昔々、ルースターズという博多産のロックバンドがいて、これの虜になった時期がある。
どちらかというとパンクかなと思ったりもしたが、どうも分類不能チックだ。
モッズとかロッカーズ、シーナ・アンド・ロケットとかとは幾分路線が違っていて、それが斬新だった。
MTVなんかでよくそのライブ動画が配信されていて、それが取っ掛かりだったと思う。
「ニュールンベルグでささやいて」「どうしようもない恋の唄」「新型セドリック」「Rosie(ロージー)」なんかは今でもウルウルくるナンバーだ。
このメインボーカリストの大江慎也は、もうどうしようもないエピソードにまみれている人物で、本当に愛すべきロッカーと言う感じ。
その独特の世界観も素晴らしくシュールで、ギスギスしている。
凄いなぁ~と、心から思う。
1983年頃だったと思うけど精神疾患にかかってしまい音楽活動を休止、復帰後のステージでは精神病院入院時の自室を再現したセットが組まれたりしていた。
これも衝撃だったが、それ以上に大江の表情の「ぶっ飛んであっち側に行っている感」が半端なかったのである。
世界の終わり…なんて目じゃないほどの[キレています感]。
恐ろしいくらいである。
大江慎也とは、いわゆるカリスマ的な人間だったという。
音楽業界でのサクセスと並行して、強度の人間不信と神経衰弱に陥り精神のバランスを崩す。
とても儚げで繊細な人間だったというし、幼少時代から常人のIQをはるかにぶち抜けていたそうだ。
さて病に伏し、音楽では食べて行けなくなり、生まれて初めて音楽以外の仕事をした挙句、重度の潰瘍性大腸炎で人工肛門になってしまう。
腸の全摘だったのだ。
大江の闘病時の精神科治療現場は、前近代的なもの甚だしい全盛期であり、つまりは、副作用の強い向精神薬を大量投与して「鉄格子と監視カメラのある個室へと叩き込み」「おとなしくさせる」ことが主体であった。
いまでも大江慎也はもろい硝子のような心を持っていると思うが、でも今彼はこの世界でしっかりと生きている。
異常にむくんだ容姿であっても、そこから搾り出されてくる
「やがていつかは静かに眠れるさ だから笑って過ごせよ 今日ぐらい」
という言葉には涙が出そうにさえなる。
話が脱線したが、その後のルースターズにはメンバーチェンジというイベントが定例行事と相成ってしまう。
しかしそれもポジに考えると、雑多な音楽性がどんどんと流入してきて次々と化学変化を起こしたという素敵な側面を見出すことができよう。
安藤広一というキーボードプレーヤーが加入してからは、P-MODEL顔負けのニューウェーブバンドへと転身したが、彼はYAMAHA DX7にテープエコーをかけてやわらかくするという技法を編み出した人だ。
これは今、自分の音楽にも応用できている。
このようにしてアルバムごとにカメレオンのようにころころと変るスタイルが、逆に魅力的だと自分は思った。
ちなみにごく初期の頃には、ビーチボーイズやストーンズなんかのコピーもこなしていたそうだ。
硬派なロックンロールバンドというイメージとはかけ離れて、意外と雑多なバンドだった。
ラルクなんか目じゃないほどの狂気と退廃に満ちた傑作「PHY」を最後に大江が再度病に伏し、半脱退。
メインボーカルを暫定的にリードギターの花田裕之が務めた頃のルースターズも、自分的にはとても評価している。
サイケデリックな要素が色濃くなり、それは新たに加入した下山淳の変態的ギターサウンドとギタープレイに明瞭だ。
下山は桑田佳祐のソロアルバムなんかにも参加するほどの凄腕ギタリストである。
その彼の演奏を中心に据えた演奏は、さながら和製グラムロック、もしくはドアーズ、ストラングラーズの系譜か。
とにかくおどろおどろしくていい。
歌詞は殆どを柴山俊之が手がけていた。
とくに「NEON BOY」「S・O・S」なんかがいいなと思う。
一方の大江は、長いブランクを経て「THE GREATEST MUSIC」でソロでの復活を果たし、いまもライブハウスで演奏をしている。
時々見るニュースでは、ミッシェル・ガン・エレファントのチバユウスケやシアターブルックの佐藤胎児などとコラボもしているようである。
そういえばミッシェルのアベフトシ氏は若くしてなくなったんだよな。