集団的自衛権の行使容認など憲法を取り巻く状況が大きく変わる中、「護憲の象徴」が逝った。女性初の衆院議長などを務め、「おたかさん」の愛称でも親しまれた社民党元党首の土井たか子さん。政界引退後も、平和憲法の理念を広げる草の根活動に情熱を燃やし続けた。かつて政治活動をともにした仲間らは「今こそ助言がほしかった。残念だ」と肩を落とした。
「命がけで憲法を守ろうとした土井さんの遺志を継ぐことが恩返しになる」。兵庫県宝塚市の中川智子市長(67)は会見で涙を浮かべた。
阪神・淡路大震災後に仮設住宅などで取り組んだボランティア活動を知った土井さんから要請され、1996年の衆院選に立候補。辻元清美衆院議員(現・民主党)らとともに初当選して護憲の機運を高め、「土井チルドレン」と呼ばれた。
市長選への挑戦を迷っていた5年前、会いたいと電話した。「『手伝えることはあるかな』と言ってくれたのが後押しになった」。土井さんと会ったのはそれが最後だったといい、「体調が悪いと聞き覚悟はしていたが、支えを失った気がする」と語った。
元兵庫県議の今西正行前社民党県連代表(75)は、50年ほど前から憲法の学習会などで土井さんと行動をともにしてきた。盟友の訃報に「護憲の主軸を失った」と声を落としながらも、「土井さんがまいた種は着実に育っている。改憲の動きが加速する今こそ、思いをつないで広げる必要がある」と話した。
旧社会党時代に親交のあった本岡昭次元参院副議長(83)は「最後にお互い政治家という立場を離れ、話したかった」と涙ぐんだ。自身の離党でたもとを分かった後は疎遠になったというが、「土井さんが街頭で護憲を訴えると、すぐに人が集まった。心強い存在だった」と懐かしんだ。
一方、土井さんは阪神・淡路大震災当時、衆院議長としてふるさとの再生に尽力した。兵庫県の井戸敏三知事は「大震災からの復旧・復興、特に生活復興にご支援いただいた」、神戸市の久元喜造市長も「被災者生活再建支援法の成立をはじめ、復興に奔走していただいた」などと感謝を表すコメントを出した。
(田中真治、岡西篤志、村上晃宏)