イーグルスの「デスペラード」。この曲、すごい好きです。原曲もよく聞きました。
今までいろんな人が唄うのを聞いてきましたが、一番心に残っているものは、高知在住の浜田裕介というミュージシャンが、四万十市の山奥の「カヌー館」で弾き語って聞かせてくれたライブバージョン。しんみりと、かつソウルフルに聞かせてくれたものです。カバーとしては秀逸だと思いました。
さて、イーグルスといえばよく取り上げられるのは「ホテル・カリフォルニア」。これが密かに「産業化したロック」を揶揄している歌というのはよく知られている事実でしょう。
「1969年以降、スピリッツはダメになった」という歌詞が衝撃的ですよね。これはベトナム戦争以降のアメリカにも重なるといわれます。いろいろなものを含めて、社会全体を痛烈に皮肉っているのですね。日本語訳を引用してみましょうか。
暗く寂しいハイウェイ涼しげな風に髪が揺れる
コリタス草の甘い香りがほのかに漂い
はるか前方にはかすかな灯りが見える
頭は重く 視界かすむ
どうやら今夜は休息が必要だ
礼拝の鐘が鳴り戸口に女が現れた
僕はひそかに問いかける
ここは天国? それとも地獄?
すると 女はローソクに灯を灯し
僕を部屋へと案内した
廊下の向こうからこう囁く声が聞こえる
ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここはステキなところ
お客様もいい人たちばかり
ホテル・カリフォルニアは数多くのお部屋をご用意して
あなたのお越しをいつでもお待ちしています
ティファニーの宝石のように繊細で
高級車のように優雅なその曲線美
美しいボーイたちはみな彼女たちに心を奪われている
中庭では香しい汗を流してダンスを踊っている人々
思い出を心に刻もうとする者
すべてを忘れるために踊る者
そこで僕は支配人に告げた
「ワインを持ってきてくれないか」
すると彼は
「そのようなスピリットは1969年以降一切ございません」
それでも人々が深い眠りについた真夜中でさえ
どこからともなく 声が聞こえてくる
ようこそホテル・カリフォルニアへ
ここはステキなところ
お客様もいい人たちばかり
どなたもホテルでの人生をしんでいらっしゃいます
口実の許すかぎりせいぜいお楽しみください
鏡を張りめぐらせた天井
グラスにはピンクのシャンペン
誰もが自分の意思で囚われの身となった者ばかり
やがて 大広間では祝宴の準備がととのった
人々は鋭いナイフを突き立てるが
誰ひとり内なる獣を殺せない
気がつくと僕は出口を求めて走りまわっていた
もとの場所に戻る通路をなんとかして見つけなければ・・・
すると 夜警がいった
「落ち着いて自分の運命を受け入れるのです
チェック・アウトは自由ですが
ここを立ち去ることは永久にできません」
曲のバックグラウンドに関してのとても適切な解釈を見つけましたので、これも引用します。
1960年代の終わり、アメリカ社会は反戦、ヒッピー、ドラッグ、ウッドストックに象徴されるような若者文化が溢れており、サンフランシスコなどカリフォルニア州の町がその中心地でした。
カリフォルニアには、世界中から多くの若者が集まり、社会的なムーブメントが沸き起こっていました。
しかし、1969年のウッドストックコンサートを峠として、ジミ・ヘンやジャニス・ジョプリンの死やベトナム戦争の泥沼化などにより、次第にムーブメントも冷めていきます。
「ホテル・カリフォルニア」というのは、そうした時代のカリフォルニアのことで、新しい時代が幕を開けても1960年代の呪縛から逃げられない人々に対して、当時多くの若者の感じた「喪失感」、「無力感」を歌っています。
この曲がヒットしたのは、単に曲と演奏がすばらしいだけでなく、そうした時代背景があるのです。
・・・だそうです。
アルバム「ホテル・カリフォルニア」は、ダリル・ホールをモチーフにしている「ニュー・キッド・イン・タウン」、あと「駆け足の人生」「ラスト・リゾート」など、ウェストコースト・ロック界の凋落、ひいては商業主義化したロック界への皮肉、あるいは現代社会・都市社会の歪みへのアンチテーゼなどをたっぷりと詰め込んであるものすごいアルバムです。
ところで、僕的には、イーグルスといえば「Take It Easy 」であり、「TAKE IT TO THE LIMIT 」。もちろん「ホテル・カリフォルニア」も「デスペラード」も大好きです。
とくに「ホテル・カリフォルニア」でのドン・フェルダー&ジョー・ウォルッシュの演奏したギターソロは、やはりロック史上最高だと思うし、13本のギターアルペジオを重ねたアレンジも然り。「デスペラード」も間違いなく名曲だと思います。
ところで「デスペラード」には、イーグルス自身のバージョンの他にも、リンダ・ロンシュタットのカバーもあります。イーグルス自体がリンダのバックバンドを、そのキャリアのスタートとしているということもあるのでしょう。
この曲は、ドラマ「華麗なる一族」の挿入歌として使われてリバイバルヒットしたそうですね。主演のキムタクこと木村拓哉の推薦だったそうです。
なんにしてもドラマ効果はすごい。経済効果という点においては、オリンピック招致よりも日常性、半恒久性という観点から、はるかに実用的なのかもしれませんね。
最近では[遅咲きのヒマワリ]の舞台である四万十市が有名になったりもあったし。
舞台のひとつになった、実在する「瀕死の市民病院」が再生に向けて本当に動き出し始めたとか、商店街再生に向けての機運が高まりつつあるとか、波及効果には目を見張るものがあるとか。
決して仮想現実ではなく、ドラマの根幹のエピソードであったこれらの話は、実はごくリアルな話でして、町自体が本当に大変状態にありました。つまりは、このドラマは、現実に街が抱え込んでいるとんでもない病巣、問題をモチーフにしていたという、画期的なドラマでした。そして、この市民病院存続問題に、真正面から立ち向かっていた一人が、前出の「ミュージシャンであり、市会議員でもある」浜田裕介その人でした。四万十市を離れて久しいのですが、その後の市民病院の動きには、やはりなにかと注目してしまいます。
こういう地方都市における経済の状況下では、市民的レベルでの経済への影響は、非常に重要なファクターのように思ってやみません。
上からだけじゃなく、主に下から経済を揺り動かしてやるのです。
さて、本日は、溜まっていた楽曲の歌入れを。
まあ、これが最終型ではない。
試行錯誤しながら何度もやり直していくための第一歩。
その曲にベストなボーカルがとれるまで、何ヶ月もかかることはざらだ。