郵便局に車両税を払い込みに行った時のこと。
窓口で年配のご夫人が、口角から泡を烈しく飛ばし、ユーモア充分にご不満をぶちまけておられた。
端折ると「何でこんなに税金を払わねばならないのか、政権変わって矢が飛びはじめてから納税額がやたら増えた、アベノミクスって一体なんやねん!まったくヨクワカラナイし、実感がない。いつ実感できるの??一般庶民を苦しめるものか?腹が立って仕方ない。今度お腹痛で辞めますなんていうたら、二度と投票してやるものか。」と言うことらしい。
もう思わずニンマリとしてしまった。
前出の様に、非常にユーモアが溢れる切り口であり、職員もにこやかに対応されていた。和やかというか。まあ、ギスギスすべきことをやんわりと皮肉る方法は、より共感を呼びやすいのだなと納得した。
仮に実感できる日が来たとして、そのときに掌を、できれば返されんことを強く願わんばかりである。
さてところで、このご婦人の意見は、大部分の一般市民の総意でしょうか。そうなのでしょう。そうなのですよ、安倍さん。
「天気雨と虹とハス畑」、「a Sunny Shade on Monday」、「パーペェチュアル・ピクチュア~永久の絵のように~」の、仮歌を聴きながらのパートレコーディングに入る。
こうやって一つ一つの楽器を自演して重ねていく作業が至福のときなのである。
ベースは比較的最後にとることが多い。場合によってはリードボーカルよりも後になる。これには自分なりのこだわりがあって、ボーカルやオブリガードに対して、一番効果的な音を選ぶ方法の積み重ねでベースラインを構築する方法を多くとることが多いからなのだ。
最初にベースラインありきではなく、ほぼ完成されたものに、さらに最後のシメとして低音のスパイスをドンとつけてやる手法。この方法をやりだしてから、本当にアレンジが楽しくなった。
ベースに限らず、トータルとしての音域なんかも考慮して、足りないものを最後に付け加えて完成させるというか。だから録音する楽器の順番は、はっきり行ってしまえばまちまち。いい加減である。
要するにこういうことなのかなぁと思ったことがある。自分は楽曲の構成を、あたかも「ええかげんで、簡単な建築材料の集合体」みたいに考えてしまうクセがあるからだと。
順番とかはあまり深く考えず、ドラムスという建材とベースという建材をどういう感じで組み合わせるのか。また、ギターやパーカスをそこにどういうふうに絡ませるのか。そういう作業の集まりが、楽曲のアレンジメントであり、またレコーディングに他ならないのではと。
土台の上に、緻密な計算に基づき、次々に順序良く物を積み上げていくのが「建築学的なアレンジ」なのだとしたら、自分のやり方はどんぶり勘定にも程があるシロモノ(笑)。掘っ立て小屋を立てるやり方なのだ。緻密な計算とかは大の苦手である。
なのでもう、パズルをランダムに組んで行く感覚に近い。わかるところからやっていくというか。そう、レイヤーを重ねたり、時に抜いたりしながら、パズルピースをあれこれ試行錯誤しながら組み合わせて行くみたく作業を重ねて、最終的には一枚の大きな画面(もしくは建築物)を完成させることと同義なのだと思う。
頭を悩ませることなんて屁とも思わない、思えない。なんと楽しく、ワクワクで満ちた時間であろうか。こういう追求が、自分を少しずつ高みへと導いてくれる…と書けば、いささか大げさか(笑)。しかし着実に自分の中で音楽のスキルはアップしてゆく感覚はある。これは、希望的観測も込みで、「進化」ということにしておきたいなぁ。進化にマンネリは不要だ。
この3曲についても、ベースラインは後回しにすることにして、まずはリードギターから入ることにした。ボーカルに絡むリードギターを練ってゆくのだ。それが終われば、それをサポートするセカンド、サードギターを重ねる。足りないものや、引き立てるものを控えめに付け足す作業だ。またはキーボードやパーカス類を付加する。
パーカスは単なるドラムスのサポートではなく、場合によれば独立したリード楽器として録音することもある。キーボード類(シンセ、オルガン、デジタルピアノ、グロッケンなど)も然り。あるいはワンポイントの効果音的な役割とかを担うこともある。その歌詞やメロディが、リスナーに対してビジュアル的なものをよりはっきりと認識、想起させるための、ちょっとした小道具(マクガフィン、スパイス)でもある。
基本は「過剰は厳禁、ごく控えめに」。これを鉄則だと肝に銘じている。
音で飽和しきったものはとても鑑賞に堪えない。かといって時と場合によっては飽和も必要。つまり飽和のさせ方が大事だなと。飽和しているように聴こえないほど巧妙に飽和させるのだ。スカスカの耳休めな部分があっていい。トータルとして見た時に、ギュッと濃縮され、実がぎっしりと詰まっていればそれでよい。WAV波形を見たらそれは一目瞭然。
こういうレコーディングがいいのか悪いのかはわからない。でも、それが自分の「ヘタウマ」的味だと割り切っている。
あるアーチストが音楽を評して「足し算ではなく、引き算だ」といっていたことが忘れられない。自分の考えとは、ニュアンス的に少し異なるが、まさにそうだと思う。
いろんな人の音楽を聴いていて、ちょっと物足りないかなという感覚が、すごくいいなと思うことが多々あったし。
この「控えめな尺度」は、自分の自己中的皮膚感覚にゆだねることが多いのだが、あながち見当違いではないと思う。
要るものは大胆に残し、要らないものはスパッと切り捨てる。これに尽きる。