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宮沢りえの母・光子さん死去 65歳肝腫瘍 自宅療養中の23日に

2014年9月25日6時0分  スポーツ報知
  • 1990年9月、巨人・ヤクルト戦の観戦に訪れた宮沢光子さん(左)と宮沢りえ
  • 1990年9月、巨人・ヤクルト戦の観戦に訪れた宮沢光子さん(左)と宮沢りえ

 女優の宮沢りえ(41)の実母で、所属事務所エム・ツー企画代表取締役の宮沢光子(みやざわ・みつこ)さんが23日に肝腫瘍で死去していたことが分かった。24日、所属事務所が発表した。65歳だった。光子さんは肝腫瘍の診断を受け、自宅療養中だったが、23日に息を引き取った。葬儀はこの日、近親者で済ませた。

 りえはファクスで「生きるということの美しさと、凄(すさ)まじさと、その価値を教えてもらいました」とつづった。現在は舞台「火のようにさみしい姉がいて」(東京・渋谷のBunkamuraシアターコクーン)に出演中で24日は休演日だった。

 光子さんは1973年、オランダ人の夫との間にりえを出産したが離婚。その後、日本人ミュージシャンと再婚し男の子を産んだが、離婚した。ステージママとして、モデルのりえをトップアイドルに育てあげた。常に行動を共にし“一卵性母娘”と呼ばれた。人気絶頂時の90年にカレンダーで“ふんどしルック”に挑戦させ、91年にはヌード写真集「Santa Fe」をプロデュース。常識破りのマネジメントと、豪快な容貌から「りえママ」の異名を取った。95年には羽田空港で待ち受けた報道陣を「なんなんですか!」と一喝。酒豪としても有名だった。

 93年に貴乃花親方(当時・関脇貴花田)との婚約破棄騒動では、両家の確執があったとも報じられた。94年にはりえが自ら手首を切る事件を起こした際、りえが「原因は母子げんか」と説明するなど、愛憎入り交じる関係が取りざたされた。昨年りえはテレビ番組で光子さんについて「菩薩(ぼさつ)みたいな感じ。当時は『言わせておけばいい、いつか分かるから』って言ってました。そういうことがあったから今の私がある」と語っていた。

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