宅録ミュージシャン雑記 月に見下ろされて ~宅録ミュージシャン trifling beetleのブログ~

宅録ミュージシャン・trifling beetleの雑記帳&忘備録。
音源試聴・販売
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ロンドンオリンピックも遠く近い記憶になりつつあるが、アンダーワールドが音楽監督を務めていたことは、いまだに記憶に新しい。

その看板男のカール・ハイドは音楽についてこんなふうに語っている。

「音楽は音で描く絵だと思っている。ラジオやネット、mp3プレーヤー、携帯、いろいろなもので聴いたり持ち歩いたりできる。感情を呼び起こす音の世界とは、絵や写真同様に大切な思い出を呼び覚ますもの。音楽は人を元気付け、その時々の気分を浮き彫りにしたり、代弁したりもしてくれる。日常において自分の気持ちと寄り添うための大切なツールだ」。

いや、本当にその通りだと思うのだ。音楽は音符で描く写真、もしくは絵だ。あるいは人によっては三次元のショ-トムービーかもしれない。

「音で描いた作品」を提示して、そして「ビジュアル的なもの」を、いかにしてリスナーに想起させるのか。また、それをいかにしてリスナーと共有するのか。ここがとても大切だと自分は強く思う。

その為のプロセスを楽しみながら、悶絶しながらやりぬくことは、自分にとっては苦行でもないし、面倒くさいことでもない。究極の癒しなのである。

この音楽に対する考え方は、自分にとっての創造性や思考の源泉でもある故、けっしておろそかにはしたくないと、常々思う。

今日は「天気雨と虹とハス畑」、「パーペェチュアル・ピクチュア~永久の絵のように~」のパートレコーディングをほんの少しだけやって寝る。明日も早い。


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Monstar-fm にてアルバム「マクガフィン」を販売開始する運びとなりました。

一足早くミュージック・バザール では販売を開始しています。



人生の意味とかは、実はよくわかりません。本当に意味があるのかさえもぼんやりとしています。

若い頃は人生の意味をよく考えていなかったのか、希望で満ち満ちていたのか、前途には洋々としたものしか感じなかったのです。人生は意味で溢れて、いたし。

しかしある時、あることをきっかけにして、自分が描いていたものは、実は根拠がまったくなく、単なる空元気、いや空集合のようなものであり、その実体はまったくなく、ただ奥底知れない空洞なんだということに端と気が付いて、とても驚愕してしまったのです。

本当に怖い体験でした。

そのことに苦悩した挙句、一度自分を見つめなおしリセットしたいと考えたのです。知り合いに相談し、その伝を頼り、生まれた故郷を離れて四国の西南端に近い街へと、期間未定でしばらく移住することにしました。

この体験が、自分に画期的なものをもたらしたとはいいがたいのですが、マイナスからゼロへ、そしてゼロからプラスへと生まれ変わる起爆剤としては非常に有効でした。生まれ変わるまでは行かないのですが、煮詰まる以前の人生には、ある程度帰還できたのではないのでしょうか。


人生はいろいろな要素が複雑怪奇に絡み合ったもの、縦横斜めの糸がややこしく絡み合ったタペストリーなのかもしれません。それが例え観賞に耐えられないレベルの作品だとしても、それ自体に意味や価値がないとは思いません。

その糸のひとつである「人生を彩るための要素、小道具=マクガフィン」に自分なりにスポットを当ててみました。今の自分の人生を構成しているものってなんだろうか、と。

たいしたものがあるわけもないのですが、そうやって自分をCTスキャンにかけてみると、いくつかのキーワードなんかがぽろぽろ溢れてきました。ポジティブなものよりもネガティブなものの方がはるかに多い(笑)。それもまた、人生だと思います。

あくまでも自分の人生や生き様が題材ですが、このアルバムを聴いてくださった奇特なリスナーの方も、そうやって自分の人生の構成なんかについて、自分なりの考察をしてみるきっかけになればいいなと思います。ひとつのモデルケースとして。


ところで、今はあの頃と逆のルートで、故郷を目指している旅の途上です。途中で解決していかないといけない課題も、実はたくさん抱えています。でも故郷を目指すのは、自分の人生の一つの目的だと考えているのです。

生きていて何を目的にするのか、生きてきてよかったのかどうか、それはいつまでもわからないかもしれません。でも、それを自問自答しながらやんわりと生を全うすることは、それ自体がすでに意義を要しているのかもしれません。

本当はそんな大げさなコンセプトはほぼなかったのです(笑)。

が、ただ徒然に、出来上がってくる新曲をひたすら録音する作業を重ねていくうちに、自分の人生の内容をそこに投影してゆくということに対して、なんとなくカタルシスを感じてしまったのです。そうやって作品の中に、自分の人生の構成物を順次はめ込んでゆきました。その集合体です。自分の人生を断罪するのも、分析するのも、糾弾するのも、癒すのも、自分の心の持ちよう一つかもしれませんね。


エゲツナイ同属嫌悪から始まり、「国境のない世界」を望みながらも心に蔑視感を巣食わせているという自己矛盾でカーテンを下ろします。



[マクガフィン] trifling beetle

01.ありえないほど緩く、とまどうほど軽く

02.意識

03.つむぐ

04.アスペルガーズ・ブルース

05.Nuclearまみれの夏に想うこと

06.春爛漫

07.hormesis

08.世界の終わりの終わりの終わりへ

09.太陽は夜も輝く

10.ありがとう、さようなら

11.明日はちょっとだけ愉しみな日

12.Gloomy on a Rainy Day

13.あめあがる

14.May

15.バンデージ

16.西の太陽、東の月

<KYO-SHO RECORDS>




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郵便局に車両税を払い込みに行った時のこと。

窓口で年配のご夫人が、口角から泡を烈しく飛ばし、ユーモア充分にご不満をぶちまけておられた。

端折ると「何でこんなに税金を払わねばならないのか、政権変わって矢が飛びはじめてから納税額がやたら増えた、アベノミクスって一体なんやねん!まったくヨクワカラナイし、実感がない。いつ実感できるの??一般庶民を苦しめるものか?腹が立って仕方ない。今度お腹痛で辞めますなんていうたら、二度と投票してやるものか。」と言うことらしい。


もう思わずニンマリとしてしまった。

前出の様に、非常にユーモアが溢れる切り口であり、職員もにこやかに対応されていた。和やかというか。まあ、ギスギスすべきことをやんわりと皮肉る方法は、より共感を呼びやすいのだなと納得した。

仮に実感できる日が来たとして、そのときに掌を、できれば返されんことを強く願わんばかりである。


さてところで、このご婦人の意見は、大部分の一般市民の総意でしょうか。そうなのでしょう。そうなのですよ、安倍さん。



「天気雨と虹とハス畑」、「a Sunny Shade on Monday」、「パーペェチュアル・ピクチュア~永久の絵のように~」の、仮歌を聴きながらのパートレコーディングに入る。


こうやって一つ一つの楽器を自演して重ねていく作業が至福のときなのである。

ベースは比較的最後にとることが多い。場合によってはリードボーカルよりも後になる。これには自分なりのこだわりがあって、ボーカルやオブリガードに対して、一番効果的な音を選ぶ方法の積み重ねでベースラインを構築する方法を多くとることが多いからなのだ。

最初にベースラインありきではなく、ほぼ完成されたものに、さらに最後のシメとして低音のスパイスをドンとつけてやる手法。この方法をやりだしてから、本当にアレンジが楽しくなった。

ベースに限らず、トータルとしての音域なんかも考慮して、足りないものを最後に付け加えて完成させるというか。だから録音する楽器の順番は、はっきり行ってしまえばまちまち。いい加減である。


要するにこういうことなのかなぁと思ったことがある。自分は楽曲の構成を、あたかも「ええかげんで、簡単な建築材料の集合体」みたいに考えてしまうクセがあるからだと。

順番とかはあまり深く考えず、ドラムスという建材とベースという建材をどういう感じで組み合わせるのか。また、ギターやパーカスをそこにどういうふうに絡ませるのか。そういう作業の集まりが、楽曲のアレンジメントであり、またレコーディングに他ならないのではと。

土台の上に、緻密な計算に基づき、次々に順序良く物を積み上げていくのが「建築学的なアレンジ」なのだとしたら、自分のやり方はどんぶり勘定にも程があるシロモノ(笑)。掘っ立て小屋を立てるやり方なのだ。緻密な計算とかは大の苦手である。

なのでもう、パズルをランダムに組んで行く感覚に近い。わかるところからやっていくというか。そう、レイヤーを重ねたり、時に抜いたりしながら、パズルピースをあれこれ試行錯誤しながら組み合わせて行くみたく作業を重ねて、最終的には一枚の大きな画面(もしくは建築物)を完成させることと同義なのだと思う。

頭を悩ませることなんて屁とも思わない、思えない。なんと楽しく、ワクワクで満ちた時間であろうか。こういう追求が、自分を少しずつ高みへと導いてくれると書けば、いささか大げさか(笑)。しかし着実に自分の中で音楽のスキルはアップしてゆく感覚はある。これは、希望的観測も込みで、「進化」ということにしておきたいなぁ。進化にマンネリは不要だ。


この3曲についても、ベースラインは後回しにすることにして、まずはリードギターから入ることにした。ボーカルに絡むリードギターを練ってゆくのだ。それが終われば、それをサポートするセカンド、サードギターを重ねる。足りないものや、引き立てるものを控えめに付け足す作業だ。またはキーボードやパーカス類を付加する。

パーカスは単なるドラムスのサポートではなく、場合によれば独立したリード楽器として録音することもある。キーボード類(シンセ、オルガン、デジタルピアノ、グロッケンなど)も然り。あるいはワンポイントの効果音的な役割とかを担うこともある。その歌詞やメロディが、リスナーに対してビジュアル的なものをよりはっきりと認識、想起させるための、ちょっとした小道具(マクガフィン、スパイス)でもある。


基本は「過剰は厳禁、ごく控えめに」。これを鉄則だと肝に銘じている。

音で飽和しきったものはとても鑑賞に堪えない。かといって時と場合によっては飽和も必要。つまり飽和のさせ方が大事だなと。飽和しているように聴こえないほど巧妙に飽和させるのだ。スカスカの耳休めな部分があっていい。トータルとして見た時に、ギュッと濃縮され、実がぎっしりと詰まっていればそれでよい。WAV波形を見たらそれは一目瞭然。

こういうレコーディングがいいのか悪いのかはわからない。でも、それが自分の「ヘタウマ」的味だと割り切っている。


あるアーチストが音楽を評して「足し算ではなく、引き算だ」といっていたことが忘れられない。自分の考えとは、ニュアンス的に少し異なるが、まさにそうだと思う。

いろんな人の音楽を聴いていて、ちょっと物足りないかなという感覚が、すごくいいなと思うことが多々あったし。

この「控えめな尺度」は、自分の自己中的皮膚感覚にゆだねることが多いのだが、あながち見当違いではないと思う。


要るものは大胆に残し、要らないものはスパッと切り捨てる。これに尽きる。



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入梅したようだ。

かなり早い気がしたが、本当に相当早いようだ。五月に入梅なんて、記憶にはない。異常気象というか、想定外の季節的な出来事は、ここ数年、頻発している。今年は春なんてほぼなかった気がした。よって、こういうことも多いにありなんだろう。それもまた、自然なことなのかもしれない。

地球は、かなりイライラとしてストレスを溜め込んで、そしてテンパっているんだろう。


「夏に誘われるまんまに」のリミックス、リマスター、および「ヒァ・カムズ・ザ・ブルー・スカイ」の本mixを録る。

前者は、前回での課題を徹底的にやり直したもの。何とかベースギターをほぼそのままのレベルで残し、ボーカルを前に出すことに成功した。

後者は始めての本番。課題をこれから洗い出し、必要とみなせばリミックス、リマスターにかける予定。後者にはグリッチノイズのループをレイヤーしたバージョンも作ってみる。

エレクトロニカの影響でグリッチ、ミニマルなどにハマっている。はじめて実験的にだがその要素を取り入れてみた。なかなか「聴かせるノイズ」をはっつけることは難しい。とりあえずこんな感じかなというものを作ってみた。同時に色々なグリッチを作ってSEライブラリーに保存した。また使う機会があろうか。

「ヒァ・カムズ・ザ・ブルー・スカイ」は、最近、激烈な偏頭痛に悩まされることが多く、そのことがヒントになって出来た曲。まさに怪我の功名(笑)。

連休時にニュースで見た「車で道路が大渋滞している様」は、まるで悪い血栓や悪玉コレステロールなんかで血管内が滞っている様に見える。いや、ある意味「現代人の、現代的な生活の象徴」だと思うのだ。その生活の中で、常態的に感じる「イマイチすっきりしない感じ」。自分の場合はそれを偏頭痛に強く感じることが多い。

また、当然、あの大渋滞の中で、エコノミーシンドロームに罹る人も何人かはいるのだろうなとか、渋滞の中のサドンデスとか、さらにそれが原因となり、輪をかけて更なる大渋滞を巻き起こし、ついては一部が通行止めになる様子とか、もういろいろなことを考え込んでしまうのだ。やがてそれが肺や脳に行き、やがて血管が爆裂するかもしれない怖さ。

そういう恐怖、不安との葛藤や、ナントカしてくれという健康への切なる渇望を、冷淡に描いた曲。まあ、そんなこと気にしていたら現代を生き抜くことは出来ないのかもしれない。どうでもいいのかもしれないが(笑)。

現代人は往々にして、そういった得体の知れない怖さと日々、内面的に格闘しているのではないのだろうかという頓珍漢な自問自答である。

しかしあながちそれも的外れではないと思う。大げさな健康ブーム、医学的なバラエティー番組の隆盛なんか、モロその表れだと思うからだ。


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Googleのストリートビューは面白いが怖い。いやいや、怖いけど面白いか。

以前の居住地を見てみたらまんまと我が家のベランダが写っていて大笑いした。ただ、ベランダの様子から、かなり古いものと見受けられはしたのだが。

四万十での居住地も見たが、こちらはなかった(笑)。本当に道、田んぼ意外は、ほぼ何もないところなので、当たり前か。

都会のストーカーとかは、これらを駆使するのだろうか。そう考えると背筋が寒くなる。


「ドレス」のベーシックを完成させる。

三ヶ月前に作っていたものにプロダクションを加えた。薄くユーロビートを取り入れているもので、音的にもそれらしいものを多用した。裏打ちハイハットが特徴の一つだとは思うのだが、これがやかましすぎると興ざめする。特にマキシマイザーなんかをかけた時にこの高音が強調されすぎると、それだけで頭が痛くなる。大方のリスナーはそう感じてしまうだろうと思うのだ。

自分の理想としては高低中域がバランスよく出ており、どちらかというと低音重視、それと遜色ない高域を配し、中域は感じれる程度に、である。ベーシスト上がりというのがあるのだが、低音がスカスカだと収まりが悪いように思えてしまうのだ。かと言って低温域に特化してしまうとくぐもった感じを抱いてしまい、それもまたNG。この辺のバランスの尺度は、もう自分中心(笑)。自己愛感が0では、とてもアーチストはできないなんていう風に自分に暗示をかけながらの作業だ。

アウトロは派手にギターで締めくくることを考えている。ただどこかモノの哀れを感じる音色とフレーズ。自分的にはすごく得意な音作りである。が、このギターソロを他人に弾いてもらおうと考えている。

自己の作品に、他のアーチストの血が入ることに対して、僕は肯定的に思っている。ただ、あまりその機会がないというだけである。考えるだけでワクワクする。例えそれが「ツリー・チャイムをひと鳴らしだけ」であってもだ。コラボなんていう大げさなものでなくていい。ほんのちょっとした活性で、作品は大きく変わることが往々にしてあるのではなかろうか。

一応、参加してくださる奇特なアーチスト、ミュージシャンは年中募集しております!主にPC上でのやり取りになろうかと(WAV、mp3などでのやりとり)。BBSに書き込んでくださればコンタクトとりますので、よろしくです。

脱線したが、とりあえず明日辺り、この「ドレス」と「恋人みたいに話してくれよTalkinAs A Lover」の最終ベーシックをMTRに落とすことにする。




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「陽だまりの中で」にベース、ギター、コーラスパートを重ねた。

VOCALはいまだに仮歌のまま。これが妙にキーが低くて気持ち悪い。コーラスの高さがちょうど聞きよいのかもしれない。なので、コーラスのキーをリードボーカルに使用して、コーラスはもういオクターブ上に設定する。ボーカル群パートはキーを変えて録り直すことに決定。

ところでオート・チューンは麻薬だと思う。アレに慣れ親しむと、自分の音程に異常に自信を持ってしまうと思うのだ。

ビートルズが全盛の頃、当然オート・チューンなんてものは存在しなかった。彼らは三人でひとつのマイクに立ち、せーので歌を歌い、絶妙なハーモニーを得られるまで、ひたすらテイクを重ねたのだ。そうやって生まれたものが「ひとりぼっちのあいつ」であり「ビコーズ」であり「ミスター・ムーンライト」なのである。

自分はこういうハイテクソフトを一切使う気はないが、これらが氾濫している昨今、この世の中に音痴な音楽がまったくといっていいほど無くなってしまっている気がする。CDの音源の隙の無いこと。異常である。

まぁ、もちろんフラットやシャープ感を味にしているボーカルも多い。それもひとつのカテゴリーだと思う。しかしだ、あまりにもピッチが不安定なのにもかかわらず、オート・チューンで補正しまくって、堂々とそれをセールスするのはいかがなものか。ライブになったときに赤っ恥をかくのは目に見えていると思うし、ニコ動なんかでいじり倒すことを生きがいにしている人もたくさんおられる。鴨葱ではないのか。

考え方次第だとは思うのだけど。いわゆる「補正された面接用写真」「補正下着で矯正されたスタイル」「本物と瓜二つの高級ブランドバック」などと同じ匂いがする(笑)。詐欺ではない、が、限りなく「騙された感」が否定できない。

リスナーに聞きやすいものに手直しして販売するのも、販売者の義務、いやマナーなのかもしれない。それは大事なことだとは思う。騙されて満足な人もいるであろう。そうなるともう、表現者としての力量や才能は、「リスナーが受け入れやすいか、否か」という点に凌駕されてしまわないのだろうか。聴きやすいものを提供するアーチスト=表現者として合格、みたいな。

それが「音楽表現者」「音楽創造者」として存在する第一条件となっているのなら、表現者が表現者である所以は、創造者がそうである所以は、とてもあやふやなものになる気がして止まない。受け手至上主義というか。

そこまで受け手に媚を売らなくてもいいんじゃないかなぁ。「俺はこういうものを作った、聴きにくいところや、受け入れがたい点はあったとしても、俺はこういうコンセプトで表現、創造してみた。だから後は好きにそれを評価してくれ」と言うようなくらいに割り切っても、罪はないと思うのだけれども


一歩間違えたら単なるマスターベーションになるけれどもね(笑)。

兎にも角にも、アートは作り手と受け手との絶妙なバランスによって成立する面が大きいと思う。それは古今東西、永遠不変だと思う。

なので、作り手、受け手、どちらか一方に、極端に特化してしまうというのは、果たしてどうなのかな。

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「恋人みたいに話してくれよTalkinAs A Lover」のベーシックを完成させた。

電話のベルの音のSEを丁重に加工してゆき、ギターのハーフミュートのように、淡々とリズムを切る役割を与えてみることにした。

打ち込もうかと考えたが一考し、手弾きでリアルタイムレコーディングする。これがハマる!

その他、口笛をサンプリングした音をカウンターラインとして使ってみる。

これはゲートで切り、一切のコーラス成分を排除させた音。これもまた味のあるというか、不思議な感じで気に入ってしまった。コーラスを0にしても、それでも反響音は多少残るんだな!その感じがとてもいいと思う。

それに加えて、歌詞も大胆に推敲してみた。

作品が大きく形を変えていくことを進化と捉えているので、こういう変化は大歓迎なのである。その代わりに、作品を作ったときの風景や背景が薄くなることも否めない。

理想は、その当時の感覚をより深く掘り下げることである。

しかしメロディ的制約、字数制限があり、なかなかうまくは行かないのが現状である。自身の国語力もたいしたことないしなぁ。


何はともあれ完成。あとはこいつをMTRに落とすだけ。「ドレス」のベーシックを完成させて、いっしょに落とすことにする。








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禅と言うものがある。


これは「精神を統一して、無我の境地を実践する」修行だと、自分は解釈している。邪念が多いと、体が動いたり姿勢が崩れたりする。そこで、坊主が棒で肩を叩いてそれを警告する。

いわゆるこういう一連の作業が、一般人の持つ「座禅」のイメージであろう。


この「肩を棒で叩く行為」が「体罰ではないのか?」と論争になっているらしく、失笑を禁じえなかった。そこにつっこむか??という感じ。もはや、文化的な何をするにしても、不自由な社会なんだな。部活の不必要な体罰、角界のかわいがり等とは、明らかに毛並みが違うとは思うのだが。

ひょんなことから座禅をし、そのときに肩を叩かれて警告を受け、ついては不快感を持ってしまった人間の、ごく私的な「私怨」から派生しただけのものであることを、切に願わんばかりである。

あぁ、アホくさ(笑)。


「天気雨と虹とハス畑」「a Sunny Shade on Monday」のベーシックトラックをMTRにトラックダウンする。

同時にキーを確認するために仮歌も取ってみる。唄いにくいところとかの再確認のためだ。とりあえず暫定的にだが、仮歌にはプリアンプ、コンプ&リミッター、イコライザーのほかに、モジュレーションディレイのエキサイターを使用する。

エキサイターは非常に便利、且つ扱いが非常に難しいコーラス/ディレイ。引っ込んでいる音、こもっている音が輪郭を明確にしてぐんと前に出てくる。魔法のエフェクターだ。

その反面、ディエッサーをフルにかけてもサ行タ行辺りの歯擦音がとても気になったりってことも。高音をCutしすぎると、わざわざエキサイターをチョイスした意味がなくなりそうなので、ここら辺りの設定でいつも頭を悩ませる。

とりあえずエキサイターを使って1コーラスを、残りはDOUBLINGを使ってレコーディング。センド・リターンでショートディレイを少し、HALLタイプのリバーヴ(設定をカスタマイズする)を使用。


ベーシックを落とすときには、各楽器のベロシティや相位に異常にナーバスになる。ベーシックは、曲によって差はあれど、大体が平均して24~30トラック程度を使用して作っている。その一つ一つのトラックの、一つ一つの音にまでこだわっている。

つまりたった一つの音の発音量、位相、エフェクター、ヴォイス設定などこだわることは多い。


多重録音にのめりこみすぎて、発狂したりジャンキーと化したアーチストの例は、枚挙に暇がないが、よくわかる(笑)。

まあ、そこまで極端ではないのだが、手間隙はかなりかけているつもりだ。クォンタイズの調整とか、本当にやりだすとシーケンサーのメモリーがすぐにいっぱいになってしまう。

トンデモナイ量の「作業」を、自分の音楽に注ぎ込んでいることに気が付いたときに、もう溜息しか漏れない、アホやなと。


「天気雨」はそのままEmajorで。「Perpetual」はキーをAmajorに、「a Sunny」はFmajorにピッチシフトすることにした。

「天気雨」で使う予定のBOSSのDS-2の電池が切れていたので明日購入することにした。


月の綺麗な夜である。

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トルネード竜巻、Fishimansを久々に聞いていた。当時の話題性のみで購入したものである。なので当時はあまり深く聞かなかった代物だ。

しかし今、こうやって聞いてみると、こういうアンビエント系というかエレクトロニカ系というか、そういう音楽はなんかやばい中毒性に溢れていて、かなりいいと思った。自分の中での主流にはならないけど、エッセンスなんかを学んで、昇華してみたい気がする。

こういう素材との出会いは、創作意欲、アレンジ意欲を大いに高揚させてくれる。


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自分の中では少し特別なナンバーの一つである「STARS & FULLMOON」が、かのfmGIGで、また、最終エントリー落ちしたようだ(笑)。

上位三曲が一週間のヘビロテでかかりまくるらしい。今回は「記念寫眞」同様にベスト6には入ったようだが最終三曲からは脱落。仕方ない。まあ、まだまだチャンスはあるさ。エントリーさせたい曲、自信のある曲は、なんぼでもある(笑)。楽曲素材のレベルにおいて、上位三曲との差は、正直感じないからだ。

そういえば「Windy Walk」はどうなるのだろうかな。


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今日は午後から「夏に誘われるまんまに」のリマスタリングにチャレンジする。MDで聴いても、CD-Rで聴いても、コンポで聞いても、ボーカルが演奏に埋もれていると思い、とても気になったからだ。

「気になったことは、けっして曖昧にして放置せずに再度取り組んでみる」。モットーである。実際に相当埋もれていると思う。ボーカルの芯というか、存在はちゃんとあるのだが、ベースを上げた分、その帯域にまんまと被ってしまっていることが原因と特定してみた。周波数的に似通った部分が多いのだろうか。この曲のボーカルは中域よりやや下目にある。なので、ベースの中域とベロシティを上げた分、ベースギターと見事に被ってしまったのだと思う。

さて、どうしたものかと試行錯誤を繰り返す。Muzieにアップしたバージョンはラフミックスのものである。あまり深く考えずに、とりあえずマスタリングのツボを探るためにミックス、マスタリングを施したもの。こちらのほうがボーカルが前面に出ていて気持ちいい。その分ベースが引っ込んでいる。

ベースは時々頭にシンコペを使った8部音符刻みのフレーズ中心だ。特に凝ったラインは作っていない。そのほうがこのテンポでは素晴らしいドライブ感が出ると考えたからだ。この奏法でトレイス・エリオットを通したリッケンバッカー4003を弾くと、音と音の重なり具合が絶妙になり、まさに畳み掛けるようなグルーヴをもたらしてくれる。「意味的不飽和のためのセレナーデ」も同様である。

そのグルーヴが、結果やや弱いボーカルを取り込んでしまったということなのだろう。ボーカルを取り直すか、ミキシング、マスタリングでケリを付けるのか。結論が出ないまま作業を進めるが、芳しい結果を得ることができず、一旦終了することにする。

煮詰まったときはスパッと中断する。これまたモットーである。



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仕事後帰宅。
二時間ほど仮眠を取ったあとに人と会う約束があり集合場所へ。

夜はベーシックトラックの作成。

「恋人みたいに話してくれよTalkin As A Lover」は、「And Keep on Talking For Me As A Lover(恋人みたいにもっと話し続けておくれ)」という1996年3月27日に作った曲のリメイクだ。そのバージョンはアコギの弾き語り。1999年に作ったバージョンは4ビートピアノバッキングにシンセベースやエレキ、パーカスを重ねたもの。

今回はそれをよりいっそう「シャッフルさせる」ことにした。もろシャッフル。前回はドラムレスだったが今回はパンチの効いたドラムスを打ち込みで録ることにした。

TR-808をサンプリングしたモノを加工してループを作ってみるがなかなかしっくりこない。おもちゃみたいにしかならない!以前、見よう見まねで(youTUBEを見ながら)cubaseを使ってブレイクビーツをつくってみたことがあった。 かなり複雑な作業に一喜一憂してテンションがあがったが、何しか膨大な作業量だった。あれはちょっと相当気合を入れねば、いまさらできそうにない(笑)。初心者には酷過ぎる。あぁ、こういうテクや知識がまるでないからなあ~。マジで、独学でいいからいろいろ勉強してみようかと思うのだが

結局はYAMAHA QY-100で最初から音の一つ一つを作ってみることにする。地味な作業の積み重ねでトライすることにして、寝ることにする。



そういえば、先日、某雑誌でPILのジョン・ライドンのインタビュー記事を読んだことをなぜか思い出した。御大も還暦を超えているが、毒舌や先鋭性は健在なようだ。

「最近音楽業界、音楽ビジネスが路頭に彷徨っているが...。」という問いに対して、「ざまあみろ。いい気味だ。身から出た錆。苦しめばいい」と。さすがだ。小憎らしいばかりである!


1985年頃だったか、友達と三人で新京極を歩いていた時にPILで来日していたジョンライドンとばったり出くわした。友達の一人が熱狂的ピストルズフレークで天に舞い上がる感じだった。さながら「スカイフォール」って感じか(笑)。自分はそうでもなく少しクールに傍観していたが、流れで握手をさせてもらう運びとなった。冬だったので手袋をしていたが、それを外すのを忘れて(笑)。相当高身長で、痩せぎすで、髪は赤く、逆立っていた。見かけや話とは裏腹に、とても紳士だった。


あれから何十年たち、御大もすっかり貫禄ある姿になっている。でも、中身には今でも「くだらないもの、チンピラ」(PUNK)感を凝縮しているのだろうか。ふふっ...と、同感という意味で、鼻で笑ってしまった次第。かっこいいよ。

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