宅録ミュージシャン雑記 月に見下ろされて ~宅録ミュージシャン trifling beetleのブログ~

宅録ミュージシャン・trifling beetleの雑記帳&忘備録。
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阪神西宮駅、阪急西宮北口などは本当に好きなエリアだ。



阪急沿線は特にお気に入りで、京都から三宮、元町まで、本当に、本当に、本当によく利用したものである。



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ところで、阪神のほうの駅前にインドカレー店がある。

「SITA-KAMALA」で、内装は雑貨屋さん的。

なかなか洒落ている。


店主いわく、カレーは、毎日でも食べられるヘルシーフードだという。

そうはいっても毎日は胃が重たそうだなぁと思うが、おいしいカレー屋を食べ歩いていると、毎日でもエエか!という気分になるから不思議である。


今このコラムを書いていて、前回カレーを食べたのはいつかを探り、要するに無性にカレーが食べたくなったということだ。



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ここのじっくりと煮込まれたカレーは相当上手いほうだと思う。

以前、京都に「ボルツ」という、いわゆる劇辛系のカレー屋があり、何度か行ったことがある。

もう随分前の話である。

本屋の二階か三階、映画館の下か上うろ覚えだが(笑)。



ここはレベルが1~20くらいまであったと思う。

10くらいになると自分は食べることなんてできなかった。

眩暈がして、汗が止まらなくなった。

牛乳が出てくるのだが、そんなものは焼け石に水。

あれは、十分に体を痛めつけているだけだったのかもしれないと、今更ながらに思う次第。



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さて、SITA-KAMALAの日替わりカレーセットは、まずメインの日替わりカレーが2種類つく!

それにライス、チャペック、サラダも付く。

キーマカレーは特に秀逸で、ひき肉はすでにとろけている。

最初の一口はなんともないが、その後じわじわと、スパイスが口いっぱいに広がってきて、とても爽やかな後味を残す。



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自分的には、甲子園球場がすぐ近所にあるというだけで、なんか心惹かれるのだ。

西宮は、とても良い街である。

暮らしやすそうだと、なんとなく感じる。




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さて、そんな西宮の店で、自分的なお気に入りがもうひとつある。

それは阪神甲子園駅近くにある。



中津浜線と酒蔵通りの交差点にある謎の店「味庵喰好」は、上手く読むことができない人のほうが多いはずだ。

当然である。

暴走族や愚連隊でも書かないであろう、こういう4文字漢字の並びは(笑)。



「あじあん、たべよ」と読む。

地味とでは有名な店らしい。

中国がメインで・台湾・ベトナム・インドネシア、それにタイ料理に創作を加えて料理しているそうだ。



メニューは超多彩。

しかしどれもかなり本格的で、なんちゃって感はない。

ランチは¥700を切っているし、日替わりは売り切れになることが多いと聞く。

肉とピーマン炒め定食、酢豚定食が自分の定番である。





こういうメニューが多い店に行くと、頻繁に通いたくなる。

京都の千本北大路をあがったところ、要するに母校の大学のそばにある「おもいで」もそんな店である。

メニューが超多い!

コンプリートするのに必死な仲間もたくさんいた。

自分も一応はチャレンジはしたのだが、その内にどれを頼んで、どれをまだ頼んでいないのかが良くわからなくなってしまい、結果、頓挫、断念...。

こういう「どれが、どれで、どうなのかが、よくわからなくなる」という混乱は、多メニュー店制覇のための「永遠の命題」だと思った。



しかし年を食ってからは、次々とオーダーを変えるのに何らかの抵抗が出てきて、いくつかの選択肢を自分なりに設定して、その日の気分で、その中から選ぶという方式に変えている。

もう冒険はしない年齢なのだ(笑)。


味庵喰好のマスターはまだ若い方である。


「流行る、流行らないは度外視して、お客様が美味しいと思って、また来てくれたらそれが一番良い」と言い切られる方だ。



この人は、料理を心から楽しみ、愛しているんだなぁと、自分は思った。


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テレビを見ていると、本当に脳が麻痺するというか、腐りかけそうになることがある。気分が悪すぎて飯も食えないほどだ。

そう、公共電波を、政治家とか一部の豚どもが、自分たちの都合のいいように、好き勝手に利用している気がするのだ。



マスコミもそれを表向きは批判しながらも、実は裏で談合しているような疑心暗鬼さえ湧く。

マスコミさんは、何を見返りに求めているんだろうか?とか、果てしなく続くクェッションマークの夥しいシークエンスだ。



秘密を保護しましょうなどという、トンデモナイ代物の実現がいよいよ現実となりつつある(なったのだろう!)昨今、こういう溺レースの数々を見ていると、本当に胸糞悪くなる。

くそったれである。



僕が敬愛するミュージシャンの一人、砂布均さんは「誰のための秘密やねんっ!!」と怒り心頭だが、当然だろう、協調する。



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特定な秘密を指定する人間のための法律、そしてそれを成立させようとするもののための政治、何なんだこれは?

この国はいつから人治国家、もとい独裁国家への道のりを歩み始めたんだろうか。


将来へと、明らかに禍根を残すものを、勢い任せ、あるいはひと時の感情に左右されきって、愚かしくも作り上げてしまったんだな。


暴力である。れっきとした暴力。

安倍は、民主主義と国民主権を、公然とレイプしているんだと感じ、今日の自分は嫌悪感マックスなのである。



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しかし、ごくたま~にテレビを見ていて嬉しくなることもあるのだが、例えばグルメ番組を何気に見ていて、地元の「ぱ・らんて」という洋食屋を久々に訪問したくなったことなどがそう。

別にこの店を放送していたわけではないが、よく似たメニューを別の店の特集で偶然見てしまい、思いがけずに思い出したのである。

次回の機会にはぜひ足を運ぼうと思う。


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ここは特に、西京極に住んでいる時に、頻繁にかよった店。

腹が減っている時には、もう一目散にここへと飛んでいった。

当時の相方もここが非常に気に入っていて、その後、お互いに別々の道を歩み始め、結婚し、京都を離れても、未だにここへと通っているといっていた。

そう考えたなら、自分の「外食歴史内」でも、相当歴史がある店なんだあ~と感慨深い。

知ってから20年近くか?



場所は西大路七条の南西角、銀行の近く、交差点のすぐ横である。

当時はお昼時など、時々行列が出来ていたが、この店の行列には抵抗なく並ぶことができたのだ。

並ぶことは、基本、できない性格...なのだが



駐車場数は少ないので競争だ。

店からさらに東に一筋行ったところにあり、この前の道は実は一方通行、北側からの侵入は不可能だ。

以前は、一緒に行った人を空いている駐車場に立たせて、その間に明石医院の方からぐるりと回ってくるという、非常にせこい方法をとっていた。

確か当時は、他店との兼用で、4~5台分しかなかったと思う。



ランチはハンバーグ、エビフライ、魚フライ、カキフライのどれかをチョイスする方式。


自家製タルタルが大好きなのでエビフライを選ぶことが多かった。

あと、エビクリームコロッケがうまい。

最高である。




かなりのボリューム。

しかし、決して大雑把ではない。

ビーフシチュー、デミグラオムライスも最高である。

誰でも入れるがっつり系な大衆系洋食屋という感じ で、重宝することしきりであった。



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日本酒の「菊正宗」のCMがある。

というか、あった。

放送禁止になったという話を聞いた気がする。

嘘かまことかはわからないのだが。


「旨いものを食べると菊正が欲しくなる。辛口の菊正を呑むと旨いものが欲しくなる」


というアレだ。



あのCMを非常に危険なものと断罪している動画があった。

注意喚起というか。


要するに、あのCMはアルコール依存症患者の陥る無限ループを的確に表現しており、また、アルコール依存を助長をさせかねないというもの。


アレを延々とループさせてみると、気分が確かに悪くなる。

自分はアルコールは付き合い以外は飲まないので、特にそう思う。


しかしそのひとが言うように、ああいうものを入口に始まったとしてもおかしくはないかなとも思う。



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確かにアルコール依存はれっきとした病気であり、少しだけ知っている人間(女性)のそれなんかを見ていると、マジで激烈だ。

もう狂っているとしか言いようがない様だ。


もちろん呑んだときはおろか、普段から言動、行動、目つき、思考、態度すべてのチューニングが狂っている気がする。

凶暴性と、敵意と、残虐性が何かの拍子にチラリと見えたりすることもあった。

話の節々にとかだ。

恐ろしい限りだ。


なのに自分は病気ではないと妄信しており、治療一切を拒否しているとか。

嫌々行った断酒道場の帰りに、当然のように飲み会を開いてしまい、元の木阿弥になってしまったとか。

決して笑い話ではない。

これもまた恐ろしい限りだ。

すでに無限ループに陥っていて、脳神経が相当ダメージを受けているとしか思えないのである。





たかがCMと侮ること無かれ、その陰にはとても恐ろしいものが、意図的でなくとも含まれてしまっていることもあると、その人は主張されていた。


患者の陥っている地獄が、はたしてどういう世界なのかは自分にはわからない。

が、客観的な体験から考えて見るに、依存者の相手としてはたまったもんじゃない。

表層的にだがつくづくそう思う。

そして心から気の毒にも思う次第。


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ウェルカム・ホーム!は故・鷺沢萌さんの遺作だ。



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妻を亡くした親友の家に居候し、彼の息子を育て家事をきりもりする38歳の渡辺毅と、離れ離れになった再婚相手の娘を想いながら仕事に邁進するキャリアウーマンの児島律子との物語。


血の繋がらない家族の持つ当たり前さ、普通さ、温かさなどを、心を込めて描き出している、とても素敵な作品だ。

優しさと慈愛に満ち満ちている。


このストーリーの中に出てくる「彼ら」の手に入れた温もりは、まさに「ウェルカム・ホーム(おかえりなさい!)」という言葉に集約される。


そうなのだ、カタチなんて二の次で、要はナカミなのだ。

ぶっちゃけ、家族のカタチなんてどうでもいい、それは試合が始まる前のサッカーのフォーメーションと同じようなものだから。

試合がいざ始まれば3-4-4も2-5-3もへったくれもない。

全然問題はない。


そういうものだと、自分も思う。


鷺沢さんの持つ温もりや優しさをギュッと一冊に凝縮したような、そんな作品だと思った。


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カンガルーの肉って、食べられるのか?おいしいのか??

鹿と似ているのだろうか???




寺町通御池を北に入ってすぐのエスニック雑貨店「歩」は、もう何十年もお気に入り登録している店。


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ここでずっと買い続けているのはお香だ。

もうこの香りなしには生きれない。

いろいろなものがあり、それぞれの差異というものは、実はさほど感じないが、それでもココナッツとバニラ、レモングラスにこだわっている。

匂いで安堵するタイプなのだ、自分は。


近所の民族楽器コイズミも大事な御用達だ。

ここで購入したオーシャンドラムは未だ現役。




民族楽器コイズミ



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青空の卵 [坂木司] は5作品からなる連作。


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主人公は坂木司で、自称ひきこもりという鳥井真一という友人がいる。

彼を外界へと連れ出そうと奮闘する坂木と、鋭い観察眼を持ち、料理が趣味という鳥居との交流が、物語全体を覆うメインテーマだといえる。

内容的には、「夏の終わりの三重奏」「秋の足音」「冬の贈りもの」「春の子供」「初夏のひよこ」の五編が、季節の移ろいに合わせて流れて行くというスタイルで、全編が坂木のモノローグとなっている。

季節の流れに歩調をあわせて、人もそれぞれに変化してゆく。

だがこれは、決して明るく希望に満ちた物語ではない。

なぜかというと、優しさを携えた残酷さというものがしっかりと含ませてあるからであり、よって読後は何となく息苦しくなること然り。

毒気で心がピリピリと痺れてしまい、なんともやるせなかった。


ところで、人の心の奥底にあるものは、パッと見で見えたならば、大してどおってことはない。

が、しかし、それがなかなか見えないときに、何となく井戸の底を覗き込んでいるような不安や怖さを感じることがある。

他者が何を考えているのかまったく汲み取れないときなどがそうだ。

この作品は文章でない部分を使い、人間の心の奥の、最も深い場所や、あるいはそこにあるものを、しっかりと描いて伝えていると思う。

これでもかと突きつけているといったほうが尚更正確だ。


これらは一様に、決して文字情報としては入ってこない代物で、だが読んでいるうちに、雰囲気というか空気感というかそういうもので、深層にある何かの存在を、薄ぼんやりと感じてしまうのである。

もう心がざわざわしてたまらない。

まるでトラウマが騒ぎ出したみたく


かなり重たく来る物語だ。


『青空の卵』の続編として『仔羊の巣』、『動物園の鳥』があり、シリーズ化されているそうだ。

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マーガレット・ワイズ・ブラウン(Margaret Wise Brown 1910 - 1952)1910年、ニューヨーク生まれ。

編集者でもあったブラウンは、15年ほどの間に100作以上の作品を書き、ストーリーを理解できない幼児を対象にした絵本の分野を築いた。

「ゴールデン・マクドナルド」などの筆名で出版された作品もある。

1952年11月13日、旅行中のフランスにて42歳で急死。

若くして亡くなったため、死後発表された作品も多い。



http://www.youtube.com/watch?v=NWsRP6Qta3w



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たいせつなこと(The Important Book)は、 著者・マーガレット・ワイズ・ブラウン、挿絵・レナード・ワイスガードのコンビが贈る、半世紀も前の1949年に最初に出版された絵本。

初刊以来、多くの大人と子供に愛され続けているアメリカの大ロングセラー本である。


これを内田也哉子さんが丁寧に訳している。

シンプルで、的確な訳だ。



大人が読んでもいい。

凄く心が洗浄されると思う。

静かで、どこか懐かしい雰囲気の絵に、日々複雑なものにがんじがらめにされている心も、な・ぜ・か、自然と癒される。


ところで、大人になって絵本を読むという行為って、なんというか、本当に清々しい気がするのだ(笑)。

漫画じゃなく絵本。

人それぞれ趣向はあろうかと思うが、幼稚と思わず、シンプルな世界に、たま~に浸るのも悪くないと思う。

自分は、童心に返って読むのではなく、あくまで「汚れた存在」の大人のひとりとして読んでいる。

そうすると汚れがよく見えるのだ。

ただ、子供時代の泥遊びとは違い、落ちない汚れの方がはるかに多いのだけど(笑)。

自分の、なにも好き好んで見たくもない汚れを直視することも、重要なカタルシスのひとつだ。


ま、漫画もいいとは思う。

自分も今「20世紀少年」にどっぷりはまりつつあるからだが...(笑)。




脱線したが、「たいせつなこと」の話に戻ると、この本には決しておろそかにしてはいけない「人としての姿勢、哲学、思想」が、本のテーマに沿って書いてあると感じた。


「グラスにとってたいせつなのは むこうがわがすけてみえること。」



「スプーンにとってたいせつなのは それをつかうと じょうずにたべられるということ。」


要するに、ひとつひとつの「たいせつなこと」は、ひとつひとつの大事な個性であり、とどのつまりは、それらを心から尊重して、認め合うということは、人としてとっても大切な姿勢なのだと言いたいのではなかろうか。


お互いに認め合う。

本当に難題だが、決して放棄したり、諦めたりしてはいけない。

とっても大切なものだから。


例えば、一気にジャンプしなくてもいい。

一歩、前進できたら、全然違うと思う。

見える景色も、取り囲む全ても。

たった一歩を疎かにせずに、青息吐息でもいいから、挫折を繰り返してもいいから、それをなんとか継続させることに集中したらいい。

失敗してもやり直せばいいのだ。

試行錯誤は、全然OK。

一発勝負の世界でもないんだし。



どこかの政党が声高に主張する、現実離れした理想論を真似るわけではないのだが、個が個を、それぞれにリスペクトし合って、認め合うことが可能な世界が、もし存在したとしたならば、それはとっても幸せなユートピアなのではなかろうか。

お互いにお互いを、「大切でかけがえのないもの」として認め合うことは、お互いのあいだに存在する、難攻不落で有名な「ジェリコの壁」を、根本からとっぱらってしまうことと同義だと、自分は思うからだ。


理想はあくまで理想。

現実と理想のギャップは、当然あるし、理想論ばかりでは、物事は一歩たりとも前進する気がしない。

理想は大切。

現実も然り。

現実と理想との折り合いをつけながら、微々たる前進や進歩を目指せばいいと自分は思う。

何かにつけてそう思う。


自分はそう思っているけど、どうなんでしょうか、ジョン!



「あなたはあなた あなたにとって たいせつなことは あなた自身の中に、それは存在します。」



もう、まったくその通りだ!


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 僕は、特に歌唱力もなく、演奏技術もないアーチストだと思っています。投手に喩えるなら決して本格派ではなく、あくまで緩急差やコーナーワークでだましだまし、のらりくらりとかわす超軟投派です。

 そういう自分の持ち味って、あえて言うならば独特な空気感とか、邪道のようなメロディ、コードワーク、そしてアレンジワークなのかなと。まあそればっかりでもどうよって感じなんですが(笑)。



 そういう自分の作品をネットにアップロードし始めたのが2006年ころだったでしょうか。音楽仲間に教えてもらったMuzieというサイトです。


http://www.muzie.ne.jp/  


 それまでは自分の作品を、不特定多数な人に聴かせるなんてことは恐れ多くて、全くと言っていいほど考えたことがありませんでした。なので僕にとってMuzieは原点中の原点です。故郷です。


 そのMuzieの公開掲示板に、自分の作品についての感想等を書き込んでくださる熱心な方が何人かおられます。

 作品に対しての純粋な批評・批判的な感想なども、もちろん勉強のために聞いてみたいのですが、しかしながら非常に嬉しく、かつ、なんか逆に居心地が悪くなるというか、そう、逆に自分の技量がとても恥ずかしくなるほどの素敵なコメントばかりであり、もうこの嬉しさをどう表現したらいいのか、自分はまったくわからない次第なのです。

 「ミンナノオススメ」という公開掲示板という性格もあり、ひとつひとつに対して、ちゃんとお返しできないことが、本当に残念でなりません。邪道中の邪道というべき、自分の「取るに足らないオンガク」を、こんなに熱心に聞いてくださる方がいるということだけで、僕は本当に胸が熱くなります。


 実はお恥ずかしい限りなのですが、僕の作品を聴いていてくれる存在というものを、ほとんど意識したことがありませんでした。誰もこの程度のものは真剣には聴いてはいないんだろうなと、自嘲的に、諦観のようなものを携帯しながら、アップロードをし続けてきたからです。

 それって、とても非礼極まりない態度だったんだと、今更ながら猛省しています。

すみませんでした、本当に。申し訳ありません。


 と、同時に、決して自己満足に陥ることなく、聴き手を常に意識して、襟を正しつつ、前進してゆかないとあかんよなぁ~と痛感しています。とても強く、感じています。 

 これからも、命がある限りは、僕の独特の作品を作り続けてゆくつもりです。

こういう変な音楽しか作ることができませんし、代わり映えはしないだろうけど、でも、聴き手さんが、そんなものから何か懐かしいものを感じたり、世界観を共有できたり、はたまた何らかの感情...喜怒哀楽を想起させてくれたり、そういう機会が一つでもあればとてもいいなぁ~と、僕は、この先も思い続けて行こうと思っています。

 

 この場をお借りして、感謝の気持ちを伝えることにしました。






from trifling beetle 2013.11.25


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「敗因と」は、ドイツワールドカップでのサッカー日本代表のルポである。


かなりショッキングなことも書かれており、やはり、報道されていた以上に、チームは揉めに揉め、そしてどうしようもなく混乱していたという事実を、これでもかと認識させられてしまう。



サッカーワールドカップ・ドイツ大会、つまりジーコ率いたサッカーチームはトンデモナイ失敗作品だったと思う。

あんなに見事にチーム作りに失敗した例は珍しい。


チームの中心にヒデを据え続けてしまったことは、責められないのかも知れないが、しかし、やはりそこを根本原因としてすべての歯車が狂っていたのだと自分は思うのだ。


自分は、ヒデは、グランド内でのリーダー的存在を張れる選手ではないと思う。

リーダーの元にいて、エゴにふるまうタイプだと思うのだ。

それでナンボだと思うし、その判断を、まずはジーコが間違えていたと思う。

まあ、間違いには気がついていた節もあり、でももうどうしようもなかったんだろうな。


戦い方として、凄く攻撃的に行くという事を協同認識としていたようだが、これではまず無理だと思う。

ボールポゼッションを上げて手綱を緩めず波状攻撃する..それは理想だ。

あくまでも「理想」でしかない。

それは火を見るよりも明らかで、次の大会で岡田が取った「超守備的」な戦法、これがやはり正解だと思う。

ボールは相手の持たせて好き放題攻撃させておき、一瞬のスキをついてカウンターを決めて、あとは守りに集中して逃げ切る。

これだ。

岡田はトリプルボランチや、ゼロトップという闘い方で見事に結果を出した。


そうなのである。攻撃的に行って結果が出るほど日本は強くもなんともないのだ、2010年も、2006年も。

だからあまり好きな選手ではないが、守備の要に指名されていた宮本の意見、「最終の守備ラインはかなり低く」は、結果論ではあるが大正解だと感じる。



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最終ラインをできうる限り上げて、それで打ち合いに持ち込み、最後には勝ち切れる地力があるんだと、ものの見事にカンチガイしていたことは、本当に恥ずかしい限りだ。

無理だ、所詮打ち合いに持ち込んでも、勝てないのが日本だ。

ヒデは当然攻撃の選手だから攻撃的に行こうと主張する。

当たり前だ。

むしろ、そういう主張が彼から出なければチーム機能としてもおかしいと思う。


ただ、それを制して超守備的に行くコンセンサスでまとめうるリーダーシップというものが、監督にはなかったのだ。

「自由に行かせる」、とても素敵な言葉だが、それは自由に行く上での根底があればこそのことだし、自主性を重んじることと放任は紙一重だ。

これの見極めがあってこそなのだ。


それは、ジーコ監督には残念ながら無く、自由と束縛との判断もまた、チームにはそぐわないものばかりだったといえまいか。

残念なことは無い。

あのチームは惨敗しか道はなかったと思う。

そしてそれをフィードバックさせるか否かが、次へのステップへとなり得る。

ドイツ大会での惨敗は必然だったのだ。


この大会が異様に心に残っているのは、大好きな中田英寿の現役最後の大会だった、というのも多分にある。


「ナカタ、ひで」は自分の「ある時期」のシンボルだから。

20で代表デビューして、フランス大会、日韓大会では地味ながらも鋭い輝きを放っていたし、イタリアでの活躍は、毎週の速報をワクワクしながら心待ちにするという楽しみを与えてくれた。

特にペルージャ時代は、思い出しただけで涙が出そうになる。

本当にいい時間を与えてくれた。

あんなにサッカーを好きになったことはなかったのだ。


いつまでも、死ぬまで、ユニフォーム姿のあのヒデを、自分は忘れない。




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高校時代からライブハウスの存在を知り、それ以降はいわゆる中毒症状に陥ったことがある。

十年近く続いた。


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真っ先に思い浮かべるのが銀閣寺のCBGB。

元「サーカス&サーカス」だ。

ここは銀閣寺前の交差点をちょいと北に上がったところにあった、京都ニュー・ウェーヴミュージックの拠点だった。

この当時はニューウェーヴが本当に盛んだった。

東京に感化されていたのだろうか?

かなりおしゃれな偏屈もんの巣窟だった気がする、京都は。



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サーカス&サーカスは2階桟敷席があるというけったいな内装で、'84年ころにはCBGBへと改装。

ちなみに最近知ったのだが、'78年にここで録音されたベーカーズ・ショップ・フィーチャーリング山岸潤史、ダウンホーマーズ・スペシャル (塩次伸二)、ジャングル(入道)の音源があるという。

ケンロード ミュージックからリリースとのこと。



サーカス&サーカス時代にはツレに連れられて行き、まだブレイク前だったRCサクセションを見てかなりの衝撃を受けたこともある。

本当に凄かったし、和製ロック、パンクに触れた最初の体験だった。

あと、少年ナイフもしょっちゅう演っていたのも懐かしい限りだ。



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'80年代には、それなりに面白いハコがたくさんあった、京都には。

例えば大好きな詩の小路ビルにあったdee bees。

ここもニューウェーヴ、パンク、テクノ系が強かった。

ソフトバレイの森岡賢も出演していたと記憶している。



あと、VOXビルのビッグバンも好きで、まだ売れる前の米米クラブ、聖飢魔、爆風スランプ、安全地帯が時々来ていた。

CBS SONY系列御用達か??



あとVIVREホールも箱になるかどうかは疑わしいが、ここではよく出演アマチュアバンドの公開オーディションが行われていて、自分も良く見に行った。

京都、大阪のアマチュアは、やはり東京なんかと比べて、レベル的にも遜色なかったと思う。

ここでは尾崎豊のライブが行われもした。



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三条テラスビルのディスコのチャイナ・エキスプレスは、ニューウェーヴ系ディスコ。

高校時代からちょっと遊び人なツレが「今日は夜チャイナ行くねん」と口癖みたく言っていた事が懐かしい(笑)。

あまりおおっぴらにはいえないが(笑)、ちょっとヤバいクスリなんかの譲渡や売買もされていたという話を聞いたこともある。

前出の「チャイナいくねん」のツレも、睡眠薬がどうとか、ガンジャがどうとか、○○ハートがなんたら、豚の匂い消しがかんたらと学校で薀蓄を垂れていたもんだ(笑)。

ホンマカイナ!!



あと、ライブハウスではないが、まんぼ山本、ハイカラ万華店、マルディグラ、地球屋、シャンソニエ巴里野郎、ジャズ喫茶YAMATOYAなんかも懐かしい。



'80年代後半のニューウェーブの拠点はウーピーズ
ロリポップ・ソニック
(後のフリッパーズ・ギター)がライブをしたそうだ。


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90年代に入ってからは、一時あまりライブハウスには行かなくなった。

それでもミューズホール、メトロ、ラグ、都雅都雅、和音堂なんかには時折行った。

この頃は、主に中川酒店、ラブ・アダブなんかに傾倒して、というかラスタの洗礼を受けてレゲェバーに入り浸っていたのだ。


中川酒店のマスターは、マジで「流暢な関西弁を話す黒人」だと、ずっとずっと思っていた。

ちなみに何年か前に、河原町三条上ル東側の教会の裏あたりに中川酒店の支店があってびっくりした。

駄菓子とか岡田屋のコロッケが、雑然と並べられてあるあのカウンターからは似ても似つかない洒落た店。

どうしたんだっ!中川って感じで、多少居心地が悪かった。


あと、今はもうなき我が家とも言うべき「タンブリング・ダイス」。

加茂街道の御園橋のたもとにあったこの店が、本当に大好きだった。

バンブーブラザーズの小竹さんと大村あつしのユニットのライブを何回か見たが、これも衝撃的だった。

時に女性ベーシストが入ってのトリオにもなったが、今から思えばあの女性ベーシストは東ともみさんだったのかな???

うろ覚えだが



山岸マスターは今も元気にされているのかなぁ??

引退されてしばらくしてお会いした1998年頃には、かなり体のサイズが大きく(笑)なられていたような気が暗闇だったのでよくわかりませんが。


マスターの作る「ピニャコーラーダ」(あえて「ピナコラーダ」と言わないのがこの店のルールだった)は絶品だった。

マリブとか、ココナッツクリームとか、懐かしいな。

あと現在生産されていないが、当時はあったバーボンの「クエイルクリーク」をよく飲まされた。

かず数多あるバーボンの中で「ガン発生率第一位」だったと聞かされたのは、後日談でだ(笑)。

そら、生産中止になるわな。

大丈夫か、俺の肝臓!?




マスターとは音楽の趣向がよく似ていて、いろいろなものを教わった。

ドアーズやマービン・ゲイ、クリーム、ヤング・ラスカルズ、レターメン、ビートルズ、ストーンズ、クラプトン、それにフェイセズ、ロッド・スチュワート、フー、ボブ・ディラン、ボブ・マーリィそしてたくさんのブルーズメンたち。

基本ブリテッシュ系な人なんだろうな。



話は尽きないのだ。

開店から看板までが常。

ここを紹介してくれた丸田クンも交えて明け方まで盛り上がり、閉店後、三人でラーメン屋に行ったりもよくしていたなぁ。

あまり儲かっているとは言えない感じだったが。




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今、CBGB跡地は演劇アトリエ「アンダースロー」になっているという。



606-8266 京都市左京区北白川久保田町21 地下
TEL 080-6189-9226
【市バス】5・17・203・204系統にて「銀閣寺道」下車、徒歩約1分




アンダースローについて|アンダースロー|地点 CHITEN


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ストロープワッフルを通販で頼んでみた。

神戸のお店にだ。

これをマグカップの蓋みたいにしている写真を何度も見たことがあるが、ついにそれを実演してみたくなったのだ。


ワーフルハウス ストロープワッフル


いや、非常においしゅうございましたが、自分はキャラメルがどちらかと言えば苦手で、その点だけを差し引けば本当に美味しいのひとこと。

というか、キャラメルあってのストロープワッフルなんだから、それはやはりおかしい(笑)。

反省。


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90年代初期の伝説のドラマに「十年愛」がある。


ドラマのタイトルを覚えていないとしよう。

しかし「大江千里がメリーゴーランドで高速回転して死ぬドラマ」と入力して検索すれば、アラ、不思議!いとも簡単にいろいろなリンクにたどり着ける。

そのシーンのみの素晴らしい動画も存在する。

超墳飯ものだ。

ちなみに、ようつべでのこのシ-ンのカテゴリーは「Category Comedy」(笑)。


これは、大江千里が、操作盤の故障によって、高速回転して止まらなくなったメリーゴーランド内へと、取り残された娘を助けるために単身乗り込むのはいいが、回転の遠心力で娘共々ぶっ飛ばされてしまい、地面に強打されて、病院でミイラ姿で死亡というもの。


【訃報】シンガーソングライターの大江千里(52)さん、高速回転するメリーゴーランドに弾き飛ばされる事故で死亡


腹がよじれるほど笑ったし、今でも大笑いだ。


これは当然ブラックコメディなのだろうなと思うのだが、どうも基本線はしっかりとシリアスドラマのような気もする。

どっちみち中途半端なのだ。

中途半端ゆえに凄く違和感があって、まずはそのギャップの胡散臭さがとっても、とってもおかしいのだ。

何でこんなことになったのだろうか??



11話で、1話ごとにストーリーが1年分進行。

最終話では10年後になっているという斬新なコンセプトだ。



このほかにも、大江千里が病室でまるでミイラのように包帯でグルグル巻きなのに、なぜか黒ぶちメガネをシッカリとかけていること、連ドラでのストーリーは、実はヒロイン田中美佐子の妄想だった!など、とんでもなく衝撃的過ぎるのだ。


まあ、出ている役者さんの演技が、すべて正気の沙汰ではない。

斉藤慶子の役も相当変だし。


実は浜ちゃんの彼女役で、常盤貴子さんがまるでエキストラのように出ている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%B9%B4%E6%84%9B



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How to eat a stroopwafel - YouTube
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1995年は、本当に、本当にたくさんのことが重なり、かな~りナーバスな一年だった。



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阪神大震災が起こり、友達の家がたくさん潰れた。

実際に自分が被害にあったわけではないけど、もう、身近な人がたくさん被災して、それだけでこちらの精神状態も乱れる始末だったのだ。

自然災害に対して、どうすることもできない無力感を強く感じた..ということを東日本大震災に遭われた方々も口々におっしゃっていたが、本当にそういう感情がこれでもかと自分を痛めつけてきた。

もう、あんな目には遭いたくないと、なぜかこちらまでひしひし感じてしまった。



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春先にはオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こった。

東京にいる身内はすんでのところで危うく難を逃れたが、一歩間違えれば巻き込まれていた可能性もあったという。

あれもまた、どうしようもない地獄絵図だった。

テレビの画面を見てしか伝わらないのだが、本当に本当に、得も知れぬ恐怖を感じたものである。


実際、近所では、教団がマンションの一室を借りており、他の住民との間でトラブルを頻発させていて、その立ち退き問題でとかく揉めていたということもあった。

白装束の人たちと他の住民とが、問題のマンション前でにらみ合う場面を目撃したこともあったし、マンションには、新幹線の高架側に向けて、大きな垂れ幕が下げられていた。

「○○○は出て行け!」、なんともいえない迫力を持った垂れ幕だった。



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この教団らしき信者群が、自宅マンション近辺を勧誘のために徘徊していたのを見たこともあって、決して異様な出で立ちというわけではなかったが、その表情は一様に「電波系」であり、おののいてしまったこともある。

いわゆる「ドン引き」したということなのだろうか。


ガサ入れの様子はテレビで見ていた。

朝もやの中を、ものすごい数の警察が本部に乗り込んでいくシーンは、どんな映画よりもリアルだったと思う。

あの日のなんというか、心が強張る感覚は、今も忘れられない。



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今は、自分たちは、この人たちと別世界にいて、テレビのこちら側からこの人たちを見てはいる。

だが、いつテレビのあちらに映される側になっても、それは決して不思議じゃないかも..という紙一重の上を歩くような不安定な感覚。


それもまたあの年に痛感した、凄く痛い感覚だった。



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読書が大好きである。

漫画はほとんど読まない。



読書は、自分にとっては、音楽とはまた別の形で「LIFE」を彩るとても大事なアイテムだ。

読書は、いとも簡単に、色々な世界へと連れて行ってくれる。

すばらしい旅のようだ。

そして、その旅の終わりには、きちんと何らかの財産というべきものを残してくれたりもする。



それはやがて音楽のモチーフとして芽を出したり、現実世界での溢れんばかりの知的好奇心へと萌芽したり、旅行の動機として成長を遂げることさえもある。

自分の人生の最も下部に位置して、そしてしっかりと人生を支えてくれている存在なのかもしれない。



漫画はほとんど読まないと書いたが、つまりは少しは読むこともあるということだ。

最も思い出深い漫画の存在を、たった今思い浮かべたところである。


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もう随分前、まだ十代の頃、なぜか吉田秋生の漫画が実家にあり、それを何気に読み始めたことがある。

最初に読んだのは、確か『夢みる頃を過ぎても』だったと思う。

とにもかくにも、あっという間にその世界観にグイグイと引き込まれてしまい、『夢の園』、『十三夜荘奇談』、『カリフォルニア物語』を立て続けに読むに至った。

『河よりも長くゆるやかに』が、最後に読んだものだ。

その後は疎遠になっている。



この作家の作品に、何故、あんなにも引き込まれたのだろうか?

それをいまさらながらではあるが、少し考えてみた。



吉田作品全般に通ずることだが、登場人物の心理描写が絶妙だ。

見事である。

そして自己を投影することが、いとも簡単にできうるリアリティが、そこには、ある。

重ね合わせて読み勧めることが出来るということが、まずは大きな要因だったと思う。



登場人物はご多分に漏れず、何らかの問題を抱え込み、相当モンモンとしていて、そして苦悩の日々を密やかに送っている。

これは基本設定的要素でもある。

が、基本、彼らは前向きなのだ。

諦めるよりも前に、果敢にチャレンジしようとする。

結果がついてくることばかりではないのだが、この姿勢を穏やかに、かつたくましく貫徹させようと勇気を持ってトライする。



そういう彼らを本当にたくましく感じて、そしていつの間にか深く、深く共鳴するに至るのだと思う。

快く、清々しくもある。

自分もこう在りたいという姿でもあるし。



そうやってじんわりと、「結果がすべてじゃないよ」と語りかけてくれる吉田の世界が、どうしようもないほどに自己の内面を侵食してゆく。

内面をやんわりと包み包んでくれるようにである。

ある意味、癒しとなるのだと思う。

一過性の中毒的であった、十代の自分には。



さて、件の『夢みる頃を過ぎても』は、昭和52年(1977)昭和57年(1982)にかけて連載された、いわゆる連作もの。

普通の若者がつむぐ、ごくありきたりな風景で、特に事件が起こるわけでもない。

淡々とストーリーが流れてゆくだけなのだが、この平々凡々さが妙に心地良い。



この時代のこういう空気感を、こういう形で、少しでも感じてみたかったなと、いまさらながら思う。




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