大学の講義で現代の部落問題について話すと、「まだ差別がなくなっていないことに驚いた」、「昔の話だと思っていた」、「もう差別などないと思う」、「高齢者は差別するかもしれないけど若い世代は差別しない」といった反応がある。また、部落問題を知らなかったという学生や、耳にしたことはあるが学校で習った経験は一度もないという学生は、クラスの中の一定の割合を占めている。
一方、少数ではあるが、小・中・高で日常的に部落問題学習(同和教育)を受けてきて、非常に身近な問題だったという学生もいる。とはいえ、年に1回程度、道徳の時間や全校集会で勉強したという学生が割合として一番多い。
生まれ育った地域に被差別部落があるかどうか、地域で部落問題がどれだけ顕在化しているか、行政が問題解決にどれぐらい力を注いでいるか、同和教育をどの程度受けているか、親や周囲の人がどのように伝えていたか、そして本人がどう捉えていたかなどによって、若者の部落問題に関する考え方や知識の程度には、非常に幅がある。
上述の学生たちのように、部落問題は「昔の話」「若い世代は差別しない」と思っている読者もいるかもしれない。では、部落差別は現在もあるのか。残念ながら、ある。
特に、就職と結婚といった人生の転機において、部落差別は顕現するといわれている。これらには「就職差別」「結婚差別」と名前がつけられ、部落問題の解決における重要な課題であると捉えられてきた。採用や結婚の際、興信所・探偵社などを通じて、相手の出身地や国籍などをさぐる「身元調べ」は、驚くべきことに、いまだにビジネスとして成り立つほどの規模でおこなわれている。
そのひとつの例が、2011年11月に発覚した司法書士らによる戸籍謄本等不正取得事件である。発覚の発端になった探偵会社名から「プライム事件」と呼ばれている。この事件は、不正請求された1万件におよぶ戸籍謄本等から得られた情報や、携帯電話会社などの社員から提供された個人情報が、身元調査等に利用されていたというものである。
不正に取得された戸籍謄本等のうち半分程度が部落出身者かどうかの身元調査に利用されていたとされる。26人が逮捕、うち2人が実刑、4人が罰金刑、残りの20名は執行猶予を言い渡された。この事件の存在だけみても、部落差別が「昔の話」ではないことがわかるだろう。
本稿では、結婚差別を例として部落差別の現状について考えていきたい。
統計データからみる結婚差別
まずは統計データから、結婚差別の現状を概観してみよう。2012年の三重県伊賀市の旧同和対策事業指定地域(以下、同和地区とする)の生活実態調査では、同和地区居住者のうち、過去5年に差別を受けた経験のある人は25.7%だった。結婚や恋愛に関する差別に限ると、全体の約1割に被差別経験があった。また、部落差別によって「結婚を意識しながら結婚まで至らなかった」経験は、16歳以上の回答者1444名中125名となっており、全体の8.7%が「破談」を経験している(伊賀市2012)。
次に、部落外の人々の部落に対する忌避意識についてみていこう。2010年大阪府の人権意識調査では、「結婚を考える際に気になること」について聞いており、結婚相手が同和地区出身者かどうかを気にすると答えた人は、20.6%であった(大阪府2011)。5人にひとりが部落に対して忌避意識を持っているのである。
一方、結婚差別は時代を経るごとに解消しつつあるとみなすことができるデータもある。部落出身者同士で結婚する組み合わせよりも、部落出身者と部落外出身者で結婚する組み合わせのほうが、割合が高くなっているのだ。
2000年大阪府同和地区実態調査では、結婚の組み合わせについて質問している。65歳以上では7割以上が部落同士の夫婦であった。40-44歳で、部落同士と部落・部洛外の割合がちょうど半々になる。25-29歳では部落・部落外夫婦が67.4%に対して部落同士夫婦は24.5%になっている(大阪府2001c)。若い世代ほど、部落外の相手との結婚が増加しているのである。
また、最新の調査である「全国部落青年の雇用・生活実態調査」(以下、「部落青年雇用調査」とする)では、青年の両親の組み合わせについてたずねている。「両親とも部落」は29.7%だが、「父のみ部落」24.0%、「母のみ部落」13.7%となっており、このふたつを合わせると37.7%で、部落と部落外の夫婦のほうが多数を占めている。なお、「両親とも部落外」が13.8% であった(無回答18.7%)(内田2012)[*1]。
[*1] この調査は、部落解放同盟中央本部が部落解放・人権研究所に委託し、研究所において組織された「全国部落青年の雇用実態調査研究会」(代表・福原宏幸 大阪市立大学)がおこなった調査である。成果の一部は、「部落における青年の雇用と生活(上)」『部落解放研究』196号(2012年)、および「部落における青年の雇用と生活(下)」同上198号(2013年)で特集されている。なお、研究会のメンバーである福原宏幸・内田龍史・齋藤直子・堤圭史郎・妻木進吾・西田芳正によって一冊の本にまとめられる予定である。
ところが、結婚差別が解消しつつあるとみなすことができるデータがある一方で、それとは反対に、若い世代のほうが結婚差別経験の割合が高いというデータもある。前述の2000年大阪府調査では、結婚に際して差別を経験した人の割合は全体で20.6%であるが、15-39歳の年齢に限ると24.7%になる(大阪府2001c)。この数字からは、むしろ結婚差別が増加しているようにもみえる。
恋愛婚時代の結婚差別
夫婦の組み合わせをみると、結婚差別は解消しつつあるようにみえる。しかし、被差別体験の割合をみると、結婚差別は逆に増加しているようにもみえる。これらは一見すると矛盾しているようだが、日本社会全体における結婚のありかたの変化を反映しているのである。
周知のとおり、戦後の日本社会においては、結婚相手との出会いは見合いから恋愛へと移行した。見合い婚では、部落外出身者の見合い候補から部落出身者をあらかじめ排除することができるので、候補者の選別の過程で差別が生じることになる。
それに対して、恋愛婚が主流の社会では、部落出身者と部落外出身者が自由に出会って恋愛する機会が用意されている。これは大きな変化であったと思われる。
また、1969年に同和対策特別措置法が施行され、日本社会が高度成長期であったこともあいまって、部落出身者の学歴は上昇した(とはいえ、その格差は完全になくなることはなかったのだが)。これらの変化を受けて、部落青年の就職機会も拡大した。そして、高校や大学、一般企業の職場で、部落出身者と部落外出身者が出会い、恋愛する機会も増大した(内田2004)。
その結果、結婚差別に出会う機会も増大したのである。見合い婚では、部落外出身者との結婚から構造的に排除されていたわけだが、逆にいうと、あらかじめ結婚相手のリストから外されているということは、部落出身者ひとりひとりが結婚差別事象に直面する可能性は低くなるのだ。
しかし、部落出身者と部落外出身者が自由に出会い恋愛をするということは、交際に至った後、交際相手やその親から直接的に排除を受ける可能性が生まれてしまうことを意味する。出会うチャンスの増大が、差別体験の増加をうみだしているのである。結婚差別は、恋愛婚の時代にこそ重大な事件としてあらわれるのだ(齋藤2002)。
80年代までの状況を描いた結婚差別のルポルタージュや手記などでは、「社縁」による結婚差別の事例が目立つ。社会の変化を受けて、その時代に頻発した特徴的な事件だったからだろう[*2]。
[*2] 社縁については、岩沢2010を参照。
「例外化」・「脱部落化」による容認
ところで、結婚差別の割合は高いが、部落・部落外夫婦の割合も高くなっている現状から、もうひとつの推論が浮かぶ。結婚差別を受けながらも、なんらかの形で乗り越えて結婚した人々が少なからずいるはずだということだ。おそらく、反対なく結婚したケースや破談に終わったケースよりも、反対を受けながらも乗り越えて結婚したケースのほうがかなり多いのではないか。
聞き取り調査をしてみると、反対する親などと「縁切り」することで結婚する場合もあるが、親が「容認」に転じるというケースが多い(本来、結婚は両性の合意のみに基づくのであるから、親等の容認は必要ないはずなのだが)。あるいは、「縁切り」して結婚した後になって、親がさまざまな条件や理由をつけて容認するという場合もある。
反対していた親が容認に転じた場合であっても、かれらが差別的な態度を克服しているとは限らない。部落出身者を「部落の人にしては、すばらしい人物だ」といって部落の「例外」的な人物とみなしたり、部落出身者を部落から転出させて自分たちのイエの成員にしてしまえば「脱部落化」され部落出身でなくなると考えることで、自らの忌避を正当化したまま結婚を容認できるのだ。
自分の子どもなどが部落出身者と結婚するとき、いくつかの条件をつけることでそれを「許可する」ということがしばしばある。その条件について、筆者は「非告知」・「非居住」・「非運動」・「非出産」に分類した(齋藤2007)。
まず、親せきや知人など周囲の人々に、結婚相手が部落出身であることを知らせてはいけないというものである(「非告知」)。部落出身であることを隠して生きろ、というのだ。部落出身者は、この条件を受け入れて結婚したとしても、自らのルーツを隠し続けなければならない。ルーツを隠すために、自分の親やきょうだいとの交流も制限されてしまう。
次に、結婚したら部落に住居をかまえてはいけないというものである(「非居住」)。部落に住めば、そこに住む家族全員が部落出身者とみなされるから、部落と関わりのない土地で暮らせというのである。
「非運動」は、部落解放運動に参加しないことを要求するものである。部落解放運動だけでなく、例えば、人権センター職員など部落問題にかかわる職業に就かないことや、部落問題学習に取り組まないことなども含まれる。つまり、部落になんらかの関わりを持っていると、部落出身者であることが周りに知られてしまうと考えているのである。
最後の「非出産」は、子どもを産んではならないなど、子どもをめぐる条件である。他にも、産んでもよいが、産まれた子どもは部落外の「イエ」の成員であり、部落とは無関係であると約束させるという条件も含まれる。産まれた子どもは、部落出身の祖父母や親せきとの関わりを奪われてしまうことになる。
これらすべての条件をつきつけられた人もいる。筆者も調査者として参加した2000年大阪府被差別体験調査の事例をみよう(齋藤2007)。
【Aさん 40代 女性】
Aさんは、部落出身の男性と交際していた。Aさんたちは結婚するつもりであったが、Aさんの両親は結婚に反対だった。結婚をめぐって、Aさんと両親は連日のように口論になった。両親は、娘の決意を変えさせることはできないと判断し、そのかわりに4つの条件を与えて結婚を許容した。
A 「じゃあそんなに結婚したいって思うのなら、3つ条件をつけます」って言ったんですよ。で、ひとつは部落解放運動を仕事にしてるので、その仕事を辞めて、全く違う仕事についてください。で、ふたつめは、部落の中に住まないで一般に住んで下さい。で、みっつめが、あなたたちは好きで結婚したからいいけども、自分の孫が差別されるのは見たくないんで子どもは作らないでちょうだいってみっつ言われて。
―― さらに、夫が部落出身であることを周囲には伝えない条件もつけ加えられた。
A 結婚式のときにはね、うちの親戚には部落であるっていうことは今の段階ではね、伏せておいてほしい。やっぱり、まだまだ、いとこたちが結婚をしてない中ではね、迷惑をかけては困るのでそういうことがクリアされるまでは。まあうちの旦那にしたらオルグしたい[*3]っていうのがありますよね、でもそれはちょっと控えてほしいっていうことで、それだけは呑んだんですよ。
[*3] 本来、「オルグ」とは運動団体等に動員することを意味するが、ここでは、Aさんの家族や親戚などに部落問題の理解を深めてほしいといった程度の意味で使われている。
―― 筆者は、結婚差別に関する講演やワークショップの場、聞き取り調査や結婚差別の相談の場面において、これまでの聞き取りから集められた4つの条件について話したり質問することがあるが、実際に結婚差別を受けた方から「これ全部当てはまります」「全部言われました」と返答が返ってくることが少なくない。
では、なぜこれらの結婚の条件が付与されるのだろうか。それは、出身を周囲に隠させたり、他の土地に住まわせたり、極端な場合、子どもを作らせないことなどによって、結婚相手を「脱部落化」させるためなのだ。
これらの条件を受け入れることで、結婚は「許可」されるのだが、部落出身者は自らのルーツから切り離されてしまう。同時に、親などが忌避・差別意識を克服したことの結果ではないことから、結婚した後にも部落出身者に対して差別的な言動が続く場合がある。
こうして、実際のケースをつぶさに調査することによって、部落・部落外夫婦の割合の増加と結婚差別体験の増加が同時に説明できるのである。部落・部洛外夫婦の割合の増加だけでは、部落差別が「なくなったこと」を説明できないことがわかる。
それでは次に、結婚したあとも続く「結婚後差別」についてみていこう。
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