つながる経済学

つながる経済学は人と人との繋がりから経済を説明していく経済学です。

つながる経済学のはじまり - 経済は1人では成立しない

経済は一人では成立しません。
物事の売買・契約・取引・お金の貸し借り・物々交換・雇用・貿易など、全ての経済行為は一人では成立しません。
「一人では成立しない」ということは裏を返せば「必ず相手がいる」ということです。

この「必ず相手がいる」という状態を抽象化すれば、人と人との間には繋がりがあると捉えることができます。

ここでさらに突き進めて考えていきましょう。

このように突き詰めていくと、人と人とが繋がる現象のはじまりは「男女間の繋がり(=セックス)」にその答えを求めることができます。

人間にとって最も原始的で強力な繋がりは男女間の繋がりなのです。
この誰しもが持っている「つながる力」を上手く応用すれば、強力な結びつきを持つ社会ができるのでは?と想像できるかと思います。
これが経済というものなのです。

経済とは人と人との繋がり、つまり「人のネットワーク」なのです。

旧来の経済学との違い

旧来の経済学の多くは「個人」に着目して話を組み立てていましたが、つながる経済学は「繋がり」に着目して話を組み立てていくのが大きな違いです。
経済行為は一人では成立しないので、個人ではなく繋がりに着目することで経済を分かりやすく理解できるのです。

つながる経済学は汎用性が高く基盤となる経済学なので、旧来の経済学の核心部分も男女関係をもってすれば説明できてしまいます。
例えば、「見えざる手」によって男と女は結びつくと説明することができるし、セックスも見方によれば性的な「搾取」であるとも言うことができるのです。
また「アニマルスピリット」という言葉からセックスを連想するのは簡単なことです。
それと最近だと「幸福度」という一見すると胡散臭い概念がありますが、セックスすると特に女性は幸福になるので、これはいい線をついているのです。 他には神経経済学という経済と何の関係があるのか一見不明な経済学がありますが、セックスは1つの見方として脳で行うもの(報酬系=インセンティブ)と捉えることができるので、そのような経済学が存在するのも不思議ではないのです。 (つながる経済学では脳医学的なことは流石に過剰だと思うのでやりませんが)

もう1つ言いたいことは、個人に着目すると往々にして個人主義的な結論になってしまい、個人をどうにかしたところで社会問題は解くことができないということです。
個人は「つながる力」を既に持っているのです。この自然の力を応用していくのが、つながる経済学なのです。

また、旧来の経済学を学んだ人に経済学の感想を尋ねると「非現実的である」「数学的である(社会的でない)」「役に立たない」といった意見をよく聞きますが、 つながる経済学では「男女関係」や「セックス」から始まるので、これまでの経済学とは一線を画す内容となっています。

セックスは利己的な行為か?それとも利他的な行為なのか?

左派右派
利他的、自然的利己的、人為的

セックスと聞くと、多くの人は直感的に利己的な行為だと思うでしょう。

しかし実際にやってみると「相手を気持ちよくさせたい」とか「相手をイカせたい」という気持ちになります。
これは利他的な気持ちです。むしろ自分が気持ちよくなるより、相手に気持ちよくなって欲しいとすら感じるはずです。

セックスが利己的な行為か利他的な行為かは、永久に決着しないような問題です。少なくとも、どちらかだと断言するのは無理です。
ヤリたいと思わないと(=利己的でないと)そもそも始まらないし、相手を気持ちよくしなければ(=利他的でなければ)成功しません。
セックスは利己的であり利他的でもあり、両方の性質をもっているのです。

これは現実の経済にも当てはまることです。
例えば商売と聞くとお金儲けのイメージを持ち利己的な行為だと思うでしょう。これはこれで正しいのです。
しかし実際の商売では、客が欲しいと思う商品を提供しなければ(=利他的でなければ)売上は上がらないし、 従業員にも満足するような報酬を与えなければ(=利他的でなければ)人はどんどん離れていきますし、利益を上げて配当を出していかなければ(=利他的でなければ)資金を出す人もいなくなるのです。
商売も同様に、利己的であり利他的である両方の性質を持っているのです。

なぜこのような話をしたかというと、経済論争で意見が分裂したり、旧来の経済学が分裂したりする所は「人は利己的であるか?利他的であるか?」に因ることが多いのです。
人は利己的であると言えますが、つながりを成立させるとなると利他的でもあるのです。人は本能的に両方の性質を持っているのです。
以上のことが理解できれば、不毛な議論に巻き込まれることがなくなります。また、人為的か自然的かで分裂した時も、結論は先ほどと同じす。

セックスはなぜ成立するのか? - 相互主義

セックスはなぜ成立するのでしょうか?
結論から述べると、お互いを信用し合っていて、お互いにヤリたいから成立する、お互い気持ちイイから成立するといった所です。
お互いの信用(相互信用)の上に、互いに利益がある(相互利益)から成立するのです。これを相互主義と呼び、つながる経済学における核心部分になります。

男女関係でも企業経営でも信用を完全に失えば破綻なのです。

経済学と悪

エロやセックスといえば汚いこと・悪いことという印象があります。
経済も同じようなもので、お金には汚い印象がありますし、お金儲けには悪い印象が付いて回ります。

一般的に、経済活動を行っている人達は自分が悪いことを行っているという意識は微塵もないのですが、お金儲けや私服を肥やすといった自己の欲求を満たすような経済活動は道徳では「悪」とされることが多いです。

そもそも、セックスや経済などで自己の欲求を満たすような行為がなぜ「悪」とされるのか?という話ですが、これは分かりやすい例をあげると、人間は性欲を満たすと罪悪感や嫌悪感を感じことがあります(いわゆる賢者モード)。このような本能的な経験から道徳的に悪としていると推定されます。

以上のような事情から、経済学と悪は切っても切れない仲なので、悪とは仲良くしていく必要があります。
経済やセックスを悪の視点から眺めてみると、より理解が深まるでしょう。

このような人間の悪の話から「私悪すなわち公益」や「見えざる手」という話が生まれて、これが経済学のさきがけになります。
男女関係で説明すれば、エロいことや気持ちいいこと(=私悪)をしてると子孫繁栄(=公益)に繋がるということです。

経済の反対を考えてみましょう

経済は人々の結びついた社会なので、その反対は人々の結びつきがまったくない社会になります。
つまり経済の反対は、自分一人で完結する「自給自足」であると導くことができます。

この短い話から経済の本質が「繋がり」であると理解できればOKです。
経済と聞くと「お金」が本質と思う人が多いのですが、そうではなくその奥にある「繋がり」が本質なのです。

経済学に向いている人 - 社会科の素質

経済学は科学ではないため、勉強すれば理解できるというものではありません。
科学なら誰でも答えが同じになるため勉強すれば報われますが、経済学はそうではありません。経済には正しい答えというものが存在しないからです。
他に例えるなら美術の才能に近いものが求められます。感覚やセンスといったものです。

そこで経済学に向いている人の特徴を2つピックアップして説明していきます。

経済は社会科です。地理・歴史・政治とも密接に関わってくるのが経済です。
子供の頃に社会科が一番得意であった人ならば、それは経済学を学ぶ素質があるといえるでしょう。
地図を見るのが好きであったり、歴史本を読むのが好きであったり、政治に関して議論することが好きであるということです。

子供の頃に一番得意というのは重要なことで、結局の所、画家となるような人は生まれつき絵を描くことが大好きで子供の頃から上手いのです。

また社会が大好きならば、人間や社会について観察したり議論したり深く考えることが趣味になるはずです。

社会という言葉の意味は「人と人との繋がり」です。現在なら社会→ソーシャル→つながりとも連想できるでしょう。

このようなことを何年も継続して続けていき、大人へとなり精神が成熟してくればそれなりの哲学を持つようになり、人間や社会を客観的に捉えることができるようになります。 ここまで到達して初めて経済学の入口に立つと言えるでしょう。

経済を解明するためには社会的なアプローチで望む必要があり、社会科に対する素質が特に必要なのです。

つながる経済学を理解するには

つながる経済学は、男女関係を理解することが基本となります。
人と人とが繋がる原理さえ理解すれば、その応用である経済を演繹的に理解できるようになるからです。

経済学は元来、哲学から派生して誕生したように、つながる経済学もまた男女関係という哲学から派生していきます。
経済学を建物に例えるならば1階部分が哲学となります。1階部分の哲学をきちんと構築してから2階、3階と構築していく必要があります。

男女関係においては、異性というのはよく分からない不思議な存在です。
そこで異性をよく観察し、本心は何を求めているのかを考え、それを提供し満足させることができるのかが最初にやるべきことです。

  1. 異性をゲットするにはどうしたらよいか?
  2. セックスが上手くなるにはどうしたらよいか?

ただ遊んでるだけのように見えますが、つながる経済学においてはこれが勉強です。
さまざまな経験をして異性をモノにする技術力(いわゆるコミュニケーション能力)を身に付け、それを客観的に説明できるようになるまでが基本となります。

このようなナンパやセックスは(経済行為と同じように)誰でも行うことはできますが、上手いか下手かは個人差が大きく、上手い人は限られてくるものです。
上手くできるようになったら、それがなぜ上手くいくのか?を考えるのですが、これが案外難しいのです。セックスは本能的な行為ですが、客観的な説明は頭脳的な行為であり、両者は間逆の性質にあるからです。
自分の胸に手を当てて本心を問いただしてみたり、異性の本音を探るために異性が多いコミュニティを覗いてみたりするのも有効です。延々と考える必要があるので時間が掛かります。
男女関係は様々な側面から説明できるので、非常に多くの側面から説明できる能力が求められます()。このように男女間のルールへの理解が経済学における基礎能力となります。

経済と同じようなネットワークの一種であるインターネットで例えれば、インターネットの仕組みを理解するには接続ルール(プロトコル)を理解すればいいということです。
人間の接続ルールは本能にプログラムされているのですが、それは見ることはできません。なので実際に実行してみて、そこから逆算していく方法で求めることになります。

男女関係と経済の両方に対する理解を深めていき、両者がよく似た関係にあると掴めるようになるのが目標です。

経済学の限界 - 経済は論理的には説明できません

経済活動は人が行うものです。
もし経済を論理的に説明しようとするならば、まず先に人間を論理的に説明する必要があります。
ここでいう「論理的」とは理論的や科学的やプログラマブルと同じ意味です。現実として再現性があるかということです。

人を論理的に説明できるとは、例えば自分自身をプログラミング言語で記述して、全ての入力に対して正しい出力が得られるかということです。
もう少し分かりやすく言えば、自分自身のクローンを作れるかといったとこでしょうか。

しかしこれは無理な話です。自分自身すらも論理的に説明できないのに、他人を説明するとなるとさらに無理な話です。人間とは曖昧な存在なのです。
さらに経済なのでつながりも考慮する必要があるのですが、つながりとはすなわち双方向の組み合わせ問題であり、これは計算量的に解けないのです。
このように人間や繋がりを論理的に説明できないということは、経済もまた論理的には説明できないのです。

経済は論理的には説明できないと大昔から言われているのに未だに経済理論が存在するのは、騙す人と騙される人がいるからです。
つながる経済学ではこのような無駄なことをしないように、あらかじめ経済は論理的に説明できないとして話を進めていきます。
また、物理学が発展したように経済学も構築できると思っている人もいますが、惜しい所は経済は物ではなく人が行うものです。
物体と物体との間に力が働くのが物理学の話ですが、人と人との間に力が働くのが経済学なのです。

また経済には再現性がないので、将来のことを今に知ることも不可能なのです。

これらの問題は他に例えると競馬の予想と同じことです。
競馬をモデル化してシミュレートすることはできても、それは仮想の話で現実とは一致しないので科学と呼ぶことはできないし、予想も偶然にしか当たらないのです。

ちなみに、経済が科学でないのなら経済とは何なのか?と問われれば、経済は宗教と説明することができます。

例えば「お金」になぜ価値があるのかといえば「みんなが価値があると思い込んでいるから価値がある」という話は理解できると思います。
思い込みとは、良い言葉で言えばみんな信用している、悪い言葉で言えばみんな騙されているのです。このようにみんなの思い込みで成り立っているから宗教といえるのです。
お金には数字が書いてあるので一見科学的だと思い込む所ですが、もしお金が科学ならば「いつでも・どこでも・誰でも」同じ価値になるはずですが、そうでないのは明白な所です。

このように経済が思い込みで成立しているのは、これもまた男女関係が信用/騙しで成立しているからに由来する所になります。
女が行うメイクなんかは典型的な例です。メイクがバッチリ決まっていればかわいいなと思うのですが、メイクを落とした時に落差が大きいときっと騙されたと思うでしょう(笑)

おわりに

経済学では未だに経済のメカニズムが解明されていなかったので、新しい経済学を作ってみました。
ここでの紹介は要約部分ですが、何度も読み返して頭の中に入れ、自分の頭で考えて理解を深めてくれれば幸いです。
最後にメールフォームを用意したので、ご感想やご意見があればこちらからどうぞ!  つながる経済学作者