勉強しても、貧乏から抜け出すのは難しいかもしれない。
だが、勉強しなければ、貧乏から抜け出すチャンスはない。
ここで言う「勉強」とは、読み書き・ソロバンはもちろんですが、パソコン、芸術、哲学、外国語、料理、美容、医療、いろいろ含みます。
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6歳の子どもに過酷な試練… 小学生に“格差社会”を思い知らせる、高級ランドセル市場
「子どもの貧困」という言葉は知っているだろう。親の事情により家庭が貧しく、最低限の生活を強いられ、必要なもの以外は何ひとつ買ってもらえない子どもたちである。子どもの貧困率は、2013年で16.3%。6人に1人が貧困なのである。
そんな家庭では、ごく普通のランドセルさえ、高額で買えないこともある。なのに、まわりではお洒落で可愛いランドセルを買ってもらって、喜んでいる友だちがいる。
「社会とはそういうものだ」で済ませることはできない。中高生にもなれば、現実を受け止めることもできるだろうが、たった6歳の子どもには、あまりにも過酷な試練ではないか。
私も、高校が私服だったので、それはそれは辛い思いをしました。
当時はデザイナーズブランド全盛期だったので、学校もファッションショーみたい。
親にたっぷり小遣いもらって、数万円もするブランドのジャケットやアンサンブルを着てくる子もあれば、バッグ、靴、小物入れ、すべてがブランド物、もしくは新品(しょっちゅう買い換える)。
また、そういう子は、そういう子同志でつるんで、ダイエーで買ったような服を着ている子をバカにしたり、じろじろ見て笑ったり。
学業もそっちのけで、繁華街のファッションビルの半額セールの日には、クラスの半分以上の女子が授業をエスケープして買い物に行くという、むちゃくちゃな学校生活を繰り広げていたものです。
「服が汚れるから」と行事にも参加しなかったりね。
私も貧乏ではなかったけれど、「派手な服装は不良になる」という親の方針で、「可愛い服」なんて買ってもらえなかった。それで、毎日、同じような服を着回して、なんとかしのいでたけれど、やっぱ周りの目が気になるし、直接バカにされたことはないけれど、周りが自分の服装を見て笑ってるような、だんだん被害妄想みたいに陥って、しまいには登校できなくなった事があるんですよ。朝、起きた時、洋服に着替えるのが怖いの。また笑われる、じろじろ見られる、と思ったら、身体がすくんで布団から出られない。
たまたま私は似たような境遇のサチコちゃんという友達がいて、サチコちゃんは、私よりもっとひどい陰口を言われてました。というのも、サチコちゃん、いわゆる「ぽっちゃりさん」だったのです。でも、ミニスカートが大好きで、いつもテニスのユニフォームみたいなプリーツスカートや、ひらひらしたスカートを上手に着こなしてました。ただ、家計が厳しくて、何枚も買えないから、私と同様に同じスカートを着回して、なんとかしのいでる感じ。
で、ある時、その子に対して、派手派手軍団の一人が言ってたのを耳にしました。
「デブのくせに、ミニスカートなんか履くな、っちゅーの」
私はその事がとても気になって、一度、サチコちゃんにそれとなく尋ねたことがあったんです。
「ミニスカート好きだよね。でも、足が見えるの、恥ずかしくない?」って。
そしたら、サチコちゃんがあっけらかんと答えたのね。
「私は好きだから履いているの。他人がどう見ようと、私には関係ない。太いから、隠さなければならない理由があるの?」
そのメンタリティの強さに惹かれて、私も少し頑張るようになって、最後はなんとか登校できるようになったのですが、そんでも学校ファッションショーは本当に辛かったですよ。見た目ではっきり「金持ち」「貧乏」って分かるんですから。
特に、私たちの時代は高度成長期で、衣装代に何万円もかけるのは当たり前、今でこそ女性誌は「1万円コーデ」とか特集してますけど、バブルの時代は1万円なんてお洒落のうちに入らない、その点は非常にプレッシャーが大きかったんですよ、おばちゃんたちの世代は。(だからガツガツした女が多いんだけどサ)
ゆえに、ランドセルの記事を読んだ時、自分は安物で、同じクラスの子がキラキラしたランドセルを持ってたら、幼心にガーンとくるのかな・・なんて考えてたのですが。
でも、私が小学校の時代も「格差」というか、「お金もちの子」と「そうでもない子」の差は、随所に見られましたからね。
一番ショックなのが、「子供部屋」が存在して、「クーラー」が付いてること。
多分、ちびまる子ちゃんの漫画にも出てくると思うけど、当時、「子供部屋を持ってる」ってすごいステータスだし、ましてそこにクーラーが付いてたらどこの天国?? みたいな。
うちなんか、築50年の木造の貸家に住んでて、うちの父親が台所の天井に木版を打ち付けて、ロフトみたいにして作った、横幅2メートル、縦幅4メートルのスペースに、姉と二人、机を並べて勉強してましたからね。「ここで飛び跳ねるなよ。木板が抜けたら、お前ら、落ちて死ぬぞ」とか言われてね。夏なんか、うだるように暑くて、でも扇風機も使わせてもらえなくて(家に1台しかない)、ウチワで仰ぎながら、夏休みの宿題をこなすの。
それだけに、友達の家で「漫画本を100冊ぐらい持ってる」とか「家にテレビが2台ある」とか「オセロも人生ゲームも持ってる」とか、そんなんでもアンビリーバブルな世界。
初めて遊びに行った友達の家で、カール一袋出してもらって、「えっ、おばちゃん、これ一袋、一人で全部食べてかまへんの??」って、何度も何度も聞き直して、「なんというお金持ちの家」とか、本気で思ってましたからね。
でも、そこまでミジメに感じなかったのは、やっぱ成績がそこそこに良かったからなんですよ。
塾も家庭教師も一度も行ってない。ピアノは10年、ソロバンは2級。それぐらい。
そりゃね。
有名付属や進学校のレベルから見たら「屁」みたいなものかもしれないですよ。
でも、世の中の大半の人は、「三食、栄養+バランスのある食事がとれて、とりあえず寝ると着るに困らず、たまに一泊旅行とか行けて、ささやかなお洒落も楽しめて、十年先、二十年先の見通しが立つ安定した生活」が欲しいわけでしょう。
そうした庶民レベルの中で申せば、日本の義務教育で、塾も家庭教師もなくても上位をキープできるだけの学力があり、新聞や文学書を読みこなし、世間を騒がすニュースの概要が理解できる程度の社会的関心があって、挨拶、マナー、身だしなみ、そこそこのレベルを維持しておれば、『真ん中ぐらい』の暮らしを手に入れるチャンスは掴める、という話です。
基礎的な学力があれば、大学に行かなくても、独学で身につくことはたくさんありますし、真剣に勉強したことは、必ずいつか役に立ちます。
今時、立派な図書館があちこちにあって、無料でいくらでも高度な専門書が読める時代ですよ。
一日一時間でもネットが使える環境にあれば、無料で公開されているPDFの論文や公的機関が発行しているニュースレターを読むこともできますし、外国の企業や研究所のレポートだって閲覧できます。(Google翻訳を使えば、外国語できなくても、大要は把握できます)。
「勉強できる環境にない」という声もあるけども、技術的な面においては、十年前、二十年前に比べたら、今は田舎の一人ぐらいのおじいちゃん、おばあちゃんでも、国政や企業のサービスをネットで調べたり、公式サイトでルーブル美術館やNASAの内部を覗いてみたり、有志がやってる外国語レッスンの動画をYouTubeで見たり、ほとんどお金かけずに、いろんな情報が入手できる時代ですよ。
ここまで環境が整ってるのに、「勉強できません」(基礎の学力さえ身につきません)と言い切ってしまうのは、少なくとも、世間を知ってる大人の言動ではないし、こんな理由で貧乏な子供を庇ってたら、いつまでたっても中流に行く力さえ身につかないと思うんですよ。
今、世間をあげて、「貧困は連鎖する」「貧乏から抜けられない」と合唱みたいに叫んでいて、確かに現実はその通りかもしれないけれど、最低限、基礎的な学力を身につけて、いろんな知識や知恵を駆使すれば、まともな職業はまだまだたくさん見つかるし、英語とパソコンができれば副業だって可能です。
今は、小金はあるけど、無知というか流されやすいというか、「アイドルなんとかちゃんご愛用」とか「今年のトレンド」とか「向かいの奥さんも持ってるから」とか「周りはみんな子供を通わせてる」いう理由で、しょーもないモノに何万、何十万と注ぎ込む人もいっぱいいるし、現代の商売って、そういうトローンとした人からいかにお金を吸い上げるか、というのがポイントでしょ。
言い換えれば、貧乏人でも頭を使えば釣り竿は垂らせるし、何も考えずに食いついてくる魚もいっぱいいる、そこを狙えば、中流に行くぐらいのチャンスは掴めますから、貧乏で、金もコネもない人は、せめて頭を使え、ということです。もちろん合法的に、ですよ。
むしろね、貧乏でタブレットも買えないから、得することもいっぱいあると思うんですよ。
しょうもないことにお金や時間を浪費しないから、勉強に集中できる。
クラスメートがLinEだの、飲み会だの、ゲームだの、しょうもないことに若いエネルギーを浪費してる間、自分は図書館に行って小説や専門書を読んで(タダでしょ?)、町を歩いて今はどんなものが流行ってるんやろと観察して、本当に益になる人から為になるお話を聞いて、日本の至宝と呼ばれる神社仏閣や文化遺産みたいなものも無料で公開してるとこ、いっぱいあるでしょ。
10代、20代なんて、ぼーっと溜め息ついてるヒマなんてないんですよ。
しょうもない遊びや付き合いに巻き込まれないから、自分の感性や価値観を磨くこともできますよ。
一番のポイントは、スティーブ・ジョブズのいうところの「Stay Hungry」。
「ハングリーである」というのは、全てにおける原動力でしょう。
今なんか、お金はあるけど、何していいか分からない、生きる気力がない、って、親のすすめるままに学校行って、就職して、ぼーっと人生を無駄に費やしてる子供もいっぱいいるじゃない。
それに比べたらね。
今に見ておれ、成功して金持ちになってやる。
バカにされてたまるか。
俺は自分の腕一本でここまで来たんだ、って。
悔しさや向上心を持ち続けられるのって、なまじ小金もってて、ぬるま湯みたいな生活してるより、よっぽど神経が鋭敏になるし、知恵も働くし、行動力も沸くし。メリットもいっぱいあるんですよね。
「あなた貧乏ね、かわいそうね、大変ね、社会全体でなんとかしてあげましょうね」と。
もちろんサポートも大事だけども、一方で、頭つかって、したたかに生き残る術も教えないといけない。
本当に貧乏が連鎖するなら、戦後の焼け野原になった日本、今もみんなトタン屋根の下で暮らしてるはずでしょ。
誰がHONDAを作ったの。誰が松下電器を作ったの。
東京タワーって、バブル時代の建物ですか?
みんな、焼け野原から、死にものぐるいで立ち上がってきた時代があったわけでしょ?
その世代の人、ほとんど死んじゃった。
今の団塊世代より、もっと前の人たちですよ。大正生まれとかね。
そのあたりが必死で頑張った。
もうその人たちの肉声を聞くことはできないけれど、図書館に行けば、その頃の死にものぐるいのエピソード、いっぱい読むことができます。
今の貧困とはまったく状況が異なるかもしれないけど、金なし、モノなし、コネなし、学校にも行かれない、でもそんな底辺から成功の基礎を築いた人はいっぱいいるんですよね。
「貧困は連鎖する」「貧乏は抜け出せない」プラス「社会が悪い」というメッセージは、現実を反映して救いになる一方、その渦中にいる者に絶望と幻滅も与えると思うんです。
「もしかしたら」という希望さえ砕いてしまう。
でも、貧乏な子供の100人が100人とも貧乏なままで終わるんでしょうか。
中には、まっとうな職について、贅沢はできなくても、よき社会人、よき家庭人として、ささやかな旅行やお洒落を楽しめるようになった人も少なくないと思います。
その為のスキル、知恵、サバイバル精神、同じ境遇の人の成功談、そういうプラスの情報もどんどん与えて欲しいと思います。
この世の中には、どんな職業があって、どんな知識と技術が必要で、どんなアプローチが可能なのか。
他の元・貧乏人は、どうやって今の安定した暮らしを手に入れたのか。(私の場合、看護職とパソコンと英語です)
この世には、どこに、どんなチャンスが転がってるのか。
そして、何より大事なのは、「騙されないこと」。
無知は、悪人にとって、かっこうの餌食です。
しょうもない物を買わされるのも、悪い男に騙されるのも、悪徳商法に骨の髄までしゃぶられるのも、みんな無知ゆえですし。
今では死語のような『蛍雪の功』という言葉ですけど、私はこれをずっと座右の銘にしてました。その気になれば、勉強はどこでも出来る、って。
『家貧しくして孝子顕る。国傾きて君子顕る』で、貧しい階層から、再び昇龍みたいな人が育つのを願ってます。
アイテム
身近で知られてるケースといえば、極貧の中で三人の息子を立派に育て上げた北野たけしさんのお母さんのエピソードでしょうね。
「貧乏は連鎖する」で、息子三人にいっぱい勉強させて、たけしは芸の世界で成功したし、上のお兄さん二人もエリートになったという、貧乏一家の鑑のようなお話でした。
そのエピソードがちょっとだけ中谷さんの本に載ってるね。ウェブでも一部閲覧できます。
自分で考える人が成功する: “気づく”ための50の方法
たけしさんのお母さんは、存命中はよくワイドショーにも登場されて、コメントが痛快で、国民的な人気者でした。
本田さんの大ファンで、これは愛読書でした。
『アイデアは資本に優先する』
これは経営者に限らず、すべてにおいて、そう。
金ない、コネない、は言い訳。
最初にアイデアありき。アイデアがあるから、その実現のために知恵と行動力をフル動員する。
この原理原則は、世界中、どこも同じ。GoogleもAppleも、みなガレージ創業でしょ。
みなスティーブ・ジョブズを有り難がるけど、日本にも綺羅星の如く、立派な経営者がたくさんおられましたのよ。その方たち、みな亡くなって、後が悲惨なことになってますけどね。
松下幸之助さんの自伝というか、若い人に向けて書かれた励まし本。
基本中の基本ですね。
今は時代が違うから、どうのこうの、と言う人は、一生ヘリクツをこねてたらいいと思います。
成功してる人は、みな、黙って実践してる。
人生って、誰の言葉を信じるかで、何もかも違ってくるんですよン。