない。


ただそれだけの逸話を、凄く自然にさりげなく拡大し、ドラマの隠れた核として見事に成立させていたのが北川悦吏子作のドラマ「月に祈るピエロ」だとすれば、そのエピソードをうまく広げてゆくことにまんまと失敗してしまったのが映画「チェリーパイ」だと思う。


この映画は、本当に深夜帯のドラマかと思ってしまった。

展開が読めてしまい、どうしようもない。


これは、何のために作った映画か。

北川景子は嫌いじゃないので、彼女のPVだと思えば、納得できるが


ただ、江口のりこが相変わらずの怪演を見せてくれているところは、とても面白かった。

ただ、それだけだったな、自分には。


これを映画作品として、映画館に行き、お金を払って観る人には、ただ感服するのみだ。


北川景子は完全にインケツを引いたなと思う。

「間宮兄弟」「ハンサムスーツ」とかの演技が凄く可能性を秘めていただけになんか惜しい。


救いはネジの外れた美大生役の江口のりこだ。

彼女は東京乾電池の女優さんで、もうそれこそいろいろな映画やドラマで、ものすごいぶっ飛んだ演技を見せてくれる。

いわゆる「怪演」系だ。

自分の中ではかなりポイントが高い。


ほんのチョイ役でも存在感があるというか、記憶に残る演技を披露する。

例えば「青春☆金属バット」での安藤政信の奥さん役とか、「イン・ザ・プール」でのナースもそう。

あと、「月とチェリー」「インスタント沼」「ぐるりのこと」「イキガミ」「私は猫ストーカー」「洋菓子店コアンドル」、大好きな吉田修一の「横道世之介」、オウムを題材にした「カナリア」挙げればキリがない(笑)。


この何年かに観た邦画には度々出てくる。

CMでも「金鳥コックローチ」での怪演が懐かしい。


この人がスクリーンに出るだけで、なんかやらかしてくれそうでワクワクするのだ。




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最近、すごく気になっているCMがある。

自分も好きでよく飲む森永の「マウントレーニア」のものだが、これがなんと言うこともない内容なのだが、ショートドラマ仕立てで妙に心地良いのだ。


このバックに流れているベベチオの「ブラウニー」という曲は昨年、ようつべで発見した。

その曲が使われていたというのが反応の原因かと思うが、それにしてもなんか映像的にも心地良いのだ。


なんか、半年くらいから、この手のものにやたらと弱い自分がいる。

心地良くなりたいんだろうかな(笑)。

現実逃避が入ってきているとか(笑)。

逃げ出したいくらいの現実が、今そばにあるとは思わないけど、深層心理ではそう思い続けている表れだったりして。


このドラマCMはシリーズモノらしく、2012年から続いているようだ。

主人公、井浦新さん(ARATA)と伊藤歩さんのコンビが凄くさわやかでいい感じだというのも、このCMを映像的に、なおさら心地良いものにしていると思う。

ともに役者として好きな方である。


伊藤歩さんは「スワロウテイル」「リップ・スティック」なんかに出ていたかたで、女優歴は結構長いほうだ。

以前はYUKIとかChara、ちわきまゆみなんかとロックバンドを組んだりしていたらしいが、今はほぼ女優一本らしく、バラエティには一切出ず、なんというかプロ意識みたいなものを感じる。

あまり年を取らない感じで、とてもやわらかくて、かわいらしい方だ。

以前から思っていたが、元のつれ合いにどことなく似ていると思う。

一見、木村文乃か、それとも原田夏希か!?と思ったが、伊藤さんだということだ。


ARATAこと井浦さんは実はもう40歳(正確には39歳)で、二児の父らしい。

それも以外といえば以外だ。



次回以降、このシリーズがどういう展開になるんだろうかと、今日、ファミマでマウントレーニアを買った時に、しばし考えた。


公式サイト





映画「深呼吸の必要」は、その名の通り、深呼吸を必要とする都会の若者たちが、沖縄の大自然に抱かれた未知のゾーンで、束の間、濃縮された時間の中での苛酷な労働体験を通して、その青春の曲折的な軌道に初めて深呼吸することの素朴な歓びおぼえるというもの。


エピソード満載で、それを見事に回収している。


しかし、そんなに都会が閉塞しているのだろうか?

深呼吸もできないとか、忘れるくらいに??

それは都会でも地方でも同じじゃないかなと思うのだ。


話として、映画としては佳作だが、いささかその内容に強引さとかが目立ち、やや違和感が残った。


毎年、出稼ぎのようにきび刈りにやって来る、放浪のアルバイター田所豊がいい感じだ。

田所は都会から来た若者を指導する役だが、この空気読めない感が面白い。


ストーリーは至ってシンプルきわまりない。

My Little Loverのテーマ曲もマッチしており良いと思う。

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「式日」「イン・ザ・プール」について。


「式日」とは「儀式を執り行う日」のことで、庵野秀明の監督作品だ。

ただし、実写映画だ。

公式サイト http://shikijitsu.ube.ac/

内容は、観念的で、パッと見たところ意味はよくわからない。

精神世界の描写に終始しており、内容とかイベントは、ほぼない。

が、庵野なりのメッセージが随所に、当然ちりばめられている。


主演の監督役・岩井俊二は「庵野の分身」だと思われる。

自己を投影しているのだろう。

庵野は、この頃、アニメからの逃避を積極的に行っていたという。

本人の意思とは裏腹に、社会現象化してしまった「エヴァ」の内容や展開等で、ネット内(当時はパソコン通信といった)でオタクと侃々諤々な論争になり、果ては「庵野殺す!」などと脅迫紛いなことを書き込まれたり、当時の事務所に悪質な落書きがなされたりしたそうだ。

その報復としてだろうか、「E・O・E」では実写部分としてエヴァを見ている観客が映るシーンなどを差し込んだりしているし、ラストは「気持ち悪い」という、まるで捨て台詞かと思うばかりの台詞で締めくくり、なんともいえないほど後味が悪く不可解な終わり方に終始させている。

本人にとっては相当うんざりした出来事だったと見受けられる。


映画内で、アニメーションなど虚構の世界の欺瞞性をとうとうと語るシーンがある。

この時期の庵野の心からの叫びであり、その末に獲得したと思える哲学だろう。

オタクたちとの不毛な論争に、よほど、うんざりしたのだろう。

そういう意味で、これは庵野の所信表明だと思う。


この後一切アニメから手を引くぞという宣言だ。


ただ、その後、結婚等などの私生活の変化が心境の変化をもたらしたのだろうか。

彼は、再びアニメーション=虚構の世界へと舞い戻ってきた。


では、この映画の原作者でもある、もうひとりの主演・藤谷文子は何ものか?

おそらく虚構の世界のシンボル、とりわけ庵野の以前の作品を考えた時に、おそらくアニメのヒロイン、例えばエヴァンゲリオンでのアスカ・ラングレーなんかを象徴しているのではなかろうか。

ナディアとかって感じでもない。

綾波レイとも、チョッと違う(綾波レイ役の声優・林原めぐみは、この映画のナレーションを担当)。

となると、やはり、アスカか。

ハーフであること、母との確執があること、女になることを拒否っていること、メンタルを病んでいる事、赤いものを好むこと、踏み切りのある景色、(庵野の郷里の)宇部市だと思われるコンビナートのある地方都市の風景、バスタブの中で寝るところとかなんかは、まさにエヴァとのつながりを連想させる。

そういう庵野自身の心の叫びを、自らの手で穿り返し、そして曝け出したものだと思う。

映画として成立しているのか否かはよくわからない。

とりあえず、庵野が相当葛藤していたということは良くわかった。

ラストはCocooの「Rainning」で、これはどうしようもなく鳥肌が立った。




一方、奥田英朗原作の「イン・ザ・プール」は、見る人によって評価は変るのでは。

神経科の医者と患者たちとの話だが、監督・脚本の三木聡は、特有の緩~い世界観でそれを面白おかしく表現している。

出ている役者が面白い。

伊良部医者役の松尾スズキと看護師役の江口のりこの怪演もそうだが、患者役として出ている役者群が素晴らしいのである。

オダギリジョー、田辺誠一、市川実和子、真木ようこ。

いや、個性が溢れている。

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こないだ大学時代からの友人で、今は帯広にいるTクンとスカイプで話していたときに、彼が紹介してくれたバンドだ。


Staff Benda Bilili - Je t'aime Zuiderpershuis YouTube


アフリカのバンドで、楽器がユニークだ。

特にドラムスのセットが面白い。

空き缶にギターの弦を張ったものを鳴らしている青年は、元ストリートチルドレンで、バンドに拾われたそうだ。

車椅子の演奏者が大半を占める構成もユニーク。

で、音はかなりパンチが効いていてファンキーである。

この編成で紡ぎ出す音の迫力と深みに圧倒される。





口内炎によくなるし、何年来の口唇ヘルペス持ちだ。

疲れが溜まるとこいつらが勢いづいて暴れ出す。

しかしも、期間はまちまちだ。

ストレスが一向に改善されないと、延々と転移を繰り返す。


知人に聞くと、ビワの葉ローションがてき面だと言うことで、うちの裏の更地にある所有者不明のびわの葉を拝借した。

これを天日で干すのだ。

さらにお風呂に入れると熟睡できると、以前、キムタクが紹介していた。

キムタクがやっているとかではなく、常盤貴子さんがそうしているということをだ(笑)。

ビューティフルライフの共演時に、教えてもらったという。

びわ葉には殺菌浄化能力があるので、そのお湯を何度湧かしても臭くならないらしい。

むしろどんどんお湯がまろやかになるそうだ。



びわは、その昔、お寺の境内に植えられていて、僧侶がびわの葉を使って手当したという言い伝えがあるという。

今でいうところの「万能薬」だろうか。


乾燥葉を使い作るローションは、ホワイトリカーに漬け込み琥珀色になったものが、最高にいいとのことだが、できるまで三ヶ月かかるという。

関西人な自分にはとてもとても、冗談じゃない時間だ。

で、お茶用の、乾燥ビワの葉を煮出すものにした。

これは冷蔵庫保管は2週間がリミットらしい。

ちなみに、びわの生葉自体は夏で1か月、冬でも2、3か月しかもたないとのこと。


まず、400mlの軟水を入れた鍋に、細かく刻んだ乾燥びわの葉20gを入れて、沸騰させないように気をつけて、とろ火で煮つめる。

沸騰させてしまうと、アミダグリン(B17)が壊れてしまうそうだ。

これにはがん細胞を殺す力があるとも言われているそうだ。


沸騰させないので出ないそうだが、もしあくが出たら丁寧にとりのぞく。


5分ぐらい経ったら、はちみつ小匙二杯を加える。


ゆっくりかきまぜつつ、再びとろ火で5分~10分ほど煮る。


水の量が半分(200ml)くらいになったら、火を止める。


お鍋にふたをして、そのまま放置。少し冷ましてあら熱をとる。


キッチンペーパーで絞りつつ何度かこす。


冷蔵庫保管する。


...以上だ。



常盤式の入浴用乾燥びわ葉は、ビワの葉の裏側にある毛を、たわしなどでごしごしこすってきれいにこそげ落とす必要があるそうだ。


効用は多岐に渡り、口内炎、歯痛、腰痛、捻挫、肩凝りなどから、痛み止めや、ほてりを鎮める効果もあるので、やけど、あせもや、日焼けあとにもいいそうである。


胃腸のもたれ、疲れなどには、5、6倍に薄めて少量飲むといいらしい。

今年のこれからは、びわに頼るのもいいかもと、思い始めている自分がいる。




話しはころりと変るが、


「閉塞感」と言うとき、それは様々な情報の洪水の包囲網にあって、自らの意志的決断による人生の切り拓きを、能動的に向えない脆弱なメンタリティの言い訳であるか、或いは、明日のパンの保障がないギリギリの生活環境とは無縁に生きてきた者たちの、それぞれのアイデンティティの欠如感覚を言い換えた、安直なる概念に過ぎない


...と語る人がいて、膝を打った次第。

つまり、その概念の捉え方は千差万別で、人の数ほどあるような類のものだ。

動くべきときに動かず、走るべきときに走らず、どこかで、何となく浮遊しているような気分の様態を、ごく抽象的、感覚的に、「閉塞感」と呼んでいるだけだと。

「なんとなく」...感だ。


現代社会の豊かさを手に入れた人間は代償としていろいろなものを喪失してきたが、その喪失は二度と、取り戻せないものがとても多い。

そのことを嘆いてみる機会はとても多いと思うのだ。


その嘆きがある意味、なんとなく不安定で充ちたりていない感を誘発させて、なんとなく「閉塞感」とかいう便利な言葉と、なんとなく直結している...ようにしか自分は思えない。

豊かさの中でなんとなく、失くしたものを後悔している。

それは、更なる豊かさに対する渇望の表れに他ならない。

ヒトはどこまでも貪欲であり、強欲なのだから。


本来そんな、喪失を嘆くなんてことは本末転倒なのだ。

喪失こそがそれこそがヒトの進歩の歴史というものの本性だから。

失くす事は承知のうえで人間は豊かさを選び取って、歴史を積み重ねてきた。

嘆くなんてことは問題外なのである。


だからこそ、その喪失を嘆きたいのであれば、その前にまずは自己の人生と生活様態を改善させるべきだと思う。

一からの見直しである。

こころから本当に悔いているの、ならばである。

豊かさを自ら放棄してゆく。

そんな非現実的なことは、所詮無理なのではなかろうか。


まあなんにしても、プチ何チャラという表現が一般市民権を得ている社会だ。

どれだけ本気で悔いているのかも、実は不透明限りない。

一番多いのは、ちょっと流行っているから、ファッションでやってみましたパターンだと思う。

中途半端だ。


中途半端に断捨離した人間が、サーフボード収集に、実生活に役立たない雑貨品に、ブランドバッグに、変わりなく凝っていたりとか、そういう事例は枚挙に暇がない。

単なる年末の大掃除と同義だと失笑してしまう。

それならば、特にやらなくてもいいやんと思ってしまう。

こういう状態が主流な中で、ちょっとした行き詰まり感への嘆きが強大化し、派生して、生活習慣の改善を促し、社会全体的なムーブメントと化する、とは考えにくい。


反原発運動に絡んだことも、現代の高速化社会へのアンチテーゼ「スローライフ」にしても、ファッション感覚でプチやっていますって人が多いと思う。

「素晴らしい自己」のアピール要素の一つだからだ。

反原発を、スローライフを選ぶなら、選び切り、貫徹させるべきだと自分は思う。

ごく個人的主観に過ぎないのだが。

よって、それをやるやらないとか、どれくらいするかとか、それらはすべて個人の自由だ。


それでも仮に、この国が嫌で嫌でたまらないとかならば、各々がパラダイスと信じる異郷の地への移住を試みるなりして、そこで呼吸を繋いでいけばいいのではなかろうか。


それもまた、自由だ。

閉塞している暇は、実はないのかもしれないと思う。

なんにしても、よく聞く言葉「閉塞感」その定義をよくわからないまんま、自分も多用している(笑)。
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麗美は、ユーミンの秘蔵っ子として登場したシンガーソングライターだ。


自分はこの人の音楽的才能の凄さをとても尊敬している。

あまり知名度もなく、時代の寵児的な存在だが、今にして本当に凄い音楽家だと思うのである。


沖縄出身。

スペイン系フィリッピンとのハーフ。

姉はモデル、タレント、歌手である堀川まゆみ。


最初プロデュースは、松任谷夫妻が協力しており、楽曲提供も行っていた。

後にセルフカバーして「天国のドア」に入れた「残暑」はその名残だ。


オリエンタルなムードが心地良い佳曲。

変ト長調で、音は比較的耳コピしやすい。


#M7始まり、Cm7→F7へと続き、D#m7onG#→G#7という部分転調を挟んだりしてA#m7→A#m7onD#→G#という常道的コード進行でヴァースが終わる。

サビはG#から始まる。


内容は失恋の名残を歌ったもので、ほのぼのとしたノスタルジックさに溢れている。




ずっと あなたの声に 去年の恋に
泣きながら 立ち止まって 季節を知るの
そんな暦をありがとうと いつしか伝えたい




で、この曲はナンシー・ウイルソン 版がある。

「君に捧げる心の歌 ~I BELIEVE IN YOU~」という曲がそれだ。



麗美は、1993年頃からは「REMEDIOS」としてドラマ・映画のサウンドトラック、CM音楽などを手がけるようになった。

岩井俊二監督とのコラボレーションが多い。


この作品がまた、すごくいい。



ところで、松任谷由実のもとを離れた麗美は皮肉にもユーミンになりきるのだ。

「すれちがい」なんかはもうその極だ。

モノマネタレントよりもはるかに、である。

あのクセのある松任谷由実の特徴を、完全に把握、理解できる才能があったのだ。

コード進行のクセ、コードトーンからの選び方、コードからの外し方、音程やリズムの外し方などありとあらゆるクセを把握、それをモノマネしたのだから最強である。

それを聴いたユーミンの心境やいかに。



「初音ミクに似ている」。

ネットでよく見かける発言だ。

「リアル初音ミク」なんていわれていたりもする。

麗美を知らない世代には、まさにそのように聞こえるらしい。

麗美はネィティブイングリッシュスピーカーだったので、日本的でない特有な子音・母音の使い方をしていた。

それがまた、あの特有性溢れるボーカルの重要な要因だったと考えられる。


Vocaloid 技術は、2000年に開発が始まったものだそうだ。

当時はまだ、記憶容量や処理速度のリソースが十分ではなかった。

ボーカロイド=正確には「周波数ドメイン歌唱アーティキュレーション接続法」という。

実際の人間が低音から高音まで発生するときは、声色は必然的に変化する。

これは、音声学で言うところのアーティキュレーションが変わるためだといわれている。

声質の変化というものは、実は歌、歌唱の一部であり、これは感情表現の重要なファクターとなり得る。


これに対して限られたサンプルを用いて歌声を作り出すボーカロイドは、声質は常に一定の枠内に限られてしまい、よってシャウトやハスキーボイスなどはできない。

淡々とした歌声になりやすいのだが、逆説的に、音程、リズムのニュアンスで情感を表現することができる。

また、ボーカルの自然性表現のために、子音・母音のタイミングを使い分けたり、強弱、息継ぎ、ビブラートなどを用いることが可能だ。


この技術を、まさに生身で体現していたのが麗美なのである。


麗美のボーカルを、ある人が「アホの子みたいな歌い方と声」と評しているのを聞いたことがある。

言い得て妙だ。

彼女は低音から高音まで、淡々と、知的に、ほぼ均一な発生、声質、音圧、リズムで歌う。

楽器みたく。

それでいて、情感の大小などを見事に表現している。

要するに彼女の音楽的教養というか素質には、まさに機械並みな、末恐ろしくすごいものがあるということなのだ。


松任谷夫妻はその才能をいち早く見抜いたのだろう。

現実味に乏しい、空想の中の少女のような歌声。

時代の何歩も先を、実は行っていたのだ、1983年頃に。


彼女が多重録音で重ねるコーラスもまた、実は凄い。

そういう独特の発声や性質で重ねるものだから、それがかなり異質なものだということはなんとなく想像できまいか。

勿論完全ユニゾンではなくコーラスアレンジにも高度な技が散りばめられていてそれなりにハイパーなのだが、単純に考えてみて、重なりあうことで単音のように聞こえるこのコーラスというものは、もう唯一無二と言っても過言ではなかろう。

勿論、人間のボーカリストではという意味で。

人間以外では、先での初音ミクなどのボーカロイドがある。


当時、これを生身の人間がやっていたということは驚愕だ。

賞賛に値する。

機械のように正確にコーラスをつけれる技術も、相当素晴らしいということなのだ。




アルバムのなんだったか忘れたが、そのジャケットに、小さな、小さな、麗美の自筆文字で、「Love is a endless aching need」と書かれていた。

aching = うずくようなという意味だが、この単語を選択したセンスはすごくいいと思う。








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元柔道家・内柴正人さんの実刑が確定したそうだ。


発生からいろいろと注目していたが、どうも、違和感の残る事件だ。


合意があったかなかったが争点だったそうだが、どうもその辺りの結論の歯切れが悪い。

そこを指摘しているブログなんかも見受けられた。

ただ、これは身内が執筆しているのではという疑念も、拭えない。


それを差し引いても釈然としないものだ。

「それでも僕はやってない」「疑惑」という、昔、観た映画なんかを思い出さずにはいられない。



本当のところはどうかわからない。

ただ真実は一つであることに変りはない。

無実と無罪は別物でもある。

必ずしも一致するとは限らない。

被害者の心の痛み等もよく理解できる。


がその後、被害者自身が自らのブログで、かなり違和感のある様を曝け出していることなどが暴露されたりしていた。

気の毒である。


さらに被害者はこの件で、内柴さんの監督責任に怠慢があったとして、学校側に慰謝料を請求したとか、以前、高校生の頃、二度ほど偽装妊娠事件をでっち上げて慰謝料を受け取った前歴があるとか、酷いものだ。


まるで被害者が美人局の常習犯のような言われようである。

事実無根なら即刻、名誉毀損で訴えたらいいのに、と思う。


ご自身はすでに、訴訟を起こされているのかな?


でまた、こういう発言があったという報道も見られた。

「むかつくからやった」

「うちもやられてしもた」

「めっちゃヘタクソやった」。


もっとも、ホンマかどうかはわからないけど、こういう発言が法廷での証言として事実あったといわれている。


真実は藪の中だが、かなりマスコミが煽っている感は否めない。

ただ一つ思うことがある。

どちらかが嘘をついていたとして、そのツケはいずれしっかりと支払わねばならないときが、必ず来るだろう。


どっちもどっち、どちらも脇が甘かっただけ、単なる男と女の痴話げんかではないのか、という感想が非常に多いのも、なんとなく納得は、できる。





空気人形を観た。


中年男の所有するダッチワイフ(ラブドール)が、人間のように心を持ち、自分の意思で動き始めるというファンタジーだ。

ジャンルとしては人間ドラマ、ラブストーリーだろう。

淡々とした時間が澱みなく流れる映画だ。


人形がアイデンティティを持つというファンタジーは実は凄く多い。

しかし、この作品はどこか異質だ。

所詮、人間の女の代用品、性欲処理の道具だが、命を得た空気人形がこの世界で見たり、感じたりしたものは、とても新鮮な驚きで満ち満ちていた。

その中には、失望、絶望、嫉妬、色欲、などが多かったが、そうでないものもあった。

それでも心底、生まれて来てよかったと、そう思うことができたのだろうか。


板尾の演技は神だ。

「愛のむきだし」で安藤サクラに鋏でアレをちょん切られるおっさん役も神だったが、これもまたすごい。

いきなり、空気人形相手の濡れ場だ。

板尾は以前、未成年相手の淫行で逮捕されたことがあるが、それ以降どうもそういうキャラクターが定着したようだ(笑)。

そういえば「カバチタレ!」では、彼氏の借金のカタに温泉芸者として売り飛ばされた常盤貴子に襲い掛かるおっさん役だった(笑)。


一方、ARATAの純粋さも素晴らしい。

絵に描いたような、草食系男子ではないのか。

ARATAは、子供のようにこれはなに?あれはなに?と聞いてくる空気人形を怪しむでもない。

実は、人間じゃないことに気づいていたんだろうと思う。

それを理解した上で、彼は空気人形を一人の人間として、その本質を真っ直ぐ、ひたむきに見つめたのだろう。


空気人形はそういうARATAに対して、とても純粋な感情を大切に紡いで行く。

最後ARATAは、そんな空気人形にお腹を刺される。

空気人形は、ARATAのお腹にセロハンテープを貼る。

そしてゴミ袋に入れられて、燃えるゴミとして捨てられるARATAと、ゴミ捨て場で命を終える空気人形。


とても切ない物語で涙がこぼれてしまった。





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山下敦弘監督の「天然コケッコー」も秀作だった。


ダメ男三部作のイメージが強烈だが、こういう青春映画を取らせても抜群だと思う。「リンダ・リンダ・リンダ」も凄く良かったけど、自分はこちらが好きかも。

イヤイヤ、ただただ感心したというか。

才能がある人の作品は、やはり素晴らしい。それだけだ。


くらもちふさこの漫画の実写版ということだ。





まず何はともあれ、大沢君を演じる岡田将生くんが凄い。

この映画の大沢君と、告白での熱血教師「ウェルテル」がどうしても直結しない。

というか、もう、凄く若い!少年なのである。

ま、当時17くらいだったそうで、当然といえばそうだが。


「告白」は2010年作品。

一方、「天然コケッコー」は2007年度作品。

この、たった三年の間に、少年から青年へと変ったことがまず驚きだ。


夏帆ちゃんについては、天然な演技が活き活きとしていて、すごくいい。

堂々と田舎少女を演じていてさすがと思う。

東京の生まれ育ちらしいが、見事に島根県の方言を使いこなしていてわざとらしさもない感じだ。

自分も島根弁とかまったくわからないけど、浜田市出身のツレに言わせると、ネイティブ顔負けでかなり凄いそうだ(正確には「石見弁」というらしい)。

最後、自分がお世話になった学校の黒板にキスするシーンもジーンと来る。




小さい子役たちもそれぞれが活き活きとしている。


郵便局員のしげさんにキャラが一番立っていて、ズラを被った斎藤暁と、佐藤浩市、夏川結衣は出番は多くない。


膀胱炎とか、取り壊しになる学校の壁のコンクリート片を、記念に拾ったはいいが、それを田舎に持ち帰ろうと気張るあまり、あまりにも重過ぎて体調を壊すとか(笑)。

三角関係とか、武藤敬司ネタ、バレンタインのパイプチョコとか、バレンタインのチョコが一周する所もいい。

こういったエピソードの挟み方も絶妙で、そつがない。

こころからジーンと来たり、爆笑したりできる。


ラストでは、東京の高校に入ることよりも、坊主頭とこの村で生きることを選択した大沢君が男前過ぎる。

で、いつの間にか、冒頭に出てきた鳥小屋の中のニワトリが、ラストでは一羽増えていたりする(笑)。



この手の映画にはつきもの的イメージが大きいくるりのエンディングテーマ曲「言葉は三角 こころは四角」も温かいし、同じ宅録アーチストとして、音楽の神さま以上にリスペクトしている、大好きな故ハラカミレイが劇中音楽を手がけているのも、自分的にはツボだった。


ところで、自分にとって島根県というと、イメージするものは宍道湖と蜆、あと当時の江の川高校出身で現「中日のプレーイングマネージャー」である谷繁、松坂世代の中でもひときわ異彩を放つ遅球投手和田くらいだが、この映画を見て、凄く活き活きとしたイメージを持つに至った。


ややもすれば、日本海とか山陰地方というと、なんとなくどんよりと曇っている、寂れた土地、人が極端に少ないという印象が強かったのだが、それは偏見なのだろうという気分になった。


青々とした田んぼや、青い海、豊かな自然の映像美がとてもまぶしい。

人が少なくても、不便であったとしても、文化的に遅れていたとしても、そこで生活している人はとても活き活きと、みずみずしく生きている。

日常を凄く大切に紡ぎながら生きている。

そんな地方の素敵さを限りなく醸しだしているようだ。


まあ自分は不便な地方ではおそらく生きることができない、軟弱でひ弱なタイプなので、大沢くんのようにそこに同化する事もできず、おめおめと尻尾を巻いてすぐに逃げ出すと思うが(笑)。






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検索ワード上位に「深田恭子 劣化」とあった。

この芸能人劣化というネタはもう鉄板的で、毎日誰かが劣化しているようだ。

「永作博美 劣化」「安めぐみ 劣化」「小泉今日子 劣化」...。


余計なお世話じゃなかろうか(笑)。

というか、一応女優とかタレントさんなんだから、近くで見ると実物はやはり相当きれいだと思うんだが。

排水溝に毛髪がたまりすぎている。

なので排水状態が異様に悪く、シャワーしてると床にどんどんお湯が満ちてくる。

排水溝掃除は嫌いだ。

しかし排水溝から流れて行くことができない水に足が浸かるのもなんかイヤだ。


そこで妥協案として、スケベイスの小さめのもののような椅子の上に立ってシャワーを浴びている。

滑れば大怪我は必死だ。


ちょっとしたスリルとサスペンスがあり、ヤメラレナイ。





「ばかのハコ船」を見て大笑いした。

山下敦弘監督の「ダメ男シリ-ズ」にどっぷりとハマっているのだ。


ダメ男シリーズは三部作で、これは二作目だ。

一作目の「どんてん生活」はまだ見ていないが、二作よりも評価は低い。

なので、三作目の「リアリズムの宿」よりもずっと、こっちのほうがイタイ作品だと思われるのだ。


山下監督作品のレギュラーである山本浩司と、その恋人役の小寺智子が繰り広げるおバカ満載ワールド。

徹頭徹尾、救いようのないバカップルが、借金をしてまで売り出した健康飲料「赤汁(あかじる)」にまつわるバカ話だ。


中身空っぽで薄っぺらい男・山本浩司は、なぜか体格に全く似合わないラグビージャージを、ジャケットの下に愛用。

まずこの辺りで笑いが漏れ始めてくる。

で「あかじる」は全く売れない。

そのために販売の反省会をしたり、戦略を練るのだが、これがまたどれもこれもが頓珍漢で、ことごとく裏目に出る。


しまいには実家にいついてしまい、山本の母を混ぜて暢気にトランプをする始末。

あげくに「罰ゲームは、あかじるを飲むこと」と母の言った冗談を、まともに受けて、キレる(笑)。


とことん間が抜けていて、ついていないバカップルである。


旧友の伝でやっと薬局に置いてもらえる事になるが、それさえもうまく行かない。

その帰宅途中のあぜ道で、マンホールに落ちた彼女を助けようとして自分も転落してしまう。


端から観れば、運もつきもないトンマなバカップルでしかないのだが、このカップルが名コンビというか、ベストカップルに思えてくる。

最後は二人で仲良くパンストを被り銀行強盗に行く。


イヤイヤ、本当に恐ろしいけど、ほほえましい。

何なんだ、この映画は!?と思うかもしれないけど、愛が満ちている作品だと感じる。


しかし山下監督作品のオフビート感はハンパ無い。

いやなことを全部忘れてしまった。

もう大笑いしてしまい、福がたくさん来て、ガン細胞をキラー細胞が全部もれなく退治してくれそうな気分だ。

スバラシイのひとこと。






「ばかのハコ船」予告




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