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社民党元党首 土井たか子氏が死去
9月28日 11時04分

女性として初めて衆議院議長を務めた、社民党の元党首の土井たか子氏が死去しました。
85歳でした。

土井氏は昭和3年、神戸市に生まれ、大学で憲法学の講師を務めたあと、昭和44年の衆議院選挙に旧兵庫2区で旧社会党から立候補して初当選し、連続12回当選しました。
この間、土井氏は昭和61年に旧社会党の委員長に就任し、平成元年の参議院選挙では「ダメなものはダメ」ということばで「反消費税」を掲げ「マドンナ旋風」「おたかさんブーム」を巻き起こし、自民党を過半数割れに追い込みました。
このときの与野党逆転について、土井氏は「山が動いた」という名文句を残しました。
翌平成2年の衆議院選挙でも「土井ブーム」は続き、旧社会党は議席を大幅に増やしましたが、続く平成3年の統一地方選挙で惨敗した責任を取って、土井氏は党の委員長を辞任しました。
また、平成5年に非自民連立政権の細川内閣が発足すると、女性としては憲政史上初の衆議院議長に就任し、議員の名前に従来の「君」ではなく「さん」をつけて呼ぶなど話題を集めました。
その後、旧社会党は、自民党、新党さきがけの3党による連立政権を発足させ、平成8年には党名を社民党に変え、土井氏は村山富市元総理大臣のあとを受け、社民党の党首に就任します。
平成10年に自民党との連立政権を離脱したあとは、護憲や政治倫理の確立など党の主張を前面に打ち出して党勢の回復に努めました。
しかし、こうしたさなか、秘書給与を巡る詐欺事件で秘書が逮捕されます。
そして、平成15年の衆議院選挙で、社民党が大幅に議席を減らした責任を取り、党首を辞任しました。
平成17年の、いわゆる「郵政解散」に伴う衆議院選挙では、比例代表近畿ブロックで立候補しましたが議席を得ることができず、政界の一線から退きました。
土井氏は病気で療養していましたが、今月20日、亡くなりました。
85歳でした。

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