人種差別主義(レイシズム)という情念と文明からの退行
小野昌弘 | イギリス在住の免疫学者・医師
近代的精神と人種差別(レイシズム)からの脱却
人間も他の動物と同様、自らと異なるものを排除しようとする傾向があるが、これは動物的で未熟な部分である。そして、人種差別主義者(レイシスト)とはそういう動物的な行動で群れて少数派を威嚇する集団で、軽蔑されるべき社会の恥部だ。こういう未開者の暴力を公共の場所から排除することは、社会の公正と文明の程度を保つために必須のことである。
個人の成長という観点からすれば、人間は誰しも未熟な状態では人種差別に陥る可能性がある。人格(あるいは内面、魂、心性、精神、といった別の言葉で表現してもよい)よりも外観を優先する思考パターンはすべからく人種差別に繋がる。人間性の中核には人格があり、それは人格がまとっている衣にすぎない肉体とは無関係のものであるという信念こそが人種差別主義と無縁な近代的精神だ。そうした近代的精神の獲得のためには、個人が成長していく過程で、自分が人種差別主義から逃れているという思い込みを捨てて、常に意識的に自分自身の思考と行動を自分で批判しつづけなければならない。あるいは、他者に対する思いやりを深く持って、すがたかたちを超えたところに人の本質を見いださなければならない。
これは誰でも努力すれば可能なことである一方、努力しなければ得られないものでもある。そして皆がこうした見解を共有し、問題意識を持ち、自己の成長に努力するようになることで、幅広い背景を持つ人たちが参加した公正な社会が作れる。そして社会のリーダーとなる人たちには、とりわけ強くこうした近代的精神、あるいは人々に広く公平に接する度量を持つことが要求される。
ところが、こともあろうに今の安倍政権中枢には、在特会と癒着した山谷国家公安委員長、ネオナチと関係した高市総務相といった人脈から人種差別主義者が入り込んでいる。これはつまり、日本の中枢の文明度が低下していることを意味する。そして在特会の下品な横暴の数々を見れば、政権とともに日本社会が今急速に劣化していることも分かる。
弱者への暴力
「無抵抗の老人を殴り蹴る在特会」というYouTube動画が話題になっている。動画によれば本年2012年6/3に新宿で起こった事件だ。在特会の演説中に、「うるさいよ」とひとこと言っただけの老人に対して、それより数倍も若い連中が襲いかかった。動画のテロップによれば「桜井会長」という在特会会長が中心人物とされる。周りの警官は眺めているだけで、暴行の現行犯であるにもかかわらず逮捕しようという様子はない。
これだけではない。日本の人種差別主義はいつのまにか白昼堂々と大手を振って歩くようになってしまった。堀茂樹氏(@hori_shigeki)は人種差別主義者の街頭行動の動画を紹介して言う「子供でなく大人なら、同じ人間として、同じ日本人として、このヘイトスピーチを聞く必要がある。わが国では、こんな卑怯者が白昼まかり通り、警官に即時逮捕されないでいるのだ。」見るに耐えかねる動画であるが、これは間違いなく今の日本の現実の一部である。
こうした在特会・人種差別主義者の横暴で日本の世相はすっかり醜くなってしまった。多くの日本人はおそらく、こうした極右のことは相手にすることもないと高をくくっているうちに、事態は悪化を続け、ついに政権内へも人脈を伸ばし、人種差別主義者の勢力はますます勢いづいているようである。
汚れてしまった国の品位と誇りを取り戻すためには、やはり政権中枢から真っ当ではない人脈を排除するように強く求める必要があると思う。安倍政権を支持する人も多くは日本の品位を貶めるここまでの異常な事態を望んではいないだろう。
政権の闇
エコノミストが最近日本のヘイトスピーチ(差別暴言)についての記事を掲載した。
在特会の醜い人種差別・暴力を詳説し、さらに安倍内閣への拭いがたい疑念を隠さない。国家公安委員長・拉致担当大臣の山谷えり子氏と在特会元幹部の関係、歴史修正主義者としてすっかり欧米で有名になった高市総務相とネオナチの関係、さらにはヘイトスピーチ規制法を利用して民主的デモの抑圧しようという卑怯を通り超えて支離滅裂な高市氏の主張を紹介している。
ここまで詳細にエコノミストに在特会の正体を描かれて、しかもそんな「ごろつき」と閣僚が関係していることを書かれるとは。これで更迭しないなら安倍首相の責任、政権の国際信用失墜。そしてこんな下劣な閣僚たちを戴いて恥じない日本国民もまた軽蔑されることになる。
こうして日本での人種差別主義団体が伸張、内閣に繋がっているという、恥ずかしいことばかり並んでいる記事だが、日本市民によるカウンター行動が人種差別による暴力が歯止めになっていること、大阪高裁で在特会が敗訴して賠償金を課されたことの2つが救いか。在特会はカウンター行動を逆に自らの正当性に利用しようとしているようだが、そうした卑小な詭弁は国際社会では通用しない。
切れない関係
国家公安委員長・拉致担当大臣の山谷えり子氏が最近外国特派員協会で記者会見を行った。ここで山谷氏は記者たちから在特会との関係や、在特会のもつ人種差別思想への姿勢を問われたが、氏はこうした真摯な質問を無視し、回答をごまかしつづけた。そして、在特会の問題視を拒否、同会の人種差別思想を否定することも拒否、差別暴言の問題を、カウンターデモを行っている側を意識した様子で社会の小集団同士の諍いに矮小化する始末である。氏が語る言葉に論理も知性もない。あるのは口ごもった言葉にならない曖昧模糊とした呟きだけである。こんな人物が大臣である嘆かわしい現状を全ての国民が見るべきと思う。
人種差別を否定しないということは、山谷国家公安委員長は人種差別主義団体、在特会の思想・行動を容認しているということに他ならない。すなわち山谷氏自身が人種差別主義者であることを否定できないという意味だ。さらにいうと、外国人記者たちの鋭い質問を無視し、ここまで入念に在特会の批判を避けたということは、今なお山谷氏は在特会と強い結びつきがあると考えるのが自然だ。
今の先進国で閣僚、しかも警察を監督する立場のものが人種差別主義者である国はあろうか。山谷氏の記者会見は大きなスキャンダルである。こうした人物が大臣であるということは異常なことであり、一過性の間違いであると思いたい。この事態が当たり前になったときには、日本は文明国であることを棄てたと言うべきなのだから。こうして人種差別を批判できないような人間を閣僚にしている日本の有権者はいま世界に向けて恥を晒し続けている。