護憲の象徴 土井たか子氏が死去 女性初の衆院議長
神戸新聞NEXT 9月28日(日)14時22分配信
「護憲の象徴」として知られ、女性で初の衆院議長を務めた社民党元党首土井たか子(どい・たかこ)氏が20日、肺炎のため兵庫県内の病院で死去した。85歳だった。神戸市出身。葬儀・告別式は近親者で済ませた。社民党が28日、発表した。党は後日、お別れの会かしのぶ会を開く予定。
神戸市で開業医の次女として生まれた土井氏は、京都女子大に進んだ後、同志社大法学部に編入。憲法学者の故田畑忍元学長から憲法を学び、同大大学院修了後は同大や関学大で講師を務めた。
1969年の衆院選で初当選。比例復活も含め連続12回当選し、在職期間は36年間に及んだ。社会党(当時)委員長時代の89年、消費税導入などが争点となった参院選で「マドンナ旋風」を巻き起こして大勝。自民党を参院過半数割れに追い込み、「山が動いた」との名文句を残した。
93年、社会党の非自民連立政権への参加に伴い、憲政史上初の女性衆院議長に就任。翌年、社会党は自民党などと組んで連立政権を発足させたが、首相に担がれた村山富市委員長(当時)による「自衛隊は合憲」との基本政策大転換などで党勢衰退に直面した。
社会党が社民党に名称を変更した96年、党首に復帰。野党に転じた後は市民派の党へと脱皮を図ったが、2003年には、同党衆院議員だった辻元清美氏(現・民主党)の秘書給与詐取事件に絡み、土井氏と長年行動をともにした元政策秘書が逮捕された。
同年の衆院選で惨敗した責任を取って党首を辞任。05年衆院選で落選し、政界の第一線から退いた。
党首辞任後は護憲市民グループ「憲法行脚の会」をつくり、全国を飛び回った。関係者によると、ここ数年は体調不良による療養が続き、表立った活動はしていなかった。
最終更新:9月28日(日)19時22分
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