Hatena::ブログ(Diary)

UEI shi3zの日記 RSSフィード

2014-09-29

ドラマ「アオイホノオ」完結そして日本SF展

 毎週の楽しみがひとつ終わってしまった。

 連載の進行を飛び越えて終わってしまったのはまあ仕方ないところか。連載は運転免許の取得でダラダラしたりとか間延び感もあったしなあ。


 しかし、教室を描くのが面倒なので学校に行くといきなりリングがあるという設定や、学園バトルギャグマンガという方向性は、島本和彦(つまり炎モユル)の出世作である「炎の転校生」へと引き継がれて行く。


 アオイホノオを見ると、炎の転校生が読みたくなる。


 全体もそんなに長くないし、島本和彦マンガとしてはいい意味で若さが炸裂した作品なので、未読の人は是非。


 炎転の魅力は、やはり島本マンガの王道である熱い名言、なんだけれども、それが一番しっくりきてるのが炎転なのではないかと思う。


 ついでに逆境ナインも読んでしまったけれども、炎転でやりきってしまったのか、ほんの少しだけ勢いが欠けている気がする。

逆境ナイン(1) (サンデーGXコミックス)

逆境ナイン(1) (サンデーGXコミックス)

 最新作ヒーローカンパニーは、絵も話も洗練されているものの、島本マンガというフォーマットとして完成されすぎてるきらいがある(全巻買ってはいるが)。


 やはり炎転の勢い、若さ故の強引さ、みたいなものは錆びない魅力があると僕は思う。


 特に炎転の中で好きなのは、ライバル伊吹三郎の父、かっ色の師匠こと、伊吹一番だ。

 男はピンチの時こそニヤリと笑え、という教えは、僕は今でもときどき実戦している。


 しかしドラマのラスト、庵野ヒデアキの台詞は痺れた。

 (実際に庵野秀明氏が島本和彦氏にサインを求めたのかどうかはわからないが)


 そうなんだよなあ。いざ活字になると嬉しさよりも厳しさみたいなものが襲って来て、あんまり無邪気に喜べなくなるのだ。


 原作のほうのアオイホノオは、平成版まんが道として非常に貴重なので、やはり読んだ方がいいと思う。

アオイホノオ(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

アオイホノオ(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス)


 しかしアオイホノオだけ読んでまんが道を読んでないというのは、なんていうか、マンガに対して不真面目だろう。

 今気付いたがまんが道ですらKindle化されているのか。おそろしい子!


 まんが道が、藤子不二雄を主人公とした手塚治虫の伝説語りマンガだとすれば、アオイホノオは島本和彦を主人公としたガイナックスの伝説語りマンガだと言える。


 まあこの布陣だと、やはり編集王も読んでおきたい。

編集王(1) (ビッグコミックス)

編集王(1) (ビッグコミックス)

 絶版になったとおもったのにKindle版が復活してる。


 編集王は飯野健治をモデルにしたエノケンを題材にしたゲーム制作の話(今読むとどことなくモンケンっぽい感じもする)も出て来るが、やはりマンボ好塚のエピソードが秀逸だろう。


 かつての大ヒット漫画家、マンボ好塚が漫画を忘れ、原稿はアシスタント任せ、本人はゴルフと酒に溺れる日々で、編集者も離れて行き、いっきに落ちぶれる。そこに現れた熱血編集者のカンパチが・・・というストーリー。


 こういう風景が全国各地で繰り返されていると思うと哀しい。

 漫画家は人気商売なので、そもそも何十年も続けること自体が相当難しい。


 しかも漫画を書きつづけるには超人的な体力が必要で、ギャグともなれば書き続けることによって廃人になってもおかしくないと言う。


 かなり昔、サンフランシスコで偶然食事をご一緒させていただいたいしかわじゅん先生が、「ギャグは精神を削りながらネタを考えるから、一生のうちで書けるギャグの量は自ずと決まってしまう。それを超えて書き続けられるのは一部の超人のみ」と仰っていた。


http://i.gyazo.com/09c45afeb130a844ae325ce835c393e0.png


 このタイミングで、世田谷文学館で日本SF展というのをやっていたからちょっと見に行って来た。

 手塚治虫を始め、星新一小松左京真鍋博といった大御所の作品の展示、ゴジラの脚本に殴り書きされた絵コンテ、といったものが展示されていた。



 真鍋博という名前に聞き覚えがなくても、アガサ・クリスティの小説の装丁を担当していたイラストレーターと言うと解るだろう。

 

 独特の直線や曲線を多様した幾何学的な、カラフルで美しく、それでいて不思議な作風の作家で、一時代を築いた。


 どうにも懐かしいなあとなぜ自分が感じるかのかと思い、もしやと思ってレンズマンの創元文庫版を調べてみたら、やはり真鍋博氏の作品であった。


 この表紙が父の本棚でひときわ魅力的に見えたものだ。


 僕が産まれるよりずっと前の作品であるにも関わらず、その本が持つ魔力に魅了されてしまった。

 レンズマンはスターウォーズの元ネタであるとも言われているので、スターウォーズファンは要チェックだろう。スターウォーズよりもずっと単純な話ではあるけれども、シリーズを追う毎にそのスケールの壮大さに息を呑む。また、外伝的作品が多いのも特徴。シリーズの中で時間軸がいれかわったりする。ヒーローとヒロイン、その先祖、そしてその子供達の世代まで活躍していく。無責任艦長タイラースタートレックよりもむしろレンズマンっぽいシリーズ構成になっている。と個人的には感じる。本当に影響をうけているのかは知らないけど。


 最終巻の渦動破壊者には子供心に本当に感動した。

渦動破壊者: 7 (レンズマン・シリーズ)

渦動破壊者: 7 (レンズマン・シリーズ)


 レンズマンの良さは、子供にも読めるということと、科学礼賛に終始しがちなSF活劇、スペースオペラというフォーマットにあって、精神力や知覚能力、コミュニケーションが最重視されていること。


 アシモフファウンデーションが、あくまで宗教を人身をコントロールするための手段に過ぎず、心理学が数学と密接に関連した、完全なる科学の一分野として心理学を扱っていた(これ自体も驚嘆すべきことだけれども)のに対し、レンズマンの精神力は、科学的ないかなる方法の干渉も受け付けないところに大きな違いがある。


 レンズマンの腕に輝くレンズは神秘のベールに包まれたアリシア人からその人個人にしつらえて与えられ、無理にそれを引き離そうとしたり、本来の持ち主以外が身に着けようとすれば即死してしまうというおそるべき作用を持つ。


 レンズは精神力の増幅作用を持っており、レンズを通じてテレパシーを使うことが出来る。レンズマン同士はたとえ種族が違ったり、互いに知覚不能な存在であってもレンズを通じて長距離を超えて通信できる。


 これはスターウォーズでいえばジェダイのフォースである。レンズマンとなるには厳しい訓練を受けなければならないのもジェダイに通じる。が、ジェダイほど東洋的ではなく、アメリカ的スーパーヒーロー、つまりうんざりするような試験をして、ベスト・オブ・ザ・ベスト・オブ・ザ・ベストが選ばれた結果が、レンズマンになる、というわけだ。


 ただ、昔読んで胸を熱くした小説って、今読むとちょっと話が長くて辛かったり、疲れてしまったりする。そこいくと映画は黙っていても二時間で終わるから、見直すのに丁度いい。24みたいに長過ぎるのもちょっと困りものだけど。


 長過ぎて疲れてしまうという意味では昔のゲームも同じか。


 エンターテインメントの最適な長さってどのくらいなんだろう。

 と思いながら、PS4のトゥーム・レイダーを地道に進めた週末だった