【動画】警察や自衛隊などが救助活動=堀英治撮影
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 御嶽山の噴火から一夜明けた28日、山中に取り残された登山者らの救助は難航した。自衛隊や警察、消防などは長野県側だけで21人を救助。ただ、灰に埋もれ、心肺停止した人々を確認しながら、強い硫黄の臭気に阻まれ、多くの搬送が断念に追い込まれた。

 長野県側の捜索ルートは、黒沢口登山道(木曽町)と王滝口登山道(王滝村)の二つ。早朝、計367人態勢で頂を目指した。

 王滝村役場の対策本部で指揮を執った陸上自衛隊松本駐屯地第13普通科連隊の田中浩二第1科長によると、隊員らは防塵(ぼうじん)ゴーグルと防塵マスクをつけ、噴火に備えて防弾性のあるヘルメット、防弾チョッキを着用。通常の災害派遣時をはるかにしのぐ重量だ。より安全な酸素ボンベ付きマスクを使う道もあったが、30分しかもたないボンベを多く運ぶと重さで活動に支障が出かねず、断念した。

 入山後、救助隊から「足場が厳しい」「視界が狭い」との報告が入った。山頂付近は灰が50センチほど降り積もり、水分を含んで泥沼化した場所もあった。ふもとは晴天、山頂付近は強風で灰が舞い上がっていた。

 途中に遭難者がいないかを確かめつつ、足元にたまる有毒な火山ガスを検知しながら慎重に歩く。ふだんなら8合目まで2時間ほどの行程に、3時間40分ほどかかったという。

 救助隊は正午ごろに山頂付近に着き、ヘリでの捜索と連携。山小屋などにいた登山者計20人をヘリでつり上げるなどして救助した。歩けない人は、担架で灰の少ない場所へ運んだ。灰に埋まって動かない複数の人を発見したが、硫黄の臭いがきつく、これ以上の活動は危険だとの報告を受け、救助は見送った。午後1時半以降、順次下山を開始。田中科長は「厳しい条件の下、救助を求める人を優先せざるを得なかった。まだ生存者がいるかもしれず、29日も全力を尽くす」。

 両方の登山口には、戦車型の装甲車5台が待機。気密性が高く、ガスや粉じんに強いため、急な噴火時の避難先になるが、28日は本格的な活動機会がなかったという。装甲車は1991年の雲仙・普賢岳(長崎県)の噴火により火砕流が流れた現場でも、緊急時の避難先にもなる輸送車両として派遣された。

 捜索は岐阜県側でもあり、県警の山岳救助隊や医師ら計25人が登山者の救助にあたった。

 国立保健医療科学院の石峯康浩・上席主任研究官(災害医学)によると、海外や過去の事例から、登山中に噴石の直撃を受ける事故は意外に起こりやすいという。「現時点では分からないことが多い」とした上で、「過去の事例や今回のこれまでの状況を踏まえると、(意識不明になった原因は)噴石の直撃を受けたことが考えられる。噴石が当たって気を失って倒れている間に、火山灰がみるみる積もった可能性も高いのではないか」と話す。